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デスノートと変わらん

この前mixiをやってる友達の入ってるYUKIコミュを見せてもらって、
とてもとても怖い体験をしました。
熱狂的なYUKIファンが集まるだけあって、
ひとつひとつの書き込みが本気中の本気だったし、
なんというか、女の子の陰湿な排他性みたいなものを感じてしまいました。
YUKIの曲全部歌えなきゃ仲間に入れてあ~げない!みたいな感じです。

「YUKI」と書いて何と読む?――「神」。
これには本当に腰を抜かしそうになった。
僕は「YUKI」と書いて「YUKI」としか読まないけど、
あの人たちよりもYUKIのことを好きな自信があると思った。

YUKIの髪型とかメイクを真似して写真を載せまくっている人もいっぱいいて、
その成り切りぶりが本当に怖かった。
本人達がYUKIに成りたがってるんだから別に良いけど、
ヘアメイクに関しては赤子のように何にもわからん僕でも、
やっぱ真似だけじゃ駄目なんだなと思いました。
なんていうか、メイクだけが顔から浮いてる感じがする。
メイクに説得力がないんだ。
YUKIに少しでも近づきたいなら、
そのままYUKIの顔になろうとするんじゃなくて、
まずは自分を見つめなおさなきゃいけないんだろうな。
よくわかりませんが。

4月に新曲が出ますね。
タイトルは“汽車に乗って”。
そろそろアルバムも出ないかなぁ。
僕は大人しく待っています。


今日のディスク・レヴューはマドンナ。
この人の表現はすごいぞ、と最近思い始めて、
過去の作品を買い漁って聴いています。
今は本当にこの人に夢中。

Like A Prayer
/ Madonna

Like a Prayer

エクスプレス・ユアセルフ
 去年の沢尻エリカの騒動にしても最近の倖田來未のごたごたにしても、正直言って叩く側の方がタチが悪い。というかウザイ。よっぽど暇なんだろうな。羨ましい限りです。倖田來未の場合はさすがにちょっと軽率だったかもしれないけど、でも暇を持て余しているそんな馬鹿の相手なんかしなくていい。「ごめんなさい」と一言謝って、後は堂々としていればいいのだ。沢尻エリカにいたっては謝る必要すらなかった。「ファンが観に来てる前で」とかいって難癖つける見当違いの馬鹿は放っとけばいい。そもそも顔も名前も知らないようなファンに媚びを売る必要はないのだ。どれだけ「真似しちゃいけません」な領域の言葉でも、そこにその人だけの強烈な説得力があれば人はついてくるのだ。そして、沢尻エリカのあの言葉には、彼女にしかない強烈な説得力と存在感があった。もうあの言葉抜きには「エリカ様」は語れないじゃないか。なんで謝ったんだ。沢尻エリカはマドンナにはなれないと思った。
 本作は、マドンナをきわどいポップ・スターから時代のオピニオン・リーダーへと一気に引き上げた89年作。十字架を焼き払い、「私を過小評価しないで」と訴え、“エクスプレス・ユアセルフ”を歌った、余りにも強烈な、余りにもどストレートな、まさに表現者としてのマドンナがここにはいる。このマドンナは80年代当時には危険思想だっただろう。各方面で野放図なリベラルの求められる今という時代にでも、“エクスプレス・ユアセルフ”ほどストレートに闘争を歌い、人々を鼓舞した楽曲はない。「完璧な自分を目指すのよ」「自分をエクスプレスすることができれば、きっと自分をリスペクトできるはず」。その対象が「私」でもなく、ゲイやレズビアンなどの抑圧されたマイノリティにでもなく、「you=あなた」へと向けられていたところが、すごい。今の若い人はセクシー・セレブなヨガおばさんぐらいにしか思っていないかもしれないが、今なお自ら十字架に貼り付けられるパフォーマンスをやってしまうマドンナの表現には、これっぽちも妥協というものがないのだ。すべてをなぎ倒す、“エクスプレス・ユアセルフ”というマドンナの説得力。好き。
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