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It's Been A Hard Day's Night

今日はイギリスの大衆文化の授業でビートルズを中心に、
ロックンロール・ミュージックについて勉強してきました。
といっても、特に新しい発見はなかったです。
「なんでそうなるかな~」「あのアルバムについてはそれだけ?」と、
心の中でちょっとした不満をぶちまけていました。

多分僕とポロシャツに長髪をなびかせるあの名物先生とでは
ビートルズの作品における重要度みたいなものに
ちょっとズレがあるだけだと思う。
先生の言ってる史実的なことは頷けることばかりだったし、
『Rubber Soul』~『Sgt. Peppers』期の作品は
大衆が求めていたものとは少し違ったっていうのもわからなくはない。

要は「大衆文化」にビートルズが与えた影響をどこにおくかが問題。
青臭い青春謳歌でバンド・ブームを世界中に巻き起こした初期時代か、
ロック・ミュージックに新たな表現の選択肢を提示した中期か。
授業でのアルバムや楽曲の取り上げ方からすると、あの先生は前者だな。
『Sgt. Peppers』が1番好きっていうパーソナルな事情も
多少は影響してるけど、僕は絶対に後者。

「大衆が好んで触れ合ったもの」を大衆文化の定義にするなら
前者中心の取り上げ方は絶対に間違ってないと思う。
でも、中期ビートルズが後世に与えた影響っていうのは、
発表から40年経った今だからこそ振り返れる紛れもない事実であるはず。
「大衆が好んで触れ合った音楽」の根底を覆した
中期ビートルズにもっと触れて欲しかった。
言ってみればそこには誰もが耳を傾ける音楽のあり方を
まったく別のものにしたっていう大衆文化へのアプローチがあるわけで。
それはやっぱり大衆文化の一部だったんだと思う。

だって『Sgt. Peppers』が無けりゃ
デビッド・ボウイは『ジギー・スターダスト』を発表しなかっただろうし、
クイーンは『オペラ座の夜』の着想にたどり着かなかったかもしれない。
最近だったら、これはアメリカの作品だけど、
グリーン・デイの『American Idiot』だって、
マイケミの『Welcome To The Black Parade』だって、
僕達は聴くことが出来なかったかもしれない。
やっぱりそれだけ大衆文化に影響を与えた作品なんだから、
今年で発表40周年なんだから、2行やそこらで終わらせちゃ駄目だ。
ついでに言っておくと、ビートルズの集大成は
ビートルズ史上最大の音的触れ幅を記録した
『Sgt. Peppers』最終曲の“A Day In The Life”だろ、このやろー!
“Strawberry Fields Forever”なんて一言も出てこなかったぞ!
『White Album』についてもちょっとは触れろ!
本人にはとてもじゃないけど言えないので、ここで言わせてもらいました。

でも、“A Hard Day's Night”→“Help!”の
ビートルズの疲労度の変化はちょっとおもしろかったな。
まぁ、イラつける授業って良い授業なんだと思う。
イラつく対象が授業の進め方とかじゃ駄目だけど、
先生の考え方にイラつけるっていうのは良いことだと思う。
ずっと「なんでなんで~」って思ってたので今日は寝なかったです。
いつもはイラつく以前に熟睡です。
今日の授業はおもしろかった。


こんなことを書きながらも、
実は今聴いてるのはケミカル・ブラザーズの新作だったりするので、
全然説得力ありませんね。
しかも、ケミカルを聴きながらも今日紹介するのは日本のこの歌手。
もうバラバラです。
1日に消化しようとする枚数が多いので実は時々こんな感じです。
違うアルバムを聴きながらディスク・レヴューだなんて、失礼な話だ。

TERMINAL / Salyu
Salyu.jpg

歌い続けることの意味
 やっぱり楽曲は歌い手自身に書いて欲しいと思う。曲はまだしも、詞だけは自分の言葉で書いて欲しい。文学性なんて無理に求めたりはしない。別に稚拙な言葉で良いのだ。とにかく大マジな感じが伝わってくれば良いのだ。その歌い手がその楽曲を歌う理由――ひとつの人生を賭してまで伝えなければならない「声」が作品に宿っていればそれで良いのだ。決して大袈裟な言い方だとは思わないし、むしろこれは「歌手」でいることの最低限のステータスぐらいに思っている。それこそがすべてをなぎ倒す「説得力」を楽曲に与えることに直結していると信じている。プロデューサーや職業作曲家の作った楽曲を歌う歌手に僕が抱いてしまう違和感のすべてはここにある。それがどんなに素晴らしい楽曲であろうとも、その歌手がつむぎ出した言葉ではないと認識した瞬間にその楽曲から切実さは失われてしまうし、シリアスな表情で感情を送り込んで歌えば歌うほど、こっちは白けてしまう。そんなのカラオケと変わらない、なんて残酷な言い方をするつもりはないが、自分の「声」を持たない歌手なんて、そんなの絶対におかしいと思う。
 Bank Bandの“to U”で即座にその歌声が高い評価を得たSalyuが満を持して今年発表したセカンド・アルバムである本作。ほとんどの楽曲を小林武史と一青窈が担当し、Salyu本人が制作に関わったのは“I BELIEVE”の1曲のみ。ギターは腰の折れたヘナヘナな音だし、アレンジもスカスカで、サウンドの耳障りは決して良くはない。言ってみれば、隙だらけの危なっかしい作品だと思う。にもかかわらず、この作品は売れた。神の愛情を一身に受けたかのようなこの素晴らしい歌声だけのために、この作品は売れた。息を吹きかけるだけで壮大な賛美歌を生み出す彼女の歌声には、確かに比類なきものを感じた。小林武史の楽曲の優れた普遍性や一青窈の叙情性溢れるリリックも良い。だからこそ、この作品には彼女が歌い続けることの「説得力」や「必然性」が決定的に欠けている。うーん、惜しい。


おまけ
Salyu-プラットホーム
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