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No.40~No.31

さて、今日は前回の続きで07年ベスト・アルバム50のNo.40~No.31を紹介。
そろそろ大御所系バンドやら大物が登場し始めます。
ただでさえ字数が多いのでここは控えめに。
では早速No.40から。

No.40
The Good, The Bad & The Queen / The Good, The Bad & The Queen
ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン



築き上げられる「ポップ・ルネサンス」
 ブリットポップ全盛期、「オアシスVSブラー」の構図のど真ん中で「お前のかあちゃん出ベソ」レベルの子どもゲンカに躍起になっていたデーモン・アルバーン。状況の当事者としていち早くブリットポップの限界を嗅ぎ取りそのバカ騒ぎに別れを告げたデーモン・アルバーン。ブラーの他にもマリ・ミュージックやゴリラズなど多岐に亘った活動をする彼だが、それらの野外活動のすべてはブリットポップを終わらせてからの『ブラー』~『シンク・タンク』期のブラー作品だけではやり遂げられなかった「ポップ・ルネサンス」を完成させるため、というのは大きな勘違いだろうか。ブリットポップが終わってからのデーモンの作品は、あらゆる方角からポップ・ミュージックの可能性を探るための行為だった。アフリカ音楽を現代のポップ・ミュージックとして更新したマリ・ミュージック然り、アニメーションのストーリー性を含めた様々な現代的要素をポップ・フィールドに闇鍋的にぶちこんだゴリラズ然りである。そして、元クラッシュやら元ヴァーヴやらとにかく豪華な面々が集結したこのプロジェクトで、デーモンはロンドンという社会・歴史の総括まで試みた。あくまでポップ・ミュージックという制約の中で、である。ロンドンの過去や裏側を現代に引きずり出した、モダニズムを追求したゴリラズとは真逆のレトロな1枚。

No.39
Puddle City Racing Lights / Windmill
Puddle City Racing Lights



シャボンに映る自分だけの世界
 引かれちゃったらちょっと困るけど、僕は何日もかび臭い部屋から外に出なくても大丈夫なタイプの人間です。活発に動き回るのは得意じゃないし、むしろ部屋に引きこもってる方が良いな。自分の地がそんな気質だから、というわけではないけど、根暗ってものすごい素敵な時もあるんですよ。外に1歩踏み出してみたら、世界と自分がすれ違っていることに孤独を感じてしまったり、流行モノが理解できなくて疎外感を抱え込んでしまったり、でもだからといってみんなと同じ恰好をして流れについていくのもなんだかイヤだし、とにかく生き難い世界なのです。でも、そんな世界から隔絶された薄暗い部屋の中には、だからこそ自分らしい夢とでっかい妄想と限りない可能性があって、うっとりしてしまうのです。でも、それもまったくそのままじゃただの逃避で終わってしまいます。問題なのは、世界と対峙し続けながらもその根暗さをいかに守り抜くか、です。イギリスはニューポート・パグネルという田舎町から現れたこのウィンドミルはそれを体現するようなシンガー。根暗は、必ずしもネガティヴではないのです。シャボン玉のごとき脆弱な歌声に自分の夢と妄想を託して、それがこの世界でどこまで飛び続けることができるか。それを薄暗い部屋の小さな窓からじっと見つめている。そんな、勇気ある根暗のアルバム。大好き。

No.38
All The Lost Soul / James Blunt
All the Lost Souls



王者のその後
 もう最近じゃ滅多に耳にすることもないけど、“ユア・ビューティフル”の盛り上がり方は本当に異常だった。「僕は天使を見た」「君はキレイだよ。ホントだよ」「だってもう君とは一緒にいられないんだ」。うぅ~、歌詞を打ち込んでいて鳥肌が立つぐらい女々しいこの曲に僕はまったく共感できなくて結局最後まで耳に馴染まなかったけど、ジェイムス・ブラントといえばやっぱりこの曲。これだけで文句なしの頂点に登りつめた男だ。本セカンド・アルバムは世界を手にしたそんな男が自分のポジションを完全に自覚した上で完成させた作品。だから、彼はもう“ユア・ビューティフル”の老若男女クリア型の女々しいバラードによる全方位からの共感を必要としなかった。ここにあるのは、ジェイムス・ブラントというソングライターの素晴らしきソングライティング力。本当にただそれだけである。そして、それだけで「ああ、この人はやっぱり王者なんだ」と頷かせる楽曲の数々が、このアルバムを隙間なく埋め尽くしているのだ。“ユア・ビューティフル”を超える瞬間があちこちに散らばっている、無敵のポップ・アルバム。「全ての失われた魂」という情念というかむしろ怨念的なこのアルバム・タイトルが何を示しているかなんて知ったこっちゃない。それぐらい、とにかく良い曲がギュウギュウ詰まっている。

No.37
Awake Is The New Sleep / Ben Lee
Awake Is the New Sleep



きっとそうあるべき音楽
 本国オーストラリアではダブル・プラチナを獲得した大ヒット・アルバム。かつて、ビースティ・ボーイズの面々が立ち上げたレーベルであるグランド・ロイヤルの代表的なソングライターだったということは知っていたけど、恥ずかしいことにベン・リーの作品を聴いたのはこの5作目が初めてでした。そして未だに彼の作品は本作しか聴いていません。すんません……。でも、インタビューで彼自身が「初めて自分の表現方法にしっくりくるアルバムが作れた」と語っていたように、ここにある全てが、ベン・リーという物心ついた頃からギターと共に生き、音楽と関わってきた男のキャリアの中身を何よりも雄弁に物語っているんだと思う。オーストラリアの広大な大地のような懐の広さと気前の良さという両手を広げて近づいてくる無防備なまでのポップ・ソング。これは、彼の言葉を借りるならば「自分がこうあることに言い訳をしない」、一番正直な音なんだろう。17歳という若さで身の丈以上の成功を手に入れた彼のキャリア運びは、その若すぎる成功ゆえ並大抵じゃない苦労があったはず。それを乗り越えての太く逞しいポジティビティがこのポップ・アルバムの骨格を支えている。作品中何度も繰り返される「心を開いて」というキーワードが、きっとこの人の目指してきたものを表しているんだろう。

No.36
Because Of The Times / Kings Of Leon
Because of the Times



先人たちの後姿は捉えた
 彼らが『ユース・アンド・ヤング・マンフッド』でデビューした当時、シーンは完全にガレージ・ロックやロックンロール・リバイバルの風潮だった。そこに古めかしい髭モジャ・長髪ルックで登場しサザン・ロックをシンプルに鳴らしていた彼らを時代の流れに当てはめることは、ある意味簡単なことで、そして都合の良い勘違いだった。キングス・オブ・レオンにとって、オールド・ロックンロールは自分達を成長させるための手段であって、決して本質ではなかったのだ。だから、このアルバムを聴いて「彼らはガレージ・バンドだ!」と叫ぶ人はもういないだろう。なぜなら、このアルバムは彼らが自分たちの成長の手ごたえをひとつひとつ確認しながら作った、ひたすら意識的なアルバムだからだ。U2という世界最大級のスタジアム・バンドと一緒にツアーを回った経験も良い刺激として作用しているのだろう。“マクフィアレス”や“ファンズ”には大きくなっていく自分たちを敏感に感じ取っている感覚が見え隠れする。どこか懐かしいような、どこかで聴いたことがあるような、そんな穏やかさを感じさせる大作“ザ・ランナー”は古き良き時代のアメリカン・ロックが持っていた懐の広い普遍さを獲得した圧巻中の圧巻。目に見える成長とそれを自覚した彼らの、自信に溢れた1枚。どんどんでっかくなっていけ。

No.35
Twilight Of The Innocents / Ash
Twilight of the Innocents [12 inch Analog]



少し大人になったセカンド・シーズン
 青春って、一体いつまで続くのだろう。僕は今ちょうど20歳だけど、気持ちは17、18歳の時と何も変わっていないと思う。今だってまだまだ青春期の現役だと思うし、自分という人間が根本から引っくり返るようなことがない限りその感覚に終わりが来ることはないような気すらする。10代に感じたことが今の僕を作っているのだ。もしかしたら無邪気な10代が終わることがただ怖いだけかもしれない。要は、僕はまだまだ子どもなんだろう。結婚したり親になったりしたら少しは変わるだろうか。考えたってわからないな。アッシュの音楽は中学の頃からずっと聴き続けているけど、“シャイニング・ライト”にしても“ゴールドフィンガー”にしても、僕にとっては常に青春のサウンドトラックとして響いていた。アッシュは自ら意識的にそういうバンドであり続けてきたし、14歳という異例の若さでデビューした彼らにとって、青春・思春期というテーマは世界そのものだったのだろう。だが、30代も目前に迫った07年、彼らは青春という終わりなき穴蔵からついに抜け出す決心をしたようだ。そこには何が待っているかわからない。悲しみの世界かも知れない。真っ暗闇かもしれない。絶望と猜疑のたまり場かもしれない。「無」かもしれない。でも、アッシュは踏み出すことを決めたのだ。それを宣言した、重要な転機作。

No.34
Roots & Echoes / The Coral
Roots & Echoes [12 inch Analog]



辿り着いた新境地
 何も今に始まったことじゃない。前作『インヴィジブル・インヴェイション』の頃からそんな雰囲気はあったが、ようやくここに落ち着いたという感じだ。放課後の一騒ぎのようなエネルギーを爆発させていたデビュー期のサウンドは「音楽って楽しくて仕方ねー!」という一時的なノリとテンションに支えられていて、はっきり言えばそこには理論もクソもなかった。それだけで21世紀に未曾有のロックを作り出してみせたからこそコーラルはすごいバンドだったのだが、通算4枚目となる本作で彼らは以前の芸風を完全に捨て去った。初めて自分たちの音楽に自分たちならではのヴィジョンを見つけたというか、すっかり迷いがなくなったというか、悟りを開いた仙人がゆったりと船を漕ぐような、まだまだ20代の若いバンドとは思えない茶色の渋さがその落ち着いたサウンドから滲み出ている。かつてのサイケデリアはもっと柔らかく曖昧なものになり、元気でやかましいアンサンブルへの意識は希薄になり、本当に必要なものだけを選りすぐってまとめ上げたシンプルな楽曲が並ぶ。そういう意味で、コーラル史上最も純音楽的な作品だといえるかもしれない。あからさまな異端であった彼らが普遍へと一気に歩みを向けた1枚だがそれは決して普通というわけはなく、彼らにしかないユニークな個性も静かに、でも確かに鳴っている。

No.33
Avenged Sevenfold / Avenged Sevenfold
アヴェンジド・セヴンフォールド



死の“ボヘミアン・ラプソディ”
 両腕に刺青だらけのヤンチャなにいちゃんルックに思いっきりカルト的なアートワークという徹底したメタル族であり、実際に生み出すサウンドも「メタルど真ん中」といった感じの彼ら。前作の『シティ・オブ・イーヴル』発表時にはそのわかりやすさが先行してしまい、日々衰退の一途を辿るハード・ロックの現状とも相俟って、「ハード・ロックの復権」とか他にも「エモがハード・ロックまで喰い尽した」とかの形式的な評価が多かったが、本作は彼らの真価を改めて問うのに相応しい快作だ。初のセルフ・タイトルというのは、そういった点に彼ら自身が最も意識的だということの表れではないだろうか。パイプ・オルガンが物々しく鳴り響いた時にはあまりに「いかにも!」で笑いこけそうになったが、そこにかぶさる仰々しいギター・サウンドの凄まじいパワーには圧倒された。これこそが、大真面目に見たら少し滑稽に映るメタル・カルチャーを意地でも貫き通してきた彼らの強みなんだろう。そんな相変わらずのパワーはそのままに、楽曲の幅をこれまで以上に利かして自身最高の「深度」を記録した本作。その中でも8分にも及ぶ大作“ア・リトル・ピース・オブ・へヴン”からの流れでは、クイーンが『オペラ座の夜』で完成させた「神との約束」を、このバンドも成立させてしまっている。それだけでも十分感動的な1枚。

No.32
Planet Earth / Prince
Planet Earth



愛は、地球を救うか?
 「想像してごらん、手のひらに地球があることを……」という“イマジン”さながらの歌い出しが印象的な本作一曲目の“プラネット・アース”。ピアノの音色が美しいラブ&ピースなこの曲にエコまで持ち込むところがプリンスらしくて良い。続く“ギター”はタイトルそのまんま、彼のギター愛に塗れた一曲。そこからメロウかつアダルト、そしてなんともセレブなラブ・ソングを惜しげもなく連発。グラマラスなファンキー・ビート炸裂の“チェルシー・ロジャース”を挟み、愛の底力を信じて止まないプリンスの信仰・思想が顔を出しまくりの後半へとこの作品は着地していく。愛と性と平和によって綴られたプリンス流アンソロジーといった感じで、要はめちゃくちゃ「プリンス!」な作品。00年以降に発表した『ミュージコロジー』『3121』といった傑作アルバムが80年代ファンクの感覚を現代に取り戻すための非常に「音楽的」な作品だったのとは違い、本作はにっちもさっちもいかなくなった世界を導くためのプリンスからの愛と平和のコーラン。そんな、非常に「思想的」な作品だ。ビョークともまた違う、世界でただひとつの平和への方法論。それにしてもプリンス、「愛があれば結果はついてくると信じている」にはもう本当に眩暈が起きそうだったよ。

No.31
Echoes, Silence, Patience & Grace / Foo Fighters
Echoes, Silence, Patience & Grace



人格が作るロック
 情報量の多さはそのまま価値観の豊かさだと思う。21世紀の入り口もとっくの昔に過ぎ去った07年。クリックひとつで好きなものが買えて、知りたいことが知れる。テレビやラジオが一番のメディアだった数十年前とは事情が違うのだ。多くの情報が飛び交い様々な価値観が用意された中でわかりやすいロックはもう通用しないし、ロック・シーンの細分化・マニアック化は進む一方。USでもUKでも、ここ日本でもインディ・ロックが強力な支持を獲得しているのは、そんな時代的必然性が背景にあるからだ。ロックはもうみんなで一緒に叫ぶものじゃなくて良い。一部の人たちと独自の価値観を分かち合えればそれで良いのだ。それこそが07年という時代に相応しいロックの形――というわけにはいかないのだ。ロックはやっぱりでっかくなきゃいけないのだ。情報なんて押しのけてみんなの心臓に真正面からぶちこんでやるロックでなければならないのだ。『イン・ユア・オナー』という2枚組みの大作を経て、アコースティックやピアノなど演奏の幅は広がった。だが、相変わらずこのアルバムを真っ直ぐに貫いているのはデイヴのあのでっかい笑顔と、ロックが本来持つべきダイナミズムの骨格である。情報や時代ではなく、デイヴ・グロールというロックの栄枯盛衰を経験した「人格」の熱さがほとばしるロック。
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