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New Agenda

火曜日は言語学入門という授業があります。
先生が僕と同じ関西人で、こっちにきて耳にすることの減った関西弁を授業で聞けるせいか、
その授業は数少ない好きな授業のひとつなんですが、
今日単位認定に関わるレポートの説明を受けました。

レポートはAコース、Bコースに分かれていて、
Bコースの方は出された課題についてのレポートを出せば授業に出てなくても
単位認定としては最低評価のCが必ずもらえます。AとかBはもらえません。
Aコースは授業に出てレポートの課題をその中から自由に見つけます。
高い評価を得られる変わりにレポートが不出来なら不認定もあり得ます。
しかも書く量はBコースの二倍。
内容はどれも土台固めからしっかりしないと書けないようなもの。
明らかにAコースの方がキツイんですが、敢えてAコースを選んでしまいました。

最初はBでいいや、と思ってたんですけど
その先生がなんかやけに挑発的というか扇情的なような、でも放任的なような、
多分人によって感じ方が違うと思うんですけど、僕にとっては扇情的で
「そんなに言うならAコースで書いたろやないか」とつい思い立ってしまい、
説明聞いてるときとか授業が終った頃はやる気あったんですけど
家に帰って音楽聴いてたらなんか気分が萎えてしまいました。

でも一回決めたことやし、今はあんまりやる気なくても
なんだかんだでAコースでいくと思うので頑張ろうと思います。


それでは話は変わって僕が思う2006年ワースト・アルバムを紹介。
紹介、というのも変な感じですが、要は批判です。
あんまりひとつの作品に難癖は付けたくないという人は読まないほうが良いかもしれません。
でもこのアルバムは明らかに致命的な作品です。
「2006年のワースト・アルバムはこれ」と初めて聴いた瞬間からずっと思ってた駄作中の駄作。
それでは「続き」からどうぞ。
WAVE / YUKI
Wave (通常盤)



 まず個人的な見解を述べさせてもらうと、YUKIの作品は『PRISMIC』(02年)、『commune』(03年)、『joy』(05年)、『WAVE』(06年)の順番で素晴らしい。一番好きなのは『commune』、一番個人的な思い入れが強いのは間違いなく『joy』だが、そういったパーソナルな事情を踏まえた上でも、この順序は決して覆らない。たとえ天地が引っくり返ろうとも。もはやYUKIの場合、『PRISMIC』から順番に聴かせて、「な?俺の言うとおりやろ?」とやるのが最も簡単で確実な方法に思えるほど、各アルバムの差はあまりにも明確なのだが、その方法をこの場でとることはできないし、事実それが通用しないから市場評価はこの価値観を認めてはくれない。
 あるひとつの作品の真の評価を得るには、そのアーティストの過去まで遡ってキャリアを俯瞰する必要があると考えている。つまりディスコグラフィを改めて見直す必要がある。ある作品をそのキャリアから切り離して、ただひとつの作品として浮かび上がらせることはできない。全キャリアを総括し、客観的にその全貌を達観すれば自然とキャリアの波は見えてくる。つまり隆盛と陥落が織り成すうねりだ。ただここでいう「客観」は真の客観ではない。それはきっと個人の価値観や嗜好に少なからず作用されてしまうだろう。そもそも「客観」という言葉そのものにある種の矛盾が潜んでいるような気がするが、それはこの場で書く必要があることではない。とにかく、音楽という一般に感情に訴えかけるとされているものに対し、客観的な見方を求めることはナンセンスだ。だからこれから書くことはあくまで僕の主観に基づく客観だということを理解してほしい。
 YUKIのキャリアにざっと目を通すと、非常に重要なターニング・ポイントとなるべき作品の存在に気付く。それが『joy』だ。この作品の前後でYUKIの音楽性は、文字通り180度変わってしまう。この分岐点に“『joy』以前”、“『joy』以降”というふたつの価値観が生まれる。端的に言えば、このふたつの価値観がYUKIの作品に優劣をつける最も重要な働きをする。それと同時にYUKIのキャリアを語る上で最もやっかいな障害にもなりうる。まず決定的なことは、このふたつの価値観を均等に併せ持つことはできない。もちろん互いに理解を示しあうことはできるが、その理解には必ず妥協が伴う。もしこのふたつの価値観が両生し、YUKIの作品全てを心から平等に愛すことのできる人がいたとしても、それはその人の器量の大きさによるものではなく、“YUKIならなんでも”という最も悲惨で手の施しようのない盲目的な価値観がその人を蝕んでいるからである。
 “『joy』以前”の価値観を持つ者として、僕の意見を言わせてもらうと、『joy』以降の作品はあまりにも短絡的で大衆的だ。メロディや歌詞うんぬん以上に、そういう意味で致命的な点は過剰な加工である。無意味且つ無根拠な派手さ、エンターテインメント性に満ちすぎた多幸感。それら全ては歌詞から直接受け取る言葉の意味ではなく、楽曲のアレンジが「なんとなく」聴かせるものだ。別にエンターテインメント性そのものを批判しているわけではない。それを生業にしているアーティストの場合、僕はその快楽性に惜しみない拍手を送るだろう。だが、YUKIの場合、それ以前に『PRISMIC』と『commune』によって正直な精神性の露呈、エレクトロニカやギター・ロックに対する彼女の解釈を耳にしっかりと植え付けられている。そんな敬虔に近いものまで覚えさせられた作品を発表しておいて、突然何もかもが目眩のするほど過剰な世界に生き始めるのは無責任極まりない。もし『joy』以降の作品に等身大のYUKIの姿を投影している人がいるならば、それは全くの見当違いというものだ。何もかもが過剰な加工で成り立ち、その重みに骨格すらも耐えられていない作品に映るYUKIの生き方を僕は絶対にかっこいいとは思わないし、憧れもしない。大量生産のポップ・ミュージックに用はない。音楽は決して一時の暇つぶしのために生まれるわけでも、カラオケで大勢の人間に歌われるために作られるわけではない(もちろんそういう作品があることは否定できないが)。一枚の作品には、それがたとえ傍目にはただのプラスチックの塊にしか見えないとしても、決して小細工では追いつかない、何よりも自分自身に対して正直なシナリオが刻まれていて然るべきである。そのシナリオはあるアーティストにとっては慈悲に溢れた幸せの物語であり、またあるアーティストにとっては救いようのない絶望の連続であるかもしれない。それらは当然一致しないはずである。だから“『joy』以前”、“『joy』以降”のどちらがYUKIのあるべき姿であってもおかしくないが、正直な真実はひとつだけだ。
 では『joy』と『WAVE』の間には何があるのか。ここまでは書くのが少し難しかったが、これだけは簡単だ。単純に、『WAVE』は曲が良くない。正直『joy』にはまだ理解できるところが多かった。決して思い入れがあるから、というわけではない。『joy』の楽曲の持つ普遍性はまだ本物の音を鳴らしていた。すでに大衆的に成り下がっていたが、楽曲の水準ははっきり言って高かった。ただそこにYUKIが歌う必然性がなかっただけだ。だが『WAVE』は『joy』の流れを継いだとしてもあまりにもお粗末だ。こちらではどうしても使い捨て感を拭えない。アルバムの構成も悪い。『joy』はその点優れてコンセプチュアルだった。ただ楽曲の質が悪いだけなら決して駄作とは呼ばない。本当の駄作とは、過去の功績やその重荷、かつての高尚な理念や志、それら全てから目を背け、最終的に大衆的に成り下がり、尚且つ救いようのない作品のことをいう。
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22:55 | 大学 | comments (2) | trackbacks (1) | page top↑
You Could Have It So Much Better | top | Right In Two

コメント

#
そのとおり!!私は絶対WAVEを持ってくると思ったよ。
もう私の言いたい事をそのまんま言ってくれてどうもありがとう。笑

YUKI好きって言ったら、きっとみんなjoyポップ以降で話をとらえるんやろうけど、
違うねん!あのYUKIの音はもうどうしようもなく受け入れられないです。

WAVEまともに聴いたことない。
WAVE好きな曲もあるけどね、でもシングルかな。

最近はお気に入り登録で、
プリズム・スタンドアップ・ふがいないや・レインボー・Good Time そんな感じの繰り返しでやんす。
まぁこれは私のブームによって変わるねんけど。

私はそんな語れませんが(文章力ないので)全く同じように感じます。

スタンドアップ~聴いてたら素晴らしすぎて、だからこそ寂しすぎて仕方がないよ。

あー。

by: もうおっかぱじゃないよガール | 2006/12/18 01:43 | URL [編集] | page top↑
#
久しぶり!もうおっかぱじゃないんや笑

ちょっと酷評しすぎたかな?って思ったけど、
もうおっかぱじゃないよガール(笑)がそう言ってくれるならまぁいいや。

『WAVE』俺も他のアルバムほどは聴いてないなぁ。
それでも他のアーティストの作品よりは絶対に聴いてるけどな。

プリズム、スタンドアップ、レインボーは今でもホンマに好きやねんなぁ!
確かにどれも良い曲。
Good Times選ぶとこはさすがやね。笑
なんか「ファン」って感じするわ。

俺のお気に入りつくるなら
忘れる唄、スタンドアップ、ふがいないや、呪い、ロックンロールスター こんな感じかな?
これもブームで変わります。

俺なんか完全に後追いファンで、リアルタイムで『PRISMIC』『commune』期をファンとして経験ないけど
それでも寂しいから、もうおっかぱじゃないよガールの寂しさはひとしおなんやろなぁ、
とか思ったりする。

しかもそんな風に感じられる人が少数派やからなんかつらいわ。

うー。
by: 幸大 | 2006/12/18 20:53 | URL [編集] | page top↑

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