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「私に敵はいません。なぜなら、敵は己を持たぬからです」

People's Key
/ Bright Eyes

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君が僕で本当によかった
 07年発表の『カッサダーガ』以来、ブライト・アイズ名義としては実に四年ぶりとなる、コナー・オバーストの最新作。ブライト・アイズ名義としては本作が最後の作品になるかもしれないと本人が語っているそうだが、個人的に特別な思い入れがあるバンドなだけにできれば止めて欲しくないと願う一方で、しかしこの作品で最後を飾りたいという気持ちも認めざるを得ないほど、感動的な内容ではある(だからこそこの次を聴ききたいという欲もなおさら高まるのだが)。第一印象としては、フォークやカントリーといったアメリカーナ的音楽要素の後退、そして一部で聴くことのできるまるでキラーズのようなダイナミックなシンセの存在感に、これまでの作品との大きな変化を感じることができる。しかし『アイム・ワイド・アウェイク、イッツ・モーニング』と同時発売された05年のアルバム『デジタル・アッシュ・イン・ア・デジタル・アーン』などでもすでに立証されているとおり、コナー・オバーストは数々の音楽的素養を持った才能であり、そもそもの土台が広いシンガーであるだけに、これは単なるモードの変化というか、何かを意図した決断というよりはもっと気分的なものだったのではないかと思う。基本的なスタイルの部分は、何も変わっていないといえる。語り手は常に同じ場所に腰を下ろして言葉を吐き出しているだけなのに、その言葉の圧倒的な数と質量、そしてその饒舌ぶりが見えない車輪を回転させるような錯覚に陥らせる。動かずに耳を傾けているだけなのに、どこかに旅に出ているような気分にさせるのだ。やはりコナー・オバーストといえばこのスタイルである。なぜなら、それこそがまさに彼が歌い続ける「生きる」、という出口のない迷宮のような旅路の他でもない象徴だからだ。ただそこに「いる」だけなのに、なぜだか人間だけが、自分はどこへ向かうのか、どこから来たのか、そんな一本道の物語を作りたがる。そして、自分自身で作り上げたそんな道の上で、ときとして迷子になってしまう。ここは本当に自分がいるべき場所なのか、もっと他の場所に行くことができるのではないか――人間だけが、戸惑いと葛藤を抱えながら、どこかへ辿り着こうとする。ずっと、「自分」という椅子に腰を下ろしたままなのに。人は、自分を取り巻く環境から、誰が閉じ込めたわけでもないのに、思っている以上に離れようとしないものだ。その最たるものが、「自分」だろう。相変わらずコナーの歌に出口と呼べるものはない。答えはないのだ。しかし彼はこのアルバムの中で、なぜか他者であるはずの「君」のことを、「僕」と呼ぼうとしている。「僕と君」ではなく、「僕と僕」であると。その思いつきは、ひとつしかない道の上で彷徨っていたひとりの青年にとって、新しい入り口となり得たのかもしれない。道はひとつしかない。「自分」はひとりしかいない。そう知らず知らずのうちに思い込んでいた頃の「僕」よりも、やっと気付いた「僕」は、少しだけかっこよかったり、かわいかったり、優しかったり、弱かったり、しあわせだったりするのだろう。
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15:23 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

その次は、鍵盤の上にはない音。

I WANT YOU BACK
/ Folder

Folder-I want you back
君のことが大好きなおもちゃを見せてあげる
 ワクワクする楽曲にめぐり合うにたびに、何度もこのブログで無理やりにでも引き合いに出してきた、ジャクソン5の大好きな歌“帰ってほしいの”。いままで色んなアーティストの歌うこの歌を聴いてきた。しかし、こんなにも素晴らしいカバーは初めてだ。しかも若干十二歳(リリース当時)の男の子がメイン・ボーカルを務めるチャイルド・グループのカバーで。どんなに優れたアーティストでも、69年のオリジナルの“帰ってほしいの”、当時十一歳だったマイケル・ジャクソンのその奇跡的なボーカリゼイションをそのまま再現することは不可能だった。だからカバーする人はみんな、この歌にどこか自分なりの新しいエッセンスを吹き込むことで、不足したボーカルの迫力を何とか補おうと努めてきたような印象がある(いやしかし、それこそがカバーの妙、味わいというものかもしれない)。事実、マイケル本人でさえ、大きくなってからは、まったく別の歌にさえ聴こえかねないアレンジを施さなければこの歌は歌えなかった。しかし、沖縄アクターズスクール出身の男女混成七人組Folderによるこの99年のカバーでは、ヒップホップ的な要素が取り入れられてオリジナル版よりも少しモダンに仕上がっていることを除けば、ほとんどそのまんまである。要するに、ボーカルの実力だけですべてが決定する、ということだ。当時まだ小学六年生だったはずのメイン・ボーカリスト三浦大地は、この勝負に見事勝っている。これを聴けば、そう認めざるを得ない。誰が呼んだか知らないけれど、「和製マイケル・ジャクソン」の呼び名は伊達や酔狂ではない。この歌にいくつも仕込まれた絶頂部分のひとつ、サビの立ち上がりの「オー!」の叫び(カタカナで書いたら面白みもクソもないな)が、あの娘の掴み損ねた後ろ髪を呼び寄せる。ここにはまだ、こんなにも君のことが大好きなメロディがたくさんあるんだとばかりに、まるで面白いおもちゃを次々と取り出すみたいに、「ナッナッナッーナッ!」「ダッダラッダ!」(カタカナすごいな)と舌を遊ばせる三浦大地。気ままに走り去っていく女の子の自由と、その後姿を追いかけることしかできない男の子の不自由。何をやっても女の子には敵わないなと痛感させられる人生送っておりますが、この歌がある限りは、生まれ変わっても男の子になりたいと思う。この歌で見せる三浦大地のこのボーカルだけが、男の子が唯一使うことを許された魔法。ソロになってからの近年のライブでも歌うことがあるみたいだけど、YouTubeなんかで見た限りではどうやら彼自身もうこの歌声は出せないらしい。その隔たりを作るものが、単なる声変わりひとつとはとても思えないほどこのカバーは素晴らしい。大人よりも子どもの方がうまい。そう思うことは、結構あるものだ。人を好きになることも、時にはそうかもしれない。
19:45 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

謎と矛盾の両翼

ペンギン・ハイウェイ
/ 森見登美彦

ペンギン
飛べない鳥
 この人の作品はこれまでに数作しか読んでいないので、なんとも言えないところではあるけども、まずは主人公の男の子のしゃべり方が気になった。まるで翻訳機で英語を無理やり日本語に直したみたいに、いちいち「ぼくは――」と主語を宣誓せずにはいられない几帳面なところ。どうやら「ぼく」は、たいへん頭がよく、勉強熱心であり、将来はきっとえらい人間になるだろう、だそうなので、そのしゃべり方そのものがある意味、理知的・論理的・合理的な「ぼく」の性質の一端を伝える情報にはなっている。「ぼくは――」としゃべり始めるたびに自分を明確にしていく彼は実際たいした物知りではあるのだが、しかしそんな彼にもまだまだわからないことはたくさんある。世界の始まり、世界の果て。いつの間にか好意を寄せていた異性の姿形に、なぜこうも嬉しさが込み上げるのか。そう、いつの間にか、である。いつの間にか、謎はそこにあった。小学生のとき、「わからない」という回答を極端に嫌う先生がいた。もちろん計算問題の話ではない。なぜそんなことをしたのか、それをした結果いったい何を感じたのか、そういった、実になんとも言えない問いに対して、である(その先生の授業には変な決まりごとがいろいろとあって、ある日、「えっと」禁止令が出された。その日の授業で、僕は先生に当てられるやいなや、こう答えた。「えっと、わかりません」。――ちょこっと尾ひれを付けました)。大人の世界に近づくにつれて、「わからない」という回答がいかに嫌われ者であるか、事あるごとに思い知らされる。自分のすきな人に「なぜすきなのか、どこがすきなのか」と問われて困らない人に憧れるのだけど、なかなかうまくはできないものだ。思わず、初めて何かを忘れたときのことを覚えているのか、初めて自分のことを「ぼく」「俺」「わたし」「うち」などと呼んだときのことを覚えているのか、と問い返したくなる。そう、これだってひとつの、いつの間にかそこにあった謎だ。なぜ僕は、数ある呼称の中から、「俺」を選んだのか(実際の会話であえて自分を「僕」と呼べば、たちまち「『僕』に逃げやがって」と言い返される。しかしこれはそんな状況下でしか「僕」と言わない僕が悪い)。人は、いったいどこまで「わからない」という言葉に何かを委ねることができるだろう。空には何もない、カラッぽだとわかったとき、人は羽を失い、大人になった。そして、羽を持たない大人から生まれた子どもが、何かがあるかもしれないと目を凝らして空を見上げる。その差はもしかしたら、知ったフリをするか、知らないままか、の違いかもしれない。空を飛べないはずのペンギンがいまでも羽を持ち続けるのは、もしかしたら自分たちが飛べないことを知らないからなのかもしれない。いつの間にかそこにあった世界の謎。連鎖するつかの間の矛盾。誰もが最初は、いつの間にか、生きていた。そして、いつの間にか、死ぬのだろう。
03:36 | | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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