スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | comment (-) | trackback (-) | page top↑

窓際の席のあの人から、いっつも見られてる気がする。

The Best Of Enjoy! Records
/ Various Artists

The Best Of Enjoy Records
風になる音
 Sugarhillと共に80年代ヒップホップを代表する名門メジャー・レーベルとして有名なEnjoy! Recordsが誇る名曲たちを一枚にまとめた89年発売の豪華盤。ブレイクビーツのパイオニア的存在であり、スクラッチの技術を発明した張本人と言われる伝説的DJであるグランドマスター・フラッシュ率いるグランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴの79年のデビュー曲“スーパーラッピン”が一曲目という時点ですでに感動的なオムニバス・アルバムである。続く二曲目のスプーニー・ジー&ザ・トレチャラス・スリーの80年作“ラヴ・ラップ”はロック・ファンなら誰もがハッとするはず。何を隠そう、モービーの大ヒット曲“ボディロック”の元ネタである。その他にもフィアレス・フォーやディスコ・フォーなどオールド・スクールの代表選手たちの名曲がズラリ。サンプリング技術の導入によりスタイルとしてのヒップホップが著しい変化を見せた当時の楽曲を中心に収録されているので、面白いオモチャを手に入れた男の子みたいな高揚感がどこかしら伝わってきて愉快だ。ほとんどがグループによる楽曲で、複数のラッパーが交代でマイクをスイッチしながら遊び回る、現在で言えばRIP SLYMEのようなパフォーマンスの原型を想像してもらえるとわかりやすいかもしれない。サンプリング全盛期の楽曲群であり、また同時に本作収録曲が今度はサンプリングされる立場にある一種の教科書的内容になっているので、ヒップホップに明るくなくてもどこかで聴いたことのあるメロディやフレーズがたくさん隠れているはずだ(マライアの元ネタなんかもあるよ)。
 サンプリング。どこかで聴いたことのある音。そういうのって、すきだ。いつ、どこで聴いたのか、考えているうちに、思い出しているうちに、わかっちゃうこともあるけど、いつまで経ってもわからないものも多い。いつどこで聴いたのかわからないまま、耳の後ろ側にへばりついて、いつまでも見えないところで鳴り続けてる。それはもしかして、風のウワサ、ってやつ? いつか、どこかで、いつまでも、鳴り響く。名前を呼ぶ、愛しい声。
スポンサーサイト
14:54 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

90年代ポップ旅行150円

Sex Affairs
/ E-ROTIC

Erotic-Sex Affairs
おっぱいには、それはそれは綺麗な女神様が、いるんやでぇ
 世界最強のセクシー・ポップ・デュオと言えばドイツ出身のこのE-ROTIC以外にはあり得まい。セクシーというかもうただ下品なだけなのだけど、まだ天使のように純真だった小学生の頃はずっと「イー・ロティック」って読むんだとばかり思い込んでいた僕が、中学生になっていわゆる思春期と呼ばれる世界観のカオス的変容期に本当は「エロティック」って読むんだと気付いたときの衝撃といったらなかった。それはまさしく、世界は平らではなくおっぱいのように丸かったのだという発見に打ちのめされた古代人類の記憶を掘り起こすような、まったく新しい音楽との感動的な出会い……といくら美化しようとしたところで到底無理な、タイトルからばんばんセックスを連発するお下劣ダンス・ポップ・デュオの95年発表のデビュー・アルバム。これまで初期作は彼らのベスト盤やコンピでしか聴いてこなかったので、ぜひオリジナル・アルバムを聴いてみたいと思って購入。いやぁ、放送禁止用語ともはや本来の機能を果たしていない隠語の連発、そしてこの、本当に外国の人って最中にこんな声出すのかなぁって疑問を抱かずにはいられない押し付けがましいあえぎ声にもうなんだかメロンメロン……。“マックス・ドント・ハヴ・セックス・ウィズ・ユア・EX”“ビッグ・マックス”“フレッド・カム・トゥ・ベッド”“セックス・オン・ザ・フォン”とタイトルを挙げるだけで伝わるこのわかりやすい芸風を、メンバー・チェンジを重ねながらも長年貫いて巨大なヒットを記録したのだから本当に立派なプロジェクトだと思う。ブックレットにも嘘みたいなプロポーションの美女が揃いも揃っておっぱいを振り乱すコミックが描かれていてとても凝ってる。でも自室のCDラックに並んでいるのを友だちに見られたら、電子辞書の履歴に「sex」って言葉が紛れてるのを見付けられたときと同じくらい恥ずかしいこと間違いなし。


Body Talk
/ EX-IT

Exit-Body Talk
これは「イー・エックス・イット」って読んでた
 96年にドイツの売れっ子プロデューサー・チームの手によってビージーズの77年のヒット“ナイトフィーバー”のカバーでデビュー。90年代の東芝EMIが誇る二大コンピレーション・シリーズといえばもちろん『NOW』と『ダンスマニア』だが、EX-ITの“ナイトフィーバー”は両シリーズに収録されており、ダンスマニアではデラックスやエクストラといった総集編にも収録されている当時の人気ナンバーなので、シリーズのファンなら一度は耳にしたことがあるはず。ビージーズ再評価の気運が高まっていた頃なので、完全に“ナイトフィーバー”のカバー・ヒットを目論んでのプロジェクトだと思うのだけど(当初は男性ラッパーE'LOWひとりのプロジェクトだったはずだが、セカンド・シングル“ボディ・トーク”から女性ボーカルを加入させた)、しかし意外にも(という言い方も何だけど)、楽曲のバラエティは豊富だしハウスやらジャズやら様々なジャンルをぶち込んだミクスチャー・アルバムにしては結構洗練されたナンバーが多い良作。安かったのもあるけれど、僕が本作を購入した動機はサード・シングルとしてリリースされた“パーティー”の存在が大きい。『ダンスマニア・ウィンターズ』に収録されているナンバーで、当時からかなり気に入っていた一曲なのだけど、ノンストップ加工されているので一曲フルで欲しかったんですよね。収録曲のなかでは一番ファンキーでノリノリで唯一洗練からは程遠い歌。昔からお行儀の悪いポップ・ミュージックが好きだったんですね。

CombiNation
/ Maxi Priest

Maxi priest-CombiNation
世界は取り戻せる
 00年代半ばにレゲトンと呼ばれる音楽が流行ったりしたけれども、このマキシ・プリーストはポップとレゲエの融合という意味では、レゲトン・ルーツのまさに第一人者的な存在のシンガーと言えるかもしれない。90年代には彼の代表曲“クロース・トゥ・ユー”を始め、ポリスのカバーである“メッセージ・イン・ア・ボトル”や、当時のレゲエ・ポップ界のもう一人の代表的なシンガーであるシャギーと競演した“ザット・ガール”などのヒット曲を放ち、そして日本では織田裕二がヒットさせた“ラヴ・サムバディ”の共作者としても知られているが、00年代以降の活躍はいまいち精彩を欠いている感が否めない(というかもう四年も作品を発表していない。どうしてるんだろう。アルバムも買ったし、好きな歌いっぱいあったのにな)。本作は99年に発表された彼のオリジナル・アルバムで、相変わらずレゲエ特有のリズム感を基調にしながらも、生音を中心にエレクトロの要素も加え、ポップ・フィールドで十分に通用する見事なクロスオーバーを完成させている良質な作品。ジャマイカ系の血を引く彼がレゲエのビートを守り続けるのは恐らく、人類が本来共有していたはずの言語を表すシンボルとして、それが最も適当なものだからだろう。彼の作品には常に、誰もが手を取り合えるはずとでも言うような血の通った温かさが溢れている。そしてだからこそ、本作からの第一弾シングルとして選ばれた楽曲が、かのロバータ・フラックとダニー・ハサウェイのデュエットで知られるソウルの名曲“バック・トゥゲザー・アゲイン”のカバーであるというところが、ひどく感慨深い。そしてその出来も、文句なしに素晴らしい。
14:51 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

琥珀色の

I'm Caught Up (In A One Night Love Affair)
/ Inner Life

inner_life-im_caught_up-1.jpg
永遠に匹敵する刹那の夜
 このブログでは何度も紹介している我らがジョセリン・ブラウン女史が70年代の終わりから80年代初頭にかけて在籍していたディスコ・プロジェクトであるインナー・ライフの、79年発表のデビュー盤。一般にはファースト・アルバムとして扱われている作品だが、収録内容はたったの五曲と少なく、実質的にはEPのような構成となっている。インディ・レーベルからの発表ということもあってか、パーカッションがチャカポコしている安っぽいサウンド・クリエイトは、例えば当時のディスコ・ブームを席巻していたロレッタ・ハロウェイのグラマラスな楽曲などと比べると、明らかに格が違うというか、インパクト負けしている。しかしそんなハンデを補って余りあるほど、タイトル曲が素晴らしい(もう一回言おう。本当に素晴らしい)。“モーメント・オブ・マイ・ライフ”や“サムバディ・エルスズ・ガイ”と並ぶ、彼女のディスコグラフィを代表する名曲中の名曲だろう。
 ナイトの登場を待ち焦がれたプリンセスは、その夢が叶わないことをもう知っている。出会った二人は似た者同士。とてもナイトとは呼べない、気の利いたスマイルひとつさえ上手にできない彼と、プリンセスになり損ねた彼女の、たった一夜のラヴ・アフェア。別れ方なんて気にしなくていい、言ったことはすべて忘れてしまって構わない、そんな密約の下に交わされる愛は、果たして真実の愛と成り得るだろうか。いまにも弦がはち切れてしまいそうな、ボロボロのストリングスの音色がとても切ない。そう、彼女はいまでも、かつて夢見た王子様とお姫様の物語が描かれた絵本を、シミだらけになって、ページの破れてしまいそうなその物語を、抱きしめている。そして、これ、やっぱりこれなんだ。この、ジョセリン・ブラウンの圧倒的なボーカリゼイション。曲が終盤に近づくにつれて、夢破れたことなんてすっかり忘れてしまったかのように、アドリブでのたうちまくる彼女のダイナミックな歌声。そんなお行儀の悪い大声でだいすきって叫んでいたら、そりゃあ可憐なお姫様にはなれやしないさ。でも、でもね。僕は男の子だから、嘘を吐くのはとても苦手だけど、それでもなんだか、この嘘だけは吐き通せそうな気がするんだ。そうやって愛に踊る君の姿は、僕の目にはまるでお姫様みたいに、とても綺麗に映る。
04:26 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

A Million Love Songs

Never Too Much
/ Luther Vandross

Luther Vandross-Never Too Much
どこからが永遠ですか
 あるときはセッション・シンガーとして、あるときは自らのファースト・ネームを冠したボーカル・グループの一員として、そしてまたあるときはサウンド・クリエイターとして、七十年代半ばからその才能を随所ですでに発揮していたルーサー・ヴァンドロスが、81年に満を持して発表した初のソロ・アルバム。七曲三十六分と非常にコンパクトな収録内容だが、その質の高さは超破格。冒頭を飾るタイトル・トラックはディスコ・ミュージックとしてもお馴染みの有名曲だが、その足取りは非常にエレガント。続く必殺曲“シュガー・アンド・スパイス”のような溌剌としたアップ・ナンバーにしても、まるで水の中で手を取り合い踊るかのように、自然なしなやかさが身についた優雅なステップを連想させる。ルーサーの完成したヴォーカルとゴスペルによるコーラスが絡み合いながら、天にも昇るような高揚を見せる“ユー・ストップト・ラヴィング・ミー”も重要な一曲だろう。ラストに収録されたバート・バカラック作のスロウ・バラード“ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム”では、ルーサーの歌声のあまりの美しさにそのまま身を委ねたくなるような陶酔感が味わえる。サウンド・プロダクションも素晴らしく、高層ビルや煌びやかなライトといった演出を必要としない、ゴージャスでありながらとても軽やかな都会的ムードが全体を覆っている。その気取らなさは、ねずっちです、みたいなチャーミングなジャケット写真からも理解することができるかもしれない。
 本作収録曲ではないが、ルーサー・ヴァンドロスの楽曲では他にも86年の“ギヴ・ミー・ザ・リーズン”が特に好きだ。ソウル・ミュージックは基本的に、「愛」についてしか歌わない(どんな音楽でもそうだと言えるが)。様々なアーティストが、自分なりの愛に名を与え、定義付けるかのように歌い続けているが、しかしどの歌も、愛の周囲をぐるぐると巡るばかりで、その内側にはなかなか切り込めない。理由をくれ、と歌うことはできるが、愛する根拠そのものを歌ったシンガーはいない。ハウスが必ずしもホームではないように、それが容れ物としての形を持っていないからだろう。握ってみるまで、抱きしめてみるまで、その感触はわからない。どこからが愛で、どこまでが愛か。それは、人が歌を歌い続けること、それを聴き続けることと似ている。もっともっと歌いたい。聴きたい。どこまでいっても、決して多すぎることはない。
13:46 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

風が吹き抜ける

Shine
/ Average White Band

Average White Band-Lets Go Round Again
くる日も、くる日も、狂おしい、灯
 インスト曲としては異例の全米ナンバー・ワン・ヒットを記録した“ピック・アップ・ザ・ピーセズ”、サンプリング・ソースとしてもお馴染みの“アイム・ザ・ワン”や“ラヴ・ユア・ライフ”(トライブ・コールド・クエスト!)で有名なスコットランド出身のアヴェレージ・ホワイト・バンド。バンド名は「平均的な白人バンド」ということだが、恥ずかしながら本人たちの映像を見るまでは、黒人バンド・プレイヤーたちがアイロニカルな意味合いを込めてこの名前を掲げているのだとてっきり勘違いしていた。チャック・ベリーのセッション・ミュージシャンとしても活動していたという彼らのファンクフル/ソウルフルな演奏と歌声には、とても白人バンドとは思えないほどの熱量を持った本格派の風格がある。そんな彼らの十枚目のオリジナル・アルバムとして80年に発表された本作は、ホール&オーツやタヴァレスなど都会的なソウル・ミュージックを手掛けてきたデイヴィッド・フォスターをプロデューサーとして迎え、それまでの魅力を残しつつも、新たにAOR的しとやかさをバンドから引き出すことに成功した転換作として知られている。その代表的なナンバーとも言えるバラード“フォー・ユー、フォー・ラヴ”、いまやディスコ・クラシックとなっている名曲“レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン”、チャカ・カーンによるカバーでもヒットした“ワッチャ・ゴナ・ドゥ・フォー・ミー”、お家芸とも言えるファンキーなサックス・プレイで聴かせる“イントゥ・ザ・ナイト”など、楽曲のバラエティは相当に豊富で聴き応えがある。しかしそれにしても感動してしまうのは、“イフ・ラヴ・オンリー・ラスツ・フォー・ワン・ナイト”と“シャイン”の二曲によって飾られるラストの構成。一夜限りの愛が終わってからも、まるで時空を飛び越えるかのように輝き続ける光がある。“レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン”でも歌われている。"Time, that changes almost everything"。何もかもを変えてしまう時間さえ、越えてみせる愛を。もしも残された人生のすべてを夜として過ごせたら、一晩中かけて愛し合うことができるのに。沈みかけた太陽。もう少し手を伸ばせば、待ち遠しかった狂おしい夜の灯に触れられる。そんなジャケットも素敵だが、しかしなぜかラスボスみたいに(六人も!)腕を組んで立ちふさがるメンバーたちが、不思議とチャーミング。うまくやれないことだってあるさ。でもだからこそ、"One more time"の叫びが、待ち焦がれた再会にはうってつけの力強さでハートを打ち鳴らす。
15:47 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

えんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!

Whitney Houston
/ Whitney Houston

whitney houston-Whitney Houston
最低でも永遠に値する
 先日紹介したカシーフも冒頭二曲で制作に参加している、85年に発表されたホイットニー・ヒューストンの記念すべきデビュー・アルバム。「えんだぁぁぁぁぁああああ」で有名な“オールウェイズ・ラヴ・ユー”をネタとしてしか聴いてこなかった世代の人間なので、実はこれを聴くまで彼女の他の楽曲はまったく知らなかった。しかしとんでもないアルバム。カシーフとララによる“ユー・ギヴ・グッド・ラヴ”“シンキング・アバウト・ユー”の二曲は冒頭からいきなりK点越えのハイセンスなバラードとダンスを完成させているし、王道の二大バラード“セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー”(マリリン・マックーのカバー)と“グレイテスト・ラヴ・オブ・オール”の存在感も凄まじい。デュエット曲も多く、中でもジャーメイン・ジャクソンとの“テイク・グッド・ケア・オブ・マイ・ハート”(ジャーメイン制作)のロマンチックさと言ったら! “サムワン・フォー・ミー”や“ハウ・ウィル・アイ・ノウ”といった爽やかなアップ・ナンバーも間に挟まれていて、何回通して聴いても全然飽きが来なさそうだ。一枚のアルバムとしてのトータリティが、恐ろしいほどに計算し尽くされている。サウンド・メイキングの美学とその重要性を確認させられる、プロデューサーを中心に回転し始めた80年代ブラック・ミュージックの至宝と言ってもいいくらいの傑作。その全曲に、永遠を求めるかのようにどこまでも美しく伸びていくホイットニー・ヒューストンの圧倒的な歌唱力がのせられる、とってもゴージャスな内容だ。ホイットニー・ヒューストンが歌声ひとつで証明してみせるソウルという「個人」と、多くの制作者たち(そして彼らひとりひとりがすでに、他でもないソウルの当事者でもある)の手によって作り上げられるポップという「他者」。その二つの視線が、まるで抱き合い、溶け合うかのように、共通したひとつのものを見つめている。永遠の愛。このアルバムを聴いた後では、“オールウェイズ・ラヴ・ユー”ももうネタにできなくなりそうだ。別に「いやぁぁぁぁぁああああ」っていう続きを誰かに言わせようとして歌ってるわけじゃなくて(そもそもそんな歌じゃないんだろうけど)、あれは永遠の彼方にまで届かせようとして歌ってるんだって、素直に感動できるから。永遠の愛なんていう甘ったるい響きに懐疑的なあなただって、これ聴けばわかるよ。誰もがそういう愛を持っている。だって、これを聴いて、永遠に愛され続けるべき傑作だって思わないやつがいるだなんて、僕には信じられない。
15:35 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

僕、ユーロビートがすきだ。やさしいからすきなんだ。

Everytime We Touch
/ Cascada

Cascada-Everytime We Touch
美学に貫かれた一枚
 絶対に気に入るからとお知り合いから頂いたアルバム。まったく知らなかったけど結構有名なアーティストらしい。一聴して、たちまちダンスマニア・シリーズに夢中になっていた頃を思い出す中二病ディスコ状態に突入。いや、ディスコっていうか、トランスっていうか、もうレイヴじゃねぇかってくらいの音圧。僕の音楽体験のルーツの一端は間違いなくユーロビートに繋がっていて、こういうのヘッドホンして聴くと、自然と頭振って踊り始めてる。ユーロビートの女性シンガーには、黄金三角とでも言うべきある種のバロメーターがある。まず、ドイツ出身であること。次に、変な邦題がついていること。そして三つ目が、よく見ると結構オバチャンであること。この三つである。このすべてをクリアしていればまず間違いない。そこでこのカスケーダ。出身はドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州のボンということで余裕のクリア。国内盤リリースにあわせて本作につけられた邦題が、『いつでもタッチ』。愛しの(懐かしの)E-ROTICとは芸風が違うのでさすがに同レベルのものを期待するのは酷というもの。これもいいでしょう。三つ目は……失礼なことを言っているようで、実はこれが一番アテになるというか何というか、しどろもどろ。伝統的なマナーのひとつとしてカバー楽曲を扱うことが多いユーロビート勢だけど、ヒップホップのサンプリングなんかと同じで、その楽曲をモノマネではなくいかにオリジナルのレベルで再現させるかというところにこそ哲学がある。歌っている本人にどれだけの裁量権があるのかはわからないけれど、年季の入っていそうに見えるシンガーのカバーはやっぱり違うんだよね。もうすっかり自分のものにしてる。ユーロビートのカバーを侮るなかれ。なんせこっちは小粋なカフェで流れてそうなオシャレ・ミュージックとは違うのだ。気の利いたアコギとピアノのアレンジくらいでは済まされないのである。だってユーロビートだもん。ダサい。ダサいけど、カッコいい。この美学をちゃんとわかってる。けばけばしい大音量サウンドを取り除いたときに、ユーロビートに残るものがこれである。半ばわきまえにも似た、絶対に中途半端なものにはしないというカバーに対する謙虚な姿勢があるのだ(我らがE-ROTICでさえABBAのカバーだけは真面目に歌いやがった)。だからユーロビートには職人気質のアーティストが極端に多い。このカスケーダのカバーにしても、ロクセットとかサヴェージ・ガーデンとか、06年というリリース時期を考慮に入れたとしても、とても若い世代が選べる楽曲じゃないし、そのクオリティの高さは半端じゃない。そして最後にはフロアにいる「みんな」のものにするという使命のためにのみ、この爆音が存在する。
22:38 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

会いたくて会いたくて、震えるのも発明だ。

Kashif
/ Kashif

Kashif-Kashif.jpeg
街で一番目立つ服着て待ってるから
 82年のプロデュース作であるイヴリン・キングの“ラヴ・カム・ダウン”を皮切りに、次々と良質なヒット曲のプロデュースを手掛け(個人的にはこの人の関わった楽曲ではタヴァレスの“ラヴライン”が群を抜いてお気に入りだ)、新進気鋭のプロデューサーとして驚くほどの短期間でその名を馳せたカシーフ。鍵盤奏者としてのセンスを活かし、シンセサイザーを大々的に導入したエレクトロニックなサウンドで80年代ブラック・ミュージックの新本流を作り上げたカシーフの、ソロ・シンガーとしてのキャリアのスタートを飾ったのがこの83年発表のデビュー・アルバムだ。くるまったシーツのようにふくよかなシンセの響きがムードを作り、美しい女性コーラスはカシーフのボーカルとの対話を実現し、ベッドタイムを演出するような色気のあるダンス・ミュージックとして、極めてレベルの高いプロポーションがすでに完成している。生楽器のみでは不可能なスタイリッシュで都会的な洗練を帯びた音の感触は、現在でも広く親しまれているR&B(言葉本来の意味とはもはや関係のない音楽だが)と呼ばれるもののプロトタイプと言っていいだろう。いま聴けば確かに打ち込みなどは軟弱に感じられるかもしれないが、八十年代のブラック・ミュージックに大変革をもたらし、現在までもその影響力の片鱗を覗かせるカシーフの功績はやはり特筆に値する。それにしても、やたらとラヴラヴ言いやがる。収録曲全八曲のうち半分の楽曲タイトルに"Love"の文字。内容は、全曲ラヴ・ソングである。本作によりその価値を広く知らしめた、デジタル楽器を導入したブラック・ミュージックの新たな体系をより深化させたセカンド・アルバムとして、カシーフは本作の翌年に傑作“センド・ミー・ユア・ラヴ”というEメールみたいな(今でこそだが)タイトルの作品を発表している。会いたくて会いたくてたまらない思いが、ふたりの間に横たわる時空や距離を、とても感動的な音色と共に飛び越えてしまうことが、時として起こる。あらゆる発明の根拠は、ひとえにその思いに集約されると言ってもあながち間違いではないだろう。ファンクから歌謡曲のようなバラード路線へと比重を傾けたライオネル・リッチーが古いソウル・ファンから忌み嫌われたように、カシーフに対してもそれなりに非難の声を上げる者はいたのではないかと予想するのだが、しかしこれこそがカシーフにとっての再会を願うソウルだったのだろう。愛は、いつだって人に奇妙な行いをさせるものだということだろう。
15:34 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。