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No.2

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Magic / Bruce Springsteen
マジック



音楽に、「イエス」と答えるために
 ショートショートの神様として知られる星新一の『妄想銀行』という作品に、「味ラジオ」というお話がある。随分前に読んだ作品だから細かい部分は覚えていないけど、確か歯にチップ型の「味受信機」なるものを取り付ければ放送局が送ってくる様々な料理やフルーツの「味電波」を受け取ることができて、どこにいてもいろんな食べ物の「味」を楽しむことができるというものだったと思う。このお話を初めて読んだ当時の僕は今よりもっとピュアだったし何より「味ラジオ」という発想そのものが奇抜だったから、なんて素敵なアイテムなんだと心底感心した。今すぐ自分の歯に埋め込んで欲しいと願ったもんです。でも、やっぱり歳をとってひねくれてきたのかな。もしそのアイディアが今実現したとしても、僕はきっと受け入れられないだろうな。「味ラジオ」なら高級料理だって安く味わうことができるだろうし、退屈な授業中でも電車の中でもいつでもどこでも食事の感覚を楽しめるっていうのは物凄く魅力的だ。でも、料理を食べることの喜びって、やっぱり「噛みしめる」ことにこそあるんだと思う。速さや安さでは代えられない大切なものがそこにはあると思うし、星新一の話に出てくる咀嚼の代用品としての「味なしガム」を口に放り込んだところで、やっぱり本物の感動には程遠いと思う。味を受信してガムを噛んで食事をしている気になって――そんなの、なんか空しい。

 音楽における「味ラジオ」の近代的な利便性と移動性を実現したのがインターネットであり、iPodに代表される携帯型デジタル・ツールである。CDを買うよりも低価格で好きな楽曲が買えて、それを自分のプレイヤーに入れればどこでも音楽を楽しむことができる。音楽をもっと身軽でファッション的なツールの一部に発展させるという素晴らしく画期的なアイディアだと思う。僕も今はiPodで音楽を聴くことが一番多いし、その便利さは実感として知っているつもりだ。でもせっかく買ったCDに触れる機会が少なくなってしまったのはちょっと寂しい。発売日に開店とほぼ同時にレジのお姉さんに差し出したあのCDだって、今じゃ触ることも滅多にない。それでも、CDは今も買い続けてる。CDで買えるものは絶対にデータ配信では買わない。お金はかかるけど僕は今でもそのやり方を貫いてる。でも、時代的にはどうなんだろう。今は過渡期か。それとも、もう完全に音楽はデータの時代なのか。オアシスのリアムは「2年も3年も待った新作が、タバコ箱ぐらいのサイズのMP3に入ってるデータだけ、なんてあまりにも味気ない」と語っていた。さすがリアム。僕たちの言葉で言ってくれる。そう、データで音楽を買うなんて味気ない。そこには、「今、ここ」で自分がその作品を聴いている意味も、思い入れさえも「噛みしめる」余地がない。ずっと探していた作品をお店でふと見つけた時の感動も、楽しみにしていた新作を持って家に帰るまでの高揚も、ない。そんなの、僕はなんか空しいのだ。聴き手でさえそう思ってしまうのだから、必死で作品を完成させる側のそれはもっと凄まじいものなんだと思う。リアムの発言はまさにそんな作り手の「本音」だったわけだ。

 昨年発表されたブルース・スプリングスティーンの新作、『マジック』。このアルバムの冒頭を飾るリード・シングル“レディオ・ノーウェア”で、彼はアメリカ批判ではなく、反戦でもなく、「人工衛星を通して配信される個性のない音楽/それが孤独なアメリカの夜を粉砕した」「役に立たないダイヤルを回し続けた/どれもこれもファイルされた精気のない曲」という07年の音楽批判を歌った。もちろん本作にはアメリカ批判ともとれる社会的な楽曲もあるが、30年以上ロックに関わり続けてきた人間からの音楽そのものへの危機感は、やっぱり重みが違う。こういうのを待っていたのだ。加えて本作は84年の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』以来23年ぶりのEストリート・バンド作品である。この23年の間にEストリート・バンドとの作品がなかったというわけではない。「Eストリート・バンドと共に完成させる」という前提のもとに成り立った、23年ぶりの作品だということだ。過激な政治的メッセージでアメリカ中に様々なリアクションを引き起こしたあの作品を共に完成させたEストリート・バンドと一緒でなければ意味がないということである。「Eストリート・バンドと一緒にまた一発かましたる」というもんである。デジタル社会を逆手に取ったレディオヘッドに比べれば古臭いやり方かもしれない。なにせ23年前とこれっぽっちも変わっていないのだ。でも、ブルース・スプリングスティーンはこうでなければならなかった。23年前と変わらないことが何よりも大切だった。永遠に揺らいではいけない音楽の血の重さを、彼は07年に叩きつけてやらなければならなかったのだ。

 今の音楽が抱えている危うさは何もデータ配信の悲しみや空しさだけではない。インターネットやデジタル機器の発達は「聴き方」だけでなく音楽の「在り方」や「価値」さえもガラリと変えた。音楽は聴いて嗜むものではなく、身につけるものになった。一曲一曲のメッセージよりもアーティストそのもののアート性やファッション性、個性的なキャラクターや空気感が物を言うようになった。好きな曲「だけ」を特定して買えるようになり、自由は増えたが熱は失せた。スプリングスティーンがこのアルバムで訴えている居心地の悪さは、そういったことの積み重ねが音楽の世界に生きる意味すらも変えてしまったという戸惑いである。ここは以前「音楽があった場所」とは違う。ここは一体どこなんだ。こちらレディオ・ノーウェア。そちらに生きている人はいますか――そういうことである。そして、それに「イエス」と返答するための、「おう、俺たちロックはまだ生きてるぜ」と頷くためのアルバムが、この『マジック』である。ロック界のボスからの、07年の音楽への回答として鳴るアルバムである。

 そして、結果として、このアルバムは本国アメリカでも、イギリスでもCDセールス1位を獲得した。20年以上も前にキャリアの頂点を迎えたボスと共に「イエス」と答えたがっている者がまだこんなにもいるのだ。これは「あの頃は良かった」と涙ぐむ悲惨な懐古主義ではない。すべてが変わってしまった音楽と、それでも変わらず真摯に向かい合うという断固たる決意としての、渾身の「イエス」である。首下がちょっとくだびれた白Tシャツでガン飛ばしてくるジャケ写なんて今時ないよ、ボス。一生ついて行きます。
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