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映画は面白くない

と思っていた。


 多分何かの本で読んだのだと思うのだけど、昔、まだ概念的に映画なんてものが日本人の頭の中に成立する前、映画が「活動写真」なんて呼ばれていた時代に、日本(特に田舎近く)で上映されていた映画は、ほとんど怪獣モノしかなかったらしい。しかも、『ゴジラ』の構想を思いっきり単純化させたような、今だったら完全に子ども騙しの怪獣モノ。上映する側も観に来る側も、そんな単純な「活動写真」を飽きもせずに楽しんでいたらしい。虫捕り網を持って山中走り回ったり近くの川でザリガニ釣ったりが毎日だった子どもたちにとっては、見たこともないでっかい怪獣が飛行機を叩き落として建物を破壊して大人たちが逃げ惑って、そんな「活動写真」の世界は最高のファンタジーだったんだろうな。正直、ちょっと羨ましい。

 ちっちゃい頃から父親が何かにつけて「面白いから」と観せてくれた『コーラス・ライン』と『ルパン三世:カリオストロの城』、それと毎年終戦記念日前後に放送されてた『火垂るの墓』は本当に大好きで、何度も何度も繰り返し観ていた。でも全部テレビ画面で観ていたから、ちょっと長いお話、ぐらいにしか思っていなかったのかもしれない。今、幼い頃を振り返ってみて、自分が映画の存在をきちんと認めた時はいったいいつ頃か。多分、沈み逝く旅客船「タイタニック号」の中でのお話に世界中がおめでたい涙を流したあの頃とか、宮崎駿が「もののけ」として育てられたひとりの少女に人間否定の使命を背負わせたあの頃とか、それぐらいだったと思う。両方とも、当時ものすごく話題になった映画だった。でも、船が沈む話ぐらいでなんで大人がおいおい泣くのかわからなかったし、突然「シシ神様」「でいだらぼっち」なんて言われても訳がわからなかった。その頃だって怪獣が飛行機を叩き落とすようなわかりやすい映画はたくさんあったんだと思う。でも、映画と言えばやっぱり『タイタニック』とか『もののけ姫』とかだった。映画はよくわからない世界だった。僕はまだまだ子どもなんだと思った。それが、小学生の頃だった。

 中学、高校と進学するにつれて、僕はバカみたいに音楽街道を邁進し始めたから、映画なんて別にどうでも良かった。音楽が面白すぎたから、映画は面白くなかった。超めちゃくちゃな理屈だけど、でもそういうことだった。数時間もかけて船の沈む話を観るだなんてくだらなかった。2時間も他人の恋愛を覗くより、たった3分半で人生を駆け抜けるロックの方が、よっぽど感動的だった。それに、映画はひどく刹那的だと思っていた。僕の映画の印象は、なんとなく、カップルが観に行きそうで、なんとなく、ちょっとだけ刺激的な場所だった。その楽しみは映画を観ている時間のみに限定されているものだと思っていた。実際に、映画は音楽みたいに後まで響いてはこなかった。

 大学に入って、映画好きな人と知り合って、なんだかんだ屁理屈をこねながらも影響されやすい僕は、映画を観るようになった。お店でDVDを借りて、数え切れないぐらいたくさん映画を観た。今まで観てこなかった分が全部ここに掻き集められたみたいに、いっぱい観た。そこで、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と出会った。あの映画を観た友達はみんな未だに僕の言うことをわかってくれなくて困るのだけど、エンディング曲とスタッフロールが流れるころになってようやく作品の本質的な部分がムクムクと頭をもたげ始める映画を、僕は初めて観た。「終わり」すらも吸い寄せる「始まり」がやってくる瞬間を、生まれて初めて体験した。映画が刹那的な感動だけではなくて未来にまで感動を約束できる表現だということを、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観て、僕は知った。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、僕の中の「映画」をエグいぐらいハッキリと変えてみせた。

 あれ以来、僕の映画生活はバラ色になった。『タイタニック』はただ船が沈むだけの話じゃなかった。『もののけ姫』以降、一気にアクセスしにくくなった宮崎駿作品に、自分なりの理解が出来上がってきた。スタンリー・キューブリックの「キテレツさ=異物感」の正体もなんだかわかるようになってきた気がする。アクションでもラブ・ストーリーでもコメディでもサスペンスでもアニメでも韓流でも映画は何でも楽しくなった。未だに「全米興業成績何週連続1位!」とか「この映画は実話に基づいて~」とかいちいち煽ってくるものは胡散臭くて、映画はそんなとこじゃなくて内容そのものによってのみ評価されるべきだと思ってしまうし、おすぎの評論は相変わらずくだらない。でも僕は映画の楽しみ方を知っている。僕は大人だと思った。

 映画は物凄く刺激的なものになった。映画を観ることは、僕にとって物凄くクリエイティブな行為になった。でも、そうやってせっかく自分の中で映画の立ち位置がどんどん確立していってるのに、この作品は僕の中の「映画」を不用意に揺さぶる。後ろから石で頭をガツンとやられる感じのショックだった。例えるなら、それは怪獣が暴れ回る「活動写真」だ。日常から過剰に乖離した非・現実という正体不明の違和感。「あっち側」の世界を除きこんでしまった時の背徳感。昔の単純極まりない「活動写真」がその未知の感覚のみによって人々を興奮させていたように、パッケージを塗りつぶすこの真っ黄色は、余りにも目立ちすぎる己の「まぬけさ」を最大のラディカリズムにして、光る。真っ黄色の正体は、『キル・ビル』。クエンティン・タランティーノ監督が自分のオタク根性を総動員して作り上げたこれぞ正真正銘の趣味世界。映画、アニメーション、ジャパン、血飛沫への最高にイタイ思い入れのすべてを泥団子みたいにいっしょくたにして押しつぶす。己のエゴ爆発に躊躇というものは1mm足りとも、ない。いつまでたっても世間がイケメン俳優と美人女優のありがたいラブ・ストーリーを求め続ける傍らで、この男が大真面目に作るものがこれである。追撃者は、いない。僕たちは、ただしがみついているしかないのだ。

 そして、先ほどDVDを注文したお気に入り作品のために、その作品そのものよりも個人的な映画遍歴の方に熱を入れて語り倒してしまう、それが『Over The Border』という迷惑なブログである。こういうことがしたくなった時のために、カテゴリーに『コラム』を追加しました。何か真面目に書きたい時は、音楽でも映画でも本でも恋愛でも料理でも、ここで書いていこうと思います。いや、もちろん今回も大真面目に書きましたよ。よろしくお願いします。
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