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フィール・グッド

Plastic Beach
/ Gorillaz

Gorillaz-Plastic Beach
音楽はもっとファンタジックであるべきである
 先日、話題の『アリス・イン・ワンダーランド』を3Dで観た。結構楽しみにしてたのだけど、ワンダーランドが全然不思議に感じられなくて、相当時間寝た。実写であり、CGであり、3Dであるということ。映画という平面のスクリーンで繰り広げられる物語に、いまできる最大限の立体感を再現してみせる試みだが、ワンダーランドを現実に細かく再現しようとすればするほど、魅力的な不思議さが薄れていくような印象を受けた。全部普通に受け入れられちゃうんだよな。体がちっちゃくなったりおっきくなったりとか、胴体の消える猫とか、全然不思議じゃないんだ。ファンタジーはもうフィクションの世界の出来事じゃない。現実世界で、簡単にできちゃうんだよ。もうそこまで来てるんだ。映画の中っていうあくまで虚構であり続ける世界が現実世界と拮抗する強度を持ち得てしまう。抽象的だったものが、どんどん具体的に暴かれていく。前にも似たように感じた映画があったなと思って、それが実写版の『ピーター・パン』。どこにあるかわかんないはずのネバーランドがね、海に浮かぶ島として普通に俯瞰画面で出てくんの。「ここだよ」って。それまで見えなくって手に入れられなくってもどかしかったはずのものを、いきなりあっさりと見せつけられてしまうと、たちどころに興味を失うことがある。そりゃあ愛と友情が社会に溢れていればみんな幸せさ。でも、だからって実際に「友愛社会」ってそのまんまな言葉で掲げられて、冷めなかった人なんていないでしょ? それはつまり、「ここ」って明らかに地図で示された場所以外はすべて、ネバーランドじゃないってことになってしまうからだよ。ネバーランドなんて、どこにあったっていいはずなのにさ。
 カートゥーン・バンドとして音楽史上唯一のワールドワイド・サクセスを手に入れたゴリラズ。その実態がデーモン・アルバーンとジェイミー・ヒューレットであることはすでに周知の事実だが、明らかに後付としか思えない嘘っぱちだらけの壮大(?)なストーリーまで用意して、「地球上で最も見放された場所」とかいうこのプラスチック・ビーチを面白おかしく捏造してる。現実世界を凌駕する仮想世界とかテクノロジーとか環境問題とかもうどうでもいい。このアルバムを聴けば、ゴリラズにしてもブラーにしても、幾多のサイド・プロジェクトにしても、デーモンがなぜ「ポップであること」に執拗に拘るのかがよくわかる。デーモンは音楽と戯れたがってる。それそのものは視覚できなくても、そこにはすでにメロディという立体的な世界があるからだ。

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00:07 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

平面から立ち上がる想像力は、3Dよりも圧倒的に立体的だってことだよ

リゾナント ブルー
/ モーニング娘。

モーニング娘。-リゾナントブルー
これがスタンダード
 08年発表の通算36枚目のシングル。セールスや知名度の点では決して目立つ立ち居地の歌ではないが、吉澤ひとみと藤本美貴を最後にグループの「顔」になれるでかい存在感が消えた以降の、つまりは久住小春卒業までの過程を含めた現メンバーによるモーニング娘。のキャリア運びを語る上で、ひとつの決定打になった歌だと思う。僕はリアルタイムでは聴いていなかったので、いまになって全シングルを総括しての感想になってしまうのが申し訳ないのですが、この歌の語る意味が、「これだけの歌をやってもかつての人気は取り戻せない」という矮小な結果しか打ち出せていないところが一番悔しい。聴き手が追いつけていないとしか思えない。アイドル・ポップというのは、言ってみれば無我の極みの音楽である。自分自身にどれだけ無責任になれるか、こんなところに自我の居場所を与えなくていい、その一点にどこまで思い切れるかですべてが決まる。迷いや遠慮は一発で見抜かれる。アイドルは神様でなきゃいけない。その信仰には、何の担保も必要ではないのだ。人ひとりの命を救った功績すら未だ持たない神様に、それでも人は手を合わせて拝み倒す。アイドルとは、そういうものである。何の見返りもできないくせに、無心に愛されなければいけない。実は何にもできないその笑顔の嘘で会場中を騙しつくすアイドルの愛嬌はすでに狂気だ。誰にでもできることじゃない。そこの部分でどうしようもなく表れてしまう躊躇こそが、本当の人間味というやつだからだ。そしていまのモーニング娘。は、あまりに正気すぎる。タバコの一本や二本や何本かくらい、吸ってやればいいのだ。いまのモーニング娘。にかつてのスペクタクルな混乱は描けない。プロデューサーのつんく♂が誰よりもそこに意識的だった。高橋愛と田中れいなのふたりにメインパートを任せ、ひとつひとつの粒を際立たせることよりも全体としての、「モーニング娘。」というひとりの女の子としての自我の発露にすべての焦点を定める。07年の“笑顔YESヌード”以降から始まりつつあったそんな模索が初めて結晶化したのがこの歌。このシングルの二種類ある初回盤のひとつに、メンバーがレッスン着にスニーカー姿で踊るレッスン・スタジオ・バージョンのビデオが収録されている。一切の派手な装飾を排除したスタジオで踊るモーニング娘。がここで、いまの自分たちが正気だからこそできる構築的に完成度の高い、最高のパフォーマンスをしている。そしてそのダンスのレベルも、昔のティーン誌で誰もが踊れるように振り付けが掲載されていたようなものとは、明らかに一線を画している。歌はかつてのLOVEやピ~ス!といった万人の納得できる模範解答を積極的に拒絶するような個人性の強い内容。この歌から現在までに発表された、カバー曲の“ペッパー警部”を除くすべてのシングルでこの方法論が踏襲されている。だからこそいまのモーニング娘。が歌う「恋愛」は、「レボリューション21」から「なんちゃって」という意識を伴った孤独と自虐へとたちまち変貌する。虹みたいに明らかなカラフルなんて描けなくていい。青というそのたった一色の中に、すでに鮮やかな彩りは用意されている。いまのモーニング娘。はもうそれを知っている。知らないのは、あなただけだ。

09:59 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

一枚で終わって欲しくない

Sadistic Dance
/ Hangry & Angry

Hungry Angry-Sadistic Dance
ふたりに過去などない
 マイスペで話題になっていた当初は覆面ユニットとして表面下で動いていたらしいのだけど、顔よく見たらわかるし、本人たちの映像見たら仮面代わりのメイクとか衣装とか関係なしに素で喋ってるし、本作の最後では“ザ☆ピ~ス!”のデスメタル・バージョンみたいな無茶なことまでやっちゃってるし、気持ちいいくらい謎がない。というわけで、元モーニング娘。のふたり、吉澤ひとみと石川梨華による、ゴス系ファッション・デザイナーとのコラボで完成した、いわゆるビジュアル系ユニット。このふたりがいた頃のモーニング娘。の武器はひとりひとりのキャラの強さだったと思う。ボーイスタイルの吉澤ひとみとぶりぶりアイドルのチャーミー石川(よかった、言ってみて、まだ恥ずかしさが残ってる)。そのふたりの両極端なキャラに過剰なドライブをかけまくってパンク&ゴスロリに仕上げたという印象。でもふたりとも、当時のモーニング娘。の中では実はかなり真面目な方のメンバーだったと思うのだけど、そんなせいか全然キャラになりきれていなくて(そこがかえっておちゃめだったりもするけど)、制作側も集中力が足らず、ダークな装いにも関わらずかなり明るく健全な歌も紛れていて、歌詞にはうかつな言葉選びが目立つ。そこにさえ目を瞑れば、意外にも、かなりの快作ということになる気がする。メロディやサウンドに関しては非の打ち所がない。音圧も高く、ロック的なアプローチと強引なエレクトロ・ビートの働きで音がダイレクトに響いてくる。特に、ともすれば耳に障りかねない石川梨華の甲高い声はずば抜けて立ち上がりが早く、叫びにも似た切実な求心力を歌にもたらしている。踊る、という行為は、どんな状況下にあったとしても唐突なものだ。だからそこには、生活の呼吸を混乱させるくらいの元気なエネルギーが必要となってくる。でも例えば、レディ・ガガがそうであるように、倦怠と憂鬱で、ダンスに必要不可欠な要素を上回ってしまうダンス・ミュージックというものも確かに存在していて、そういう意味でこのアルバムは、モーニング娘。の賑やかな作品とは果てしなく遠い正反対に位置している。必殺チューンの“Top Secret”を筆頭に、禁じられた愛とかお互いを甘やかし許し合う共犯関係みたいな危ういコミュニケーションを主題にした歌が随所にあるのだけど、(たとえそれが装いでしかなかったとしても)頭が痺れそうになるくらい利いた。かつてのアイドルの成れの果てと笑いたければ笑えばいいさ。少なくとも僕には、ところどころでしかないが、「うわっ、t.A.T.u.だ」とあの頃の戦慄を思い起こさせる瞬間の用意されたこれまでで唯一のポップ・アルバムだった。

05:56 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

夜は、寝るにはもったいなさすぎる

Barbie Girl
/ Aqua

Aqua-Barbie Girl
偏愛
 終盤に向かうにつれて、なんだか夜が明けてしまうみたいで、どんどん切なくなる。最後にまた、お疲れさんと言わんばかりのセリフが入っているから一層。口の中で大切になめてたアメちゃんがなくなってっちゃうみたい……まあ僕はあんまりデリケートではないので、ガリガリ噛んで食べる人ですけど。タイトルにもあるとおり、イメージはあくまでバービー人形ということになっていて、PVもなんだか嘘みたいなカリフォルニア風の空、元気なオープン・カーに乗って、ついでにリカちゃんのステキなママまで出てきちゃいそうなキュートな色使い……でも僕のこの歌のイメージは夜。明けない夜。ふたりだけで秘密を共有するようなゾクゾクする歌詞。特定の誰かに向けられているとしか思えないエロティックなメロディ。リーナのロリータ・ボーカルとレネーのおっさん声は、歌の中で実際に危うい出会いを再現している。最近では滅多に出会わないけど、まだすべてのメロディが出尽くしたと言われていなかった90年代には、こういう禁断のポップ・ソングが結構頻繁に生まれていた(余談だけど、00年代初頭にはジェニー・ロムっていうユニットが職人レベルのクオリティでアクアの手法をユーロ・ビート風に再現していて、それはかなり魅力的だった。“www.BLONDE GIRL”とか、いまでも忘れられない名曲中の名曲。知らない人がいたらぜひ聴いて欲しい。“ハンキー・パンキー”、“ロビン・ロビン・フッド”……懐かしいなぁ!)。ポップ・ソングにはざっくり分けて二種類ある。みんなが聴けて、みんなが歌えて、そしてそれを前提として、みんなに向けられた歌。これは何のねじれもない健全なポップ・ソング(ジェニー・ロムは正確にはこっち。職人肌過ぎて、個人的な事情の歌じゃないから)。やっかいなのは、みんなが聴けて、みんなが歌えるにも関わらず、必ずしもみんなに向けられた歌ではないという方。近々公開される、ティム・バートンとジョニー・デップのタッグで話題の『アリス・イン・ワンダーランド』の原作だって、立派なおっさんの作者が、親戚の子だか友人の子だかとにかく実在する「アリス」って名前の女の子に異様な愛情を抱いたところから創作のモチベーションは始まっていて、ああ見えてかなり個人的な劣情めいたものを感じさせる話だったりする。ソレンが何を考えてこんな歌を書いちゃったのかまでは知らないけど、久しぶりに聴いてみても、同じような匂いがプンプン漂ってくるよ。愛しくてたまらない女の子と、想像の世界の中でまで出会おうとした男の作る背徳のポップ・ソング。アメちゃんは溶けるようになくなっちゃうし、明けないはずの夜でさえいつかは明けちゃうけど、ボタンひとつで何回でも聴けるから音楽はやっかいだよね。気付いたら朝だし。

06:29 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

もうLOVEマシーンはいらない

10 MY ME
/ モーニング娘。

モーニング娘。-10 my me
未来は、もはや過去の中にはない
 今年三月に発表されたばかりのモーニング娘。通算十枚目となるオリジナル・アルバム。「ジュウ・マイ・メ」ってこのタイトル・センスどうなの?とさっそく寒いが、アルバム・タイトルのセンスのなさには定評のあるモーニング娘。なので、そこは愛嬌。本作に関するオフィシャルなコメンタリーを読んで一番印象的だったのは、本作が、これまでのモーニング娘。とは違う、明らかな新機軸を打ち出そうとしたアルバムだということを、やけに強調していたところだ。モーニング娘。は、基本的にはうるさいガールズ・グループだと思う(いっぱいいるのに静かで暗い連中なんていないだろうし、いてもイヤだけど)。Wow×4でHo~ほら行こうぜで乾杯BABY!ないわゆる「全盛期」と呼ばれた頃は特にそうで、テレビに出てもひとりひとりのキャラクターは明白、いい具合にとっちらかっていて、その姿は観る者に「モーニング娘。」のイメージを鮮やかに記憶させた。近年のモーニング娘。には、もうそのころの魅力はない。和気藹々としていて楽しげなのはわかるが、いびつな破綻がないのだ。破綻とは、それそのものがすでにひとつの刺激的な魅力である。綺麗にまとまっているだけでは、やはり退屈なのだ。OGメンバーと一緒にテレビ出演をしては露骨に「勝てていない」と指摘される現役モーニング娘。は、まさにその退屈なエンターテインメントのど真ん中にいる。そして、そこでこのアルバムである。かなり意識的なレベルで、「あの頃」のモーニング娘。の物語とはまったく別の座標への転置を図った素晴らしいアルバムである。もう、「あの頃」を再現しようとすらしていないのだ。面白い破綻ではなく、凄まじく完成度の高い全体、とでも言おうか。退屈なまとまりも、ここまで密度が高ければそれはそのままひとつの強烈な説得力へと変わる。プロデュースの力が半端ではないのだ。アイドル・ポップが外側へと発散されるエネルギーだとしたら、このアルバムに集められた楽曲はむしろ身体の内側へと叩き込まれる高度なダンス・ミュージック。瞬発的に放射的で、でもだからこそ爆発的なうなりを感じさせたかつての「ノリ」に代わる武器としてモーニング娘。がここで手に入れたものは、ひとつの全体を形成するための集中力によってこそ生み出される堅実な「グルーヴ」。モーニング娘。のキャリアに巨大な隆盛をもたらした“LOVEマシーン”のレコーディング風景を見たことがあるのだけど、僕はそのとき初めてつんく♂は本物の天才なんだと思った。ほとんど悪ノリに近いテンションで録られた歌なのだ(もちろん本人は大真面目なんだろうけど)。無自覚に放出されるお喋りな才能が沈黙するとき、眠っていた意識を働かせ始めるとき――。モーニング娘。は、もう革命の中心にいなくていい。そこにはまた、もうひとつの未来があったのだ。

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ロマンチストは愛の語り方しか知らない

Life Is Sweet! Nice To Meet You
/ Lightspeed Champion

Lightspeed Champion-Life Is Sweet
セックスを通過した童貞
 ライトスピード・チャンピオンことデヴ・ハインズによるセカンド・アルバム。デヴ・ハインズといえばニュー・レイヴの以前史を作ったテスト・アイシクルズだが、あのバンドから前作となるソロ一作目へのサウンドの変遷には目を見張るものがあった。本作の製作期間はかなり短かったようなのだが、音楽性は前作以上に幅広く、聴き手にめくるめく音楽体験を約束してくれる。それを、おもちゃのピアノで遊ぶ子どものような軽やかさで展開する。素養があるというか、音楽をやるステージがそもそも広い人なのだ。タイトルがとてもチャーミングで個人的に大好きなのだが、もちろん額面どおりには受け取れない。“ミッドナイト・サプライズ”を歌った男なのだ、この人は。某誌のインタビューで歌詞を書くのはかなり早いと豪語していたらしく、確かに特別練り込まれた内容ではないと思うが、一貫して、前作と通じる卑屈な感性が横溢している。スウィートであるべき人生を送る資格が自分にだけはなく、人を好きになることがただそれだけで後ろめたい。だからこの人の歌う恋愛は、誰かとの出会いや別れといったコミュニケーションについてのあれこれではなく、想像でしかその誰かに触れられない世界、つまりは、致命的な不在から始まる。しかしそれは、いわゆる一般的な失恋話とは似ても似つかないものだ。もっと、もっと根深く屈折した喪失感なのだ。ここに人がいないという単純な孤独感ですらない、ただその一点の欠落故に、彼が少年期に創作した物語のヒーローだったというライトスピード・チャンピオンという人物は、人生をひどく過ごし損ねている。もしかしたら、前作から受けた個人的なイメージが強烈すぎたのかもしれない。本人はずっと肩の力を抜いて作っているのだと思う。でも“ミッドナイト・サプライズ”がこびり付いて耳から離れないよ。セックスをやり過ごしたはずなのに童貞。人を好きになったり、好きなのに繋がれなかったりすることに意味を求める必要なんてない。そんなことばかり考えている人間は、往々にして社会不適応な人間である。誰もが知っている。僕と君で、世界は回らないのだ。そしてだからこそ、ロマンチストは無知で貧相で、愚かだ。彼の両手はいつだって空っぽ。ロマンチストは戯言と紙一重のつまらない言葉しか持たない。そこから奏でられるメロディはでも、熟れすぎた果実みたいにだらしなく、甘い。

03:06 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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