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やめないで兄貴

ノエルは、ストーン・ローゼズのライブを観て、
リアムのバンドに加入することを決めた。
俺の書いた曲をお前のバンドがやったら絶対に売れるって言って。
ノエルの曲ならひとりでも十分にやれた。
でも、ノエルにとってはやっぱり、バンドじゃなきゃ意味がなかったんだ。
オアシスは、そうやって始まったバンドだった。

アクモンみたいな、
ロマンなんて恥ずかしいよね、大声出すなんて浅ましいよね、
とか言いそうな連中が支配するのがロックなら、ロックンロール・バンドなら、
そんなものはくだらないと思う。

どんなに機用で賢いバンドがいたとしても、
ロックンロールの頂点には、
オアシスみたいな大バカバンドがでーん!と構えてなきゃいけない。

だって、ロックンロールは、つまるところ、ロケンロー!なんだ。


Don't Look Back In Anger
/ Oasis

oasis+dont+look+back.jpg
ロックをもっと辱めて
 言わずと知れたオアシスの名曲中の名曲。今でこそ一枚のアルバムにつき一曲はノエルがボーカルを務めるシングルが発表されているが、96年のこの曲はデビューから九枚目のシングルにして初めて発表されたノエルのボーカル曲だった。これだけの名曲である。リアムも自分に歌わせろとノエルに嘆願(恐喝?)したことを認めている。それでもノエルはこの曲だけは頑として譲らなかった。多分リアムがバカだからだろう。リアムはオアシスっていうバンドのことをよく理解してなくて、目を離したらすぐにひとりでジョン・レノンになろうとする。だから、誰よりもオアシスっていうバンド、ビートルズっていうバンドの奇跡を信じていたノエルは、バカなリアムにこの曲を歌わせるわけにはいかなかった。なぜなら、この曲にはまさにその奇跡そのものが散りばめられているからだ。この曲は、オアシスの本質である。僕たちがオアシスのライブに足を運ぶ理由である。オアシスの歌を聴きに行くんじゃない。この曲を、僕たちは歌いに行くんだ。そこには、ノエルの教えてくれた――ロックの奇跡じゃない――紛れもないバンドの奇跡があるからだ。公団住まいの負け犬だって、ひとりでは無力でも、ギターとベースとドラムとボーカルっていう多くの「声」が集まれば、世界なんて楽勝でひっくり返せる。だからノエル、あなたはこの曲を、バンドのメイン・ボーカルであるリアムにさえ譲らなかったこの曲を、ライブでは僕たちに譲ったんじゃないか。世界中の多くのファンの声を集めるために、あなたはこの曲を僕たちに歌わせたんじゃないか。こんな、大声張り上げて歌わずにはいられないメロディを書いたんじゃないか。みんなの声が集まれば、みんなででっかい声出せば、そこには必ず奇跡が起こるって教えてくれたんじゃないか。だからあなたには、ひとりじゃない、ビートルズっていう、オアシスっていう、「バンド」が大切だったんじゃないのか。オアシスがこの曲をライブでやれなくなる、僕たちがこの曲を歌えなくなる、それが、どれだけ重大な意味を持っているか、あなたはわかっているのか。リアムがムカつくならまた昔みたいにくだらない兄弟ゲンカすればいいよ。恥ずかしいバンドでいいじゃん。僕たちに恥ずかしい大声出させたのは、他でもないあなたなんだ。

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16:51 | 音楽 | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑

同一人物を正しく結ぼう!

アクモン
えっと、上の写真で一番左の人が、下の写真の一番右の人でしょう?
それで、上の左から二番目の人が、下の一番左の人でしょう?
それからそれから、上の一番右の人が、下の右から二番目の人だよね!
ってことは、最後は・・・・・・え? マジ!? マジぃー!?

Humbug
/ Arctic Monkeys

Arctic Monkeys-Humhug
アクモンならロックを成仏させちゃうかもしれない
 ロックほど自分勝手な音楽はない。理解されなかったら苦しむくせに売れても虚しいとか言う。誰にも理解されたくないから自分の歌を歌うのに、その「理解されたくない」という一点において変な共感を呼んでしまって結果的に理解されたことになって売れちゃったりしてどうしよう。ステージの一番高いところで会場中の誰よりも注目されている張本人が孤独を訴えたりする。マジで意味わかんないし。だったらどうしたいんだよ、どうして欲しいんだよ、と思うことが多々ある。めちゃくちゃ好きな女の子がいるんだけどその子と一緒になりたいとかとはちょっと違うんだよね、って言われてるみたいで、はぁ!?ってなってムカつく。要するに、わかってるつもりでも結局誰も何もわかってない。なんで自分がそんな歌を歌うのか、なんで自分がそんな歌に共感しているのか、わかりようがない。だからロックは終われない。わからないから、とりあえず歌い続けることでどうにかするしかない。あの世に逝き切らないで彷徨ってる魂って感じだ。
 正直、アクモンの売れる意味がわからない。だってこんなに愛想のない連中もいないだろう。アレックスの達観したようなボーカルも、強靭なギターのリフレインも、研ぎ澄まされたリズム感も、どこにも破綻はなくそこには確固とした美学が貫かれているけど、だからこそ可愛げがなく、見下したような感さえある。アクモンは鮮烈なデビューから徐々にその切っ先を丸めてきたような印象がある。それは楽曲にも如実に現れていて、かつての“ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン”や“ブライアンストーム”のような性急なナンバーは本作には皆無で、一見、あまりの高速さ故にこれまで僕たちの動体視力では見抜けなかったアクモンの本質がチラ見できるようになったかのように思えるが、実はそうじゃない。むしろますますわからなくなってきている。アクモンがここでこんなにもスピードを、しかもかなり意識的に落としているのは、もはや瞬間最高速を維持するまでもなく、もう誰も自分たちにはついてこられないという事実に彼ら自身が誰よりも自覚的だからだ。生まれ変わったかのように豹変した彼らのルックスを見ると思う。アクモンはすでに「理解されたくないけどわかって欲しい」みたいな女々しいロックのジレンマを完全に振り切っている。今、ロックを外側からコントロールする唯一のバンド。

23:20 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

もっと!もっともっと大きく!

世界め!
もっとバカらしくなりやがれ!
俺はこんなにも愚かに振舞ってるのに!
こんなの割に合わねぇんだよ!


Shaka Rock
/ Jet

Jet-Shaka Rock
ロックンロールの逆襲
 ジェットがデビューした03年当時に流行った「ロックンロール・リバイバル」という言葉は、そのカテゴリーの中に閉じ込められた幾多の不幸なバンドの本質的な魅力を見えなくさせるだけの矮小なタームに過ぎなかったが、オーストラリアから彗星のごとく現れたジェットの“アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール”が僕たちに思い出させたものは確かに大きかった。それはすなわち、ロックンロールとはもっとポップで、浅はかであるべきである、という、ド派手に世界中を巻き込んだ圧倒的なグルーヴ感だったわけだが、そのグローバル・サクセスからのプレッシャーやセスター兄弟の父親の死という残酷な事実と直面しながら製作されたセカンド・アルバムは、誰が聴いてもビートルズと形容せずにはいられない楽曲構成を確かなものにしながらも、当然のように重く、個人的な内容の作品となった。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけど、やはりロックはそこからだけは離れられないのだと思った。世界のために、ロックなど歌えないのだ。もしそれが本当にできるなら、世界からは戦争も差別も飢餓もとっくの昔に排除されている。でも現実は違うのだ。ロックなんて、強固な世界を1ミリすらも変えられない自分を救うためでしか歌えないのだ。ロックと世界の対立構造なんて、おもちゃの剣と本物のライフルの勝負みたいなもんだ。この五十年、果たしてロックが世界の悪事を何かひとつでも克服したことがあるだろうか。答えは、否、である。
 でも、それで良いのだ。ロックなんて、巨大な世界の前ではあまりにもちっぽけで、無力で、くだらない。それで良いのだ。心の底からそう認められた時、ロックンロールの本当のダイナミズムは爆発する。もういーから見てみろこのジャケット。燃えるトラックのボディに大文字でシャカ・ロック。一曲目からアハアハ言って腰振りまくり。ギター掻き鳴らしまくり。なんて愚かでバカバカしい。でもこれなんだ、ロックンロールっていうのは。世界は今日も悪意に満ちていて、憂鬱だ。でも、浅はかな大声上げてでも伝えなきゃいけない歌がある。それを伝えたい君がいる。そこには、すでにロックンロールの勝利があるのだ。

22:27 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ひとりの人間が生きてる世界は、地球ひとつ分よりデカイ

要するに、
密室っていう閉じられた部屋の中にあるのは
もちろん謎とか死体とかっていう非・日常なわけで、
その部屋の外側では日常的な世界が回転していないといけないわけで。
でも密室を作るっていう心理としては、ものすごく観念的な意味で、
閉じ込めたいのはむしろその外側で回転している日常的な世界なんじゃないかって話。

ひとつの閉じられた部屋が、その外側の世界を閉じ込めているっていうパラドックス。
部屋の内側に外側があって、部屋の外側に内面的な世界があるっていう。

物理的な広さが物事を分かりにくくしてる。
「広い方=外側、狭い方=内側」。
そうじゃない場合だってあり得るって言ってる。
外側だと思っていたものが実は内側で、
内側だと思っていたものが実は外側。
そういうことだってあり得るんじゃないかって、
ミステリーはたまにそういう変なこと言う。


江戸川乱歩傑作選
/ 江戸川乱歩

江戸川乱歩傑作選
密室が真に閉じ込めるものとは
 知り合いからの薦めもあって初めて手に取った乱歩作品。推理小説を好んで読むことは少ないけど、とても楽しんで読めた。何が良いって、登場人物が決まって世の中に対して何らかの諦観や沈鬱を抱えていて、自分でもよく分からない漠然とした倦怠感をそれぞれに持て余しているところが良い。退屈な日常に飽き飽きしている彼らは、自分にとってのより良い居場所を追い求めるかのように、非・日常という妖しくも魅力的な香りにことごとく誘われていく。ある者は殺人という行為に未知の快感を求め、ある者は屋根裏からの傍見にそそり立つ思いを覚え、またある者は一脚の肘掛け椅子の内側に新たなる体験を見出していく。そんな彼らの狂気はいずれも、行き詰って膠着した日常生活に端を発する、抑え難い欲望の足掻きに他ならない。彼らは日常という余りにも強固な世界を、歪んだ価値観によってなんとか突破しようと試みているのだ。それは、鍵の掛かった部屋から魔法のように脱出すべく突飛なトリックを頭の中で転がす行為と、どこか重なるものがあるのではないかと思う。
 本作に収められた九作の短編の中に、密室モノの話はほとんど登場しない。しかし、読み手を「謎」という解き明かすべき不可解さの中に閉じ込める推理小説というものは、それがたとえどんなトリックを用いたものであったとしても根本的な話、密室的な要素を含まずにはいられないものだと言うことができるかもしれない。乱歩は、そんな密室という狭い箱の中に巨大な日常の死骸を片っ端から閉じ込めては、鮮やかな脱出劇を繰り広げる。そういう意味では作者は間違いなく物語の当事者だ。だって、密室とか謎とかトリックとかミステリーとか考えながら生きるなんて、世界のルールと照らし合わせてみたら明らかに世捨て人だろ。

08:15 | | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ロックが正しかったことなんて一度もない

もうどれがメインでどれがサブとかどうでもよくなりかけだけど、
それでもやっぱりストライプスが一番特別だと思う。
やっぱりメグがいるからかな。

どんだけ間違ってても
俺はロックンロールからは逃げないって
ジャック・ホワイトは言ってる。


Horehound
/ The Dead Weather

The Dead Weather-Horehound
終わらない破壊と再生の音楽
 ロックンロールとはすなわちひたすらにリアルの手応えを求め続ける音楽だが、その基本精神はピースフルでありフリーダムでありデストロイであり、要するに矛盾しているということだ。レコード買った者だけに与えられる希望――それを僕たちは何と呼ぶのかと言えば、欺瞞である。だがロックはこの五十年、それのみを本当に果たすべき責務として機能してきた。ジャック・ホワイトが新たに結成したプロジェクトであるこのデッド・ウェザーのデビュー・アルバムの歌詞には、印象的な一節がある。「お前は俺のノドでそのレコードを作ったが、でもそのレコードは壊れてはいない」(“アイ・カット・ライク・ア・バッファロー”)。ジャック自身深い思い入れを持っている一節のようだが、ここに見て取れる彼の倒錯した思いがすべてを語っている。なぜこの男は、まるで矛盾した場所を積極的に捜し求めるかのようにして、こうも次々と新しいバンドを結成していくのか。それは、そうでなければ表現者としてリアルでいられないからだ。満たされた場所から言わなければいけないことなど生まれないからだ。矛盾した場所からでなければ、鳴らすべきノイズなど生み出せるわけがないからだ。そしてジャック・ホワイトは、そんな自分と同じく激しい矛盾を抱えた人々と共に、まるで切れ切れの矛盾と矛盾を繋ぎ合わせていくかのように、ホワイト・ストライプスとして、ラカンターズとして、そしてこのデッド・ウェザーとして、セッションを重ねていく。キルズのヴィヴィをボーカルとして迎え、これまでにない怪しい艶めきを放出しているデッド・ウェザーだが、そのバンド公式はラカンターズと同じくあくまで基本的な、オーソドックスなロックンロールのそれである。でもここには明らかに破綻した、異型のロックンロールが確かに鳴っている。

11:47 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ちゃんと騙す

『漂流教室』でも、
過去と未来に離れ離れになった親子が
一本の錆びたナイフで繋がってた。
『わたしは真悟』なんて涙なしには読めないよ。


・・・・・・やばい!
数ヵ月後には
「今日も神様の漫画読んだおwwwwwるきるき!」
とか言ってそうだ。
テラやばす!

イアラ
/ 楳図かずお

イアラ
巻き戻せないなら歪ませれば良い
 思いっきり勝手な推測でしかないけど、本作『イアラ』や『イアラ短編シリーズ』『わたしは真悟』などの作品を読むと、楳図かずおには物凄い失恋の経験があるんじゃないかって思えてくる。そこにすがって現在を停滞させちゃうくらいタチの悪い、他人から見たらバカらしいくらいの、未練の生まれ方の個人的すぎる別れが、過去にあったんじゃないかと思う。要するに、精神的に童貞なんだ。なんていうかこう、ブレイクスルーすべきものを守り続けて大人になっちゃった人みたいだ。そして、過去とは、「今、ここ」という連続する一瞬としての現在において、想像のみによって起動させられるという意味では、フィクションの世界と一寸の差すらもないと言える。だから人は後ろ向きに掃除ばかりしていてはいけないのだ。どんなに辛くても現在という時間と手を結び合える方法を見出して、折り合いをつけていかなきゃいけない。過去にばかり思いを巡らせて、そこに自分を閉じ込めてしまうといつかきっと呼吸ができなくなる。それはある意味では作り物の世界だからだ。だからきっと、楳図かずおは過去という想像の世界に閉じ込めちゃった「あの人」と出会うために、自分もニセモノの、作り物の世界に迷い込まなきゃいけなかったんだと思う。だからこの人は自分のことを妖怪と呼ぶ。楳図かずおと言えば専らホラー漫画家ってイメージだけど、実際の作品を読めばわかる。案外そうでもないんだ。この人の筆圧が異様に強くなるのは、おどろおどろしい画を描く時じゃない。引き裂かれたふたり、もう二度と出会えないはずのふたりを再会させるために、世界を強引に歪めてみせる時だ。そこにどれだけ楳図かずおの個人的な思いがなすり付けられているかなんて知らない。でもこの人は言ってる。ふたりをもう一度出会わせるためなら俺はどんな嘘だってつくって。

02:59 | | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

のりピー!

タトゥー以降の音楽界にポップ・アイコンは現れていない。
タトゥーは今のところ世界最後のポップ・アイコンなんだ。

どうでも良いけど、
「t.A.T.u.」表記より、
個人的には「タトゥー」表記の方が好きだ。

ポップっていうのは、「嘘」と「セクシャリティー」だ。
そして一番大切なのが、「バカ」だ。

Hands
/ Little Boots

Little Boots-Hands
YUKIなんて椅子の上(背もたれだよ!?)で舞っちゃうんだから
 レディ・ガガとかラ・ルーとか、女性エレポップ・シンガーたちの勢いがまさに燎原の火ってやつで、特にこのリトル・ブーツなんかは「ブー」とか結構ひどいあだ名付けられながらもマドンナの再来とか新世代のポップ・アイコンとかハイプなこと言われてる。みんなすごく良い歌を歌うし、このアルバムもめちゃキャッチーでやっぱり女の人はセンス良いなって思うけど、それでもみんなすごく惜しいと思う。M.I.A.とかMIKAですら日本では正当な評価を得られなかったくらいだし、一連の女性エレポップの中からポップ・アイコンは残念ながら生まれないと思う。このリトル・ブーツことヴィクトリア・ヘスケスって女性は元々エレクトロ・ディスコ・パンク・バンドのメンバーで、インタビューを読んでも時流の読みも冷静かつ的確で自分の立ち居地も明確に理解しているような気がする。だからこのアルバムの作風にもかなり戦略的なところがあって、こう見えてなかなかの策士だと思う。
 ポップ・アイコンって要するに謎な人なんじゃないかって思う。ニュアンスを伝えるのが難しいんだけど、なんでそんなことするのかわけわからない人、やってる本人ですらわかってなさそうな人、なんていうか、そういうエキセントリックな感じ?があるような気がする。「怒り」って大義名分があったにしてもマドンナだって処女喪失のこと思い出しながらなんで自分が十字架に火つけてるのかなんて絶対わかってなかったと思うし、タトゥーなんてもっとバカだから、パンツ見えそうなミニで自殺する五秒前みたいなスミスの歌カバーしたりサングラスかけた日本人怒らせたりした理由なんて確実に説明できないと思う。でも、そんな自分自身さえも翻弄されるまさに正体不明な謎を抱えた人間の立ち振る舞いって、それそのものがすでに過剰なまでにポップなんだ。ブーは、ポップ・アイコンにするにはちょっと頭良すぎるって思うよ。

01:12 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

リアル鬼ごっこ

確か、このアルバムを発表する一ヶ月くらい前に、
スーパーボウルでの「おっぱいポロリ事件」が勃発して、
アルバム発表当時、三ヶ所のCDショップを回るとそのうちの二店で
「新作もポロリと出しちゃいました!」みたいなポップが書かれていて、
かなり笑ったことを今も覚えている。

でも本作のブックレットのジャネットの笑顔は、
『オール・フォー・ユー』のそれに比べたら幾分に作り笑いっぽい。

もしもすべてが幻想なら、
あなたは誰の瞳に映る幻想の自分を信じますか?
ってこと。
誰の瞳に映る幻想の自分なら満足に騙されますか?
ってこと。

Damita Jo
/ Janet Jackson

Janet Jackson-Damita Jo
自分自身という幻想を追って
 ジャネット・ジャクソンのフルネームは「ジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソン」といって、本作のタイトル『ダミタ・ジョー』は彼女自身のミドルネームから取られている。彼女はここで、「TVで見かけるあの人物が素顔の私だと思う?」とリスナーに問いかけながら、世界中に知られているポップ・スターとしてのジャネット・ジャクソンとは違うひとりの女性としてのダミタ・ジョーを打ち出そうとしている。出世作『コントロール』が象徴しているように自らを律することでこそ独特のグルーヴを発揮してきた彼女だが、本作ではかつてないほどの剥き出しの言葉によって、ひとりの女性の内に渦巻く思いや欲望を赤裸々に告白している。表現者がその想像力を働かせる時、最も手に負えない素材は間違いなく「自分自身」という存在だと思う。僕たちは、いったいどれだけの根拠と確信をもって自分自身のことを理解していると言えるだろう。おそらくその人の人格を最も雄弁に語るであろう「顔」と直接対峙することのできないたったひとりの人間、それが自分だ。最も近くにいるようで、最も遠くにいるのかもしれない他者としての自分。それを対象化させる作業は、言うまでもなく困難だ。あえて極端なことを言うが、自分が何者かわからない、どこにいるのかさえわからないのなら、それは、「自分」だなんて存在はどこにもいない、という結論と果たしてどれだけの違いがあるだろう。そう、僕たちひとりひとりがそれぞれに思いを馳せる「自分」という存在は、結局のところ都合の良い幻想でしかない。本作が極めて優れたダンス・ミュージックの収められたレコードであることは認める。“R&Bジャンキー”とかはっきり言ってめちゃくちゃ好きだ。でも、例えば『ヴェルヴェット・ロープ』の頃の、去っていった「あの人」の瞳にかつて映っていた「自分」こそを強烈に信じ込もうとしていたあの頃の、聴き手を黙らせる圧倒的な何かがやはりここに欠けているのは、これが彼女ひとりによるセルフ・ヌードでしかないからだ。虚飾というベールを暴かれたり脱がされたり剥がれたりしたところに真実が宿るのではない。なぜなら、真実とはつまり、騙されても構わない嘘に他ならないからだ。

18:04 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ジャケットが、すごく良い

こんな歌だって知らなかった。
こんな歌は初めて聴いたよ。

Got 'til It's Gone
/ Janet Jackson

Janet Jackson-Got Til its gone
歌は愛だ。僕は歌を歌いたい
 『コントロール』『リズムネイション』『ジャネット』『オール・フォー・ユー』『ディシプリン』と非常に傑作の多いジャネット・ジャクソンのディスコグラフィーを遡る時に、97年作の『ヴェルヴェット・ロープ』が俎上に載せられることはまず滅多にない。でも僕は個人的にものすごく大好きな一枚で、アイドル・ポップに始まりヘヴィ・ロックを通過してUKロックに収まったかと思いきやYUKIを神格化した挙句結局どこにも行き着かなかった僕の音楽遍歴(専ら聴く方だけど)の中で今でも特別な存在感を確かに持っているアルバムで、傑作アルバムを三枚挙げろと言われたら僕は『ヴェルヴェット』を選ぶかもしれない。本作はその『ヴェルヴェット』からのシングルで、同じく『ヴェルヴェット』収録曲の“トゥゲザー・アゲイン”や“アイ・ゲット・ロンリー”や“スペシャル”のような叙情性の高い楽曲と比較すれば幾分地味な印象の楽曲かもしれない。中学生の頃、僕がまだ熱心にピアノを弾いていた頃、『ヴェルヴェット』の楽曲を一生懸命練習した時期あった。でもこの曲はなんだかつまらなかった覚えがある。ピアノを真剣に弾いたことがある人なら誰もが味わったことがあるはずの、自分がピアノの音色と一体化するような絶頂感がない。聴けば一発で分かるけど、この曲の、特にサビの部分にはほとんど「メロディ」と呼べる音の落差がない。つまり、叙情的な高揚感がないんだ。でもこうやってあらためて耳を傾けて、穏やかなさざ波みたいなこの曲に身を任せていると、ジワジワと溢れ出てくるような静かな感動に気付かされる。これは何なんだろうって考えたら、やっぱり言葉なんだって思う。「どうして手にしたものは、どこかに消え去ってから見えるようになるの?」という余りにも普遍的なこの言葉に、決して客観的になることのできない、去っていった「あの人」に対する彼女のパーソナルな祈りが込められているからだと思う。メロディ無きこの曲に「歌」を宿しているのは、そんな彼女の愛なんだと思う。

17:49 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

新作はどうなる

ミューズも「大きい声」出そうとしてる。

Origin Of Symmetry
/ Muse

Muse-Origin Of Symmetry
人間とはもっと怪物的であるべきである
 ミューズを聴く上で絶対に忘れてはならないことは、彼らのキャリアの出発点とも言える場所、つまりはデビュー・アルバム『ショウビズ』が“サンバーン”という楽曲から始まっているという事実である。太陽という正しい光によって焼き尽くされた世界――その暴かれた世界の片隅でレディオヘッドがひとり美しく消え去ろうとしていた時、ミューズはそれをショウビジネスというマスに向かって放出していたということだ。当初はレディヘのフォロアーとして語られていたミューズだが、後に両者に決定的な差異を生んだのはその圧倒的なスケールの違いである。レディヘが深みに嵌って別次元に「自分」という意識の居場所を獲得しようとする一方で、ミューズはただただ「自分」を肥大化させ世界を呑み込むことで居場所を獲得しようとしてきた。要するに単純なデカさ、ヴォリュームが違うのである。今だってレディヘが地下から音楽を発信している間、ミューズはスタジアムで爆音を鳴らしている。要するにそういうことなのだ。
 そして、実際のところ、ファースト・アルバムでは演奏側の体力が足らず、楽曲そのものが内包するスケール感を完全には再現できなかったミューズが、筋力を蓄え楽曲のデカさに追いつき始めたのがこのセカンド・アルバムだ。彼らはなぜ自らを肥大化させるのか。それは、世界が、そうでなければ生きていくことができない場所だからである。凍結した過去、失われた愛、それを守りながら生きるなら、「僕」という小宇宙が開けたその時――止まった時を維持しながら生きるなら、人はもっと狂わなければいけないからである。気付かないということが、「正気である」ということがある。だとすれば、暴かれた世界の正体に気付いてしまった人間は、どのように生きればいいのか。ミューズは次作『アブソリューション』でついに本物の怪物になる。

13:18 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

カナダの君じゃないよ

今聴いても本当に素晴らしい歌だと思う。

ホリー・コールの歌う“コーリング・ユー”は、
中学生の頃、
本当に擦り切れるくらい聴いた。
レコードだったら本当に擦り切れていたと思う。

『青春のせい』っていうアルバム・タイトルが好きなんだけど、
タイトル曲は別のアルバムに収録されてるっていう
ちょっとおかしなことになってる。

幻想の青春期に迷い込みたい君に。

Blame It On My Youth
/ Holly Cole

Holly Cole-Blame It On My youth
彼方の「君」と呼応する歌
 カナダ出身のジャズ・シンガー、ホリー・コールが92年に発表したサード・アルバムで、本国ではゴールド・ディスクを獲得している彼女の代表作のひとつ。分厚いゴムのように吸い付く弾力を持ったデヴィッド・ピルチのベース、決して大袈裟なアレンジには手を出さないアーロン・デイヴィスのピアノ、そして、自宅の居間のソファに腰を下ろして歌うようなホリーの肩の力の抜けたしなやかなボーカル。トリオの奏でる数々のスタンダードなナンバーが、特別な装飾を加えられているわけではないのに、そこに滲み出るような個性を感じさせるのは、やはり各々のすぐれた技量のなせる業なのだと思う。ジャズにはどこか特権性というか敷居の高さみたいなものを感じる人が多いと思うのだが、ホリー・コールの本作は深い味わいを求める人にはもちろん、ビギナー・リスニングにも堪える素晴らしい普遍性を持っているアルバムなので、色々な人が幅広く楽しめる一枚だと思う。
 特筆すべきはやはり映画『バグダッド・カフェ』の挿入歌として日本でも広く知られている“コーリング・ユー”。実際の映画ではジェベッタ・スティールというシンガーによるバージョンが使用されていたらしいのだが、有名なのは間違いなくこっち。素人考えで恐縮だけど、「ジャズはやっぱりバーだろ、バー」と思う。都会の一角に佇む行きずりのバーに、言い知れない思いを抱えた大人が集い、持て余した感情を酒と一緒に舌の上で転がしながら、ジャズ・バンドの生演奏に耳を傾ける。そんな勝手なイメージ。そこで歌われるのが“コーリング・ユー”だったら、シンガーは孤独だと思う。どうやら執筆当時は歌詞の意味をまったく理解していなかったようだが、小説家の乙一は自身の初期作『きみにしか聞こえない』の中でこの歌を取り上げている。でもむしろ、「君だけに聞こえない」だと僕は思う。こんなにも強く君を求める歌声が、名も知らぬ目の前の誰かには届くのに、たったひとりの君だけに届かない。でも、その切なさと狂おしさこそが、やり場ない孤独を同じように抱えた都会の大人たちを、強烈に引き寄せていく。

01:27 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

単行本出ましたー!

タマホ――――――――――――――――――――――――ム!!

ってことだな!

もちろんディープ・パープル、“バーン”で!

あの子の考えることは変
/ 本谷有希子

photo.jpg
美味しいものが好きなんだ!って一緒に叫んであげるよ
 小説家は、その他のあらゆる職業表現家に比べると圧倒的に自殺者の数が多いという。単に小説家の数が多いだけの話なのかもしれないし、そもそもの立ち居地として小説家は他よりも救いようのない場所に立っているということなのかもしれない。どちらにしろ、普通の人は、ひとつのことを伝える時に、一冊の本が作れるほどの言葉を綴らない。それほどの長い文章を作成することは普通、一生に一度もないだろう。本谷有希子はあるインタビューで「自分が切実に感じていることを書いてる」と答えていたが、例えば白石一文のような、いつ自殺してもおかしくないくらいの命懸けのメッセージを言葉に託そうとする小説家がいるなかで、本業は脚本家と言えども、彼女のような存在はやっぱり小説界に「ちゃっかり居ます」っていう感じがして、チャーミングだなぁって思って僕は大好きだ。社会情勢や世界の事象とは無関係の場所で、「自分のことだけで精一杯なんだよっ!」ってがむしゃらに生きようとする、彼女の作品に登場するそんな可愛いキャラクターたちは、やっぱり本谷有希子その人の人物像を余りに雄弁に語っている。症候群とか日田スメルとかチンコとかおっぱいとかセックスとか横ちんだけが世界のリアリティのすべて!って感じで、それだけを接点にして世界と対峙するような、無謀というか厚かましいというか、変なことばっか考えちゃってうまく生きれない女の子たちの物語。本谷有希子の作品って、最後に大声で叫ぶのが印象的なんだよな。この作品でも最後の方はとにかく喚いてる感じ。でもそれが生きてることの実感になってる。とにかく大声で叫ぶんだ。大声出して出して出しまくって、それが他の誰かよりも大きくなったら君の勝ち。本谷有希子はそれを『幸せ最高ありがとうマジで!』の中で「馬鹿の論理」って呼んでる。そう、叫ぶことだけが間違っちゃったお馬鹿な僕たちに残された最後の必殺技だー!

18:55 | | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

欲は、深く、そして、多く

自分のブログ開いたら、
一番最初に出てくる記事が『背徳小説』で、
こんなんじゃダメだ!って思ってしまったよ。

どんどん更新して『背徳小説』を後ろへ追いやるんだ。

なんとなく“テイク・マイ・タイム”聴いてたら
久しぶりに“ムーヴ・ユア・フィート”が聴きたくなって、ずっとこれ聴いてた。
“ムーヴ・ユア・フィート”、泣かすわぁ。

タラちゃんが「~ですかー?」って上目遣いで訊く時、
たいていの場合、ヤツはすでに答えを知っている。
そういうガキはムカつくよねって話。

あー僕はなんて非・生産的な人間なんだろう。
本気で落ち込みそうになるよ。

D-D-Don't Don't Stop The Beat
/ Junior Senior

Junior Senior-DDDDont Strop The Beat
名付けて『欲で腹でっかくした政治家はみんなお金持ちだなの論理』
 「子どもに見せたくないテレビ番組」的なアンケートの結果を見ると、たいてい一位は『ロンドンハーツ』で、二位か三位には『クレヨンしんちゃん』が入っている。僕はどっちも大好きだけど、周りには『クレヨンしんちゃん』観るの禁止なんていう余りに勿体ない幼少期を過ごした知り合いもたくさんいるし、映画のDVD結構持ってるよみたいな話したら「えー」ってリアクションが返ってきたりして悲しい。で、『泣けるアニメの名シーン』的なのでは上位に『フランダースの犬』のラストの昇天シーンが食い込んでいたりして、おいおい俺は全然泣けねーぜって白ける。『ロンドン・ハーツ』とか『クレヨンしんちゃん』とかが一部の大人に嫌われるのは、欲が少ないからだと思う。『クレヨンしんちゃん』観ても、子どもに不可能はないってことと、女の子には優しくしろよってことと、あと無意味なバカバカしかくらいしか伝わってこない。っていうか、それしか伝えようとしてない。それに対して『フランダースの犬』なんかは、欲張りすぎるんだよな、ちょっと。押し付けがましいんだよ。アニメに大袈裟なもの背負わせすぎなんだ。『ロンドン・ハーツ』とか『クレヨンしんちゃん』の、「テレビなんてこれで良いんだよ?」っていう潔さが、あれやられると見えなくなっちゃうんだよな。
 友愛とかエコとか平等社会とか、そういうことをどれだけ掻き集めた大演説を行ってもまったくもって説得力を発揮できないのは、そんな皮相の事実にリアルなものなんて宿らないからだ。正しいことをどれだけたくさん並べ立てても人の心を動かすことなんてできない。政治家見てたらそうじゃないか。リアルとは、説得力とは、正しいこと、ではなく、何かひとつのことに集中力のすべてを注ぎ込む、ということだからだ。戦争とか差別とかいつまでたっても終らない強固な世界に警笛を鳴らすロックは確かに正しいしデカい。でも、ただ踊ること、ただグルーヴすること、規模は確かに小さいが、そこに懸ける思いだけを牽引力にして進み続けるジュニア・シニアの音楽は、どんな真面目なロック・ソングよりもリアルだし、それこそマジに泣ける。

21:40 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

もう十年近くも前の話だ

「『いっぱい』の『い』を『お』に変えて、『おっぱお』ー」
って歌作ったことあったなぁ、って久しぶりに思い出した。

死ぬほどくだらない歌だと我ながら思ったけど、
ビースティーズの“ファイト・フォー・ユア・ライト”だって、
そんなノリで生まれたんだよなー。

ちなみに、その歌を作った当時、僕の担任だった先生に
「先生、『いっぱい』の『い』を『お』に変えたら何になると思いますか?」
って訊いたら、
「へへーん!俺は騙されへんぞ!『いっぱお』!」
って得意げに答えてた。
おい。

The Voyeur
the voyeur
世界一うまい肉はネズミの肉だって噂もあるしな
 会話なんてホント全体の120%はどうでもいいし、設定も物語もあったもんじゃないって感じの何の役にも立たない映画をバカみたいに撮り続けている映画監督が世界にどれくらいいるのかは検討もつかないけれど、そんな中でも本当に面白い映画を作っているのはクエンティン・タランティーノただひとりじゃないかと思う。ただ、とことん我が道を行く彼の映画にたったひとつ僕の個人的な苦言を呈するならそれは、「おっぱい出てこないじゃん!」という余りにも決定的なその一言に尽きる。ビッチな感じの女たちは一応登場させてるから、それでギリギリの美学を保ってるつもりなのかもしれないけれど、そんなのぬるいね。今年DVD化されたばかりのタランティーノが製作総指揮を務めた『ヘルライド』ではちゃんとおっぱいの登場するシーンがあったけれど、でもあれは一応ラリー・ビショップが監督だからカウントしない。僕はおっぱいに関してはうるさい男なんだ。
 だからだから、『背徳小説』だなんて小生意気な邦題のついているこの映画のDVDを僕が買っちゃったのは、全部タランティーノのせいなんだ。アイツがちゃんとおっぱい撮らないから悪いんだ。まぁこの映画はおっぱいよりもお尻だけども。この前はグランドピアノの話をしたけれど、世界には一目見ただけで「あーもうこれには敵わんわ」って言って思わずファイティング・ポーズを下ろしちゃう、そんな言葉では言い表し難いすっごい佇まいっていうやつが確かにあって、このお尻がまさにそれだった(写真が悪くてちゃんと伝えられないのがホントに悔しい)。内容は、まあ奥さんとのノーマルなのとかビッチな家政婦とか大学の生徒とかレズとか親の情事の覗きとか自慰とか乱交とか露出とか、『背徳小説』という名に恥じないイケナイコトのオンパレードというかビッグウェーブというかとにかくそんな感じで、やっぱ映画はこんぐらいやらんといかんぜよって感じ。何のことかは教えないけど、「牝猫の毛並みのよう」とか「鶏のとさか」とか、無理やり訳しました感満載の言葉遣いもかなりウケる。タイトルを見ればわかるけどイタリア映画で、音楽が他の国の映画にはない雰囲気を持っていて実は結構良い。あと、パッケージのきれいなお尻の女優さんのわき毛。この映画、要するにイケナイコトってのは決まって甘くて芳醇なんだよってことだけど、わき毛までそのレベルに持っていく彼女のポテンシャルの高さに脱帽です。てか何言ってるんだろう自分。おうおう。夜ってホント怖いな。

05:21 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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