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僕の魔法のポケット、叩いて出てきたものは全部君にあげるもの。そうしたら、君のポケットは全部僕のものでいっぱい。僕のポケットは全部君のものでいっぱい。

Whenever You Need Somebody
/ Rick Astley

rick astley-whenever you need somebody
80年代生まれを信じるな
 80年代初頭、MTVの放送開始をきっかけに、急速に新たなパフォーマンスのあり方を問われたポップ・ミュージック。当時のポップスを聴いてひたすら感じることといえばやはり、その強烈なニセモノ臭さ、イケナイ感じだ。装いの派手さ、といってもいいかもしれない。要するにお行儀が悪いのだ。そう、まだポップ・ミュージックにルールなどなかった素晴らしい時代である。そしてその浅ましいまでのお行儀の悪さは、常に商業的な策略の支配下にあった(いつだって何だってそうなんだけども)。ある意味で、ポップであることが、搾取すること、欺くこと、嘘をつくこと(しかも、公然に、である。ここが重要だ)と同義になった時代と呼んでみてもいいかもしれない。しかし、ひとつのメディアに人が集まると、そこには次第に秩序(単に「お行儀がいい」、という意味しか持たない、要するにほとんど意味などないに等しいものだ)を整えようとする流れが働き、その面白さはある一定の危険なラインを跨ぐ寸前で制御されるようになっていく(知性、人間らしさ、体裁、偽善、何と呼んでも結構だ)。そして、マナーと呼ばれるもののほとんどがそうであるように、手先の仕草みたいなそのシステムと手法だけが次の世代に継承され、本当の起源だけが忘れられていく(これが「ファッション」という言葉の意味だと覚えておくといい)。最近のポップスはカジュアルでクールだけど、なんだかあんまり面白くない(K-POPはすごくいいね! やっぱり発展途上の物ほど面白い)。デジタル・シンセサイザーが降臨した80年代はまさにポップスの革命期。その手法を思い出すのではなく、実際に80年代旅行に出かけたいくらい素晴らしい楽曲が目白押しである。
 そんな中から今日は、ルックスと歌声のバランスがどう考えてもおかしいリック・アストリーを紹介。本作は87年に発表された彼のデビュー・アルバムであり、同時に大出世作でもある。「絶対に君を放さない、絶対に君を落ち込ませない(“ネヴァー・ゴナ・ギヴ・ユー・アップ”)」、「君が誰を求めていようと、僕は君を愛し続ける(“ウェンエヴァー・ユー・ニード・サムバディ”)」などといった、いつかは溶けてしまうソフトクリームみたいな約束が、カラフルだけれど薄っぺらいビニールテープみたいなシンセの音に飾られる。そんなのばっかなのだが、極めつけは“トゥゲザー・フォーエヴァー”の存在。タイトルからして、これはもうちょっと躊躇してもらいたい禁断の約束。敗北を知らない80年代のポップスは平気でこれをやる。しかし、美人の言うことはすべて真実、というルールがあるように、素晴らしく見栄えするメロディが、裏切りとほとんど同義なこの約束を見事に許容している。これぞ正真正銘のポップ・マジック。80年代のポップスは真実など相手にしていない。魔法の存在を、疑うか、疑わないかの違いだろう。
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19:10 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

うまく弾けないときにあんなにも悔しい思いをする楽器は恐らくピアノの他にはない

De battre mon cœur s'est arrêté
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ものまねピアニスト
 大好きな映画のひとつ。05年公開のフランス映画で、邦題は『真夜中のピアニスト』。フランス映画を鑑賞している、というただそれだけで、なんだか洒落た気分に酔えてしまう単純な思考の持ち主なので(「観ている」、ではなく、「鑑賞している」と言ってしまうくらい)、あまり当てにはならないかもしれませんが、この映画は本当に面白いです(前にも一度紹介しています)。時にはあくどい手段に打って出ることさえ厭わない悪徳不動産ブローカーである主人公が、家族や職場や女性関係といった不完全に拗れた様々な環境の中で、ピアノの音色に完全性を求めていく、といったようなお話。ピアノの演奏経験がある人なら恐らく誰もが経験するであろう、この美しい音色を他でもない自分が奏でている、という陶酔感。自分が世界を美しく染め上げていくナルシチズムとでも言いましょうか。そんな絶頂感も、うまくいかない人間関係に対する葛藤や戸惑いも、ふとした所作や表情ひとつで再現してしまうロマン・デュリスの好演が光る。そのロマン・デュリス演じる主人公(ピアニストになる夢を捨て切れずにいる)がエレクトロ系の音楽を愛聴している、という点も面白い。それはやはり、人間の感情の不安定な起伏を機械で裁断された規則的なビートと音の粒子に埋没させる、いわば人間の自我を放擲した無我の音楽と呼ぶことができる代物だからだ。自然と不自然という概念を同時に持ち合わせる人間。自然こそが完璧な美しさを内に秘めている、という自ら作り上げた前提を理解し、自分たち人間という生き物を自然からかけ離れた存在として観察しながらも、その完全性に憧れ、自身が不自然・不完全であることをなかなか認められない。感情と意識が邪魔をする、とは誰もが思ったことがあるだろう。それらを持つ人間さえいなければ、すべては上手に回転するのだ。
 先日テレビを観ていたら、「わびさび」という難しい言葉の解釈として、京都の茶道か花道かの先生が、「完全な人が見せるほんの少しの綻び」というようなことを言っていた。簡潔でわかりやすくて、とてもポップだなぁと感動したのだけれど、だとしたら、完全とされる自然を模して創られた、緑に溢れた庭園や枯山水に対するわびさび、そこに見られる綻びとはいったい何だろう、と考えた。それは、人間の手によって創られた、という綻びなのではないかと思った。人間の手で再現されるまでもなく、自然はその美しさをすでに持っているのだから。ピアノもまた然り、ではないか。ピアノはその美しい音色をすでにあの漆黒のボディの中に秘めている。ピアニストはその幾つもの音色の中から限られた旋律を引き出す道具のひとりに過ぎない。何かに憧れ、その何かを模そうと試みるのは、不完全な存在だけ。そんなジレンマが、やはり美しい音楽とスタイリッシュな映像美で展開される面白い映画。
16:35 | 音楽 | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑

種明かしは後ほど

Sexed Up
/ Robbie Williams

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ブラック・コーヒーの甘さ
 先日はカイリー・ミノーグの記事を書いたので、今回は彼女と親交がありデュエット経験もあるこの人。ロック・ファンはリアム・ギャラガーのかつての天敵くらいにしか思っていないかもしれないが、僕のパーソナル・アイドル(こんな言い方あるのか?)であるテイク・ザットのメンバーであり、ソロとしてもヨーロッパを中心に絶大な人気を誇るポップスターである。今回紹介するこの歌は、02年に発表された彼の五枚目のソロ・アルバムとなる『エスカポロジー』の中から03年にシングル・カットされた楽曲。“エンジェルズ”“ロックDJ”“フィール”など数多くのヒット・ソングを持つシンガーであるが故、それほどディスコグラフィーの中では際立った存在感を放つ歌ではないが(全英十位とチャート・アクションも微妙)、僕はこれがダントツですきだ。恋人への不満や幻滅、そして「別れよう」という言葉が最後の手紙のように綴られるソフト・ロック調の名バラード。美しいメロディを持っている歌だが、しかし痛烈な内容である。君の悪いところ、これだから君とは一緒にいられないんだ、勝手にしろよ、結局すべては無駄な時間だったというわけさ、僕はもう出て行くよ、新しい「君」を見つけに行くんだ、さっさと僕の前から消えてくれよ――届ける前の手紙だからこそ書くことができたような、辛辣な言葉が並ぶ。彼の語る言葉から切なくやりきれない物語を見出して聴くのもいいだろう。
 しかしそれだけでは単なる優れた普通の失恋ソングで終わっていたかもしれない。歌の最後で、聴こえるか聴こえないかのギリギリの音量でささやかれる、オフィシャルなリリックにも載っていないその最後の一言が、この歌を稀有な存在に変えている。事実、98年に発表されたシングル“ノー・リグレッツ”のB面曲としてすでに発表されていたこの歌のデモ・ヴァージョンではそのささやきが収められておらず、デモという品質を差し引いたとしても、どうも味気なく聴こえてしまうのだ。加えて、この歌の収録されたアルバムのタイトルである「エスカポロジー」という言葉には「縄抜け」という意味があり、その言葉が示すとおり、この最後の一言がまるでマジックのように、物語に登場する二人の立ち居地をガラリと変えてしまう。お互いを憎み合うかのようにずっと背中を向けていた二人が、一瞬にして振り返り、再び向き合うようなミラクルなささやき。一組のカップルが、コーヒーカップが二つ置かれたテーブルを間に挟んで座っている。深刻な雰囲気だけを漂わせて、二人ともずっと黙ったままだ。昨晩書いた手紙の言葉を実際に口にすることもできずに沈黙を守り、どちらかが淹れたブラックのコーヒーにも、二人ともまったく手をつけていない。温かかったコーヒーは、もうすっかり冷め切ってしまっているだろう。じっと俯いてコーヒーカップを眺めたまま、昨晩の手紙ではひどいことを書いたけど、きっと二人とも、実はまったく同じことを望んでいる。こうして待っていたら、いつかこの冷め切ったコーヒーが温かさを取り戻す時がやってくるんじゃないか――。しかしそうやって無言のまま向き合い時を待つ二人の距離は、背中を向け合って佇んでいたときよりも、圧倒的に遠い。そんなもどかしい一言である。
11:45 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

身長153センチだそうです

Light Years
/ Kylie Minogue

Kylie Minoue-Light Years
ベッドルームこそ最も慣れ親しんだディスコ
 80年代後期ディスコの代表的なナンバーである“ロコ・モーション”や“ラッキー・ラヴ”などをここ日本でも大ヒットさせ、一躍世界的なスターの仲間入りを果たしたカイリー・ミノーグ。しかしそのヒット(アイドル的な、である)に執着したレーベル側と、自ら創作に加わっての積極的な自己表現を望んだカイリーとの間に次第に不和が生まれ始め、カイリーは自分の作品に対してより多くの裁量権を得ることのできるマイナー・レーベルに移籍することを決意。その後、以前のポップ路線を離れたアルバムを二枚発表し、ペット・ショップ・ボーイズなど多くの著名なアーティストとのコラボにも意欲的に参加するが、しかしいずれも大きなチャート・アクションを見せることはできなかった。七作目のアルバムとなる本作は、そんなカイリーが再び大手EMIの傘下レーベルであるパーファロンに移籍し、そこからの第一弾アルバムとして00年に発表された作品である。名門レーベルからの発表ということもあり久々にヒットの期待された本作からのリード・シングル“スピニング・アラウンド”は実に十年ぶりの全英ナンバー・ワンの栄光を彼女にもたらした。原点回帰的ディスコ・サウンドが際立つ本アルバム(もちろんカイリー自身も制作に大きく関与している)は高評価を受け、次々と発表されたシングル・カットもめでたいヒットを記録。当時から十年以上が経ち四十代になったいまでもセックス・シンボルとして現役で活躍し続けているカイリーの、第二次黄金期の端緒となった記念碑的アルバムである。カイリーはこのアルバムのことを「ディスコポップ」と呼んでいるが、彼女自身が「なかったことにしたい」とまで望んだ第一次黄金期との和解の場とも言えるこのアルバムの映し出す風景が、他でもないディスコである、というところが何よりも感動的だ。ヴィレッジ・ピープル風のディスコ賛歌“ユア・ディスコ・ニーズ・ユー”が実は僕が初めて聴いたカイリーの楽曲だったと記憶しているのだけど(ダンスマニア経由です)、いま聴いてもこの歌の高揚感は凄まじい。急遽収録されることになったというロビー・ウィリアムスとのデュエット“キッズ”もだいすき(この歌楽しい。ふたりともすきだし、キャラ濃いから、聴いてて顔がニヤけてくる)。歌詞はなんというか、妖艶というか、色気があるというか、ザックリいえば相変わらずラヴラヴいってるだけなのだけど、しかし特筆すべきはやはり“オン・ア・ナイト・ライク・ディス”の存在。「こんな夜は、あなたにそばにいて欲しい」と独りぼっちのベッドルームから歌うカイリーの姿。優れたダンス・ミュージックはいつだってこの孤独を知っている。踊らせられない場所があるかもしれないことを、知らないからだ。とにかくこの一曲だけでも価値がある。素晴らしいアルバム。
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死は、他の人の身に起こることだ……

Adore
/ The Smashing Pumpkins

smashing pumpkins-adore
君さえいなければ不思議なものなどひとつもない
 ビリー・コーガン率いる「スマパン」ことスマッシング・パンプキンズによる98年発表の通算四枚目となるスタジオ・アルバム。方々で高評価を得た95年発表のアルバム『メロンコリー』に伴うツアー中、それまでビリーの精神面を支え続けてきたドラマーのジミー・チェンバレンが薬物摂取により逮捕され、この『アドア』は正式なドラマー不在のもと制作された。そのことをきっかけに、本作におけるバンドの音楽性は急激な変化を強いられ、名曲“トゥナイト、トゥナイト”などに代表される前作の極端なほどドラマチックな楽曲構成とは違い、打ち込みの多用されたダウナー・ミュージックのようなトーンで全編が展開されている。日本以外のメディアでは酷評を受けた一枚であり、オルタナが商業的に肥大したへヴィ・ロックの勢いに飲み込まれた時期ということもあって、スマパンのディスコグラフィーを語る上で、あまり俎上に載せられることのない地味な立ち居地のアルバムではある。しかしそんな苦境に立たされたアルバムであるが故に、本作におけるビリーの、失われつつあったアイデンティティの継続に対する思いはまるで怨念のように、静謐にして熾烈に、全編に黒い影を落としている。
 世界は、「自分」と「それ以外」の二種類だけで成立している。そう思い込んで生きてきた少年にとって、「君」という存在の登場は劇的だった。もしかしたら僕と君は、もともとひとりの人間だったのかもしれない。それが何かの拍子に分裂した。しかしここでまた、共に片割れを見つけることのできたふたりは再びひとりへ還元する。そんな思いつきは、完璧主義者であると同時に理想主義者であった彼にとっては、あまりに美しく、そして都合がよかった。それなのに、それなのに君という存在が僕を狂わせる。君は天使なのか、それとも悪魔なのか。もしも太陽が輝くことを拒絶したら、もしも夜空を飾る星々が躊躇いを見せたら、もしもこれが真実でないとしたら――次々と現れる発想だけで瓦解する脆い自我。「自分」と「それ以外」しか存在しないという究極の孤独を理解して生きてきたはずなのに、誰も自分のことを理解してはくれないと叫び始めるわがままなエゴ。愛して止まない、もはや崇拝にも近い君の存在だけが、僕の世界に渦のような謎を巻き起こす。こんな世界に生まれるはずじゃなかったと悲観する一方で、それでもパーフェクトを求めた限界の音が鳴っている。そんな途方もない自己矛盾がときどき、生まれながらにして泣き暮れている赤ちゃんみたいに、美しい。
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初めて書いたラヴレターにはロックのことしか書かなかった

Everything
/ Mary J. Blige

Mary j Blige-Everything
初めてのラヴ・ソング
 特大ヒットを記録した97年のサード・アルバム『シェア・マイ・ワールド』からの三曲目のシングル・カットとしてリリースされたこの歌。クイーン・オブ・ヒップ・ホップ・ソウルとも称される彼女のグラマラスなヴォーカルが聴ける名ラヴ・バラードである。それだけでも十分に豪華な歌であることは間違いない。ジャネット・ジャクソンの数多くのヒット・アルバムを支えた実績を持つジャム&ルイスのプロデュースも素晴らしい。スタイリスティックスやジェームス・ブラウンの名曲のフィーチャーと共に、実は坂本九の“上を向いて歩こう”のメロディまで借用されている、と言えば、この楽曲がどれだけ破格な内容であるか理解してもらえるだろうか(もちろんこういった固有名詞に頼り切った情報を食べさせるよりも実際に聴いてもらうだけで、どれだけ音楽に親しみのない人でもこの歌の素晴らしさは理解してもらえると確信している。それだけの名曲だ)。とにかくメアリー・J・ブライジという名シンガーの巨大な存在感なくしては歌えない歌、むしろ歌う側が試される歌というか(これは存在感云々だけでなく歌唱力においても、である)、音楽的な内容にしても雰囲気にしてもひたすらゴージャスな歌なのだが、しかし、歌詞がもう、なんというか、誤解されたくないのだが、ひどく拙い。何度も何度も繰り返される、"You are everything, and everything is you"というフレーズ。この歌でなければ、顔をしかめてしまうほどこれはちょっと……と個人的には思ってしまうセンスだ。例えば、「例えば」という言葉の説明の出だしでいきなり「例えば……」と言い出してしまうようなもので、あなたの持つその素敵な「すべて性」をそのまんま「すべて」という言葉で表現してしまうという、これはちょっと素直すぎやしないか、と思もってしまわないだろうか。そう言ってしまったが最後、その「すべて性」はどう頑張っても相手には本来よりも不足した状態で伝わる。言葉とはそういったジレンマを常に生み出してしまうものである。しかしこの歌に限っては、この、拙く、「すべて」と言っているのに不足したフレーズが、いいのだ。たまらない。これだけゴージャスな内容の歌が、何故だかそれだけの「すべて」しか語れないというもどかしさ。まるで、横になったボトルの中で何年も寝かされていたワインが初めてコルク以外の世界を味わった瞬間のような、そんな芳醇な香りさえ思わせる。そう、それは、初めて「すき」と伝えることのできた喜びと類似する。どんなに不器用な言葉でもいい。それをようやく口にすることのできたうれしさに、批評は必要ないだろう。相手に思いが伝わるかどうかはわからない。それでも自分自身に対しては間違いなく伝わるのだから。
 このブログ上だけでなく、何について書くにしても同じことだが、自分の書いた文章を読み終えるたびに、何かが足りない、と思う(何もかも足りない、と思ったときのことを記事のタイトルにした)。自分の感じた「すべて」をそのままの品質で伝えることは本当に難しい。何事にしても、満足はなかなかできないものだ。しかしそうやって、何かが足りない感触をコレクトしてポケットを一杯にするのも、人生の楽しみのひとつかもしれない(ポケットに手をつっこんで何かを確かに握っているふりをすればいいのだ)。最後にどうでもいい話だが、墓場に持っていくラヴ・ソングをいくつか選べと訊かれたら(訊かれたときのために色々なバリエーションでリストアップの準備はしているのだが、もちろん誰にも訊かれないからここで勝手にこんなことを言うのであって、しかし、ラヴ・ソングを墓場に持っていくな、くらいはこれを読んだ誰かに心の中で言ってみてほしいものだ)、この歌は間違いなく僕の有力候補のひとつだ。
09:46 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Tiny Night Fever

Love Machine
/ The Miracles

Miracles-Love Machine
ドキドキウィーンガシャン、アイムジャスタラヴマシーン
 かの有名なモータウン・レコードの第一号契約アーティストとしても知られるザ・ミラクルズによる、75年に全米一位を獲得したナンバー。太く分厚いゴムのように弾けながら音を受け止めるベースライン、決して派手ではないが最低限の音だけで最高の演出を仕上げるブラス隊、そして何よりファルセットのボーカルがこの上なくセクシーで、非常に官能的なプロポーションを完成させた名曲である。日本では歌唱法にのみ用いられるファルセットという言葉は本来「不適切な声・発言」という意味も持っているようで、そのとおり、なんだか、たまたま開いていたドアのほんの少しの隙間からしか覗いちゃいけないような、大勢がいる真昼間には歌っちゃいけないような、要するにとってもイケナイ感じの魅力溢れる歌なのだが、ファルセットのコーラスワークが本当に素晴らしく、官能的でありながらも下品ではなく、ソウル・ミュージックの誇り高ささえ感じさせる。イケナイことの聖地とも言えるディスコでこれは栄えるだろう。愛する機能しか持たないロボット、ラヴ・マシーン。僕にはこんな美しい裏声は出せないが、僕がもしロボットみたいにぎこちなく動き始めたら(それはきっと君のせいなのだから)、せめてファミコンのコントローラーでも持っているふりをしてくれたらうれしい。


Relight My Fire
/ Dan Hartman

Dan Hartman-Relight My Fire
キングボンビーかあんた
 ザ・レジェンズというロック・バンド出身のダン・ハートマンによる79年のディスコ・ヒット。“インスタント・リプレイ”と並ぶ彼の代表曲である。ディスコ・ナンバーと言えばブラック・ミュージックを基調にしたものが主流だが、彼は青い目をした白人、いわゆるブルー・アイド・ソウルの歌い手のひとりである。メロディには優れるがグルーヴには欠ける、と言ったところか。しかしこの歌は本当にすごい。黒人のシンガーが歌声ひとつで成し得てしまう強烈なグルーヴの部分を、天変地異的ど派手なアレンジで補うどころか凌駕してしまった感すらある。「僕のハートにもう一度火をつけておくれよ!」というような内容だとこれまでずっと勘違いしていたので、手の生えたスポットライト星人が演奏してんじゃねーかと疑いたくなるピアノとオーケストラを聴くたびに、もうすっかり火ぃついちゃってんじゃん、と思っていたのだが、どうやらこれ、相手のハートにもう一度火をつけようとしてるんですね。十年の歳月を越えてようやく納得。力一杯歌声を振り乱す(それとも、「取り乱した歌声」?)彼のボーカリゼーションもそのメロディも非常に魅力的だが、この歌の絶頂はやはりそのボーカル・パートが終了してからの演奏にある。終盤に訪れる一瞬のブレイク、そしてそこから、いよいよスポットライト星人たちの持つ楽器からも火が吹き始め、もしかしたら願いは届いたのかもしれないという予感(というか届こうが届かまいが知ったこっちゃないという狂喜乱舞)だけを残して、お決まりのフェードアウトへ――。完璧。


Somebody Else's Guy
/ Jocelyn Brown

Jocelyn Brown-Somebody Elses Guy
僕のディスコ・クイーンになって
 小さな小さなナイト・フィーバー、最後はジョセリン・ブラウンが84年に放った永遠のクラブ・クラシックであるこの歌。ジョン・レノンやボブ・ディランの作品でセッションした経歴を持つ彼女。79年に開始されたディスコ・プロジェクトであるインナー・ライフのリード・ヴォーカルとしての活動と平行して数々のアーティストの作品にフィーチャー・ヴォーカルとして参加、その後、84年にアルバム『サムバディ・エルスズ・ガイ』でソロ・デビューを果たした。そこからのタイトル・トラックがこの歌で、全米R&Bチャート二位を記録している。多くの日々と思い出を共有したふたり。近づいていくあなたとの距離。この最後の窓さえ開けることができれば、あなたに触れられる――。しかし、ブラインドの隙間から覗いた窓の向こう側にあったのは、あなたの嘘。あなたは、他の誰かの男。明かされた事実を前に、しかしこの最後の窓辺からなかなか離れることのできない女性のいらだちと狂おしさという難しい感情の表現を、ジョセリン・ブラウンの圧倒的な歌唱力が可能にしている。実は今回紹介した三曲、どれも十年ほど前に全盛を誇ったノンストップ・ダンス・コンピレーションの傑作であるダンスマニア・シリーズ(僕の音楽体験のルーツは間違いなくここだ。本当に素晴らしいコンピ・シリーズである)を通して知った楽曲なのだが、当時から自分の部屋でヘッドホンをして、ジョセリン・ブラウンのパワフルな歌声を聴きながらひとり踊っていた(『ダンスマニア・クラブ・クラシックス』の第一曲目である)。大好きな歌だ。この歌からグルーヴを学んだと言ってもいい。こんなにも悲痛な歌なのに、しかし踊りださずにはいられないというジレンマ。踊れないなら踊らされればいい、というディスコ・マジックが、この歌では奇跡のように起こっている。グルーヴという、つまりはイカした様。だって、ブラインドを上げる彼女の姿は、本当はそんな余裕なんてないくせに、めちゃくちゃかっこつけてるし、実際めちゃくちゃかっこいいじゃないか。アフリカからアメリカへと強制的に輸送された黒人たち。二度と本国に帰ることのできない彼らが、他国語である英語を引き受けて歌ったものがブルースという音楽の血に流れる運命的な悲しさだとすれば、この凄まじいグルーヴこそが誇り。いつだってどこでだって、わたしは踊ることができる、という最高にイカした誇り高さである。
20:29 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

時間的には「おはよう」

She's Gone
/ Tavares

Tavares-shes gone
おやすみ
 70年代のディスコ/ソウル・ミュージックを語る上で決して外すことのできないヴォーカル・グループであるタヴァレスの、74年に発表された四枚目のシングル。タヴァレス史上最大のヒットと言えばやはり名曲“イット・オンリー・テイクス・ア・ミニット(75年。邦題は“愛のディスコティック”。意味不明)”だが、一分あれば恋に落ちるには十分、と歌っていた彼らが、こんな歌を歌っていたとはつい最近まで知らなかった。去ってしまった彼女。誰もが慰めの言葉を口にし、終わってしまった愛をどう処理するかは自分次第、と分かっているにも関わらず、出てくる言葉は"Oh I, Oh I, Oh I"という決意と未練と戸惑いが混乱したままの叫びばかり。彼女を失った街を彷徨い歩きながら、すれ違うキュートな女性たちから雀の涙ほどの慰みを得るが、誰一人として彼女の代わりができる女性などいないことを、誰よりも主人公自身がむなしくも理解している。タヴァレスの強みのひとつでもある、五人のメンバー全員(実の五人兄弟である)がリード・ボーカルを担う実力を持っている、という個性も、この歌では特に効果的に発揮されている。すなわち、入れ替わり立ち代り歌われる、たくさんの男の"Oh I"の叫びを集めて大きくしても、それに応える「彼女」がどこにもいない、という強烈な演出だ(終盤にはいよいよ"I'm talking to myself"という半ばヤケクソ気味の合いの手まで入る)。そんな楽曲を、“イット・オンリー・テイクス・ア・ミニット”と同じタヴァレスが歌っている、という事実が、僕には何よりも大きな説得力を持っている。恋を始めるのに必要な時間は一瞬、その一方で、終わりは永遠に続いていく、というアンバランスな対比。この歌が静かな夜に流れ始めるたびに、彼女は去っていってしまうのだから。
 以前にジャクソン5の“帰ってほしいの”のレヴューでも書いたことだが、70年代の優れたポップ・ミュージックは、どれもことごとくフェードアウトで立ち去る構成になっている。“セプテンバー”も“キープ・オン・ジャンピング”も“ディスコ・インフェルノ”も“リライト・マイ・ファイアー”も、全部そうだ。タヴァレスの楽曲も、もちろんそういう風になっている。みんなディスコの歌である。きっと、誰もパーティーの終わらせ方なんて知らないからだろう。人間の脳に、忘れる、なんていう機能がついているのもきっとそのせいだ。毎晩のように誰もが、もう一度触れ合うことを願いながら、何かを失っている。
06:18 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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