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欠点とも言われてるけど、つんくひとりが曲を書き続けることに意味がある

プラチナ9DISC
/ モーニング娘。

モーニング娘。-プラチナ9
モーニング娘。なんて、もう飽き飽きだわ
 メンバーの加入時期を基準にしてモーニング娘。のキャリアにひとつの大きな楔を打つとしたら、決定的なのは五期だと思う。モーニング娘。とは、成長の物語だった。オーディションの落選組みから選ばれた素人同然の女の子たちが何にも持たない場所からスタートし、ひとりのプロデューサーの下で慎重かつ大胆に育て上げられていく。すべての始まりとなったテレビ番組「ASAYAN」では、毎年行われるオーディション・楽曲のパート争い・レコーディング風景・脱退など内部の様々な様子が扇情的に放送された。右肩上がりのセールスと次々と増えていくメンバーの数。モーニング娘。という存在感の巨大化そのものが、成長していくその過程とスピードがすでに、それを観る者の興奮を促す極上のエンターテインメントだった。モーニング娘。を応援するということ自体に、ファンは彼女たちの成長に自分が一役買っているという紛れもない実感を持つことができたのだ。三期の後藤加入と共に発表された名曲“LOVEマシーン”、辻加護を含む四期加入によってメンバーが明確にいびつになったからこそモーニング娘。は“恋愛レボリューション21”という革命を歌うことができた。五期とはすなわち、その後、である。そのときすでに、モーニング娘。は成長ではなく成功の約束された場所へと変わり果てていたのだ。オーディションの応募総数最多記録が五期だという事実が、それを裏付けている。そして、それだけの人数から勝ち残ってきたはずの五期最終候補者たちのオーディション合宿で講師が言っていたのは、「これまでと違ってハングリーさがない」ということだった。それがいったいどういうことを意味するのか、誰もすぐにはわからなかった。それでも、変わらないものなんてどこにもない。時計の針はわがままに進み続ける。モーニング娘。はゆっくりと、失速していった。いつの間にか、成功のその後の物語を、描けなくなっていた。
 本作は昨年発表されたモーニング娘。通算九枚目のオリジナル・アルバム。最後の四期メンバー吉澤が脱退して以来初のアルバム、つまり、五期以降のメンバーのみで構成された初めてのアルバムである。そしてその冒頭を高らかに飾った“SONGS”という楽曲は、「生きるのが下手、笑うのが下手、上手に甘えたりも出来ない」というある意味衝撃的な言葉から始まる。とても象徴的な宣言だと思う。モーニング娘。という看板を背負い続ける限り、現在のメンバーは在籍していなかった頃とでさえ比較され、その責任を問われる。過去の成功なんて、コンプレックスと紙一重だ。劣等感なんて、プライドの裏返しだ。その狭間で立ち止まっていたモーニング娘。の葛藤をぶち破ったシングル“リゾナント ブルー”が本作には収録されている。それは、メンバー全員が、「モーニング娘。」というひとつの共通した人格を背負うという約束。かつてのように、メンバーの多彩な個性でアピールする器用さや万能さなんてもう必要じゃない。生きるのなんて下手でいい。だからこそそこでは実力だけがすべてを決める。難解さを増した歌と複雑化されたリズム。誰にでも開かれた歌ではなく、自分たちにしか歌えない歌を歌う。今年発表された『10 MY ME』でそれは更なる高みに到達していたが、新しい始まりは間違いなくこのアルバムからだった。わたしたちは昔のモーニング娘。とは違う。誰かに導かれたいとは思わない。甘やかす暇があったらわたしたちについて来い、と。長年苦戦を強いられた五期筆頭であり、そしてその経験あってこそ、恐らくモーニング娘。史上最強の歌唱力とパフォーマンスを手に入れた現リーダーの高橋愛は、“リゾナント ブルー”発表を翌年に控えたときの紅白リハで、同じく赤組のAKB48に向かって「負けない」と発言した。

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マニー、マニー、マニー

Animal
/ Kes$a

Kesha-Animal.jpg
ダンスなんて欲望以外の何物でもない
 聴いていて、妙な痛々しさが常に付きまとう。数々の大胆な発言やプリンス宅に不法侵入したとかいう無茶な話を聞かされるたびに感じることは、この人の、周囲の意見を歯牙にもかけない力強さではなく、うまくやれないんだろうな、という一種の哀しさを含んだ「おかしみ」だったりする。どれだけ逞しい筋肉を見せ付けられても、それがくっついているこの人の本来の骨格は、どうしようもなくか細く、弱々しいのだ。それが透けて見える。変な誤解はされたくないのだけど、どこまでいっても女性的、と言えるかもしれない。良くも悪くもコンセプチュアルな計算高さがないからだと思う。その音楽性と破天荒な言動からレディ・ガガと比較されることの多い彼女だけど、レディ・ガガが欲望に忠実であることをひとつのコンセプトとして俯瞰している一方で、彼女の歌うことは、彼女の個人的な欲望から決して脱却できない。ガガはガガと呼ばれないときが一番ガガだっけ? 多分この人は、そこまで嘘をつくのがうまくない。真っ暗闇よりも、目に見えるスポットライトの下でこそ踊ることを選ぶ人だと思う。でもだからこそ、この人は自分を消耗せずにはいられない。その先に何も待ち受けていないことをわかっていても、眩いスポットライトの光で身を焦がさずにはいられない。そこに特別な意味なんてないのだ。ダンスには祈りも秘密も必要じゃない。ダンスとは、ただそれだけで死に近づくものだ。運命なんて知らない。使命なんてクソ喰らえ。ただひとつ、この死に場所だけは譲らない。ひとつの運命を背負った人間として生きることを放棄したこのアニマルは、そう歌ってる。チクタクと時は進み、夜は必ず明ける。目覚めたとき、時計の針が朝の時刻を指していても、この人は、今日は力ずくでも朝までパーティーよって歌う気がする。

16:46 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

孤高

Diamond Eyes
/ Deftones

deftones-Diamond Eyes
和解できる場所を求めて
 開かれた場所では近年ますます息を切らしつつあるへヴィ・ロック界に、まだこのバンドが残っているという事実がどれほど頼もしいことか。ベーシストであるチ・チェンが交通事故で昏睡状態に陥ったことにより、『EROS』と名付けられるはずだった作品の制作を中断し、代役を立てて新たに一から制作された、前作から実に四年ぶりのデフトーンズ通算六作目となる本作『ダイアモンド・アイズ』。へヴィ・ロック減退のひとつの要因として、エンターテインメントとしての肥大化、ということが挙げられるかもしれない。歌詞にFワードを散りばめ世界に中指をつき立て、爆音と共に絶叫する。世界を過激に否定することを自己肯定に置き換える。メインストリームにおけるへヴィ・ロックは、いつしかそういった体裁的な音楽に性質を変化させていったような印象がある。本当に勝ち残った連中には、美学がある。世界の過ちやしくじりと対象としての自己肯定ではなく、へヴィネスそのものの中に「正しさ」を求めたということだ。そして、デフトーンズは、そういうバンドである。傑作『ホワイト・ポニー』以降の実験的かつ難解な作風から一転し、本作では攻撃的なへヴィネスがダイレクトに響いてくる作りになっている。そこには、いま手元にあるもので、自分たちが置かれた現状を把握した上で、それでもバンドを前に進めようとしたようなポジティヴな解釈を得ることができる。塀だけが立派な城は落ちるのが早いということを、彼らは知っているのだ。デフトーンズは轟音を武装には使わない。特に気に入って繰り返し聴いているのが八曲目の“セックステープ”で、タイトルセンスはさることながら、サビの絶頂の訪れと共に静かな高まりを迎えるバンド・サウンドと、チノの官能的な「トゥナイト」の連呼が最高にセクシーなナンバー。今にも切れかかっている脆く危険な糸にいたずらに触れようとするような、ゾクゾクする緊張感をギリギリのところ保った快音は、弾けそうなことがわかっていながらも思わず身を預けたくなる。本作制作において、彼らはそのプロセスを『ホワイト・ポニー』以降の編集型から初期のようなバンドとしての生のアンサンブルを重視する方針に転換させたという。五人の男たちが黒い轟音の海を作り出しながら、波と波がぶつかり合う狭間から声を絞り出す。その圧倒的なへヴィネスの正体は、暴力よりも遥かに「祈り」に近い。誰にも真似できない、文句なしの傑作。

22:20 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

この頃の九人目のモーニング娘。に、なりたい!

LOVE マシーン
/ モーニング娘。

モーニング娘。-LOVEマシーン
辻褄なんて後から全部合わせてやる
 99年にこの歌が発表された当時のリスナーのリアクションって、実際どうだったんだろう。福田明日香は僕にとっての人生初めてのアイドルだったから、彼女が在籍していた頃は僕もそれなりにモーニング娘。の出る番組は気になって観たりしていたのだけど、この歌が発表された頃にはもう完全にダンスマニア・シリーズにのめり込んでてまたそこにE-ROTICなんて素敵な人たちがいたから全然それどころじゃなかった。めちゃくちゃ売れたことぐらい知ってる。でもそれって自然な受け入れられ方だったのかな。それとももっとこう、なんていうか、エキセントリックな感じだったのかな。それまでのシングルのイメージとかけ離れてるしどっちかっていうと後者だったんだろうけど、これがモーニング娘。の王道ってイメージの染み付いちゃってるいま現在になって振り返ってみても、いまいち実感が追いついてこない。当時のASAYANの動画なんか観てみたら、初披露のときなんてもう司会のナイナイの二人と中山エミリがケラケラ笑っちゃってキュートな笑い者って感じ。レコーディング風景の映像のときも、「メロディ気にせんで」って言いながら無茶苦茶な注文押し付けるつんく♂に「ホンマかい」「こいつアホや」の嵐。歌番組のトークでは必ずと言っていいほど意味不明な振り付けにツッコミが入る。歌ってる本人たちも最初の頃は手探りな感じが隠しきれてなくて、よく考えたらほとんどWowWowとYeahYeahしか歌ってませんしこんなダンスでいいんですか?って戸惑ってるようにも見える。でも数十に亘る当時のテレビでのパフォーマンスを観てみると、最初は自分たちでも変な歌だと思ってただろうに、回を重ねるにつれてどんどんグルーヴに拍車がかかっていったのか仕舞いには自分たちの歌ってることが間違ってるわけがないっていう、なーんの根拠もない迫力まで発散し始める。その様がかっこよすぎて、昨日、観ながら涙が止まらなかった。モーニング娘。永遠のマザーシップ・安倍なつみ、モーニング娘。が生んだ二人目の天才・後藤真希、モーニング娘。きっての実力派・矢口真里の、「LOVE マシーン」「LOVE ステーション」「LOVE ファクトリー」の黄金三角のとこなんてもうまざまざと後光が見えるよ。結果的にこの歌は発表から十年以上がたったいまもなおモーニング娘。史上最大のヒット曲としてキャリアの中心にそそり立ってるわけだけど、つんく♂、最初この歌を笑った連中にざまぁみろって思っただろうな。どんだけかっこいいと思ってんだって、得意になるしかないよなこんなの。最初からかっこつける気しかなかったんだろうな。いまどんだけ間違ってるように見えたって、未来は、行き着く場所はハッピーエンドしか許さないって、ほとんど意味なんてないはずのWowWowとYeahYeahがそういう揺ぎないステートメントになってる。予断だけど、実はこの歌、つんく♂がシャ乱Q時代にすでに書き上げていた歌で、その当時は「まんじゅう娘がWowWowWowWow」って内容だったらしい。ホント、心から踏み止まってくれてよかった。

07:32 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

バカにしたら許さないんだから

青春コレクション
/ モーニング娘。

モーニング娘。-青春コレクション
モーニング娘。とわたし
 わざわざここで言うことでもないが、AKB48がすごい。先月発表された新曲“ポニーテールとシュシュ”が初動だけで50万枚以上を売り上げ余裕の一位を獲得、CDショップを覗いてみれば必ずと言っていいほど特設ブースが設置され、いまも売れ続けている。女性グループによる初動での50万枚越えはモーニング娘。の“恋愛レボリューション21”以来約十年ぶりの快挙とのことだが、その数字にどれくらい所謂「AKB商法」と呼ばれる賛否両論のセールス法(総選挙の投票用紙や握手券の同封)が影響しているのかはわからないが、個人的な感情は抜きにして、CDが売れないこの時代に50万枚という実績は賞賛に値するものだと思う。AKB48の強みはその距離の近さだ。AKB48劇場では毎日のように研究生による公演が開かれ、ファンは総選挙への投票という形で直接的にメンバーを応援することができる。アイドルはもはや遠くから眺める「あの子」ではない。決して出会えない存在ではないのだ。あらゆるアイディアやツールはやはり人と人とを繋ぐためにこそ生み出される。
 一方で、メディアへの目立った露出もなく、いつの間にか敗戦処理のように呼ばれてしまっている観が否めない現在のモーニング娘。がいる。今週発売されたばかりの彼女たちの新曲がこの“青春コレクション”。穏やかな風の中にナチュラルな緑色を含んだような爽やかなナンバーで、友情や家族といったキーワードも登場する非常にアイドルらしい真っ当な青春ソングなのだが、実はモーニング娘。がシングル楽曲でこういったテーマを扱うのは、かなり久しぶりのことだったりする。08年の“リゾナントブルー”以降に発表された彼女たちのシングルは、“泣いちゃうかも”“しょうがない 夢追い人”“なんちゃって恋愛”など一般レベルではあまり知られていないが実は隠れた名曲揃いで、そこで歌われてきたことはむしろ本物の恋愛や青春を過ごし損ねてきた女の子の物語だった。そしてそのヴィジョンにまったくブレがなかったからこそ、ここ最近のモーニング娘。は、かつての大人数でワイワイガヤガヤの合唱ではなく、孤独を自虐的に歌う「モーニング娘。」というひとりの女の子としての人格を形成させつつあった。モーニング娘。とは、ある意味でかつての一大ブームという巨大なトラウマを抱えたグループである。絶頂の終焉後から、現在のモーニング娘。は始まっているのだ。昔のような国民的な人気はもうない。テレビで目にすることだって道重さゆみ以外にはほとんどない。それでも九人(久住小春が卒業してからは八人。三年間、これ以外のメンバー・チェンジはまったく行われていない)の女の子が集まって懸命にひとつの孤独を歌い踊る姿は、アイドルと呼んで甘やかすにはもったいないくらい凄みがあって、かっこよかった。そこには、もう一度誰かと出会うことができるんじゃないかという切実な希望が確かにあった。歌とは、そういうものである。情報も戦略も凌駕して聴き手にとっての「わたし」に近づける歌がある。“青春コレクション”。小学校の先生なんかは喜びそうな歌だが、いまのモーニング娘。にそんな好感がいったいどれほど必要だろうかとつんく♂に問いたい。

13:03 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

いい朝

Conditions
/ The Temper Trap

the temper-trap conditions
君に額縁はいらない
 オーストラリアはメルボルン出身の四人組が昨年リリースしたデビュー・アルバム。軽く聴いてみての印象としては、とにかく絵を描こうとしたキャンパスがでかい。でもそれは、オーストラリア出身のバンドによく見られる大陸的なスケール感とは少し違っている。雄大な景色のど真ん中に立って歌うのではなく、自分がいま立っているまさにこの場所が、こんなにも広がりを持った地層であるということを改めて思い知らされるような、慧眼にも似た思いだ。深海から燃え上がるような、落ち着き払いながらも熱い演奏。ときに性別の区別すらわからなくなりそうになるダギーの神秘的なボーカル。一作目にも関わらず誤解されることをまったく恐れていない抽象的なアートワークの中で、ジャケットを飾ったこの少女の目だけが物語を語る。決して饒舌にならずとも、立ち上がる思いがある。語られるべき思いとは、いつだってそれそのものが特別な光を放つものである。一度聴いただけでテンパー・トラップの音楽の全体像を把握することは難しいかもしれない。それは決して大きな物差しを使ったところで計り知ることのできる絵ではないからだ。静かに、ゆっくりと身を馴染ませていけばわかる。喪失と救済、戦いと癒し、個人と宇宙――テンパー・トラップはなめらかに世界を紐解いていく。それはひとつの状態(=condition)でしかない、と。時は何も語らない。沈黙した未来にサバイブし続ける姿勢は絶対に間違ってはいない。物語を語るのはいつだってあなたでしかないのだから、と。


09:36 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

小田和正は「言葉にできない」思いのすべてを「ラララ」に託した

My Worlds
/ Justin Bieber

Justin Bieber-My Worlds
君から聞けば、すべての言葉は風になる
 ポップ・ミュージックとはまったく新しい言語を求めた音楽である。ビートルズが“ラヴ・ミー・ドゥ”を歌ったときから、それはそうだった。誰かもが教育を受けたありきたりな言葉を使いながら、そこに誰もが未知のメロディを添える。そのメロディが流れ始めるとき、「ラヴ・ミー・ドゥ」という言葉は「僕を愛しておくれよ」という誰もが知る単なる和訳としての意味を失う。そのメロディが流れる二分間のみ有効な、特別な意味を持ち始める。そこには、「ラヴ・ミー・ドゥ」のまったく新しい息遣いがある。特定の誰かから特定の誰かへという密室で交わされる言葉。そこでは、辞書で調べられるような言葉本来の意味はなにひとつ機能しない。ポップ・ミュージックは言葉を無効にする。どんな言葉も追いつけない思いがある。だからあえて、世界中のあらゆる言葉から意味を剥奪しよう。口ずさむ音はラララでもナナナでもWowWowでもンーバッ!でも何でもいい。世界中の誰もがその意味を理解できなくても、僕と君にだけはわかる。世界はここに、干渉できない。ここはミドル・オブ・ノーウェア。どこでもない場所。
 アッシャーの寵愛を受け見事デビューを勝ち取った、この若干十六歳の少年。CD二枚分の内容を一枚にパッケージした非常にゴージャスな内容の作品で、数多くの大物スタッフやゲストが一曲一曲のバックをがっちり固めている。その錚々たるや、こんなもん売れなきゃおかしいだろって気分。事実本作は、発表以前に収録曲のうち四曲がチャート上位にランクインを果たしているという実績を持ったアルバムで、どれもあくまで素朴なポップ・ソングだが、まだ声変わりしてねーんじゃねーかと思うようなあどけなくも甘い歌声とメロディのキャッチーさは秀逸。特に異彩を放っているのが現時点で彼の最大のインターナショナル・ヒット曲になっている“ベイビー”で、まだ酒も飲めない子どもが夜の郊外で精一杯「ベイベベイベ」連呼する、別になんでもない曲なのだが、これが不思議とクセになる。どんな陳腐な内容でも、完璧なメロディが響けば話は変わる。それは誰もが口ずさんだことのない抑揚と息遣いの新言語。全然馴染みなんかない、ともすればただ寒いだけの「ベイビー」なんて言葉を、もっともっと囁いて欲しくなる。完璧なポップ・ミュージック。それをこの子どもは余裕で歌う。

23:09 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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