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八月六日はハローの日ですよー

Hello!
/ YUKI

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君の運命を解いてあげる
 最近よく聴く歌の中に、“ゼアーズ・ナッシング・イン・ディス・ワールド・ザット・キャン・ストップ・ミー・フロム・ラヴィング・ユー”というクソ長ったらしいタイトルの歌がある。70年代を中心に、かのバリー・ホワイトと共に多くのソウル系シンガーのプロデュースをしてきたトム・ブロックという人が74年に発表した唯一のオリジナル・アルバムに収録されている楽曲で、骨格としてはシンプルな歌なのだけど、ロマンチックなストリングスの音色で聴かせる美しい名曲だ。Jay-Zが傑作アルバム『ブループリント』の中でサンプリング使用している楽曲として有名かもしれない。この世界で起こるどんな出来事も、君への愛を邪魔することなんてできない。タイトルからして、むせ返るほどロマンチック。だけど、ロマンチックなセリフほど、真似したくなるよね。Jay-Zもきっとあの歌で酔い痴れてみたかったんだろう。それなのに、僕みたいなやつが言った日には「冗談は顔だけにしてくれ」なんて言われてしまう。なかなか上手くはいかないものだ。めげずに頑張っていこう。

 昨年リリースされた“うれしくって抱きあうよ”から、前々作にあたる“二人のストーリー”、そして前作“ひみつ”までの三枚のシングルを通して、YUKIの歌う世界観はここ最近ぐっと密度を狭めてきたような印象がある。狭い世界。それはすなわち、具体性を伴った生活圏にまで歌が下りてきたということだ。だからこそ楽曲の持つ質感はフォークと呼ばれる音楽に近い、ギターのような日常的なアイテムがひとつでもあれば再現できる、親近感のある温かな手触りを一貫して基調とし続けてきた。そして先月27日に発売されたばかりのこの新曲“Hello!”。以前は多用していたエレクトロの羽ばたきにはやはり力を借りずに、まるでスキップするたびに足の裏に感じる刺激を楽しむかのように、生楽器のしっかりと地に足のついた感触を大切にしている。そういう意味では、この“Hello!”もやはりここ最近の楽曲群と類を成す一曲ということができるかもしれない。でも、例えば“うれしっくって抱きあうよ”以降のCDジャケットを見比べてみても明らかなように、この歌におけるYUKIのヴィジュアル・イメージは、唖然とするほど色鮮やかで、俄然晴れ晴れとしている。そしてこの、マイケル・ブーブレみたいなお出掛けピアノと酔いどれホーンセクションが、その広々とした景色の中で踊ることの心地よさを伝えている。もう少し広い舞台に、また一歩踏み出したかな、と思う。
 舞台。この歌は、まさしくそんな感じだ。ビッグバンドとまではいかないが、ブラス隊が収まるほど、大勢が集まれるほど広いステージの上でこそ映えるような、大きな歌。だから、テクテク歩くよりは、スキップで。スウィングは大きく、動きは大袈裟すぎるくらいに。そういった、四畳半の生活には収まり切らないような独特の抑揚、リズムがある。今回は、歌詞そのものにもリズムが組み込まれている。五文字を基準に区切られた言葉は、そのすべてが例えば「ありがとう」や「さようなら」といった言葉と同様の不思議な呪文のようにも聴こえる。ありきたりな言葉が、リズムに乗せられることで、特別な呪文になる。歌というものはそもそも、そういうものだ。そしてそんな不思議を引き起こす魔法のことを、僕たちはメロディと呼ぶ。
 呪文。その不思議な言葉を口ずさむだけで、すべては一変する。人々を呪縛から解き放ち、物語に新しい光をそそぐ、呪文。しかし、YUKIがこの歌に選んだ「Hello」という呪文は、いささかありきたりすぎるというか、少なくともドラマチックであったりロマンチックであったりという印象を聴き手に与えない言葉だろう。誰もが一番初めに教わり、誰もが知っている、誰もが物語の一番最初のセリフに選ぶ、共通の言葉だ。しかし、こう言うこともできるかもしれない。ただそれがすべてを解放する呪文であったと気付いていなかっただけ。呪文はすでに起動されていた。魔法はもうすでに始まっていた。まるで、毎晩いったいいつから夢を見始めるのかわからないのと同じように。誰かを初めてすきになった瞬間を、どうしても思い出せないことと同じように。ハロー。ハロー。いったいいつこの言葉を知っただろう。きっと誰かから教わったはず。でもそんなの思い出せない。生まれたときから知っていたんじゃないかと思うほどに、思い出せない。そしてそれは、生まれたときから自分は自分だったと思い込んでしまうほどに、自分自身の始まりの瞬間を思い出せないことと、まったく同種の疑問である。
 本当に不思議なもので、自分のことほどわからないものは多い。自分の右手で、自分の右手を握り締めた感触を知ることはできない。自分の肉眼で、自分の顔の表情を知ることはできない。自分のことは、わからない。でも、君のことならわかる。ここ最近のYUKIの歌はすべて、そのことについて歌っている。君と「抱きあ」い、君と「二人」というひとつになって、君と「ひみつ」の関係を結んだ、その喜びについてを。それらはどれも、君自身には到底わかりえない喜びだ。君とは違う、君を抱きしめ、君と言葉を交わし、君の横顔を見つめることのできる「わたし」だからこそ知りえた喜び。わたしのことは、わからない。でも、君のことならわかる。ハロー。君が生き始めた瞬間さえ、わたしにはわかる。
 誰もが、どこの誰とも知らない誰かから、「自分」という役割を与えられ、悪戦苦闘している。めくるめく環境に左右され、自分のものであるはずの感情にすら惑わされ、「自分」という役柄に一貫性を持てずに、完結した台本さえも与えられずに、完璧には演じられないでいる。どこまで生きても、自分に与えられた役柄の名前はわからない。でも、君のことならわかる。YUKIは、この歌の最後の一行で、まさにそのことを証明している。「君の名は Hello」。それが君に与えられた役柄。君に与えられた運命の名前。だって、出会うしかなかったんだもの。予めそう決められていたとしか思えないくらい、他の選択肢なんてなかったんだもの。別の、似合わない役柄を演じて自分を大きく見せる必要なんてないさ。ロマンチックなセリフなんてなくても、君はすべてを持っているんだから。そこにあるものが、そうあるべくしてそこにあったのだと心から納得できたとき(そしてそれは、そこにないものについても、同じことだ)、YUKIは“うれしくって抱きあうよ”を歌った。ならばこの歌は、出会うべくして出会った君との運命を祝福した歌なのだろう。
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15:08 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
人前で前髪を上げることにひどい抵抗がある。もったいぶるほどの何かがおでこにあるわけでもないのに。 | top | しょーがないじゃん

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