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ベランダの一角へ

ひとつの歌と、ふたつの命と


 ここでは何度も紹介してきた人だから改めて説明する必要もないかもしれないけど、コナー・オバーストというシンガーがいる。ブライト・アイズ、という名前の方が有名かもしれない。ブライト・アイズはコナー・オバーストがフロント・マンを務めるバンドだが、コナー・オバーストとブライト・アイズはほとんどイコールの関係だと考えてもらってかまわない。ブルース・スプリングスティーンやパール・ジャムも参加したアメリカン・ロックのドリーム・チームの一員としてブッシュ再選阻止ツアーを回ったことで有名な人である。「史上最悪」の大統領に鋭い切っ先を向ける“ウェン・ザ・プレジデント・トークス・トゥ・ゴッド”という最強のプロテスト・ソングも残している。言うまでもなく、「今を生きる」という月並みながらも曖昧で絶妙な感触に敏感で、敵に怯える小動物のように震えた歌声からもわかるとおり、とてもナイーヴな精神の持ち主である。 
 『アイム・ワイド・アウェイク・イッツ・モーニング』という作品がある。一切の駄作を残していない彼のキャリアの中でも特別な作品である。“アット・ザ・ボトム・オブ・エヴリシング”という曲からこのアルバムは始まる。「あらゆることの根源」。初めて聴いた彼の曲がこれだった。この曲に心をわしづかみにされて以来、僕にとって彼の作品を聴くということは、それについて考える行為になった。つまり、「あらゆることの根源」とはいったい何なのか、ということである。柔らかいアコースティック・ギターの音色と彼の臆病な声に寄り添って、今もそのことについて考えている。

 “アット・ザ・ボトム・オブ・エヴリシング”はコナー・オバーストの語りから始まる。語りの終盤まで楽器の音は一切なく、彼の言葉だけが時間を支配しているかのような、迫真の物語である。舞台は大海の遥か上空をいく飛行機の機内。主役はひとりの女性と、隣の席に座ったひとりの男性。お互いに面識はない。退屈な長時間のフライトを終わらせたのは機長の突然のアナウンス。エンジンが破損して急速に堕ちていく機体をどうすることもできずにパニックを起こす機長。女性は隣に座っている男性に初めて声をかける。「私たち、いったいどこに向かっているの?」。すると男性はこう返す。「僕たちはパーティーに向かっているんだよ。君のバースデイ・パーティーだよ。ハッピー・バースデイ!ダーリン!僕たちは君のことを、とてもとてもとても、愛しているよ!」。そしてコナー・オバーストのギターがジャカジャカと鳴り始め、歌はようやく幕開けを迎える。自分の「死」と直面している真っ最中に、そこに居合わせた見知らぬ誰かにこう言うことが出来たら、素敵だと思う。泣かせる。

 ただ、この最初の語りは果たして聴き手の涙を誘うだけの感動的なフィクションに過ぎないのだろうか。男性の言葉の通り、みんながバースデイ・パーティーに向かっているのならば、その次に始まる歌はある種の「祝祭」なのではないだろうか。そして、この語りは「祝祭」の幕開けを告げる重要な布石なのではないだろうか。機体が地面に打ち砕かれ、命が飛び散り、そして「何か」が始まる。墜落して粉々になった機体から、悠々と空に舞い上がっていく風船のような生命力を感じさせるカラフルな球体が勢いよく飛び出すビデオが印象的だ。
 もし女性がバースデイ・パーティーに向かっているのならば、つまり、飛行機が墜落し、最初の語りが終わり、歌の始まりが彼女のバースデイを告げているのならば、彼女はその「生」の中で余りにも多くのことを感じることになる。「インターネットに繋がっていない電話を見つけたら、僕たちはいつでも話をしなくちゃならない/自分たちが読んだいろんな本の結末のページを、僕たちは全部引きちぎらなくちゃならない/電気椅子にしっかりと縛り付けられているすべての犯罪者の顔を、僕たちはじっと見つめなくちゃならない」。冒頭だけでも、彼女はこれだけの経験を課せられることになる。それらは言葉通りの具体的な出来事ではなく、生活を覆う様々な思い・感傷のメタファーである。そして、「聖歌隊の歌声に混ざり、僕たちはみんなとまったく同じように歌わなくちゃならない/僕たちは9つの数字を記憶し、自分たちに魂があることを否定しなくちゃならない/財産と名誉だけをひたすら追い求めるこの終わりなき人生レースを、僕たちは走り続けなくちゃならない」とも歌われている。彼女が、バースデイ以降にこれらすべてを経験する運命にあるのならば、たとえありがたい「生」を享けたとしても、その人生は決して手放しに「幸福」と呼べるものではないのかもしれない。最後には、「ああ、また僕に朝が訪れる/全世界が目を覚ます/すべての市内バスが目の前を泳ぐように走り抜けていく/僕は幸せ/だって自分がまったく無名の、取るに足らない人間だってわかったんだから」とある。朝が来て、つまり、すべてを感じ終えて、結局自分は普通の人間でしかない、と。「愛してる」と言われた彼女だって、特別ではない。僕とあなただって、決して例外ではないのだ。僕たちの人生は、特に美しくもなく、眩しく光り輝いてもなく、でもそれなりの幸せがある。そして、僕たちはそんな誰でも拾える石ころのような極めて普通の人生を、宝物のようにポケットに大事にしまって守り抜かなければならないのである。走り続けなければならないのである。コナー・オバーストは、自分もそんな普通の人間だと認め、だから幸せだと言う。
 皆、結局は堕ちていく飛行機に乗り合わせた者たちで、一緒に「死」へと向かっていくためだけの「生」なのかもしれない。コナー・オバーストはそれを幸せだと呼ぶ。余りにも脆弱で頼りないその声をなんとか搾り出して、様々な苦悩と絶望に打ちのめされ最後には「死」へと萎んでいく命を、それでも全力で認めている。そんな情けない人生に、強い肯定性を求めている。この曲はいったい何のための「祝祭」なのか。答えはそこにある。だって、自分が生きていることすらも祝福できないなんて、悲しすぎるだろう?


 僕が住んでいる部屋のベランダの一角で、当初はなんやかんや騒がれながらもめでたく「バースデイ」をむかえた2羽のハトのヒナの片方が、先月の終わりに生後2週間も経たない早さで息をひき取りました。そしてそれからまだ5日くらいしか過ぎていないのに、もう1羽も亡くなってしまいました。動物臭い強烈なにおいの立ち込めるベランダには、もう親のハトは寄ってこようとすらしません。巣の中でぐったりと体を横たえたヒナの最後の姿を見て、僕はひどく感傷的になった。ヒナが生きている間は見守る以外は何ひとつしなかったけど、せめてもの供養になればと“アット・ザ・ボトム・オブ・エヴリシング”を部屋で聴いた。先に亡くなったヒナのお墓を作った場所に行くまでの道程でも、コナー・オバーストの楽曲を聴いた。一緒にお墓を作りに行った僕の彼女は、ハトの卵を発見した時には厄ネタを掴まされたみたいに気持ち悪がっていたけど、土の中にヒナを埋めてやる時には静かに泣いていました。いつの間にか心の中で愛着を育てていた自分に驚いていました。この涙も、巣という小宇宙の中で何をするわけでもなく死んでいったちっぽけな命を、全力で肯定しているんだなあと思って、帰り道もコナー・オバーストの声を聴いた。その脆弱な歌声は、以前よりも重い説得力を感じさせたと思う。そんな気がしただけかもしれない。別にどっちでもいい。


 「あらゆることの根源」とはいったい何なのか。今もそのことについて考えている。2羽のハトが「生」を享け、そして「死」に沈んだところで、世界はおろか僕の人生すらも変えることなどできない。余りにも無力な命を目の当たりにして、そこに自分の無力さが並んで横たわっている姿も見て、ようやく「あらゆることの根源」はなんとなくだが僕に伝わり始めたような気がする。とは言ってもまだすりガラス越しに見ているような感覚だ。丸裸の実態はわからない。
 僕の乗っている飛行機が落下地点をとらえた時、隣に座っている見知らぬ誰かは僕が生きることを祝福してくれるだろうか。「愛してる!」と言ってくれとまでは望まない。そのころまでには、「あらゆることの根源」の意味もわかっていれば良いと思っている。


I'm Wide Awake It's Morning / Bright Eyes
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