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いや、僕はそもそもやらないけど

なんてこった、清水ミチコと新しいロックの可能性について書いてたのに、
ログイン時間が長すぎたせいか、
プレビュー・ボタン押したら書いたの全部消えちゃった。
もうやんなっちゃう。
笑いと酒ですべてを解決しちゃう本気のロックの可能性は、
僕の目の前からあっという間に消え去ってしまいました。
しかも僕自らの手で消滅させてしまいました。図らずも。
なんて残酷な。

今は『それでも僕はやってない』を観ています。
法学部の友達が「この人、痴漢です」とさえ言えばほぼ100%有罪にできる
と言っていたけど、本当にそうかもしれないな。
突然名前も知らない女の子に腕つかまれて痴漢呼ばわりされて、
無罪にできる証拠なんて、あるわけないじゃないか。
これは史上最強の完全犯罪じゃないか。
しかも個人レベルじゃなくて、司法レベルの。
なんにでも証拠がなきゃダメだなんて、誰が考えてもナンセンスじゃないか。
でも司法が判断を誤っちゃいけない。証拠は絶対に必要。
それはどちらも正しい。
どちらも正しいから、法律はねじれてるんだろうな。
国家権力も法律も世界も、どれも、
ひとりひとりの人間の認識や知識や意識の集合体の下に成り立ってる。
でも、この映画みたいに、ひとりの人間がどうわめいたって、
世界は何も変わらない。国家権力も、法律も。
残酷だなぁ。
男性諸君、満員車両では両手を挙げましょう。
司法と医者には、できるだけ関わりたくないもんです。


CDレヴューでも載せましょうか。
これ、バレンタインの時にもらっちゃいました。やったね。
セカンド・アルバムから聴き始めて、ずっと欲しかったデビュー作。

Stars Of CCTV
/ Hard-Fi

スターズ・オブ・CCTV(初回限定ハッピー・プライス)

サバービアの雄叫び
 余りにも当然過ぎて別に今更取り立てて言う必要もないことだけど、ロックというものはあるひとりの人間の世界に対する関わり方、間合い、密度などが詳しく反映される場所だと思う。だからこそ、その在り方は文字どおり多種多様で、積極的に世界に潜り込んでいくものもあれば、世界なんて見て見ぬフリをして無関心を装うものもあるし、打ちのめされては立ち上がるのが大好きなマゾなものもある。ハード・ファイの場合、それはフロントマンであるリチャード・アーチャーの、ロンドン郊外のワーキング・クラス出身という生い立ちに根付いた極めて反骨的なものだ。「レイザーライトやキラーズと競いたいわけじゃない。俺はエミネムに勝ちたいんだ」という彼の言葉が忘れられない。社会不適格なひとりの人間の人生すべてを音楽フォーマットにぶち込むことで相対的に世界の闇に怒りの光をあてたのがエミネムだとすれば、常に監視カメラに追いかけられているサバービアの少年少女の余りにも日常的な喪失を引き受けることで世界に対する不平不満を爆発させたのがハード・ファイだ。だからこのアルバムは「CCTV(監視カメラ)のスターたち」という皮肉極まりないタイトルなのだ。そして、ここでの「スター」が複数形で扱われているのは、ハード・ファイのロックがムカつく世界に向かって鳴り響いているのではなくて、結局はそんな世界でしか生きることができないサバービアの若者たちに捧げられた祝福の歌だからである。リチャード自身、かつてはそういう若者のひとりだった。「21世紀のレベル・ミュージック」「クラッシュの再来」という謳い文句を引き連れながらイギリスでNo.1を獲得した本デビュー・アルバムで彼を取り巻く環境は激変したはずだ。しかし、続くセカンド・アルバムでリチャードが歌ったものは、またしてもロンドン郊外の決して満たされない物語だった。サバービアは、リチャードのエモーションの終わらない源なのだ。“サバーバン・ナイツ(郊外の騎士たち)”は、余りにも決定的な一曲だった。
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