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届いた

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ホワイト・ストライプスの新作『Icky Thump』が昨日届きました。
今日は早起きして今までの作品もひっぱり出して聴いてます。

ずっと楽しみにしてたストライプスの新作。
コンポにCDを入れて再生した瞬間、
ジャックの歪んだギター・リフが流れ始めた瞬間、
メグの暴力的に狂ったドラム・サウンドが耳朶を殴りつけた瞬間、
それに即座に反応するように部屋中の空気が膠着する。
ストライプスの作品を聴く時はいつもそう。
「音楽なんて楽しければそれで良い」とか
「いろんな人がいて、いろんな感じ方があるからおもしろい」とか、
そんな見当違いなゆるさや場違いな優しさなんて完全に放逐されちゃう。
前回の記事と反対のことをやるつもりはないですけど、
この2つは僕の大嫌いな言葉です。
この言葉を口にした時点で、
その作品を解釈することを放棄したも同然だと思う。
ストライプスの作品を前にしてこの言葉を口にする人がいたら、
その人は本当に救いようのないバカなんだと思う。

話が逸れないようにしないと。
今回の作品、レコーディングにこれまでで最長の3週間もかけたそうです。
もちろん普通ならそれでも奇跡的なスピードなんですけど、
これまでが1、2週間だっただけに随分長くかけた気がします。
しかも、これまでロウ・ファイを貫いてきましたが
今回はこれまた初めての近代的なスタジオ。
サウンド面でも「ギター/ドラムス/その他リード楽器」という
これまでのルールを飛び越えてバグパイプやトランペットを使って
自由度を格段に引き上げています。
重要なターニング・ポイントになりそう。

でも、ストライプスがやろうとしてることは
やっぱり最終的には「ロックの解体」なんだと思う。
これまでがブルースの有効性を見つめなおしてそれでも懐古的にならずに
ブルース的見地からロックを解体することだったのに対して、
今回は「今」のロックの制約内に自ら入り込んで、
そこから「今」のロックを破壊することなんだと思う。
それは、過去のロックが持っていた、今のロックが失ったスリルを
切実に懐かしむことではなくて、
「今」を破壊しなければ何も新しいことは始まらないということ。
「今」をぶっ潰すことでしか始まらない何かがあるということ。
「今」を失ったことを自覚することで始められるものがあるということ。
ストライプスの視線は過去のブルースではなくて、
これまでも、今でも、常に未来の方向を見据えている。
表面的なスタイルが変わっても、ストライプスの主張は変わらないし、
やっぱりその主張は強い。
多分売れるんだろうなぁ。この作品。
人間のやり残していること、これまで音楽が置き去りにしていたことを
唯一やり続けるバンドでありながら商業性もトップ・クラス。
凄い。このバンドがいる世代に生まれて本当に良かった。


でも、ジャック自身が言ってるようにストライプスは疲れる。
だからちょっとリラックスしようとさっき借りてきたBENNIE Kを聴いてます。
いやぁ、なかなか良いですよ『THE WORLD』。
世界中を旅するコンセプト・アルバムなのかな、これは。
世界各地の音楽性がちりばめられています。
でもその地域特有の音楽性を全然後に引きずってない。
1曲1曲の思い切りの良さというか、瞬発性の高さというか、
とにかく切り替えの気持ち良いアルバムです。
ラストの“ワイハ”でそれまでのすべてを笑い飛ばしちゃうところも良い。
ストライプスの後じゃどうしても軽く響いちゃうけど、
それでも結構好きなアルバムでした。


長くなってますが、今日は学び舎の11周年記念パーティーがあります。
OB・OGさんも来て盛大に祝います。
ちなみに僕は司会とBGM用のCD用意するのが今日のとりあえずの仕事。
どうしよう。CD全然選んでない。
ストライプスなんて持っていったら最高に空気読めてないな。
まぁノリの良いやつを何枚か持っていこう。


それでは最後に名盤紹介を。
ストライプスでもBENNIE Kでもありません。
僕のベスト・アルバム5に入っているアルバムを紹介します。
このアルバムをパーティー持って行ったら
ストライプス以上に空気読めてないんだろうな。
このアルバムでこのバンドの作品を紹介するのは3度目です。


Domestica / Cursive
Domestica



自らの心臓を素手でえぐり出す、ティム・ケイシャーの狂気
 ブライト・アイズやザ・フェイントも所属するオハマのインディ・レーベルであるサドル・クリーク。所属アーティストの名前を見ただけでマーケティングよりもポリシーを優先する姿勢が伝わってくるなんとも頼もしいレーベルなのだが、そのサドル・クリークの精神的支柱と呼ばれているのが、ブライト・アイズことコナー・オバーストが尊敬して止まないティム・ケイシャー率いるカーシヴだ。毎回強烈な印象を残す作品をつくり上げている彼らだが、そのキャリアを逆算的に紐解いていくことでこの作品の立ち位置を明確に示すことができる。それまで内に、内にと向かっていた思いを初めて外に向け、さらにホーンセクションを新たに採用し大胆にアメリカ社会を糾弾した実験作であり、現時点での最新作の『Happy Hollow』(06年)、チェリストのグレッタ・コーンを迎えてドラマチックさを更に引き上げた大傑作『The Ugly Organ』(03)、そしてサード・アルバムである00年発表の本作というわけだが、本作にはもちろんホーンセクションもチェロの旋律も、壮大なテーマもない。あるのはギターとベースとドラムスとティム・ケイシャーの悲痛な叫びと、狂気だけである。全ての装飾を切り離したこのスタイルこそがカーシヴの裸の構造なのだ。そして、その剥き出しの体から滴り落ちる美しい絶望の一滴──少年の頃『星の王子さま』が大好きだったという男の描く、2人の男女の絶望的なすれ違いの物語である。プライベートで実際に離婚経験のあるティム・ケイシャー。ここに産み落とされた物語が、どろどろとした二流の昼ドラではなく文学性に満ち溢れた美しい悲劇へと成り立っているのは、彼の得意とするストーリーテリングの手法と自らの経験からつむぎ出される生々しくも文学的な言葉の数々が見事な交配を見せたからである。「ねえあなた、月が私をレイプしたの/私の中に種を蒔いていったの/それは墓石のようなものだったわ」「この家には穴が開いているの/それは私達が埋めることのできなかった穴/粉々に砕けたディナーのお皿では塞げないの」。この作品で決定的に打ち出されたティム・ケイシャーの狂気。それが後に“Sierra”――かつて愛した女性が新しい夫との間に儲けた子供に対して異常なまでに歪んだ愛を掻き立てるあの名曲を、生み出すことになるのだ。


おまけ
Cursive-The Martyr

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