スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | comment (-) | trackback (-) | page top↑

レコ大に物申ーす!

今朝大阪の方へ帰ってきました。
我が家にはリビングにしかパソコンがなくて、
そこで書くと家族に見られるのがなんだか恥ずかしいので
携帯でコソコソ書いて更新したんですけど
うまくいかなかったので書き直しています。
もう家族は寝静まったので安心してパソコンから書いてます。

レコ大、やってましたね。
僕は最後まで観てなかったけど、後で姉から結局コブクロだったと聞きました。
コブクロか……まぁ無難というかなんというか、要はおもしろくない選定だな。
決してコブクロ批判ではないです。
ただ、ファンですらそれで納得できるの!?と思う。
コブクロは07年に何を残した?
ファンでもなんでもない人間でさえ抱いてしまう
「コブクロならもっと良い曲書けるはずなのに」という悲壮感か?
コブクロが選ばれた理由はいったい何?

僕がレコ大選考委員会の一員だったら、絶対に安室奈美恵を押すけどな。
曲は“CAN'T SLEEP, CAN'T EAT, I'M SICK”で決まり。
良い曲だったし、アルバムも良かった。
あのアルバム、『PLAY』がどれだけ大きなものを背負っていたか。
誰かプロの評論家が先に書いてくれたら楽なのに。
僕みたいなちっぽけな人間が書いたって説得力もクソもない。

年末になるとメディアはレコ大だ紅白だと僕たちを煽りますが、
それでもレコ大はともかく紅白の人気の落ち具合はすごいですね。
人気低下の理由としてメディアは「NHKの古い感覚・体質」とか
「時代は変わりますからね~」とかしか言わないけど、
一番の理由はJ-POPの停滞とその他音楽の隆盛、つまり聴き手の趣向の細分化だ。
紅白のコンセプトといえば、年の終わりに家族がみんなで楽しめる音楽祭だと思う。
まぁ若い人には演歌は退屈だろうし、お年寄りは若いノリにはついていけないだろうけど
でも基本的にあのステージには「みんなが楽しめる音楽」が集まる。
それを僕たちは長年「J-POP」と呼び続けてきた。

でも、今音楽に求められているものは、
そんな紅白の基本コンセプトとは大きくかけ離れていると思う。
洋楽の物真似レベルでのロックやR&Bしかなかった時代とは訳が違う。
数年前まで、僕たちはJ-POPに頼るしかなかった。
でも、今の日本には本物のロックもR&Bもヒップ・ホップもある。
ダンスだってクラブだってエレクトロニカだって、
J-POP以外にもオモロイもんはいっぱい転がっている。
要はもう「みんなが楽しめる音楽」じゃなくても良いのだ。
それだけの十分な選択肢が今の日本の音楽シーンにはあるのだ。
だって、年間売り上げランキングの上位にマキシマム ザ ホルモンがいるなんて、
昔じゃ絶対に有り得なかったでしょ。
そういうことなんだと思う。

さて、そんな現在の音楽業界の事情を踏まえた上で安室奈美恵です。
リアルタイムで彼女を見てきた人間として、
彼女が売れるきっかけになった『夜もヒッパレ』という番組について、
少し触れなければいけません。
本当は個人的に大好きな番組だったからですけどね。

『夜もヒッパレ』といえば「見たい!聴きたい!歌い、タイ!」
というスローガンというかコピーが有名な、J-POP黄金期を支えた歌番組です。
こんな話して、若い人はついてこれるんだろうかと少し不安になっています。
とにかく、当時は結構人気のある番組だったと思う。
僕は毎週欠かさず観ていました。
週間売り上げチャートTOP10をカラオケ方式で有名人が歌っていく番組なんですけど、
カラオケだからもちろん本来その曲を歌っている歌手は出てきません。
まぁたまに本人が出てきて……ということもあったけど、それはまた別の話。

本来とは別の有名人が歌って、それを茶の間が観る。
今思えば単純だけど画期的なシステムだと思う。
だって、本来の歌手が関わらない番組なのに、それで数字が取れる。
これが意味しているのは、紅白のコンセプトを最も極端な形で示してみせたのが、
『夜もヒッパレ』という歌番組だということ。
みんなが歌えて、みんなが聴けて、みんなが楽しめる番組。
それを成立させるには当然のことながら、
みんなが歌えて、みんなが聴けて、みんなが楽しめる音楽がなくちゃいけない。
それを具体化したのがあの番組であって、
それは当時の日本の音楽の在り方さえも物語っているんだと思う。
そして、あの番組が僕という熱烈なファンを獲得しながらも終わってしまったのは、
紅白の人気低下と同様に音楽の細分化が激しくなった「今」という時代のニーズに
番組のコンセプトが応えられなくなったからだ。

安室奈美恵は、そんなJ-POP黄金期に浮かび上がってきた人だ。
『夜もヒッパレ』のレギュラーだった時期も確かあったし、
彼女の楽曲は発表すれば必ずチャート・インし、あの番組で歌われていた。
今はいったいどうなのかという話なのだ。
“CAN YOU CELEBRATE?”ではなく、“a walk in the park”でもなく、
07年に彼女が発表した楽曲を、どれだけの人が口ずさめるかという話なのだ。
みんなが気付かないところで、彼女がどれだけの変貌を遂げたかという話なのだ。

00年代に突入して以来、
彼女は小室哲哉(漢字これであってるかな…)の元を離れ、
いったんこれまでの自分の音楽を終らせた。
近年の作品を聴けばわかるが、それ以来彼女が目指してきたものは、
自分の大好きな本場のR&Bに少しでも近付くこと、
“CAN YOU CELEBRATE?”のような完全無欠のバラードではなく、
あくまで「踊れること」を優先したハード・ビートだった。
今年発表された『PLAY』はそれをついに成し遂げたアルバムだと言って良いと思う。
そこからは「私が本当にやりたいのはコレなのよ。踊り続けることなのよ」
と言い迫ってくるような凄まじい迫力と熱さがある。
楽曲は日本のR&Bの最高到達点をマークしているし、
それでいて今R&Bを聴くということが意味するもの、
自分にとってそれがどういうことなのかということを示しながら、
「次はあなたの番よ」と聴き手に約束する、とにかくすごいアルバムだ。
そんでもってめちゃくちゃカッチョ良いんだからもう文句ない。

でも、もっと深奥部にある本当に大切なことは、
J-POP黄金期のど真ん中を通過した彼女が今、本物のR&Bを完成させたということ、
そして、『PLAY』がJ-POP黄金期から現在に至るまでの、
あらゆる音楽的営みの答えとして鳴るアルバムだということだ。
「みんなが楽しめる音楽」よりも矮小化した音楽で、
再びキャリアの頂点に上り詰めたという事実なのだ。
紅白の人気が低下するのはこういう作品があるからだ。
コブクロのレコ大受賞に違和感を抱いてしまうのは、
J-POPというでっかいタームの外側で、
それ以上のものを作り上げている人たちがいるということなのだ。
もうみんなが歌えて、みんなが聴けて、みんなが楽しめる音楽じゃなくて良い。
その事実を自身の全キャリアを以って説明してみせた案室奈美恵。
シングル“CAN'T SLEEP~”はそれが最も分かりやすい1曲。
都会の刹那や痙攣までもぶち込んだ名曲です。
曲にストリート性があることだって、J-POP期にはなかったこと。
もう本当にすんばらしいと思う。
勝手に大賞を送りつけてやりたいぐらい、すんばらしいと思う。
レコ大の選考委員会、なんか文句あるか。

今年最後の更新だと思うとつい熱くなってしまいました。ずいぶん書いたな。
かなり長くなっちゃったからいまいち文脈がつかみにくくて、
言いたい気持ちがちゃんと言い切れているか、ちょっと自信がないな。
年の終わりまでグダグダと文句めいたことを書いてしまいましたが、
この、自分が感じていることと世界の在り方との落差こそが、
僕を音楽に向かわせている原動力だ。
だから、08年も言わなきゃと思ったことは絶対に言っていこうと思う。
年が明けたら洋楽の07年ベスト・アルバム50だ。頑張るぞ。
今日はもうこの辺で終らせます。
良いお年を、来年もよろしくお願いします。
スポンサーサイト
02:55 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

クリスマス

たった数日過ぎただけなのに、
「クリスマス」という言葉がものすごく季節外れな季語に聞こえて不思議です。
素敵なクリスマスを過ごすことができたでしょうか。

僕は、初めて自分のマフラーを持ちました。というかもらいました。
僕は服の関係になると一気に臆病になってしまう人間なので、
マフラーなんて今までしたことなかったし、
本当に恥ずかしい話だけど、なんというか、勇気がなかったんだと思う。
マフラーぐらいに勇気使うなよと思われるかもしれないけど、
でも本当なんです。ダメなんです。
自分に似合うマフラーを選んで買う勇気なんてありません。
服一着買うのにだって勇気を総動員させなきゃいけない。
決して大袈裟な言い方ではありません。
でも、もらったマフラー、自分でもすごい似合ってると思う。
一緒にもらった手袋も。お気に入りです。
ずっと大切にしていきます。ありがと。

クリスマスも、相変わらず二人で映画観続けてました。
6本ぐらい観たかな。
結構観た方だと思うけど、昔は2日で8本ぐらい観てた時もあったし、
あの時のペースは凄まじかったと思うけど、
でも今のほうが2人でいろいろ語り合えて良いです。
今日はこれから、何か観る?


映画クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶジャングル

映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル



ただの「子ども向け」じゃない
 僕にはもちろんまだ子どもはいないけど、将来的にもしできるとしたら、やっぱりバカには育って欲しくないと思う。勉強なんてどうだっていいのだ。ただ、何か夢中になれるものがあって、友達と仲良くやっていけて、女の子に優しくできるやつになってくれれば良い。そういう部分で頭の良い子になって欲しいと思う。間違っても暴力にあぶれて欲しくないし、親なら誰でもそう願うはずだと思う。
 我が子に頭の良い子に育って欲しいから、誰だってそう思うから、クレヨンしんちゃんを子どもに観させない家庭って実は結構多い。僕の身近にも小さい頃は観させてもらえなかった友達が何人かいる。そりゃあケツ出しまくり・美人さんの前で鼻の下伸ばしまくりのあのアニメが教育に悪影響なんじゃないかと考えちゃう気持ちはわかるけど、でも子どもはそんなにバカじゃない。しんちゃんは本当にお調子者で、どスケベで、おバカさんだけど、でもきっと「わかってる」んだと思う。人間の大切なものとか、最後まで守り抜かなきゃいけないものとか、そういうこと、ものすごくわかってるおバカさんなんだと思う。
 しんちゃんの映画は、どの作品も完全なる理想主義の世界だ。この作品でそれは「正義は必ず勝つ」というテーマの下で感動的に描かれている。「正義は必ず勝つ」というヒーロー的であることの理想形をアクション仮面に求め続け、満身創痍のアクション仮面がそれでも最後には勝つことを信じて止まないしんちゃんの姿は、なんだか、なぜだかやけに感傷的にさせる。だって、その姿は無邪気とかそんなレベルの熱さではないのだ。めちゃくちゃ大真面目な「正義は絶対最後には勝つんだぞ!」が大人を突き動かす時、僕たちは理想を抱き続けるかっこ良さと強さを知る。やっぱしんちゃん頭良いんだと思う。間抜けでかわいらしいけどひとりひとりがスーパーサイヤ人級のポテンシャルを持っている春日部防衛隊の仲間たちもてんこもりのくだらないギャグも、相変わらずな感じで良い。しんちゃん映画好きだな。子どもに進んで観させること、控えめに提案します。
22:49 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

これだから映画は止められない

20071221202428.jpg

今日は彼女がサークルで鍋をするとかで家にいないので、
一人でご飯を食べながら映画を観ています。
何度も観た映画なので、ご飯を食べてブログを更新しながらでも大丈夫。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。
この映画だけは彼女が一緒に観てくれないので、
一人だしちょうど良いやと思って観ています。
何時に帰ってくるのか分からないけど、
帰ってくるまで何度も何度も観続けようと思う。

この映画、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は誤解されやすい映画の代表作。
簡単なレヴューをたくさん読んだけど、共感できるものはひとつもなかった。
ただひたすら絶望的で救いようがない映画と取られてしまったり、
評価する人も音楽の聴き心地とか演技力みたいな表面的・形式的なことだけで、
作品の伝えたいこと、一番本質的な部分に言質が及んでいる人は誰一人いない。
我らがビョーク主演作だし、音楽だって素晴らしいし、
ミュージカルがなぜ素晴らしいのかをたったの数行で語りつくした名台詞もある。
それだけ取ってもこの映画は確かに素晴らしいけど、
でも、この映画の一番本質的な部分って何だ?

この映画は、絶望しか描いていない。
一人の人間の人生が四面楚歌の状態に追い詰められて、
地面に叩きのめされるまでを描いた作品だ。
ただ、この映画はほんの一握りだけの「何か」を残している。
描かないことで描いたというか、示唆はするが、それがいったい何なのか。
そこの部分には一切触れない。
まだ何かが残っていることだけを受け手に教え、それで終わる。
「絶望は描ききった。最後に残っている何かは自分で見つけてくれ」。
そんな風に受け手を突き放す。

一緒に観たサークルの友達には全然理解してもらえなかったけど、
これは絶望の映画じゃない。絶望を描いているけど、絶望の映画じゃない。
「でも、後ろ向きな映画じゃないよね」と言った友達もいたけど、
そんなもんじゃなくて、むしろ思い切り前向きな映画だ。
この映画は、夢と希望の映画だ。
夢と希望なんてめちゃくちゃ胡散臭く聞こえるけど、でもそうだ。

半年くらい前にこの映画のレビューを書いたときにも同じ事を言ったけど、
この映画は絶望の先を伝えようとしている。
全てが終わった後、そこにはきっと「何か」があるはず。
全てを感じ終えた後だからこそ感じられる「何か」があるはず。
そこにある「何か」がいったい何かはまったく描かない。
というか、この映画には描く必要すらなかった。
それはきっと受け手それぞれの心の中で立ち上がるはずだからだ。
暗い暗い暗い……と受け取られがちなこの作品だけど、
今改めて観てみても、この映画はその「何か」に向かってキラキラ輝いている。
出口にこそある入り口に向かって輝いている。
だから、この映画はビョークの“ニュー・ワールド”で幕を閉じる。
「終わり」だけが与えられる「新しい世界」。それを示すために。
何があるかはわからない、
でもきっと「何か」があるという未来に約束した、そんな作品だったんだと思う。
僕は、この映画が好きだ。
21:51 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

今日は何観る?

僕たちは毎週何作も映画を一緒に観て、
いろいろと語り合って仲を深めていった関係だから、
映画だけはずっと一緒に観ていきたいな。

そういうわけで昨日は『リトル・ミス・サンシャイン』という作品を観ました。
小さな女の子だけのミスコンに一家の娘が出場するまでの嵐のような騒ぎのお話。
一応コメディなのかな、これは。
大袈裟になりすぎない小ネタがいっぱい散りばめられてて面白かったな。

この映画、何が良いって、
登場人物みんなが本当に「どうしようもない」連中なところが良い。
ちびまる子ちゃん一家よりも2倍も3倍も「どうしようもない」。
どうしようもなく空気が読めなくて気を使えなくて鬱陶しい父親。
どうしようもなくニーチェを崇拝して9ヶ月間黙りっぱなしのお兄ちゃん。
どうしようもなくエッチでドラッグ・アディクトのおじいちゃん。
ゲイで自殺未遂の経験のあるどうしようもないおじさん。
一家を運ぶオンボロバスから脇役の警察官まで
みんながみんなどうしようもなくて、この徹底ぶりは本当に気持ち良いぐらい。
ひとりひとりのキャラクターがそれぞれにしかない個性を
これでもかと強調し合いながらも、
話が進むにつれて一家の世界がひとつに繋がっていくところも良い。
もちろん個性はまったく丸くなることなくね。
素敵な映画だったな。いっぱい笑った。

彼女が授業から帰ってくるまでにカレーでも作ります。
でもディスク・レヴューは忘れません。
今日は初のライブ・アルバム。

Alive 2007
/ Daft Punk

ピラミッド大作戦-スペシャル・エディション-



これこそきっと、プライム・タイム・オブ・ユア・ライフ
 「ロボッ~ト」「ヒュ~マ~ン」の2語がお互いの間隔を縮めながらスパイラル気味に上昇していく幕開けだけで一気にテンションを引っ張り上げられてしまった。なぜなら、「ロボット」と「ヒューマン」とは、ある意味ダフト・パンクの永遠のテーマだからである。彼らにとって「ロボット」とは「ダンス」であり、「ヒューマン」とは「ロック」のことだ。例の奇妙な身なりを頭に思い浮かべるだけで彼らが自身を「ロボット」と誇示していることからもわかるように、ダフト・パンクの音楽はあくまでも「ダンス」の体裁を保ち続けてきた。それが、ライブ会場の熱気や空気感、それに圧倒的な音圧が加わることで完全に「ロック」のダイナミズムを獲得してしまっているところがおもしろい。要は、ダフト・パンクの極上「ダンス」が「ロック」を見事に侵食してしまっているのだ。丸呑み状態なのだ。ここは、「ダンス」というコズミックから「ロック」の大地に降り立ったダフト・パンクというグループが音楽業界でやり遂げた、「ロボットによる地球征服」というジョークみたいな偉業がめちゃくちゃリアルに感じられる空間なんだろう。ダフト・パンクこそが正義。ダフト・パンクこそが真実。それぐらい暴力的なビートで、会場中が彼らの思惑通りに踊らされている。やっぱりこいつらタダ者じゃない。
 収録時間70分強の間、ブレイクはほとんど無しのほぼノンストップ進行。軽くK点越えの圧巻曲のみで構成されたセットには、表現云々よりもフロア/ビート重視の選曲のため“デジタル・ラブ”や“サムシング・アバウト・アス”などの部屋でのリスニング用とでも言うべきバラード曲は並んでいなくて『ディスカバリー』ファンとしてちょっと残念。でも、代表曲の“ワン・モア・タイム”がでっかい口を開いた時には、あの曲が発表された当時のニュー・ミレニアムに浮かれた空気がここにはまだ残っているみたいで、初めてこの曲を聴いた時の興奮が鮮やかに甦った。ファンは絶対に聴きましょう。ここには、あなたの「あの頃」の衝撃も新たな発見も、惜しげもなく詰まっています。
19:25 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

YUKI

20050822_9898.jpg

すべては、『PRISMIC』を終わらせるために

 ここ最近のYUKIについて語る前に、僕たちは彼女のキャリアを非常にややこしいものにしている『PRISMIC』という表現をどうにかしなければならない。これをひとまず片付けないことには、僕たちは一歩も先へは進めないのだ。端的に言うなら、『PRISMIC』とはYUKIの喜びも甘えも嘆きも絶望も全部受け入れて、バンドを解散して居場所のなくなった彼女の世界の終わりまでも受け入れて、もう一度YUKIをこの地面に甦らせようとするアルバムだった。それはもう完全に「表現しきった」作品であって、とにかくロックンロールな一枚だった。これまで“スタンドアップ!シスター”や“長い夢”など一曲単位ではそれ以上の「何か」を光らせるものも確かにあったが、アルバム単位となるとYUKIは未だに『PRISMIC』以上の表現を完成させてはいない、というのが動かしがたい事実だ。

 『commune』を端緒にして『joy』『WAVE』と、YUKIの音楽は『PRISMIC』の内に向かう力から離れて急カーブを描き始めた。それは、新たに手に入れた、空、太陽、月、雨など森羅万象を味方につけるポジティビティで『PRISMIC』を超えるための、決死の覚悟だったんだと思う。静かに波打つ情動をアコースティックに表現した“commune”、今のYUKIの入り口を開いた“joy”の二作は、『PRISMIC』で一旦崩壊した彼女の世界をもう一度組み立てるピースとして、とても良いアルバムだったと思う。ただ、そこから更にポップネスに磨きをかけようとした『WAVE』は、そればっかりが頭でっかちになってしまって本質的な進歩を示すことができなかった。ちょっと簡単すぎるけど、『PRISMIC』を軸にザッと振り返ってみたらこんな感じだと思う。

 そして07年。配信限定で発表された“ビスケット”、シングル・コレクション『five-star』の発表、それに伴うライブ・ツアー、他にもシングル“星屑サンセット”に最新曲の“ワンダーライン”の発表など、今年一年YUKIは動きまくった。そして、今年発表された三つの新曲は、文句なしに過去最高レベルに到達しつつある。『joy』以降の少女性出しまくりで半ば開き直っちゃった感のあった『WAVE』からたった一年で、普通ここまで持ってこれるか!?これはもうポップとかコマーシャルだとか、そんなレベルの話ではないのだ。ここにはなんというか、古いものが消え去って、新しいものがムクムクと頭をもたげるような、そんな何かが刷新される時のような抑えきれない喜びがある。自分の両足を支えている大地の奥のほうから突きあがってくる凄まじい高揚がある。これは多分、『PRISMIC』以降のYUKIの表現が初めて新たな地平に届きつつあるということなんだろう。ここまで根を張り続けてきた『PRISMIC』が終わって、ここからまた何かが始まるんだろう。蔦谷好位置、mugen、野間康介……こんなにも多くのクリエイティヴたちが、七色のぶっとい線の向こう側に、新たなYUKIの世界を築き上げようとしているのだ。いつになるかわからないが、次のアルバムでは何を見せてくれる?『PRISMIC』を、超えていけ。
23:25 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

It's confidential

20071209195230.jpg20071209195251.jpg
同室の受刑者にネイル・ケアなんかさせて、
やっぱりパリス・ヒルトンって刑務所の中でもセレブだったの?
エミネムって編み物が趣味だったの?
そもそもこんな激レア写真どこで手に入れたの??
という感じかもしれませんが、もちろんこれは本物じゃなくて、
アリソン・ジャクソンという女性アーティストの作品なのです。

20071209202305.jpg
これ、『Confidential(=秘密)』というタイトルの写真集。
表紙はアイロンをかけるマドンナ。
マドンナにしちゃ家庭的すぎるしこんなプライベート写真撮れるわけもなく、
ここに写っているマドンナはアリソンがスカウトしたソックリさん。
中には他にも、パンツをはいているブリトニー、
ルービック・キューブに夢中のブッシュ大統領、
嫌がる子どもに口紅を塗りたくるマイケル・ジャクソン、
パンツを覗き込みむベッカム、
はたまた犬の散歩をするエリザベス女王まで、
ソックリさんたちが見事にセレブな有名人になりきっているわけです。
中にはセクシャルなやつもあって、「キャッ」と言いながらもしっかり観ました。

まあ、それは置いといて、
この作品の面白いところは、有名人たちをとにかく徹底的に皮肉っているところ。
噂だけで実際にどうなのかわからないこと、絶対にありえないことを、
この作品は直接的すぎるヴィジュアル・イメージにしてぶつけてくる。
やっぱりそれは強烈だし、痛快だし、なにしろ笑える。
パリス・ヒルトンの刑務所内での恥ずかしすぎる写真は、
もう彼女に同情したくなるくらい。でも笑える。
ゲイとして世界一有名なエルトン・ジョンの、
花嫁姿での立ション写真は本当にひどいし、
鼻のとれちゃったマイケルも、シリコン注入中のブリトニーも、
裸の美女に囲まれたジャック・ニコルソンも、
もうこれは完全にアウトじゃない?
というスレスレのラインで痛切に皮肉っています。
そんな写真が250ページにも及ぶ気前の良さで載せられているのです。
値段は割高だけど、ボリュームあるし面白いですよ。
これからは思い切ってヴィジュアル世界にも踏み込んでみようか。

表紙には「この本の中にあるものは“本物”ではありません」
というガイドがしっかり書いてあります。
つまり、それを読み手が意識した上で観る作品です。
だからこそ気楽に笑いながら観られる。
でも、べビシャンのピート・ドハーティと彼女のケイト・モスの
ドラッグ吸引写真は実際の姿を写してるかもね。
ピートのドラッグ・アディクトぶりがうまく撮れてる1枚だと思う。
機会があれば是非一度手にとってみては。


それではCDレヴュー。
高校からの友達やらバイト先やらいろんな人から同時期に
偶然にも名前を聞いたこの人たち。

His choice of shoes is ill!
/ EGO-WRAPPIN’

20071209211315.jpg

音楽本来の魅力
 初めて“セツナイ クダラナイ ムサボルソノテ”を聴いた時は、UAを聴いた時の印象と激しくかぶった。二人とも「こいつ地面の底の方から声引っ張ってきてんなぁ」という感じで、要はそれがこの人たちの歌唱力というやつなんだろう。でも、これまたUAと繋がるダブっぽい感じを匂わせていた“セツナイ~”から一転、“アカイ ヌクモリ”はピアニカが印象的な南の方のアコースティック・ナンバーで、その切り替えの思い切りの良さがそのままこのバンドの自由度の高さなんだと思った。だけどそれも最初のうちだけで、本格的にテナー・サックスまで取り入れてジャジーな音を鳴らした“MR.RICHMAN”、アコギと歌声だけでシンプルに聴かせる“アマイ カゲ”と聴き進むうちにもうそんなことどうでも良くなってきて、“BYRD”に行き着いた頃にはこのバンドがUAなんかよりもずっと肩の力を抜いて音楽と向き合っていることがわかった。収録曲数5曲という自分たちで設けた制約の中でいかに自由に駆け回るか。インディ・レーベルからのリリースという事情もあるが、それはこの作品から『色彩のブルース』までの3作品に共通のテーマだった。特にこの時期の作品はどのアート・ワークも良い感じに悪趣味に洒落てて、なんだかユニークな連中だなと思うとすごく嬉しかった。
 僕はこういう言い方は絶対にしないけど、「おしゃれミュージック」「夜ジャズ」なんていうムード・ミュージック的なカテゴライズを頻繁にされているのにも納得の、表現の熱さよりも耳当たりの良い質感を優先した、いつもどこからでも聴こえてきて欲しくなるような、そんな5曲が収録されたミニ・アルバム。でも、“BYRD”の後半、たたみ掛けるピアノにバーン!とその他の楽器が入り込む瞬間には、それ以上の「何か」がある。本当に、エグイぐらいに高揚する。理屈を離れて美しい彼らの音楽には、音楽本来の、最も基本的な魅力が詰まっているような気がします。
21:17 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

アメリカン・イディオット

07年を振り返るために、最近は今年発表された作品を集中的に聴いています。
邦楽は1年を俯瞰できるほど聴いていないので、ひたすら洋楽です。
これは特にアメリカのロック・シーンから見えてくることだけど、
今年は「警告の年」だったんだと思う。

9.11以降、アメリカのロックは大きく変わった。
というか、ロックという常に神経を鋭くさせて
敏感に物事を感じなければならない表現をする者たちの、
アメリカに対する意識そのものが変わった。
超大国アメリカ。自由の国アメリカ。
でも、本当にそうか?
俺たちはこの国を信用して良いのか?
そんな、自分たちのアイデンティティの根底の部分に芽吹いた猜疑心。
9.11以降のロックは、それをどうにかするための行為だった。
それがそのまま21世紀というロックの価値観だった。

9.11とは、世界の特等席にのさばっていたアメリカの化けの皮を引っぺがして、
その下にあるドロドロとした赤黒いマグマを露出させる行為だったんだと思う。
そして、それを世界にさらす事を恐れた時、アメリカは妄想大国になった。
妄想に取り付かれたアメリカは自国の若者が戦地で命を落とすことにも、
罪のないイラクの人々たちの命を奪うことにも、まったく躊躇しなかった。
妄想と強迫観念に取り付かれたアメリカは、
「見えない敵」にガタガタ震える臆病者でしかなかった。
タチが悪かったのは、その臆病者が世界最高の軍事力を持っていたこと。
下降するアメリカ。
そして07年、それをどうにかするためのロックはひとつの高みを迎えた。

今年発表されたブライト・アイズの最新作は全米4位を獲得した。
モデスト・マウスなんて、なんと1位である。
僕はいつもは作品の評価と売上はあんまりリンクさせない主義だけど、
これまで局地的な盛り上がりしか見せなかったこの二組の大躍進は、
ものすごく象徴的な出来事だった。
共に音楽性はポップとしての機能をきちんと保ちながらも、
言葉の比重が圧倒的に高いため、
理解するのにそれなりの思考を聴き手に求めるタイプのバンドだ。
そんなある意味めんどうなこの二組が
アメリカの終わり、世界の終わりを歌った作品が、全米レベルで評価され始めた。
それは紛れもなくアメリカ国民の意識の変化と直結している。
ホワイト・ストライプスが揺らぎ始めた自分の足元を見つめなおすためにも、
自分のルーツを探り、「結局みんながよそ者なんだ」と叫んだのも、
根底にはまったく同じ意識がある。


もうひとつは、ロックに対する警告。音楽に対する警告だ。
データ配信の形式がもう完全に一般に浸透して、
でもそれにともなって違法ダウンロードは増える一方。
サービス向上はほったらかしで規制にばっかり目を向けるレーベル。
インターネットという新たな可能性のもとでどんどんちいさくなっていく音楽業界。

ナイン・インチ・ネイルズは今年『イヤー・ゼロ』を発表する前、
楽曲データの入ったUSBをライブ会場にわざと置き去りにしたり、
グッズに謎の暗号を残したり、
作品が耳に届く以前から聴き手とのコミュニケーションを図ろうとした。
それは退屈な音楽シーンに対する危機感以外の何物でもなかった。

そして、最も象徴的だったのが、レディオヘッドの『イン・レインボウズ』だ。
聴き手が作品の価格を自由に決められるこの作品。
“It's up to you(あなた次第)”というこの言葉に隠された
「これぐらいエキサイティングできることやってみろ」という
現在の音楽業界への挑発。
世界は間違いなくレディオヘッドに興奮した。


世界が行き詰った時、ロックには何ができるか。
07年はその答えを求めた1年だった。
そして、ロックは何かを手にしたはずだ。
それを考えながら、07年ベスト・ディスクを選んでいます。
バイトに行かなきゃいけないので、今日はこの辺で。
15:53 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

1位はアレ

エイミー・ワインハウス、アンダーワールド、ウィンドミル、サム41を聴いて、
今はベン・リー、という風に07年作品を振り返っていたら
どうにもこうにも止められなくなって、こんな時間です。もうすぐ午前5時。
いやぁ、もう楽しくて楽しくて仕方ないです。
デジタリズムとかビョークも後で聴きたいなぁ。
07年は、どんな年だ?

今年が終わるまで、もう早いもんで一ヶ月を切りました。
来年になったら、1月中に07年ベスト・ディスクをやるぞ。
ロッキング・オンがやるのを見る前に50枚選びたいので、
今年中に1位から決めて、できれば50作全部のレヴューを書きたい。
字数はいつもより少なくなるだろうけど、1月にババッと50枚書きたいです。
そのためにも今のうちから07年の総復習です。
1位はもう決まってる。絶対アレだ。

邦楽もできればやりたいなぁ。
邦楽は10枚ぐらい選べたら良いや。
それも1月にやりたい。
とりあえず洋楽50枚を目標にするぞ。

水曜日は夕方にひとつ授業があるだけだから、朝眠れる。
そういうわけで今からまだまだ聴きます。
でもちょっと気分転換にコンビニでも行ってきます。
お腹も減ったな。
これ聴いてエネルギー回復です。
新作出したばっかのこのバンド。

Tyrannosaurus Hives
/ The Hives

Tyrannosaurus Hives



最強のガレージ・ロック芸人
 僕が初めてハイヴスを目撃したのは、確かMTVか何かの音楽番組だったと思う。彼らは“ヘイト・トゥ・セイ・アイ・トールド・ユー・ソー”を歌っていた。衣装はなんだか古臭いしメンバーはみんな胡散臭いし、最初は変な芸人でも出てきたのかと思ったけど、演奏が始まった瞬間に金属バットで殴られたみたいに脳天をガツンとやられたのを覚えている。大股でズカズカと踏み込んでいくかのように自信満々でふてぶてしいリフ、ぶちぎれた疾走具合のリズムを刻む演奏隊、意味のわからんハイテンションぶりで声を裏返すボーカル。そのどれをとっても「洗練」なんて言葉はまったく当てはまらないほどにすべてが荒々しくて、でも「そうか、これがロックか」と変に感心させられたような気がする。今思えばあの時ハイヴスの鳴らしていたものこそがロックの初期衝動というやつなのかもしれない。とにかく、そこから発散されていた熱量には凄まじいものがあった。
 オリジナル・アルバムとしては4年ぶりという長期に亘るブランクを経て発表された通算3作目となる本作。一聴しただけで4年という年月を一気に埋めてくれるキラー・チューン満載の頼もしいアルバムだ。ハイヴスといえばやっぱりこの気の利いたギター・リフと2分半の疾走と半狂乱のボーカル、つまりは僕が数年前にテレビで観た「即効のロックンロール」だろう。じゃじゃ馬的なテンションを演奏とガッチリ噛み合わせて転げまわる迷いの無さには腹を抱えて笑いたくなってしまうが、これこそがハイヴス流ロックンロールの真髄なのだ。ここに人生を賭してまで伝えたい何かがあるとはとうてい思えないが、過去も未来も見ないでただ唯一の「今」に己の芸風を爆発させる気前の良さにはひたすら頭が下がります。“トゥー・タイミング・タッチ・アンド・ブロークン・ボーンズ”なんて一発KOの必殺ソングじゃなかろうか。最新作はまだ聴けていませんが、そちらは本作に更に磨きがかかった作品になっているようで、とにかく頼もしい限りです。


The Hives-Two Timing Touch And Broken Bones
04:44 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

線で繋いで

本当に、ここのところいろんなことがうまくいかないなぁ。
でも俺には話聞いてくれる友達もいるし、応援してくれる人もいるから、
絶対諦めんし負けんぞ。
もう今日から12月だ。もうすぐクリスマスだ。

そう、今日から12月。
気分転換のためにも毎月一日発売のロッキング・オンを買おうと思って
チャリで駆け出したは良いものの、
相変わらず小倉で発売日にあの音楽誌を置いている店は皆無でした。
「もしかしたら今月はあるかも」と思い続けて
何ヶ月も同じことを繰り返してはいますが、
一度も発売日に手に入れたことはありません。
小倉のバカ。

あ、今テレビでドコモの携帯のCMがやっていて、
YUKIの新曲“ワンダーライン”が流れていました。
最近このCMよく見るなぁ。ヘビロテですね。
サビしか聴いたことないし、音質もそんなに良い状態ではなかったけど、
この曲の音圧は結構すごいぞ。多分。
周辺情報はまだ作曲家が蔦谷氏でもmugen氏でもないってことしか知らないけど、
それでも“ビスケット”以降の流れに完全に乗せられそう。
このぶっといメロディの「線」で、YUKIはまた誰かと繋がろうとしてるのかな。
次のアルバムまでにはあと1、2曲というところかな。
今回は良いアルバムになるぞ。
『WAVE』が開けなかった扉を、開いておくれ。


今日紹介するのは数々の本屋を駆けずり回った時に聴いていた作品。
タチの悪いジョーク満載のプシファーとか、
まるで別人格みたいなミステリアスさを獲得したPJハーヴェイも
最近聴いた中では印象的でしたが、今日は1年前に発表されたこの作品。
いや、もうほとんど2年前か。

First Impressions Of Earth
/ The Strokes

ファースト・インプレッションズ・オブ・アース



「ストロークス以降」の、その後
 21世紀が始まって以来、誰よりも早く時代の価値観を区切る楔を打ちつけたバンド。B.R.M.C.と共にロックンロールを現代に救い出したバンド。ストロークスとはそういうバンドだった。90年代中頃以降、多くのバンドがやり過ごしていたことを考えられないほどのシンプリティで看破したバンドだった。僕はニルヴァーナにもオアシスにも間に合わなかった世代だから、初めてロックのセンセーションをリアルタイムで経験したのがこのバンドのデビュー・アルバムだった。ロックンロール・リバイバルだガレージ・ロックの草分けだなんだと大いに騒がれていたけど、そんなことは別に関係ないと思っていた。『イズ・ディス・イット』が圧倒的なクオリティを伴った「ロックンロール再生アルバム」だということ。それだけが重要だったのだ。だから、試行錯誤は感じられるがそこから自分たちの進歩をイマイチ引き出すことのできなかった『ルーム・オン・ファイア』はどうでもよかった。『イズ・ディス・イット』こそがストロークスの全てだったし、彼らの歴史は完全にそこで凍結していた。
 でも、そんな「歴史を塗り替えたバンド」としてこれまで知られていたストロークスだが、彼らは本サード・アルバムで以前よりも遥かに単純な意味でのロック・バンドになることを目指した。極めてシンプルながらも機械で計られたような緻密さでガッチリと演奏を組み合わせていた楽曲構成にはもっと衝動的な熱さがくゆり立ち、これまで口元に常にニヒリズムを湛えていたジュリアンの歌声のガナリ度も凄まじい。まるで「俺たちがやりたいのはロックなんだよ、ロック。それででっけー存在になりたいんだよ」とでも言うようなロックンロールの初期衝動を、完全無欠のデビュー・アルバムを発表しすでに伝説化の約束をされたこのバンドが、3作目にしてついに手に入れたようにすら感じる。それはソングライティングというバンド・ケミストリーにおける変革の影響というよりは、もっと根本的な、ストロークスというバンドの意識レベルでの変化だったんだと思う。意識の変化はバンドを変えた。その時、彼らの歴史は、再び動き始めたのだ。


The Strokes-Juicebox
17:27 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。