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No.4

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Hats Off To The Buskers / The View
Hats off to the Buskers



07年、ロックのリアルを歌う
 初めて聴いた時から「07年のベスト・アルバムはこれ!」と頑固じいさんみたいに言い張ってきたけど、もう一度よく考え直して、やっぱりここに入れた。それでも“ウェイステッド・リトルDJ’s”を聴いた時の「今年はこいつらしかいない!」という直感めいた何かは、今でも間違ってなかったと思う。07年は間違いなくザ・ヴューだった。この1年、何度本作を再生させたことか。僕にとっての07年を示すサウンドトラック。大切に聴いていこうと思う。

 本当の本当にリアルな音楽というものは、戦略も飾り付けも、何にもなくたってそのリアルさそのものが圧倒的な存在感を放つものである。そして、ザ・ヴューのロックはそういうものだ。“セイム・ジーンズ”で歌ったみんなが着飾る中でただ一人同じジーンズを何日も穿き続けているダメな自分をとにかく前へ進めるエネルギーにしても、“ザ・ドン”で歌った路上に転がった青春の切なさにしても、そんな道端の感傷を自分たちの実感として彼らは知っているのだ。
 ギターを手にカイルが路上で歌う“ザ・ドン”のビデオがすべてを物語っているように、ザ・ヴューというバンドの始まりはストリートにこそある。ストリートでライブを重ね、自分たちの表現をコツコツ磨いてきたからこそ、何気なく道を歩いているエキストラの一人であると同時にやっかいな思いをそれぞれの心に秘めた僕たちに、圧倒的な説得力をもって、ダイレクトに響く。それは、YouTubeやMySpaceといったネット世代を象徴する新たな表現の選択肢が用意された、07年という時代においてでも、である。だから彼らの楽曲はみんなでシンガロングできるアンセムとして成立する。いつの時代にも普遍であり不変のリアルとして聴き手にバン!と叩きつけることができるのだ。ザ・ヴューの音楽は特に奇をてらった類のものではない。時代の先を行く先鋭性もない。ギターとベースとドラムスと、ボーカルだけのオーソドックスなものである。だが、そのサウンドと言葉には、ひとつひとつに確信がある。自分たちのやるロックはこれしかない。そんな確信だ。ここまで歌詞に対しても音に対してもバカ正直なソングライティングができるのは、きっとそういうことなんだと思う。
 ストリートで生きる自分たちに対してバカ正直なソングライティングということは、同世代に対してもバカ正直ということだ。「10代特有のいろいろ」についてのこのアルバム。07年の10代にも、かつての10代の心にも必ず届くはず。07年、一人で外に出かける時は大抵このアルバムを聴いていたのだけれど、何をするでもなくコンビニの前で肉まんにかぶりついている高校生たちを目撃して、自分にもあんな頃があったなぁと変に感心してしまった。別に目的なんかなかったけど、部活帰りに気心の知れた仲間で集まって、お店の前でお菓子食べながらしゃべり倒していたなぁ、と。意味なんてなかったかもしれないけど、でも、確かに無駄じゃなかったよね。「一番大切なのは店の前で仲間とたむろすることさ」(“ザ・ドン”)か――そんな感じです。単純かもしれない。でも、それがザ・ヴューの一番すごいところだ。

 ロックが生まれてから半世紀以上、表現の巧みさは年々底上げされ、テクノロジーの進歩は「音」そのものを更新し続けている。言いたいことを言うだけの分かりやすいロックはもうなかなか評価されない。社会的、政治的な面での時代的必然性も重視される。つまり、聴く者も、その作品が示す事象も、極々限定された範囲に収まってしまっているのだ。07年のロックを振り返って僕が抱いた印象は、少なくともそうだった。ロックの動きを記録することはできる。でも、本来からロックそのものはドキュメントではない。その普遍であり不変のリアルを鳴らすことができなくなった時、ロックはロックでなくなる。ロックのドキュメント化が一段と進行した07年。ロック本来の、不変であるべき魅力が眩しく光るザ・ヴューの登場が示す意味の重さは、計り知れない。
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