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徹底検証 第4弾

「反抗する」音楽

 ロックという表現は何かに「反抗する」という意味合いを少なからず内包しているものだと思う。政治・社会に反旗を翻したパンクはそれの最たるものであるし、オルタナティヴはビジネス化して太りきった既存のロックに対する反発だった。革新的なサウンドを求めるタイプのロックは一世代前の革新に対する反抗からくるものである。対世界、世代間、自己、ロックは常に何かと戦い続けてきた。
 早くも第4回目となる『徹底検証』。今回取り上げるのは、心無い「機械」に反抗し続けたこのバンド。もちろん、「ウィーン、ガチャン」というメカではない。人間の皮を被っただけの、人間のハートを持たない「機械」である。己の持つ力の強さを誇示するかのように警官バッジを掲げながら銃をぶっ放す「機械」。社員の劣悪な職場環境よりも権力のためにカネをばら撒く「機械」。ゴルフを楽しみながらどこの地域を爆撃するかを話し合う「機械」。そんな、腐りきって修理不可能な「機械」である。バンドは、そんな「機械」に踊らされているアメリカの危機感の象徴として立ち上がったが、その骨格を支える強力な思想は支持と共に大きすぎる誤解も抱え込み、2000年、解散を迎えた。もしこのバンドが9.11以降に現れていたら、そのデビューのインパクトはもしかしたらアメリカをもっとドラスティックに変えたかもしれないと思うのは僕だけだろうか。これは決して9.11を認める意味ではないが、9.11はアメリカが「機械」であることを世界中が目撃する事件だったと僕は思っている。そのアクティヴィズムにはこのバンドと多少なりとも似通った点がある。俺たちは「機械」には支配されない、という余りにも明確な意見である。
 今回のテキストは、そんな「機械」への反抗を表明したバンドの闘争を振り返ったものである。「機械」への怒り、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。彼らの残した5枚のアルバムからこのバンドの闘争の記録を読み解いていきます。
 『徹底検証』です。


Rage Against The Machine
Rage Against the Machine


俺たちは、腐っていない
 決して大袈裟な言い方ではなくて、本当に数え切れないくらい再生した曲なのに、“ノウ・ユア・エナミー”のラストでザックが前のめりになって歌う「ああ、俺は俺の敵を知っている。自分を抑制するように教え込んだ教師どもだ。妥協、従属、同化、服従、偽善、残虐性、エリートたち。それら全てがアメリカン・ドリームってやつさ」という言葉が未だに強烈な鋭さをもって心に切り込んでくる。レイジが抵抗する「機械」の正体が次々に丸裸にされる、僕が最も気に入っているフレーズだ。過激な言葉を尽くしたザックのラップで聴き手に膨大な情報を送り込み、トムのアイディア豊富なリフ/サビの爆発でそれらに片っ端から火を放ち焼き払っていく。レイジの手法は作品を重ねてもここからあまり大きな変化が見られないのだが、最初から自分たちのやるべきことを明確に理解していたということだろう。デビュー作にしてすでに楽曲にスキというものが一切なく、自分たちの表現をパーフェクトに完成させている。そして、レイジの楽曲は極端にわかりやすく、怒っている。大金片手に腹を抱えてガハガハ笑っている高級官僚や企業幹部と、世界中がバカらしく思えてしまうちっぽけな自分。いったい腐っているのはどちらか。その答えを本作ほど明確に教えてくれる作品はなかった。


Evil Empire
Evil Empire


終わりなき闘争
 スーパーマンばりのヒーロー・コスチュームに身を包みニマッとした笑みを顔面にへばりつけた少年。そして「Evil Empire(危険分子)」の文字。レイジの怒りは作り物の笑顔をベリベリと剥ぎ落とし、その下に隠されたマグマのように赤黒い本性を太陽の下に引きずり出す。ここでいう「Evil Empire」とはもちろんアメリカのことだが、9.11以降の価値観でこのアメリカン・ヒーロー像を完膚無きまで打ち砕くジャケットを見たときの説得力というものは本当にすごい。9.11も、アメリカの闇に沈み切った団結と正義を露わにする行為だった。だからこそアメリカ人は揺らぎ始めた自分たちの足元を改めて見つめ直さなければいけなくなったわけだけど、レイジは92年のデビューからずっと、それを訴えていたのだ。前作から4年という長い時間が経とうとも、本作でレイジがやっていることは以前と何ひとつ変わっていない。いや、変われないのだ。「Evil Empire」が変わらないのならば、レイジがやることはやはりその嫌らしい笑顔の裏側にある欺瞞を暴くことだけである。それはこの後もそうだった。アメリカでは、9.11が起こると即座にレイジの楽曲は全曲放送禁止の指定を受けた。レイジの指摘が余りにも正確に図星をついていたからだ。こんな胸クソ悪いことがあるか。戦いは、今も終わっていない。


The Battle Of Los Angeles
バトル・オブ・ロサンゼルス


レイジを殺したのは誰だ
 メンバーの場慣れやレコーディング環境の向上などによってバンドの発散するエネルギーの塊を最も的確に、生々しく聴き手にぶつけることに成功したアルバム。もはや当然のように全米1位を獲得した後も各誌面で賞を総ナメにし、本作は再び彼らにグラミーの栄光をもたらした。発売前から本作の政治的影響力の大きさが危惧され、事態はレイジがひとつの「権力」にさえ成り得ることを象徴するかのような大きな社会問題へと発展した。メッセージ性だけでなく音楽的にも非常に優れたこのアルバムは、しかし、彼らを本来とはまったく違う場所に連れて行ってしまった。バンドが当初から掲げていたメンタリティを明確に理解しない名ばかりのフォロアーやファンは彼らをラップ・メタルの教祖へと祭り上げたが、レイジはそもそも音楽家である以前に強固な思想・理念を持った政治的機関なのだ。高いクオリティを誇る楽曲群の凄まじい引力は作品へのアクセスを容易にはしたが、受け手側の不透明な理解はザックを自らが作り上げたスタイルに嫌悪感すらも抱くところまで追い込んだという。楽曲が中身を置き去りにしたまま聴き手を刺激してしまった時、レイジの表現は「機械」になった。このままでは本来の革命は成し得ない、と判断したザックは、本作発表の翌年、バンドからの離脱を表明した。


Renegades
Renegades


「言葉」こそが手段
 最近のヒップ・ホップは一時のギャングスタの影響か何か知らないが、カネ、暴力、女、Bボーイ、マッチョ……そんないけ好かない音楽に劣化したような感がある。違う。あんなものは違う。誰が何と言おうとヒップ・ホップは「言葉」の音楽である。ビートだってスクラッチだって重要だ。でもヒップ・ホップの強みは「言葉」の力である。僕はそれだけは絶対に譲らない。ヒップ・ホップほど言葉数の多い音楽はないのである。「言葉」の可能性を最も持っている音楽なのである。ザックがラップにこだわる理由はそれだ。“マイクロフォン・フィールド”を聴きながら僕はそう思った。そう、レイジというバンドは音楽にポーズやスタイルよりも「言葉」を求めている。このアルバムはバンドのメンバーが影響を受けた楽曲を独自にリメイクしたカバー・アルバムだ。エリックB&ラキムやらMC5やらアフリカン・バンビータやらストゥージズやらボブ・ディランまで、ヒップ・ホップもパンクもニュー・ウェイブも一切の脈絡無しに並べられたこの曲群に見える唯一の共通点、それが「言葉」の持つ強さである。レイジは結局「言葉」でしか何も変えられないことを知っている。彼ら自身、ここにある「言葉」に動かされ、マイクを握り、楽器を選び取った。エネルギーもすごいが、実は極めて言語的なバンドなのだと思い知らされる。


Live At The Grand Olympic Auditorium
Live at the Grand Olympic Auditorium


「俺たち」の怒り
 2000年9月13日。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、最後のライブである。僕は彼らのライブに参戦した経験はないが、レイジというバンドの在り方を考えた時に、やはりライブというものはこのバンドにとって物凄くスペシャルな場所なのだと思う。そもそもライブはスペシャルなものだが、レイジの場合は少し意味が違う。レイジのライブは、彼らの楽曲の「矛先」を明確にする場所なのだと思う。それは、ゲリラを取り締まる警官でもなければ、彼らに「要注意人物」の判を押すホワイトハウスの役員でもない。この歌は、今まさに目の前にいる「お前たち」に向けられているのだ。そういう場所なのだと思う。そして、民主党党大会会場と真向かいの場所で行われたこの最終ライブで、ザックは「この国における俺たちの選挙の自由は終わった。民主党や共和党なんかに俺たちのストリートを支配されてたまるか!」と叫び、全身全霊を込めて“ブルズ・オン・パレード”を歌う。それはまるで、選挙は俺たちのためには行われないが、この歌は紛れもない俺たちのものだ、と主張しているようで感慨深い。本作リリースの時点でバンド解散から約3年の時が過ぎている。しかし、そこに「切なさ」の割り込む隙間はない。どこまでもリアルで真っ当な、「機械」に対する怒りがしっかりと記録されている。


 ザック自身が「復活はありえない」と解散当時洩らしていたにも関わらず、レイジは去年コーチェラにて奇跡の復活を見せた。8年の不在を経て、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは再び「機械」への怒りを表明した。アメリカ大統領選挙を前にブッシュがこのまま逃げ込もうとしている絶妙なタイミングで、である。そして、8年ものブランクを経験しても、レイジはレイジでしかなかった。バンドの命題もエネルギーも手法も、復活ライブのステージには以前からなにひとつ遜色のない「機械」への怒りが渦巻いていたという。レイジは変わっていない。それは「機械」が変わっていないからだ。9.11から6年以上の時が流れても、「機械」は「機械」でしかない。それならば、レイジが今最もやらなければならないことは新しいオリジナル音源を発表することである。結局「機械」はこれっぽっちも変わっていないという決定的な事実を前に、彼らは何を歌うのか。僕たちは、ただ待つだけだ。
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21:13 | 徹底検証 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑
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コメント

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凄く面白くて一気に読んでしまいました。そして2/9に本当にこの目で見ることの出来た彼らが、なぜ2000年当時とあまり変わらない熱量を持っていたか、納得したような気がします。そして自分もオリジナルを待っています。

今語り倒すべきテーマは溢れるほどあるはず。期待です。
by: fafnir | 2008/03/31 04:28 | URL [編集] | page top↑
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ありがとうございます!
レイジの復活ライブを観られたのは貴重ですよ!
それを生で観た人でないと理解できないものもたくさんあるでしょうし、羨ましい限りです。

そう、テーマは厭きれるほどたくさんあります。
僕たちはそれを前にして、語り倒すことしかできません。
というか、語り倒す以外のことはできなくても良いのです。
fafnirさんにも期待しています。
by: 幸大 | 2008/03/31 16:13 | URL [編集] | page top↑

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