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徹底検証 第三弾

二年前、ライブ公演で自ら十字架に磔になり
キリストの磔刑を再現するという過激極まりないパフォーマンスを行った女性がいる。
彼女は敬虔なカトリック教徒の父親を持ち、
物心ついた時から宗教の持つ胡散臭さに疑問を抱いていた。
父親という身近な宗教者への反発心を常に研ぎ澄ましていた彼女にとって、
表現が何らかの宗教性を帯びることはある意味必然だったのだろう。
そして、彼女を神さえも迷わず引きずり落とす過激因子へと育て上げたのも、
他でもない父親だったのだと思う。
近くに父親という反抗すべき存在があったからこそ、彼女は強くなれた。
彼女の名前はマドンナ。
セックス・シンボルとして時代の寵児と祭り上げられ臆病な男性社会を脅かし、
ポップ・アイコンとして唯一無比のカリスマ性を発揮してきた女性。
今回、第三回目を迎える『徹底検証』で取り上げるのは、
そんな恐るべき女性、マドンナ。
自分を表現することにまったく躊躇を感じさせない彼女が残してきた
10枚のオリジナル・アルバムすべてを通してそのキャリアを振り返ります。
『徹底検証』です。


Madonna
バーニング・アップ


本物のカリスマ
 初めてのテレビ出演の時、マドンナはこれからの野望について聞かれ、「私は、世界を征してやる」と答えた。それが今ではギネスすらも認める「世界で最も成功した女性シンガー」なんだから、これこそアメリカン・ドリームだよな。本デビュー・アルバムもさっそく800万枚を超える売上を記録。発言からなにからとにかく破格な人だ。ところで、マドンナを破格たらしめているものは間違いなくその強烈な意志だが、それが徐々に形成されて確信的なものに出来上がるのではなくて、この時点ですでにマドンナにしかない「自分のやりたいこと・やりたくないこと」が行間からクッキリと浮かび上がってくるところが面白い。歌っていることのほとんどが恋愛に関するあれこれという最も基本的なものであるにも関わらず、である。つくづく言葉に信念をぶち込む人だよなぁと圧倒させられる。そこの部分の表現に対する躊躇のなさでは、この時から25年近く経つ今だって右に並ぶ女性はいないんじゃないか。たった一回の危うい発言だけで支持者に直筆の謝罪文なんか書いてる倖田來未に、「世界征したんねん!」と叫ぶ度胸があるかという話なのである。しかもそれを有限実行しちゃうんだからマドンナはすごい。カリスマっていうのは、こういう人のことを言うんだろうな。余りにも鮮烈な登場を記録した処女作。


Like A Virgin
Like a Virgin


ギャップという過激さ
 個人的な話だが、この頃のマドンナの印象はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを初めて聴いた時のそれと激しく重なる。レイジといえばアメリカで「全曲」放送禁止を食らうほどのあの過激な政治的メッセージが武器だが、でも初めて聴いた時にはそこの部分の驚きよりも高度なラップとギター・テクという極めて音楽的な、そして単純な「かっこよさ」に対する畏怖みたいなものが大きかったように思う。つまり、その強烈な言葉抜きにしたとしても音楽的なレベルが非常に高いのだ。秒速で興奮できるのだ。音楽に付けられた名称や作品のテーマが違うだけで、このアルバムのマドンナは言わばポップ界のレイジである。マドンナを一躍スターダムにのし上げた“ライク・ア・ヴァージン”“マテリアル・ガール”といった特大ヒット曲が収録された、彼女の代表作とも言える本作。おじさんがマドンナと聞いて真っ先に思い浮かべるのはこの頃の彼女だろう。ヴァージンの感動や物質社会などの明確な、そして当時はまだまだ危険思想だったラディカルなテーマを取り上げながらも、本作に収録されたポップ・ソングはアイドル・ポップとしてさえ通用しそうなほどにわかりやすい。つまり、ポップとしての機能性の高さがすっかり堂に入りきっているのだ。そのギャップが僕には何よりも衝撃的だった。


True Blue
True Blue


雛形にして驚くべきクオリティ
 『ライク・ア・ヴァージン』のヒットで世界に一騒ぎ起こしてみせたマドンナがその1年半後に発表した3枚目。根本的な構造は前作と特に変わらない、無垢でポップな編集センスからは想像できないほどの強烈な意志が全体を一筋に貫く「これぞマドンナ!」を外さないアルバム。最終曲なんて『おかあさんといっしょ』にでも使われそうなぐらいのジャングル・ポップにも関わらず、そこからは凄まじい説得力を持った意見が飛び出だしてくる。ところで、マドンナの表現には常に反キリスト的な空気が纏わりついているが、それには敬虔なカトリック教徒であった父親に対する反抗心のようなものが根っこにある。後に“オー・ファーザー”などでも語られるが、本作冒頭曲は「パパ、お願いだから説教しないで」と嘆願する迫真のナンバー。『ライク・ア・プレイヤー』収録の“エクスプレス・ユアセルフ”でピシッと結晶化する自分実現への「立ち上がれ!」ソングも入っていて、言ってみればマドンナが表現へと向かうモチベーションのすべてがもっとも普遍的かつ初期的な形で顔を見せる作品かもしれない。その解りやすさゆえか、キャリア史上最大のセールスを記録した本作。ここから1枚のリミックス・アルバムを通過し、次作『ライク・ア・プレイヤー』へと彼女は表現力を一気に高めていくのだ。


Like A Prayer
Like a Prayer


オピニオン・リーダーとしてのマドンナ
 “エクスプレス・ユアセルフ”のビデオの最後に現れる格言のような言葉が心に焼き付いて忘れられない。「“heart”がなければ、“hand”と“mind”の間に理解などあり得ない」。いったいどういうことだろうか。“hand”と“mind”の間の理解とは、いかなることか。マドンナが言う“heart”とは、いったい何を示しているのか。これは何の裏づけもない個人的な解釈だが、“heart”とは「エクスプレス・ユアセルフ」ということである。「自己を表現する」という「信念」とでも言おうか。“hand”は労働や修業などにおける「外的自己」、“mind”は「内的自己」に近いものだと僕は考えている。「上辺」と「本音」でも良いかもしれない。つまり、誰もが持っているそんな二面性を繋ぐもの、それこそがまさに「エクスプレス・ユアセルフ」という「信念」なのである。上辺にも本音にも筋を通せ、ということなのである。それが難しいからみんな窮しているのだが、保守的な80年代ポップス界でマドンナはそれを歌い、黒人たちを多くバックに引き連れ、そして十字架に火を放ったのである。「エクスプレス・ユアセルフ」はマドンナの表現をギュッと濃縮した言葉だと言っても良い。その本当の意味を伝えるために、今年なんと50歳を迎えるその強靭な肉体で、マドンナは今も歌い続けているし、踊り続けている。


Erotica
Erotica


脱ぐことさえも表現
 女性シンガーがエロの世界に足を突っ込む時というのは、決まって表現のモチベーションが尽き果てた後の最終手段であって、「もっと、もっとぉ」という形式的な快楽を無表情な恍惚で歌って仕舞にはファンにも厭きられるものである。とまあこれは昨年ブリトニーが実際にとった手段だが、もはや「セクシー」とか「ビッチ」とかいう精一杯の言葉でさえフォローできない始末の悪さである。だがマドンナの場合、『エロティカ』という極めて危ういベールを纏った本作においても、その説得力と意志の強さは健在だった。というかむしろこういう「お父さんお母さん、ごめんなさい」な世界のほうがマドンナというキャラクターにはハマりすぎていたぐらいだから驚きだ。だから、ここでの変化はマドンナ自身というよりも外側の変化だったんだと思う。過去の名作3枚を共にしたプロデュース陣を総替えし、これまでのお気楽な快楽性に対しては自由すぎたポップネスからここからの作品のひとつの編集基準になるハウス・ミュージックへとシフト・チェンジした本作。セールス的には実は後ろから数えた方が早いのだが、ファンの間では今でも根強い人気を誇っているようだ。「マドンナ」というカテゴリーを「エロス」という方角から固めた作品。同年出版作のヌード写真集『SEX by MADONNA』もそのひとつと言えるだろう。


Bedtime Stories
Bedtime Stories


ベッドタイムは漫然に
 ベッドに横たわるクイーン・オブ・ポップ、マドンナ。プロデューサーとしてネリー・フーパーやベイビーフェイスを招き、一部には北欧の天使ビョークも参加しているというなんともゴージャスなアルバム。今聞いてもその話題性は抜群で、実際にベイビーフェイスとの“テイク・ア・バウ”では7週連続全米1位を獲得する鮮やかなヒットを記録した。でも、「別にマドンナじゃなくても良いじゃん」と思う。ベイビーフェイスもネリー・フーパーも確かにプロデュース経験の豊富な優れたソングライターだが、本作での彼らの欠点は「マドンナ」というカテゴリーを十分に規定することができなかったところにある。「良い曲」は、必ずしもそのシンガーが「歌うべき楽曲」ではないのだ。マドンナがポップ・アイコンとしてただひとつの存在感を獲得することができたのは、彼女が時代にただひとりのラディカリストだったからだ。マドンナだってバラードは歌う。でも、マドンナは決してバラード歌手ではない。そうあるべきではない。なぜなら、彼女がこれまでやってきた音楽はポップ面でありながら、その中身はロックそのものだったからだ。だからこそ、僕は“ヒューマン・ネイチャー”で静かに囁かれる「自分を押さえつけないで、自分をエクスプレスするのよ」という未だ消えていないロックの火種のみを信じるしかなかった。


Ray Of Light
Ray of Light


マドンナ、という宗教
 前作『ベッドタイム・ストーリーズ』から実に4年という年月を経て発表された98年作。深海の神秘のようなアンビエント・ポップが生み出す空間を、マドンナは「私は人ごみの中で自分を見つけた/気分は孤独だった」「私はもう罪を背負えない」「逃げて、逃げて、私は自分を探していた」という内省的な言葉で埋め尽くした。そして、「自分の心が分かった/これが私の宗教なのよ」と。これまで書いてきたとおり、基本的にマドンナの作品には彼女ならではの信念や強烈なテーマが打ち出されてきたが、本作はそれをサウンドの持つ無重量感や内省的ながらも妙に確信的な言葉の数々によって一種の「神性」にまで高めた美しい作品。前作がバラード歌謡のパスティーシュ的な作品だっただけに、この変貌ぶりには嬉しくも驚きを隠せない。38歳にして初めて経験した出産、ヨガを始めとするインド文化への傾倒、カバラを信じる奇跡――どの影響が最も大きかったのかは本人以外にはわからないが、どれも大きな影響力を持っていたのだろう。世界に向かって叫び続けてきたマドンナが自分の心の奥底に向かって働きかける、キャリア史上唯一の作品。一番好きなマドンナの曲はもちろん“エクスプレス・ユアセルフ”だが、アルバムだったら僕は絶対にこれを選ぶ。


Music
ミュージック


クラブ・マドンナ
 『レイ・オブ・ライト』でマドンナにその手腕を認められたウィリアム・オービットが引き続きプロデューサーを務める本作。エレクトロ・ミュージックの仕事で名の知れたミルウェイズ・アマッザイも参加している。前作で己のハートの中身を見つめ直したことで踏ん切りがついたのか、今回はフィーリングの披瀝や士気の鼓舞ではなくフロアにも目を配ったこれまでよりも高性能なダンス・ミュージックへと大きく舵を切った、プロデュース陣の個性が強く打ち出されたアルバムだ。タイトル通り、非常に「音楽」的な変化をマドンナのキャリアに引き起こした転換作となった。ビートの響き方がこれまでの作品とは比べ物にならないくらい良い。このアルバムを聴くと、マドンナの音楽に対する距離の取り方は絶妙だなと思い知らされる。基本はどれもダンスだが、新たなプロデューサーを頻繁に加えてサウンドの構図を変化させるにも関わらず、作品毎の瞬発力の高さは尋常じゃない。このアルバムが発表された時、マドンナはなんと42歳。同年、彼女は第2子の誕生と人生2度目の結婚を経験する。それでも、彼女は本作で「踊り続けること」に全神経を注いだのである。溢れ出るエネルギーに蓋さえしなければ、人はいつまでも現役でいることができる。カッチョ良いよね。


American Life
American Life


アメリカン・ライフの闇
 ハリウッドを痛切に皮肉ったその名も“ハリウッド”や映画『007』シリーズの主題歌になった“ダイ・アナザー・デイ”もめちゃくちゃかっこいいのだが、やはり“アメリカン・ライフ”の存在が大きい。この時のマドンナがマジになって伝えたかったことのすべてがこの曲にギュッと詰め込まれている。空っぽなアメリカと、これまでそんな国の華やかな夢の象徴としてキャリアを歩んできた自分の足元を、「このモダン・ライフは、私のためになっているの?このモダン・ライフは、自由のためなの?」と問い質しながら、否定していく。こんな国の夢ならば私はいらない、と。だからこそ「名前を変えるべきかしら?」なのだ。そうすれば「私はスターになれるかしら?」なのだ。果たしてタイミングが良いのか悪いのか(少なくともセールス的には最悪だった)、期せずしてイラク戦争の開戦直後という世界中がピリピリとした緊張に包まれていたところに投下された本作。“アメリカン・ライフ”のPVは、ファッション・ショーというスポットライトの下に、血まみれで運ばれる人間、爆撃に吹き飛ばされる肉体、兵士の体からもぎ取られた片足、火を噴く殺人兵器、突如投げ込まれる手榴弾などに加えて実際の過去の資料も使って戦争の現実を「曝け出しすぎた」ために全米で放送禁止となった。


Confessions On A Dance Floor
Confessions on a Dance Floor



紅パンの理由
 レコードから立ち上ってくるこの圧倒的な熱量はなんだ。“ハング・アップ”を聴いて、いまだにマドンナの当時の年齢を調べては驚きを隠せない僕は確かに彼女のことを恐れている。87年生まれの僕は、マドンナが全盛期を迎えた80年代の頃の衝撃は作品を辿ることで追体験するしか他ないと思っていたが、このアルバムを聴いた時の感覚はもしかしたら当時の人たちのそれと似ているのかもしれない。要は「恐れ」だ。80年代に「まるでヴァージンみたいよ~」と歌うことで臆病な男根主義者を刺激したマドンナ。47歳を迎えながらも紅パン姿で踊り狂い同年代だけでなく若年層まで巻き込んでフィーバーをぶち上げたマドンナ。尊敬とか憧憬とかいう以前に、「こいつほっといたらエライ事になるんじゃないか」という「恐れ」がそこにはある、と少なくとも僕は思う。00年代に入ってからのマドンナは、正直言って行き詰っていたと思う。『ミュージック』も『アメリカン・ライフ』も個人的には大好きなアルバムだが、マドンナはずっと型破りなカリスマ性を打ち出せずにいた。でも、このアルバムで彼女は以前のようなビッチに扮するのではなく、過激な社会批判でもなく、紅パンにこそ突破口を見出した。己の肉体の若さを誇示するかのように紅パン姿で体をそり返すマドンナは、比類なきカリスマそのものだった。


マドンナは、来月に『コンフェッションズ~』以来3年ぶりとなる新作を発表する。
タイトルは『ハード・キャンディ』。
周辺情報としては、
プロデューサーとしてファレル・ウィリアムズやティンバランドが参加、
中にはカニエ・ウェストまで関わっている曲もあるそうだから、
ここ三作品と同様とにかくノリまくれるダンス・アルバムになりそうだ。
ただ今回はかなりヒップ・ホップに接近したサウンドに傾きそうでもある。
そんな彼女にとっては新しい試みの中で、
強力なプロデュース陣の勢いに負けない「マドンナらしさ」を発揮できるかどうか、
すべてはそこに懸かっていると言って良いだろう。
マドンナのキーワードはいつだって「エクスプレス・ユアセルフ」だ。
僕はマドンナを信じている。
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15:04 | 徹底検証 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑
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コメント

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80年代のマドンナをしっかりと聞いてこなかった自分としては初期作の文章が非常に興味深いと同時に、聞かなくてはと思ってしまいました。マドンナはどんなにポップにしても軽薄にはならない、素晴らしいアーティストですね。プロデューサーの選びかたも秀逸です。特にray of lightは個人的に超好きな音なのでもちろんナンバー1です。

先日紹介していただいたみたいで、ありがとうございます。確かにかなり考えて文章は書いてますけど、自分のはそんな褒められるようなもんじゃないと思ってます(笑)
by: fafnir | 2008/03/12 02:14 | URL [編集] | page top↑
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80年代のマドンナは素敵ですよ。90年代以降の作品は、もうなんだか聴き手側に「マドンナ」っていう強烈なイメージがありすぎていて、それをマドンナ自身も自覚しているせいか、変に風格みたいなものを感じてしまいます。80年代はまだまだヤンチャ坊主なんですけど、そのほうが変な高揚があります。ヤンチャなんだけど、正体不明なんです。「なんかでかい事やらかしそう」なんです。『レイ・オブ・ライト』は僕も大好きですよ~嬉しいです。

別に褒めるつもりはありませんよ。それで当然ぐらいに僕は思ってます。歌い手がウンウン試行錯誤してひねり出した表現を聴き手がウンウン唸りながら受け止める。僕たちが聴いている音楽はそういうものだと思ってます。でも、そういう人が余りにも少ないから、僕はこれまであんまり多くのレヴュー・サイトが信用できなかったんでしょうね。『Deep Impact』を知れて良かったです。ありがとうございます。
by: 幸大 | 2008/03/13 22:57 | URL [編集] | page top↑

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