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なんで悪役には、色が無いんだろう

Danger Days
/ My Chemical Romance

My Chemical Romance-Danger Days
本当のパレードはどこからでも始まる
 二十一世紀の音楽シーンにおいてひたすらに「リアルである」ということは、常にその根底に何らかの閉塞感や危機感を秘めていることが最大の条件だった。06年の超スーパーウルトラミラクルマックス大傑作『ブラック・パレード』から実に四年という長いブランクを経て発表されたマイ・ケミカル・ロマンスの最新作であるこのアルバムが、そういったものとまったく無関係のオプティミズムに溢れたものだというつもりはない。ただ、こんなにも開かれたアルバムがここ十年の音楽シーンにあっただろうか。下を向いて歩いていたから気付かなかった。見上げてみれば、空はいつの間にかきれいに晴れ上がっているじゃないか。そんな晴れ晴れとした入り口で聴き手を迎えてくれる、素晴らしいアルバムだ。
 マイケミというバンドは、常に誤解と共にキャリアを進めてきたバンドだ。モノクロの世界に、一箇所だけ血のような真紅を湛えた世界観(それは確かに一見、悪役特有の「失われた色」を象徴するものに映るかもしれない)。若者の自殺・自傷行為・薬物使用を助長すると名指しで悪の枢軸のように呼ばれた頃もあった。メジャー・デビュー期の彼らの一般的かつ簡潔なイメージ(観察力が足りないとしか思えないが)、それはまさに「気持ちのいい絶望」といったところで、勘違いも甚だしいものだった。そしてだからこそ、否が応でも「死」のイメージがまとわりつく『ブラック・パレード』は彼らにとってひとつの大きな挑戦だった。あのアルバムが提示した価値観とは、“ジ・エンド”“デッド”という冒頭を飾った二曲が示すように、すべてが終わったと思える場所から、それでも生き延び続ける何かを探る勇気だった。「死」というある種の救世主(それが幻想でしかないとしても)ですら救えない何か。いや、そんなものに救わせるわけにはいかない何かを求める旅だった。たったひとりの「君」だけは、全能的でかっこいい救世主なんかに救わせない。「君」を守るのは「僕」じゃなきゃいやなんだ。完成されたコンセプト、破格のメロディ・センス、危うささえも厭わない選び抜かれた言葉の数々。全エネルギーを放出して制作されたはずの『ブラック・パレード』。しかしもう二度と誤解されるわけにはいかなかった。『ブラック・パレード』は「死」の美化ではない。だから、だから、彼らにはその大行進を、どうしても殺すことが必要だった。手放さなければならなかった。ブラック・パレード・イズ・デッド。彼らは律儀すぎたのかもしれない。しかし、それだけ譲れないものがあったということだ。「君」を守るものが、ブラック・パレードであってはいけない。「僕」でなければいけないからだ。それがロックという愚か者の音楽に残された唯一の知性だと彼らは知っているのだ。
 人の記憶力ほど当てにならないものはない。ひとりの人生では長すぎるから、一冊の本がある。一冊の本では長すぎるから、数行の詩がある。それと同じだ。詞を覚えやすくするために、メロディがある。マイケミのポップネスはその部分に対してひどく誠実である。フレンドリーなメロディのすべては、これを聴いた者が、口ずさむためにのみある。ある意味で、自分たちの歌に対する執着心が少ない、といえるかもしれない。誰の歌であっても構わないのだ。この最新アルバムには“セイヴ・ユアセルフ、アイム・ホールド・ゼム・バック”という楽曲が収録されている。タイトルからして、これ以上にマイケミのマニフェストを明確に表象した楽曲はないだろう。救世主は言う。「わたしが君を救おう」。ロックなんて聴いていたって、何の役にも立ちはしないさ。ただ、ロックだけは、決してそんなことは言わない。
 前作で死の大行進に扮していたマイケミは、本作ではライダージャケットに身を包み、髪をカラフルに染め上げて、腰に銃まで用意して凝ったコスプレを楽しんでいる(どこかこう、仮面ライダー連想しない?)。ギャング集団killjoysっていうらしいんだけど、そんなメンバーが悪者をばっさばっさと倒していくわけ。で、細かいとこだけど、ここが本作で僕が一番うれしかったとこ。ドラムのボブ・ブライヤーが脱退して、いま、メンバー四人なんだよね(脱退がうれしいわけじゃない。四人である、という純粋な事実がうれしい)。わかる? 四人なんだよ。かっちょいい戦隊モノっていったら、レッドを中心に、五人で決まりでしょ? そう、ひとり足りないんだよ。最初から歌ってみたら僕の言いたいことの意味がわかるかも。そんなすぐに歌えないって? いったい誰が作ったアルバムだと思ってるの? マイケミだよ。二回目にはもう完璧にトレースできる。優れたポップ・ミュージックに条件があるとすればそれは、すぐに真似して歌えるかどうかっていうところ。それだけだよ。そして、そういう意味で、こんなにも優れたポップ・アルバムを、僕はそんなに多くは知らない。
 ともかく、ひとりの人生は短いようで長く、長いようで短い。ゆっくり歩いても、早足で歩いても、その長さは変わらないさ。それならひとまず歩調を合わせて歩いてみよう。色さえあれば、何色だって構わないさ。主役は紛れもない「僕」だ。マイケミは誤解されていたときからずーっと、そういうバンドだった。

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左手ははぐらかすのがお得意

At War With The Mystics
/ The Flaming Lips

flaming_lips_war__at_the_mystics.jpg
「君だけが真実の嘘をつく」
 取って置きのジョークを用意してしまったら、きっともうクリスマスなんて待てない。12月23日の夜、“ヤー・ヤー・ヤー・ソング”を聴いて出だしからいきなり爆笑した。高音というよりも、ほとんど裏返ったに近い間抜けな声で「ヤー・ヤー・ヤー」の連発。そこに、コーラスとは呼び難い、音の外れた絶叫みたいな「アァァァアアアーーー」がかぶさってくるんだ。「yeah」という言葉が本来持つはずの、「肯定」なんていう立派な意味は思いつきもしなかった。新手の冗談としか思えなかった。どうしても名前が思い出せない末の苦肉の策で、店員に「フラミンゴのCD探してる」と伝えて見つけたアルバムらしいから、僕が手にする前からすでに冗談としての遺伝子を組み込まれていたような作品だったんだろう。それでいい。とても大切にしているアルバム。でも日頃聴くことがあるのは、一曲目の“ヤー・ヤー・ヤー・ソング”とラストの“ゴーイン・オン”、このふたつだけだ。フラミンゴはいくつかあるだいすきなバンドの中でも特にお気に入りのひとつだけど、片足で立って眠ることを除けば(コタツで寝ればいいのに)、僕はこの人たちのことをほとんど知らない。正確には、覚えている情報がない、ということになるのだけど、ひとつだけ印象的で、この人たちの音楽を聴くたびに思い出す話がある。とある雑誌のレヴューで、貝殻や石ころといった誰でも手にすることのできるアイテムで作品を作るひとりの芸術家のエピソードを引き合いにして語られていたこと。この人たちは、いまの技術なら機械を使ってたちまち再現できる音声を、なぜか生の素材で時間をかけて作る。これがいま現在、どこまで有効なエピソードなのかは知らない。でも僕にとって肝心なのは、僕がいつもその話を思い返しながら、フラミンゴ、の音楽を聴く、という事実だけだ。辿り着いた「結果」よりも、むしろそこから遡ることのできる「経路」、そしてその「根拠」が重要だということなんだろう。機械でも人力でも、結果的には同じものが作れる。ならば大半の人が手間のかからない機械を選ぶだろう。手間をかけることが、重要であることと均等に結ばれるのではない。解り難く例えれば、絵の具で一枚の絵を描くときに、絵の具では描くことのできないものがある、ということが重要なのだ。目に見える結果だけでは理解することのできない何かがある、ということだ。生きる理由を知らない僕たちと同じだ。真実だけでは伝えられないものがあるから、僕たちは嘘をつき、冗談を求める。それは、わからない、ということを表明することと、少し似ている。どうしてクリスマスには、大切な人にプレゼントを贈るんだろう。すきな気持ちなんて、もうわかっているだろうに。それなのになぜか、下手をすれば言葉よりも不鮮明にしか気持ちを表象しないプレゼントに、人は思いを託したくなる。言葉という真実だけでは、伝えきれないものがあるからだろうか(言葉は気持ちではない)。それは、嘘、冗談、わからない。それとも、それ以外、か?
 本当は、ここまで言うのは反則なんだ。自分の表現力のなさにはほとほと呆れる。意味なしジョークに意味があるとすれば、それはいったいどんなものだと思う? それは、別の意味がある、ということ。それこそ、まだ誰も言葉に還元したことのない、気持ち。まだ誰も口にしたことのない、まったく新しい言語。まだ誰も出会ったことのない、誰か。背中合わせに立った二人みたいな、表側も裏側を持たない嘘。ことごとく、真実。

12:52 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

たった一言の解説で、ジョークはたちまち瓦解する

Songs About Girls
/ will.i.am

will i am-songs about girls
もしかしたら、もしかしたら――
 ブラック・アイド・ピーズの頭脳、ウィル・アイ・アムによる07年のソロ・アルバム。『エレファンク』『モンキー・ビジネス』期のブラック・アイド・ピーズを期待して聴いたら肩透かしかもしれない。見栄えするメロディよりも個人的な趣向、特にヒップホップ以前史の音楽に特化したようなイメージ。派手な楽曲はなく、どれもパーティーでたったひとりだけ照明の光の当たらない男の独白みたいだ。素晴らしい曲があった。十曲目の“ファンタスティック”。誰が聴いてもジャクソン5“帰ってほしいの”のイントロを連想するであろう音運びを使用しながらも、あの奇跡の瞬間が始まると予感したそばから、それを裏切るように音が低く沈んでいく。バックトラックは延々それの繰り返し、結局のところ“帰ってほしいの”の決定的なメロディはいつまでたっても完成しない。そこでウィルは過去に付き合った女性についてのあれこれを淡々と語っていく。「大丈夫。俺は大丈夫。俺は最高だから」と自分自身に言い聞かせるように歌いながらも、彼女との関係が続いていた頃の細かい年月を、彼はいまなお明確に把握している。どの楽曲も、歌われている内容は似たり寄ったりだ。女性との極めてプライヴェートな思い出を展開しながらも、そんな自分の姿にうっとりしたり落ち込んだりせずに、決して感情に狂うことなく、巧みにセルフ・プロデュースをしている。が、たまに、“ファンタスティック”みたいな綻びが見える。いくつかの楽曲で聴くことのできるウィル特有のリズミカル・タームのリフレインでは、その聴き心地のよさよりも、言葉と言葉の狭間で弾けるシャボン玉みたいな彼の深い息継ぎが、いつまでも耳に残る。“ファンタスティック”の中で彼は、かつて親しんだ懐かしいメロディの再現を何度も何度も試みる。ベース・ラインはこう、ここでギターの印象的な音――。覚えたての楽器を操る幼い手みたいに、しつこく確認しながら。でも、何回繰り返しても、あのメロディがどうしても鳴らない。思い出と記憶の違いについて、思い出はすべて思い出せる、記憶は思い出せない、と言った人もいる。でも、こういうこともあるんだ。記憶は、たまに再生・再現できるものがあるかもしれない。でも思い出は、思い出すことしかできない。そのもどかしさだ。
11:51 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

急発進 全速力 バックで前進 だだだだだ

I Want You Back
/ Jackson 5

Jackson5-I Want You Back
どこが、どうしてすきかなんて、訊くな
 大事な靴を脱ぎ落としていくあわてんぼうのように、高速で音階を駆け下りるピアノの音。足元をくすぐるような、ステップをふまずにはいられないベース・ライン。鮮やかな色合いを添えるストリングスの音色に導かれ、まだ幼ささえも知らないようなマイケルの歌声が、イントロで早くも絶頂を記録する。ジャクソン5の言わずと知れた名曲。邦題は「帰ってほしいの」。昨年、マイケル死去のニュースを知って、真っ先に思い浮かんだのがこの歌だった。大好きなこの歌を聴くことを、初めて怖いと感じた。ものすごく、哀しい歌に聴こえてしまうような気がして。でも実際に聴いてみたら、全然そんな心配は無用だった。不謹慎な言い方かも知れないけれど、またマイケルが世界を巻き込んだでっかいパーティーを始めてくれる――そんな予感さえ頭を過ぎった。そう、予感だ。この歌を聴くことを止められない理由。イントロが鳴り響いただけで、何か、とんでもないことが始まるような気がする。どこかへ行ってしまったあの娘でさえも、ひょっこりと顔を見せてくれるような、とっても楽しい何かが。素敵なメロディが鳴り始める直前の予感を、まさにメロディそのもので表現したような、そんな奇跡に限りなく近い時間。この次にはいったい何が始まるんだろう。フェードアウトで去っていく演出が、こんなにもニクイ歌はない。ゆっくりと遠ざかってしまう音の背中がひどく切なく、そして同時に、このフェードアウトの次に始まる何か、このフェードアウトの終わりを、止まらない胸の高鳴りを持て余しながらも待ち望んでしまう。優れたポップ・ミュージックほど、フェードアウトで立ち去っていくものだ。昨晩見た夢が、すぐに忘れられたがるのと似ているかもしれない。
 もしもこの歌がどこかから聴こえてきたら。もう知ってるはず。それは僕が仕組んだパーティーの幕開け。きっと、急発進で、全速力で、思い出す。気付く前から当たり前のように知っていたことを、思い出すはず。remenberよりもrealizeに近い、思い出す――それはまるで、バックで前進するような、奇跡のステップ。大丈夫、君のステップは完璧さ。僕はふと、自分がきちんと踊れているかを確かめたくなって、足元に視線を向ける。大丈夫、ちゃんと思い出せるよ。まるですっかり忘れたみたいに、まるでそれが初めてのことみたいに。でもたったひとつだけ、どうしても思い出せないことがあるんだ。いつの間にか、すきだった。

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僕の枕は昼の間もまだ夢を見てる。

Coast To Coast
/ Westlife

Westlife-Coast_To_Coast.jpg
「ラブ」じゃない、「ラヴ」って言え
 やっぱり音楽やる人も見栄えが大事だと思うんですよ。色々と見せ方のある中でも、バンドはダントツで映えると思う。特にシンプルなのがいいね。初期のビートルズみたいなやつ。だっていまでもキングス・オブ・レオンとかジェットとか、何にも新しいことやってないのに、それでもすっごいかっこいいじゃない。ああいうの見たらなんだかんだでボーカル&ギター&ベース&ドラムっていうスマートなのがバンドの黄金比率なんだって思うじゃない。でも、それを楽勝で超え得るフォーメーションが、この世にはひとつだけあると思う。僕だけだったら恥ずかしくて死んじゃいそうだけど、それは、アイドル五人組み。アイドル、五人組み。二回言っちゃったけど、ホント素敵だよね。なんでだろう。男性アイドル限定だけど、五人じゃなきゃいけないんだ。V6はひとり余分。TOKIOは五人組みだけどバンドもやって欲張りすぎて、逆にバランス悪い(ホットパンツ穿いてた初期の長瀬はかっこよかった)。Kinki Kidsは僕の中ではアイドルじゃなかった。SMAPは下品。KAT-TUNムカつく。なんか全体的に古いけど、いまだったら嵐か(個人的には関ジャニ∞がアイドルとはまったく無関係のところですきだ)。嵐はいいよね。五人だし、男にも好かれるアイドル。でも惜しいんだよな。かっこよすぎる。メンバーみんなホントに仲良さそうだし、それぞれ他分野の才能も持ってる。決定的なのは、フレンドリーなところ。みんな世俗を超越した才能持ってる人たちなのに、なんか距離が異様に近く感じるんだよね。街で声かけたりしても、嫌な顔ひとつしなさそうだもん。そこが、すごく惜しい。人間的な完璧さに近づきすぎて、アイドルとしてはものすごく惜しい。人気絶頂なんだから別にいいんだけど、もっと遠くに行ってくれたら僕は俄然のめり込むのに。全然手なんか届かない、眩しいステージとテレビの画面の中にしかいない、それこそ架空の人物みたいなさ。そんでこれまた架空の人じゃねぇかってくらいのすんごい女の子のアイドルと付き合っちゃったりとかしてさ、イン・シンク時代のジャスティンがブリトニーと付き合ってたみたいに(例えがいちいち古いね)。それがタブロイド紙の一面飾っちゃったりとかして(タブロイド、いい言葉だよね)。そういうの見て、ドキドキしたいじゃない。その点、最近のアイドルはみんな行儀だけはいいんだけど、アイドルぶるのを恥ずかしがってるね。嘘つくことが、かっこ悪いと思ってる。歌もRight-onみたいにカジュアルだけど、それじゃ全然面白くないんだよ。
 またしても随分古いけど、ウエストライフの輝かしき五人組み時代のセカンド・アルバム。知ってる? 一曲目、“マイ・ラヴ”っていうんだよ(問答無用の全英一位!)。アイドルはやっぱこうじゃなきゃいけない。タイトルからして、共感できる人が世界にひとりでもいる方が異常なくらいの名バラード。TRFばりの断崖絶壁から歌うんだよ。当たり前じゃん。アイドルは普通の人じゃないんだよ。それでもキャーキャー言われてちやほやされんの。よく考えてみてよ。距離が近いことが、ユーティリティーが、アイドルにとって、いったいどれだけ重要なわけ? アイドルの笑顔が真実であることに、いったいどれだけの価値があるの? やっぱりこういうの歌って欲しいじゃない! 最近いないよね、こういう人たち! 気付けばアイドル五人組みの件、どうでもよくなってるし! そんくらいすごいんだよ、“マイ・ラヴ”!
10:22 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

愛のお気に召されるように。

Page Avenue
/ Story Of The Year

Story Of The Year-Page Avenue
一日は長く、人生は短い
 見ることができる。触ることができる。ものすごく単純に考えれば、そのふたつこそが、現実と仮想を隔てる決定的な要素だということができる。だとすればしかし、僕たちの人生というものはとても不鮮明なものに思える。誰一人として、自分の生まれるところ、死ぬところに立ち会うことはできない。僕たちは、自分の始まりも終わりも知らない。それなのに、自分はここにいる、となぜかそう思い込んでいる。どこから立ち上がり、そしていったいどこへ向かうのか。そんなことは、誰にもわからない。人生とは何か。それが即答できるようなものなら、その程度のものでしかないということだろう。そして、それを理解することに、いったいどれほどの価値があるのかもわからない。それなのに、僕たちは、知りたい。見たい。触りたい。小説で人生を描こうとすれば、その作者は人生を超えなければならない。そんなことは、無理だろう。だとすれば小説が描くべき「人生」とは、それを超えることのできない人間とその完成した「人生」との間にあるギャップ、これに他ならない。歌うことも、生きることも、同じだろう。僕たちは自分の人生を超えることなんてできない。いつまでも、いつまでも、僕たちの人生は、金太郎飴の切り口みたいに、微妙に歪んだ出来損ないの姿を、他でもない自分自身に晒し続ける。だとすれば、自分の人生を上回る価値、自分を超える誰か、その何かや誰かの輝きを知り、見て、触れることができれば、その人生は、かなりの大成功だと認めてもまったく構わないような気がする。
 03年発表のストーリー・オブ・ザ・イヤーによるデビュー・アルバム。当時からかなり激しいライブ・パフォーマンスを披露していたようで、PVを観るだけでも、その異様なテンションの高さがわかる。ダイブ、バク宙は当たり前、フラフープみたいにギターを身体で回してみたりなんかもする。歌詞は端的にいうなら、大袈裟。人生最後の日、消失した太陽、座礁した船、なんていう言葉が平気で出てくる。なぜ。そんなことは本人たちにもわからないだろう。なぜ、こんな決死覚悟のパフォーマンスをしなければいけないのか。なぜ、こんなにも「死」を意識した言葉を並べるのか。なぜ、それを喉を嗄らしてまで叫ばなければならないのか。なんとかしてギャップを超えようと、文句なしに完成した人生の外側からそれを見てみようと、している。そしてこの疾走感。聴いた後に残るのは、確かにここを何かが通過した、という、知らずに消えた砂文字のような孤独。代表曲“アンティル・ザ・デイ・アイ・ダイ”は、生涯でこんな歌が一曲でも歌えたら幸せだろうなと思える名曲。
23:17 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

感性ってめんどくさいから無い方が平和だとは思う。ちょっとね!

Barking
/ Underworld

Underworld-Barking.jpg
x Hour Party People
 アンダーワールドの音楽には、マインド・ミュージック、抽象の音楽、という個人的なイメージがどうも強い。本来やわらかいはずのものに、音というフォルムと強度を与えていく。前作とか特にそうで、卸したての新車のボディみたいな、なめらかなメタリック色が聴くたびに頭の中でいろんな図形を描き始める。って書いてみて、これってもしかして、ずいぶんと昔にMAZDAのCMで“ボーン・スリッピー”が使われてたからかな……とちょっと自分の単純さにビックリしている最中なんですけど、でも多分そうなんだろうなあ……(“ボーン・スリッピー”のシングル買ったとき、早く聴きたくて聴きたくて仕方がなくて、CDショップのすぐ隣の電気屋のコンポ使ってMDに最速で落として、一日中聴いてた)。でも今回は違う。アンダーワールドが、ダンス・アクトであることを思い出させる素晴らしいアルバムだ。楽曲のタイトルからして本作は凄まじくて、“オールウェイズ・ラヴド・ア・フィルム”“ビトウィーン・スターズ”“ダイアモンド・ジグソウ”“ムーン・イン・ザ・ウォーター”などなど、この徹底したロマンチストぶりは可笑しいくらいだけど、なぜか上品なジョークを聞いているような不思議な整いというか、佇まいがある。これもきっと、すごい精度の高い数式とか模型とかなんだろうな。それが証明するのは、アーティスティックな幾何学模様なんかじゃない。ダンスの、エモーションだ。機械に人間の感情の再現は不可能、地球の裏側同士にいる二人が刹那の速さで出会うのは不可能、そう思い込んでいる人には絶対にできない音楽だ。バラバラのはずの星粒がつくる河みたいに、音の粒子がアクロバティックに跳ね回って、圧倒的な隔たりを超えてみせる。この音楽のxにはなんだって当てはまる。それを心底信じているということ。それがアンダーワールドの品格っていうやつだ。“スクリブル”なんか、それこそぎゅって丸めて固めて、部屋の天井からぶら下げて踊ったら、めちゃくちゃ綺麗だろうな。この曲なら、初めてのダンスを任せてもいい。

15:48 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

リンキン、ダンスマニア、モーニング娘。が並ぶブログってそうそうないと思うんだけど

あっぱれ回転ずし!
/ むてん娘。(モーニング娘。)

モーニング娘。-あっぱれ回転寿司
まだまだブサイクになれる
 現在のアイドル代表AKB48が目まぐるしい活躍を見せる中、ここ最近たまにテレビをつけると、缶コーヒーのCMでモーニング娘。OGが集結した「アフタヌーン娘。」なるグループが起用されていたり、農家の娘たちがネットを介して「農ing娘。」なるものを結成した、なんていうニュースを目にすることがちらほらとあって、すごくうれしかった。「モーニング娘。」をもじった名称が、まだ看板として十分に機能することができるということが、消極的に聞こえるかもしれないけどうれしかった。OGメンバーのメディア露出なんかは、どんどん安定してきていると思う。でも一番(唯一?)重要な問題はもちろん現役がどうかという話で、OGの活躍が際立てば際立つほど、現役とのギャップが深まって、モーニング娘。は過去のグループである、という印象が大きくなっていくような気もする。八月に亀井、ジュンジュン、リンリン三名の卒業発表と同時に九期メンバー・オーディション開催の発表もあったので、これまで誰にも内緒のメンバーだった僕がいよいよ公の場に姿を現すべきか、と最近ちょっと鈍い痛みの走る腰を上げようと応募フォーラムを開いてみたら、ちくしょう、年齢でひっかかっちまった(あーもーホントどうでもいい話でごめんなさい)。仕方ないし、腰痛いし、ロッキンチェアーで裁縫でも始めようかしら(あ、「ソーイング娘。」ね)、なんて思っている今日この頃です(嘘ばっかでごめんなさい)。
 十月二十七日に「無添くら寿司キャンペーンソング」として発表されたばかりの、現役モーニング娘。による新曲。前作となるシングル“青春コレクション”が、ここ数年の「孤独・葛藤・挑戦」を背景にしたような、出会うべき誰かを希求する力強いナンバーとはかけ離れていて、しかもそのやさしい安心を歌うほどの存在感を、歌っている本人たちがいまいち発揮できていないという現状も伴って、むしろ最盛期を過ぎた団地街、青春の終わり、みたいな哀しみすらこみ上げてきそうな歌だっただけに、この曲のタイトルを見たときにはいったいどうしたんだと不安になった。けど、聴いてみたらこれ、すごくいい。昔の“ここにいるぜぇ!”とか“女子かしまし物語”みたいな、年齢も個性もちぐはぐな大人数だからこそなし得たあの愉快なまでの歯並びの悪さ、現在のモーニング娘。が決して再現できなかったファンキーさが、キャンペーンソングとしての軽妙さも手伝ってか、ここで奇跡的に復活している。歌のうまさだけは絶対にどこのアイドルにも負けない実力を持っているグループなので(高橋、新垣の存在感すごい)、こうやってどんどん自由な歌が歌えてくるのはいいことだと思う。「ぐ~ぐ~」言ってた腹に寿司ひと口食わせて「GOOD! GOOD!」言わせるつんくの詞も優れてパンクだ。そうそうパンクと言えば、くら寿司はこれまでいろんな寿司ネタキャラを作ってきましたが、僕が一番すきだったのは「イクラッキー」でしたね。イクラの軍艦がベースになってる、つぶつぶイクラが飛び出た脳みそにしか見えない犬のキャラ。パンクだよね。

01:09 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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