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クレヨンしんちゃんの美学で聴こう

セカンド モーニング
/ モーニング娘。

 モーニング娘。-Second Morning
天才福田明日香もちゃんと歌ってる
 どうやらモーニング娘。リスナーの人たち(特にあんまりアイドル対象としては楽しんでいない感じの人たち)の中では、未だにキャリア一の傑作と名高いらしい99年発表のセカンド・アルバム。最近やけにモーニング娘。を聴いているのは、自分の中ではほとんど遊び半分みたいな意識のつもりだったのだけど、こんなの聴いたら、ちょっと本気になってしまいそうだ。まだゴマキも辻加護もいない、“LOVEマシーン”も“恋愛レボリューション21”もない、モーニング娘。狂騒時代の「前夜」とも言うべき本作発表期。なんだかタイトルは矮小で安易だし(毎回こんな感じか。どれももっと特別なアルバムだと思うのに)、ジャケットも地味で冴えない。でも初のオリコン一位となった“抱いて HOLD ON ME”を筆頭に、人気は確実に上昇していた頃で、ヒット・シングルの充実した収録曲のクオリティはかなり高い。元来、J-POPとブラック的要素の高い音楽の相性っていうのはひどく悪いと思う。根本的なリズム感が違うのだ。未だに下手したらおっととっと夏だぜなトホホ曲が生まれかねないし、安室奈美恵でさえあんなに時間がかかったのだ。でもそういう、ニューヨーク風なアーバン・ミュージックの色気を、十年以上前の、この時期のモーニング娘。が、あくまでアルバムの一部分での話だが、現代的な強度を携えたかなりレベルの高いところで再現してしまっている、というところには正直かなりの衝撃を受けた。いま聴いても、全然ダサくない。中でもシングルとしてもヒットした“Memory 青春の光”は素晴らしく、安倍なつみのボーカルと矢口真里のコーラスの立ち方には稀有な魅力を感じる。他の曲も、歌詞の陳腐さはともかく、メロディのキャッチーさは申し分ない。でも案外気にかかったのは、彼女たちがここで、エンドレス・サマーだとか、ふるさとだとか、ネヴァー・フォーゲットだとか、そういう、終わらないものについて歌っている曲が多かったということ。つんく♂がいい曲を書かないだとか、メンバーの個性が弱いだとか、テレビでもOGに頼らざるを得ないいまの現役モーニング娘。への風当たりは、結構辛いものがあると思う。でも、“しょうがない 夢追い人”とか“なんちゃって恋愛”なんかを聴いたら、あながちそうとも思えない。かつての派手さはないけど、ダンスや歌の実力では確実に現役メンバーが上回っていて、楽曲も含めて、ライブ・ユニットとしては過去最高のモーニング娘。だと僕は思う。ただ、“LOVEマシーン”を歌うに値するだけのアイドルのバカさと無責任さがないだけの話なのだ。そしてそれはゴマキがいないこの時期のモーニング娘。にもなかった。でもそこにはこのアルバムがあった。ただそれだけの話なのだ。モーニング娘。が全盛期じゃなかったことなんて実は一度もない。モーニング娘。は終わらないメタモルフォセスの物語。だからこそいつだって帰ってこられる永遠が必ず用意されている。こんなの冗談に近い極論だけど、女の子にはエコヒイキしてなんぼだ。理屈も批評もセールスも、思い入れには絶対に勝てない。そういうのがなきゃ、音楽は絶対に聴けない。

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18:51 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

8cmシングル規格!

サマーナイトタウン
/ モーニング娘。

モーニング娘。-サマーナイトタウン
「全盛期」はすでに始まっていた
 初のミリオンとなった“LOVEマシーン”以降、曲調は目に見えてきらびやかになり、数々の派生ユニットも生まれて次々と各メンバーの愛すべきキャラクターが発掘されたりなんかして、モーニング娘。の周辺は、なんだか歯並びの悪い女の子の口みたいに賑やかでチャーミングな装いを凝らし始める(もちろんいい意味でしかない)。でも結成当初、プロデューサーのつんく♂には彼女たちをアイドル・グループとして育てる心積もりは一切なかった。そもそも彼女たちが集ったオーディション自体、シャ乱Qプロデュースのロックボーカリストオーディションだったわけで、ブレイク期のイメージとはまったくかけ離れたものだった。実際、つんく♂も本格的な女性ボーカルグループにするつもりだったと語っている。それは当時の楽曲を聴いても即座に頷けるもので、特にセカンド・シングルのこの歌、“抱いてHOLD ON ME!”、そして“Memory 青春の光”のシングル三連発はいま聴いても山口百恵ばりの素晴らしいやさぐれ感がそこはかとなく漂っていて、とてもいい(福田明日香&安倍なつみの二枚看板とそれを実は背後で支えている矢口真里のコーラスはちょっと鳥肌が立つくらいすごい。あと個人的には中澤裕子のまさに「女房」な歌声が大好き)。二期メンバー三人の初参加曲でありめでたくオリコン初登場四位に食い込んだこの歌には、少なくともリスニングレベルでは、特にそれ以上の物語はない。歌われていることはありがちで陳腐(「南の島の空の鳥みたいにあなたに浮かんでみたい」などと歌わせてしまうところなんかは曲の古さを差っ引いたとしてもつんく♂のセンスを疑ってしまう)、ダンスも衣装もチープ、歌はうまいとは言えメンバーの佇まいも年少の福田明日香を除けばほとんど素人同然。でもこの時期の歌はどれも、例えば現在みたいなメンバー感の和気藹々としたほほ笑ましい雰囲気が皆無で、特にオリジナル・メンバーのいわゆる「落選組」的なプライドというか、三分半という限られた時間の中で前へ前へと自分をアピールしようとする貪欲な姿勢が歌にとても殺伐とした緊張感をもたらしていて、決して捨て鉢であったり深淵なものを持っている歌ではないにも関わらず、僕なんかは「セックスの怨念」みたいなものをついつい感じてしまって、無性にゾクゾクする。いまでこそアイドル・グループの種類も規模も大きくなってそれぞれがそれぞれにしかない個性を持っているとは思うが、未だにこの歌を歌えるグループを僕はこの時期のモーニング娘。以外に知らない。仮にも単なるアイドル・グループの売れたポップ・ソングという範疇に留まっていていい歌ではない。

10:53 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

本物

なんちゃって恋愛
/ モーニング娘。

モーニング娘。-なんちゃって恋愛
良質なポップ・ミュージックはアイドルを超える
 好きだからって何でもOKは本当の愛じゃないと思う。正しいものは正しい。間違っているものは間違っている。判断基準は明確にすべきだと思う。そこには、やっぱり絶対に譲れない何かがあるべきだと思うから。でももし、そういうめんどくさい一切の議論から解放された圧倒的な立ち居地というものがあるとすれば、それはアイドルに他ならないと思う。近年はなんだか顔立ちがよくて何か秀でた一芸があれば「~ドル」なんて言われて(江戸に詳しい「お江戸ル」とか)プラスチック・アイドルになれてしまうけれど、本当のアイドルには現実も判断基準も何もかも強引にうやむやにしてひとつの世界を創り出す意味のわからない力がある。モーニング娘。は、そういう意味で、本当に特別なアイドル・グループだったと思う。モーニング娘。がそう歌うなら、日本の未来も、みんなも社長さんも、WowWowWowWowだった。実際がどうかなんて関係ない。アイドルがそう歌うのなら、それこそが正義、それこそが真実。もちろんその背後には、時代的な流れも本人たちのキャリアの盛り上がりもあって、要するにタイミングというものはものすごく重要なんだと思う。いまのモーニング娘。には、全盛期と呼ばれた頃のメンバーはもはやひとりも残っておらず、セールスの規模もその存在感も、以前と比べると随分とこぢんまりとしていると思う。ひとりひとりのキャラも弱くて、道重さゆみなんかはすごく頑張ってるけど、はっきり言っていまはもうモーニング娘。のタイミングじゃない。テレビに出るときも最近はOGメンバーが同伴することが多くって、トークの内容も「いま」「これから」のモーニング娘。よりも「あの頃」のことについつい終始してしまう。歌にしても、昔のモーニング娘。の歌は知っていてもいまの歌は全然知んないって人がほとんどじゃないかと思う。実は僕もそうで、ちょっと最近全部聴いてみたのだけど、歌やダンスの実力は明らかに全盛期を上回っているとは思ったものの、残念なことにそれほど琴線に触れなかった。でもそんな中で、昨年の夏に発表されていたらしいこの歌だけは久しぶりに興奮した。つんく♂が最近のモーニング娘。に全盛期の頃のような歌を「歌わせていない」理由が、伝わってくるような気がしたから(ライブなんかで盛り上がるタイプの歌は意識的にカップリングに回している)。モーニング娘。はどれだけキャリアを重ねてもいろんな意味で「若い」ところがひとつの魅力だと思う。どっからだって、始められるのだ。こんだけのクオリティの歌を歌い続けることができたら、“LOVEマシーン”が本当にいらなくなっちゃうときがいつかやって来ちゃうんじゃないかと思った。アイドルにしか許されない真実を、楽曲のクオリティと本人たちの実力が奇跡的に追い越している。ここにあるのはポップ・ミュージックの真実。そしてそれもまたあらゆる議論を超越する稀有な力を持っている。

15:53 | 音楽 | comments (5) | trackbacks (0) | page top↑

中澤裕子にちょっと似てる

Deadline
Deadline-2009.jpg
正気と狂気の境目
 09年公開のアメリカ映画。『8マイル』『シン・シティ』のブリタニー・マーフィーが主演を務めたホラー映画。公開から半年近く経ったいまでも日本版のDVDが発売されていないところからして、今後も発売の予定はないのかもしれない。ブリタニー・マーフィーが演じる女性は作家。ストーカーのごとくしつこく言い寄っては暴力を振るう男から逃れ、執筆に専念することのできる静けさを求めて彼女は都会から隔絶された地方の館へと住まいを移す。古びた大きな館とは、その歴史そのものが「いわくつき」である。細々とした内容はホラー映画として非常に真っ当なものなので、ここでは触れない。幽霊以上に恐ろしい狂気は生きた人間の中にすでに宿っているというオチも(あ、言っちゃうんだ)、優れてはいるが決して真新しいものではない。この映画に突出して素晴らしい点があるとすればそれは、主人公が移り住む以前にその館で暮らしていた住人として、そして成仏できないまま館に居座り続けてしまった怨霊として、我が愛しのソーラ・バーチが出演しているというところだ。主人公が発見するビデオから明かされる館の秘められた過去。幸せだった夫婦生活、すれ違い始める関係、そして死後――を相変わらずの安定感で名演し、正気と狂気の境目(=Deadline)を明らかにしていく。本当かどうかは知らないけど、ユダヤ人ほど人種の違いについて敏感な人たちはいないという。どんな映画に出演していても、イヤでも孤立してしまう彼女の特別な存在感の根拠のいくつかは、その血によるものなのかもしれない。胸の大きい幼児体型みたいな、出来損ないのグラマラス・ボディみたいな、なんかちぐはぐな印象の体つきも、ある意味では、ソーラ・バーチがソーラ・バーチである「以前」に形付けが決定されていたものなのかもしれない。ただひとつ彼女が「以後」に手に入れたもの――どうしようもなく闇を湛えた瞳、どれだけ笑っていても満たされない、哀しみを帯びてしまうその表情は、確かにこういった緊張感を必要とした映画には、うってつけのアイテムのひとつと言える。実際、彼女の最近のフィルモグラフィを埋めるのはこういった残酷かつ陰湿な悪趣味映画ばかりだ。しかし例えば、本物の魅力としてのセックスアピールを持った人は、服を脱がずして裸になることができる。この人は、正気と狂気に境目などない、と言ってしまえる数少ない女優だ。ソーラ・バーチがあからさまな正気の世界と狂気の世界を行き来する『アナザー』なんていう映画もあったが、この人の演技しているときの顔は、そんな単純な二項対立では絶対に説明できない。外の景色を眺めているはずの瞳に内側へと広がっていく暗闇を湛えながらも、それと対面する他者にはその暗闇の深さを知ることさえできない。本当にゾクゾクする。こんなところで留まっていていい女優じゃない。

04:56 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

世界で三枚目のIt's Up To You

うれしくって抱きあうよ
/ YUKI

YUKI-うれしくって抱きあうよAL
待ち遠しい過去、懐かしい未来、抱きしめるは今
 06年の前作『WAVE』以来実に三年半振りとなる通算五作目のオリジナル・アルバム。前々から、次のアルバムはYUKIのこれまでのキャリアとは完璧に乖離した作品になると思っていた。楽曲のテイストについての話ではない。立っているステージがそもそも違う、四枚のアルバムを通じてYUKIが語り続けてきた一連の物語とはまったく別の座標に配置された物語、そういう、根本的なところから脱却したアルバムになると思っていた。このアルバムが、キャリアに明らかな楔を打ち込んだ原点回顧の歌“汽車に乗って”以降の価値観で制作されることはYUKI本人の発言からも明白だったし、実際、収録されたシングルを見てみても、そういう作品になっている。08年、“汽車に乗って”発売直後のライブ・ツアーで、YUKIは「最近、曲を作るときは、世界を創るときは、自分じゃないところで、みんなが歌えるものを作ってきた」と穏やかな口調で観客に向かって語りかけた。そして、YUKIが函館から上京するときの思いに立ち返った“汽車に乗って”という歌は、「自分じゃない」歌を歌い続けてきた自分に対する「リハビリ」の第一歩なのだと。「リハビリ」、という言葉に、痛々しさを感じなかったわけではない。でもその直後にYUKIは一転したような明るい口調で、「そろそろ戻ってみっか!」と笑いながら、まるで冗談のように宣言したのだ。そうして歌われた“汽車に乗って”には、ノスタルジックな悲しみなど微塵も漂ってはいなかった。過去に思いを巡らせながら歌うYUKIのその姿からは、ここからまた新しい何かが始まる、という未来しか感じさせなかった。やり直せない場所なんて実はどこにもない。YUKIは間違いなくあの歌でその希望についてを歌っていた。そのとき思った。次のアルバムはこれまでの物語から完璧に飛翔した、まっさらな始まりのアルバムになるに違いないと。そしていま、実際にこの最新作を聴いて思うことは、僕の予想は、半分は確かに当たっていて(悔し紛れじゃないよ)、半分は的外れだったということだ。そしてその外れた方の半分は、相当に重要な半分だったということだ。
 決して特別なアルバムではない、と思う。誤解されたくないのだけど、楽曲のクオリティに関して言えば、これは突出して特別なアルバムである。発表されたばかりという高揚感を差し引いてみても、このアルバムを一番に挙げる人は絶対に少ないわけがないと思う。アレンジひとつとってみても過去最高にバラエティに富んだ芳醇な内容、そしてもはや言うまでもなく、どの楽曲も一度再生したら聴き手の首根っこをつかんで離さない強烈なメロディを持っている。聴こうかどうか悩んでいる人のために言っておくが、そうそうお目にかかれるレベルのアルバムではない。でもそんなことは、実際に聴いてみれば誰にでもわかることだ。美辞麗句を書き並べてこのアルバムを絶賛することは容易い。だからあえて、特別なアルバムではない、と言わせてもらう。多分その方が、このブログらしいから。決してすぐ隣に特別なエピソードを携えたアルバムではない。一枚切り取ってみて特別な意味を発揮できるアルバムではない。少なくとも、それを感じさせるアルバムではない。それそのものが特別な意味を持たざるを得なかった『PRISMIC』とも、作品の内容と同時にキャリアの隆盛それ自体にも興奮を禁じ得なかった『joy』とも違う。これは、言うなれば、ただそこにあるアルバムである。ただそこにあり、そして、そうあって然るべきアルバムである。前作から本作までの長い月日の中で、YUKIはいくつも特別な出来事を体験してきたはずだ。個人的な事情は僕にはわかりようもないが、子どもだって産まれているのだ。YUKIが二年前に発した「リハビリ」という言葉の真意が、このアルバムにどの程度引き継がれていて、機能しているのかも、僕にはわからない。ただ、このアルバムには見事なまでに破綻がない。長いような短いようなライフタイムを一日の中に落とし込んだコンセプチュアルな構成にしてもそうだが、思わず立ち止まりかけてしまいそうな、物語に破綻をきたしかねない微妙な感情の入り込む隙がまったくないとでも言おうか。つまりここには、あまりにも明確な回答が予め用意されているのだ。物語を語る動機についての物語ではないのだ。数々のエピソードを並び立てるまでもなく、ここにはすでに、絶対に譲るわけにはいかなかったひとつの思いがあったのだ。そんな達観性を帯びれば帯びるほど、このアルバムは穏やかにその力強さを増していく。ここにある回答を導き出させた経緯とは、もちろんこれまでのYUKIのキャリアのすべてである。そういう意味では、このアルバムは間違いなくこれまでの四作の延長線上にある。でもそれは単なる一本の線で繋げるような関係性ではないと思う。この一作だけが、ポツンと円の外側に佇んでいるのだ。このアルバムは、YUKIのキャリアをあからさまには刷新しない。その場所それ自体に特別な意味はないのだ。ただ、外側から両腕を広げて円の内側にあるこれまでのすべてを抱きしめたとき、そのとき初めて、このアルバムは自ずと、ここにしかない特別な意味を持ち始める。
 このアルバムを埋め尽くした言葉たちは、はっきり言って、ひどく危うい。「満たされた」「救われた」をこれでもかとしつこく連呼し(初めて聴いたとき、これには本当に呆気に取られた。いまじゃもう笑いしか出てきません)、「貴方は運命の男」と断言し、「欲しいものなら手に入れたんだ」「欲しいものなどもはやないんだ」と高らかに宣言してみせる。YUKIがこれまでこんなにもどストレートに充足感を露わにしたことがあっただろうかと、それはある意味ではそこで世界を閉じてしまうことと同義ではないかと、そう首をひねらずにはいられない思い切りのよすぎる言葉が次から次へと飛び出してくる。アルバム・タイトルも、これまでの『PRISMIC』『COMMUNE』『joy』『WAVE』といった抽象的で、でもだからこそ独特な広がりを持った類のものとは一線を画していて、『うれしくって抱きあうよ』、である。それ以外に解釈の仕様が、ないのである。そして、その一点に破綻なく焦点を絞ってみせたという意味において、このアルバムは大きく破綻している。いまここにある幸せを、こんなにも大文字で幸せと認めてみせることは、決して簡単なことではないからだ。
 並々ならない思い入れを『PRISMIC』に抱えている人間の個人的すぎる見解で申し訳ないけど、YUKIのソロ・キャリアは、その出発点となった『PRISMIC』を終わらせるための旅なんだとこれまでずっと思っていた。いまも、少しそう思っているかもしれない。「もう うたえないわ」と心情を吐露しながら、歌いながらでしか歩き始めることのできなかったYUKI。『PRISMIC』という光の河を下り、次々と開けていく景色に一喜一憂しながらも歩き続ける。その河の最下流に広がる景色を確かめるために。そんなふうに思っていた。でもいまはちょっと違うふうに感じる。終わらせるための旅ではなかったのだ。終わらせないための旅だったのだ。歌い続ける決意とその切実な思いは絶対に間違ってはいないと肯定するための、抱きしめるための旅だったのだ。そしてYUKIは、ようやく辿り着いたということなんだろう。
 このアルバムでYUKIは、過去は未来のなかにあり、未来は過去の中にあり、わたしは君の中にいる、という多くのパラドキシカルな経緯を隔てながら、自分の立つ、いまここ、という在り処をゆっくりと慎重に、しかし大胆に紐解いていく。ここでYUKIが提示する回答は、ある意味では、満たされた場所にいるからこそ歌える内容だとも言える。実際、『PRISMIC』の頃だったらこんなの絶対に歌えなかっただろう。そんなことは百も承知である。でも、ためらいながら歌われる愛の歌なんかにいったい誰が耳を傾ける。ときに悲痛な現実を、力ずくで捻じ曲げてでも歌われなければいけなかった歌にこそ、僕たちは無性に心を駆り立てられる思いがするんじゃないか。そんな歌にこそ、「その先」を無性に予感してしまうんじゃないか。あなたは虹の真下にいる、と歌ったレディオヘッド。世界に境界などない、と歌ったU2。そしてYUKIも歌うのだ。あなたはいつだって愛に抱きしめられている。だったらあなたはいったい何を抱きしめるのか。そこに、すべては揃っているというのに。


09:54 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

うがった見方もしてしまう

The Smokers
The Smokers
よくある話
 00年公開のアメリカ映画。邦題は『禁断の蕾』。親元を離れ高校の女子寮で生活を送る三人の美人女子高生の甘くも危険な青春の物語。未知の体験とスリルを求めて様々な出来事に能動的に首を突っ込んでいく女の子たちの姿が生き生きと描かれている。自分には何でもできるような気になったり大人の世界に憧れたりっていうのは十代の頃に誰もが経験することで(あいにく僕にはありませんでしたが)、それをいちいち実践してくれる三人の姿には好感が持てる。でも実際にはいざ本当の危険を前にすると自分がまだ子どもでしかない事実を突きつけられて立ち止まってしまう、そんなもどかしさを主軸にした話なんだろうけど、ひとつひとつのエピソードはなんだか手っ取り早く青春っぽいテーマかき集めましたって感じで「禁断」どころか恐ろしく普遍的。この典型的なパターンを乗り越えるにはもう少し個人的すぎるくらいの特別なエピソードが必要だったかと思わざるを得ない。ストーリーが弱く、三人の女の子の可愛さに頼っているような印象が結局最後までぬぐえなくて残念だった。とは言え僕の目的は端からソーラ・バーチただひとりなわけで、思いっきりえこひいきだけど彼女だけはやっぱり別格だった。役者としての底力、立っているステージが他の出演者とはそもそも違う。破天荒な行動を繰り返しながらも完璧には狂いきれない三人と対照的な存在、二項対立的な存在として、本作でソーラ・バーチは現実社会を徹底的に見放した狂人を演じている(衣装・メイクはもうほとんどマリリン・マンソンの世界)。ただ、映画全体が生易しい中で、ソーラ・バーチのイッちゃってるオーラが本格的すぎる分、かなり浮いていて、むしろもう出ない方がよかったんじゃないかと思うくらいそこだけ作品のイメージがちぐはぐになっている。出演時間は少ないのだけど、一番存在感があるのは間違いなく彼女だった。かなり派手な見てくれで登場しているのだけど、でも彼女にはそんな過剰な演出すら実際のところは必要ない。狂気とは、外側から作り出されるものではなく内側からおのずと生産されるものだからだ。ありがちな青春の物語よりもそっちに焦点を絞ったら本当に特別な作品になった。実際、彼女が出演するそういう物語をいままで何度も見続けてきた。まぁ、作品に何を求めるかとかで変わってくるところなんだろうけどさ。

15:03 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

思わず写真撮った

デフォルメ
ソーラ・バーチ出演と噂の
日本版DVD『禁断の蕾』とアメリカ版DVD『The Smokers』。

タイトルとパッケージに騙されちまった。
パッケージ背面の写真を見て初めて知らされたよ。
これ、完全に同じ映画だってよ。
簡単なあらすじを読んでみると不良女子高生の青春と成長の話みたいなんだけど、
すなわちタバコすったりドラッグやったりっていう不良行為に走る少女たち、
で、アメリカ版の原題は『The Smokers』。
実に内容に忠実なタイトル、わかりやすくていい。

それの邦題が『禁断の蕾』って……。
意味深すぎ。思わせぶりすぎ。そそらせすぎ。
イメージ勝手にデフォルメさせすぎだって絶対。
『The Smokers』の写真、全然「禁断」っぽくなさすぎるよ……。
裏の写真見た感じでも、絶対にこんなエロティックなシーンないだろ。
マイナー映画っぽいもんな、こうでもしないと売れないんだろう。
っていうか多分こうやってもあんまし売れてないんだろうな……。
僕はどっちも中古で買ったからいいけど、
新品だったら日本版は4700円でアメリカ版は1000円程度だよ……。
海外映画のDVDは海外のサイトとかで買った方がいいかも。
なんなんだよこれ、もう日本なんて信じられなーい!
とりあえず観たらなんか感想書きます。

あ、あとついでに言うけど、
なんで東方神起の記事にあんな拍手してくれてるの?
いや嬉しいんですよ?
こんなクソブログ見てくれてるだけで嬉しいし拍手とかもっと感激だけど、
え、僕のブログ見てる人って東方神起のファンが中心?
だってYUKIの記事より多いよ?
え、なに、もっと他にあるよね? 
僕がまじめに書いた記事……。
あ、ない……? ないぃー?


02:55 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

衣装がフレッド・ダーストみたい

Monkey Trouble
トラブるモンキー
邦題、『トラブるモンキー』だって
 94年公開のアメリカ映画。愛しのソーラ・バーチ、12歳にして二作目の主演映画。子役女優デビュー前にも四十本以上のCMに出演していたというだけあって、幼いが演技に危うさはまったくなく、母親の再婚相手の連れ子である義理の弟とうまく接することのできない女の子役として、もどかしい気持ちという表現し難い感情を、見事に掌握している。演技力の高さは子役時代から定評だったみたいだけど、彼女の演技を見たら、ちょっとそこらへんの人気子役とか、一気にくすんで見える。国内版としてはVHSのみで残念ながらDVDは発売されていないようで、海外版DVDで観たからところどころ何言ってるのかまったくわからないところがあったけど(ていうか実はほとんどわかんなかった)、言ってみればファミリー・コメディ的な映画だから、展開がわかりやすく立ち止まることもなく最後まで楽しんで観られた。ソーラ・バーチ演じるいじけ気味の女の子がひょんなことから天才曲芸猿と出会い(こういう物語の「ひょんな出会い」というものは得てして予めそう運命付けられているとしか思えない、実に都合のいい「ひょん」ですが、でもだからこそいいのです)、数々のトラブルを潜り抜けながら多くのことを学んでいく、という成長の過程をキュートかつコミカルに描いた良作。悪役を演じた大御所俳優ハーヴェイ・カルテルが、まだあどけないソーラ・バーチを実に優しい立ち振る舞いでサポートしている(やっぱり本物は抑えたり溜めたりできるんですね。『レザボア・ドッグス』超かっこよかったです)。海外ではファミリー・コメディのボックスセットとして『マスク』なんかと一緒に収録されたりもしているみたいで、そう言えば本作の魅力の一部を伝えることができるでしょうか。ただひとつ気にかかったことがあって、子役時代の彼女がたまに覗かせる「大人びている」という印象を与える演技、呆れ気味に笑う、とか、溜めて泣く、とか、そういう絶妙なところが、実際に大人になったいまとまったく違ってない。だからいまそういう仕草を見て思うことは、大人の女性なのに、「幼い」ということだ。そこにものすごく、この人の屈折しているように思える「何か」を感じる。女優として成長していないという意味では絶対にない。言ってみれば、大人になったいまも、まるで本物の子どものように笑ってしまえるということだ。以前この人はたまに瞳が空っぽになると書いたことがあるのだけど、そういう彼女を見ると、「大人」と「子ども」の狭間のエア・ポケットのようなところに彼女がポツンと佇んでいるような錯覚がする。『ゴーストワールド』で共に注目を浴びたスカーレット・ヨハンソンがいまや一流女優のひとりとして認知されている一方で、最近のソーラ・バーチはグロに頼ったB級映画の主演が多い。僕が言いたいことは、例えば血のりで表情を覆い尽くすまでもなく、この人は、笑いながらでさえ孤立してしまえる、ということだ。そんな狂気を、演じてしまえるということだ。そして、時間の止まってしまった世界に佇んでいるそんな彼女の姿は、こちらの息まで思わず止まってしまうくらい、ものすごく綺麗だということだ。

00:47 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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