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今日は授業がひとつしかなかったし、
部室にカレンダーを持って行ったぐらいで(ただ今部室改装中)
あとは一日中ブロック・パーティーの新作聴いています。

ブロック・パーティーの底力、聴かせてもらいました。
かなり気に入りました。
数年後のブロック・パーティーを楽しみにさせてくれるアルバムでした。
どんどん磨かれて、鋭くなって、
とんでもない社会派バンドになってるんじゃないか。

イギリス人の先生の授業で音楽の話振られたので
「ブロック・パーティーの新作がめっちゃ良かった」と言ったら
「えぇ~ブロック・パーティー?あいつらはダメやろ~・・・」
みたいなリアクションでした。
なんか今まで雑誌とかでしか見たことがなかったイギリス人の
「ブロック・パーティー批判」を直に見た気がして
不思議と感慨深かったです。
良いバンドやのにな~。
一部賛否両論なとこはありますけどね。
確かに可愛げなんてひと欠片もないですけど、そこが彼らの良いとこ。

「ザ・グッド、ザ・バッド&ザ・クイーンも買った」って言ったら
他のみんながわからないやろうと思ったのか、
その先生は「デーモン・アルバーンとポール・シムノンのバンドね」
と説明してくれたけど、果たしてクラスの何人がその2人を知ってたか。
ポール・シムノンは知らなくても仕方ないですけど
デーモン・アルバーンぐらいは知っててほしいと正直思ってしまいます。
日本のどんなアーティストでも叶わないような創作センス持ってる偉大な人やのに。
その先生と音楽の話したいんですけど、
クラスのみんなの「わからん」という雰囲気がすごい居心地悪いです。
自分の好きなことを、毎日顔を合わせるクラスの友達と共有できないのは結構つらい。
でも他のみんなもそうかな。
たまたま僕の場合、それが音楽だったっていうだけで。
音楽好きはいっぱいいますけどね。

あぁ、話が逸れてしまいました。
ブロック・パーティーですね。
07年最初の傑作です。
まだちょっとしか聴いてないけど
もっと聴けば他にもいろいろ出てくると思うけど
さっそく紹介します。


A Weekend In The City / Bloc Party
Weekend in the City



 若手バンドにとっての真の正念場はセカンド・アルバムだ。デビュー・アルバムで早くも特大級の成功を手にしたバンドなら、セカンドにかかる重圧はなおさらのこと大きい。ブロック・パーティーのデビュー・アルバム『Silent Alarm』(05年)は、人気・セールスの面で05年を代表する傑作だった。2作目となる今作の出来しだいで、今後の評価は180度変わるという局面に彼らは立たされていた。この作品でこけてしまえば、「デビュー作では僥倖が味方して、たまたま傑作を生むことが出来たけど、実際はたいしたことないバンドだった」という惨めな末路を辿ることにさえなりかねなかった。まだ本国イギリスではリリースすらされていない状態だが、はっきり言わせてもらう。ブロック・パーティーは勝った。
 まず、最初に気付く前作からの明らかな変化は、リズムの刻み方における変革である。“Hunting For Witches”、“The Prayer”などを聴いた時は、「ダンス・ミュージック?」と耳を疑ったほどだ。鋭利なギター・サウンドはそのままに、今作では複雑化したドラミングで一曲一曲をダイナミックに、ダンサブルに聴かせている。だが、もしこれがダンス・ミュージックなのだとすると、おそらくエイフェックス・ツインの次にダンス・フロアにはそぐわないダンス・ミュージックだろう。
 「所詮、学生バンド」。オアシスのリアム・ギャラガーからやっかみ半分とも取れるこんな揶揄をされたのが、前作でのブロック・パーティーだった。リアムほど大胆にコケにするつもりはないが、『Silent Alarm』には、致命的ともいえるひとつの弱点があった。「お前達が今盛んなネオ・ニューウェーヴ・ロック・バンドの中でもずば抜けてアート趣向の強い、良質なロックをやっていることはわかった。それで、お前達はいったい何を伝えたい?お前達は、なぜこの歌を歌うのか」。そこだけが、曇った窓ガラス越しに外の風景を眺めた時のように、ぼんやりと、ぼやけて映った。これこそが、『Silent Alarm』の唯一にして最大の欠点であり、『A Weekend In The City』(07年)に求められた、最大のテーマだった。
 「解釈に曖昧さが残るようにはしたくなかった」。ケリーはこの作品についてこう語っている。この言葉には、前作からの反省という意味も当然含まれているはずだが、ケリー自身が経験し、今もその呪縛から解放されていない、現代という時代の病、差別、痛み、錯綜、そういったものを曖昧にぼやけさせたくないという強い意志も見受けられる。今作は、そのケリーの言葉を裏打ちするかのように、どの楽曲も具体性をしっかりと掴み、それゆえの切実さで僕達に問いかけてくる、そんな作品だ。9・11以降、普通の願望を持った普通の人間でさえ恐怖を抱くようになってしまったと歌う“Hunting For Witches”、結局、キリスト教の白人男性が優位なイギリスで、黒人というアイデンティティを持って過ごしてきたケリーの内に渦巻く不満・絶望を、人種差別の末に殺害された従兄弟の話をモチーフにすることで切実に語りかける“Where Is Home?”など、曇った点など一点も見つからないような、明確であり、赤裸々すぎる、シリアスな内容の楽曲が並ぶ。中でも、流行に乗り、他と画一化されることで安心感を覚える現代の若者を、「モールを出た時には失望感が漂っていた――若いやつらがみんな同じに見えた」と歌う“Uniform”は、ナイフのように鋭いギター・サウンドで切迫した現実を意識下に切り込んでくる。「僕達は違うと自分に言い聞かせながら、自分に嘘をつくのがすごくうまくなったよ」。
 生活をシリアスに描きすぎだろうか。これは、ケリーの、アーティストとしてのエゴだろうか。いや、誰もが気付きながらも見て見ぬ振りをして、正面から向き合おうとしていないだけだろう。ブロック・パーティーを信じていれば、僕達が道を間違えることはない。


おまけ
Bloc Party-The Prayer

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