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ありがと

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命
/ 銀杏BOYZ

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命



目的はあの娘、理由は青春
 友達にYUKIが参加してるよと言われてとりあえず聴いてみたんですけど、“青春時代”を聴くまでGOING STEADYの後身バンドだということに気が付きませんでした。すいません……。ところで、GOING STEADYといえば“童貞ソー・ヤング”なる確信犯的に青春のタブーの領域に入り込んだ「やっちゃった」ソングがありましたが、うまく言えないけど、すごい曲でしたね。「童貞万歳!」と日本中の男みんなで叫ぶ連帯感と言ってもタブーの領域にズカズカ踏み込むスリルと言っても、あの曲に覚えた異常なまでの興奮にはまだまだ足りないような気がします。一番近いのは、腹の底のほうから突き上げてくる欲求を「~したい!」と丸裸な言葉で吐きだせるバカ正直さですかね。世界はいつだってそんな連中には冷たいです。でも、GOING STEADYは嘘をつかなかった。そこが滅茶苦茶気持ちよかったし、とにかくリアルだったんだと思います。それでも少し足りないかな。やっぱりよくわかりません。
 GOING STEADY期からメンバーが1人入れ替わり、名前も銀杏BOYZに変わりましたが根本的な部分は何ひとつ変わっていません。実際、このアルバム収録曲の約半分はGOING STEADY期の楽曲です。この人たちのキモは、やっぱり相変わらずです。生理的に受け入れられない人も少なくないかもしれませんが、彼らの青春期の思いの生々しすぎる独白には共感を超えた強い繋がりを感じてしまうし、全世界を敵に回しても「大好きなあの娘」がいる「今、ここ」で立ち上がろうとするむせ返るほどの熱量とテンションは、本当にすごい。青春という誰にとってもわけのわからん希望と絶望と妄想と、それら全てをひとつの音塊にして、更に「わけわかんねーけど、あの娘のことが大好きで大好きで仕方がねー!」とわめき散らす姿は、ミスチルの桜井さんでもラルクのhydeさんでもない、ただひとつのわけのわからんロック・スター像なんだと思います。「あの娘」のためにわけわからんことができる。それが彼らの優しさなんだと思います。
 最後に、YUKIが参加した“駆け抜けて性春”はとてもとても素晴らしい楽曲です。タイトルには苦笑ですが、彼らは大真面目です。ミネタとYUKIの、歌詞カードではたった8行しかない短すぎるダイアローグには、自分の青春の全てをここに掻き集めて一気に駆け抜けたくなるほど、真実を感じました。
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02:26 | 音楽 | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑

もう

どうしたらいいかわからんよ。
でも、もう無理とは言いたくない。
10:22 | 独り言 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ディープ・インパクト

良い音楽ブログはないもんかと前からいろいろ探してはいたんですけど、
どれもこれもYouTubeの動画を貼り付けてるだけだったり
マニアックな知識をひけらかすだけだったり、
書いてる人のロック理論が伝わってくる良いページは本当にないです。
でも、訪問履歴から見つけました。

本当に良いページ。
できればリンクに加えたいけど、お願いするのはなんだか恥ずかしいから、
コソコソ見に行くことにします。
ライブもよく行ってるみたいだし、
僕の聴いたことのないバンドもいっぱい聴いてるみたいだし、
ちょっと悔しいけど、そのぶんレヴューは物凄い参考になります。
載ってあるレヴューは全部読みました。
カイザー・チーフスとかレディヘに関してはずいぶん理解が違うみたいだけど、
安室奈美恵とかファウンテインズなんかはかなり頷けた。
書いてる人の音楽の聴き方がよく理解できた。

ロックを聴く上で一番大切なのは、知識ではなくて感じ方だと思う。
「良い/悪い」「かっこいい/かっこ悪い」「面白い/面白くない」……
価値基準の設定をそのレベルで止めちゃだめだと思う。
屁理屈とよく言われるけど、素敵でなきゃいけない作品を感じられなきゃダメだ。
音楽は結局自分の耳でしか聴けないから、好みは当然大切だけど、
でもそれよりもっと深い部分で意味づけができたら、世界は一気に広がると思う。

これは少し前にある人に熱弁したことだけど、
日本ではかなり人気度の高いブラック・アイド・ピーズが歌うことには、
「ボーダレスの象徴」としての意味がある。
人種も性別もまったく違うメンバーが集まって、
ヒップ・ホップもロックもあらゆる音楽をぶち込んで、
更にスティングからジャック・ジョンソンまで各界の大物をゲストに迎えて、
最後には自分たちの音楽として鳴らしちゃう。
すべてを受け入れる器をあのグループは持ってる。
それを「統合/団結」を意味する“Union”という言葉で歌ったっていうのは、
ものすごく象徴的なできごとで、これは素敵でなきゃいけなんだ。
そうじゃなきゃブラック・アイド・ピーズというグループがいる意味がなくなっちゃう。
メンバーはみんなお洒落さんだしファーギーは確かにかっこいいけど、
そういう表面的な魅力よりももっと深い部分にも耳を傾ければ、
自分の中でロックの意味は変わる。

僕が見つけた良いブログを書いてる人の聴き方は多分そんな感じだと思う。
その人の考え方が僕の考えと合うかはどうでもよくて、
その人にとっての「ロックの意味」を探ることがおもしろい。
これからよく見に行くことにします。


今日紹介するのは、そのブログでは結構酷評だった作品。
僕は好きな作品だけど、それでも確かに妥協点はあります。

Make Believe
/Weezer

メイク・ビリーヴ



これが大人になるってことなのかな
 リヴァース・クオモは自分だ。大好きなのに決して手の届かない女の子へのどうしようもない思いも妄想も絶望も、リヴァースが自分の代わりにどうしようもないロックにしてぶちまけてくれる。リヴァースのリリックの中にうずくまっている悶々としたダメ男は間違いなく自分自身だったし、そこに感じる鏡を無理やり差し出された時のような小っ恥ずかしさはモテない男の実感からくる共感以外の何物でもなかった。だから、僕は『ブルー・アルバム』と『ピンカートン』が大好きだった。特に『ブルー・アルバム』は傑作中の傑作だった。僕がロックに心底共感した経験は結局これまであの1枚だけだったかもしれない。ひとつも足すことも引くこともできない正真正銘の自分が、あのアルバムにはいた。
 でも、『グリーン・アルバム』と『マラドロワ』の2枚からはどうしてもコマーシャルな匂いが立ち上ってくるような気がして、あんまり好きになれなかった。ウィーザーという鏡にはもう自分は映らなくなっていた。このアルバムにも、もはやかつてのようなどうしようもない気持ちを救うための身を切りつけるような切実さはない。でも、“ビバリー・ヒルズ”“パーフェクト・シチュエーション”“ピース”“ウィ・アー・オール・オン・ドラッグス”“パードン・ミー”……と挙げ始めたらキリがないグッド・ミュージックの数々が集結したこのアルバムで、ウィーザーは『グリーン・アルバム』も『マラドロワ』も完全に飛び超えて、コマーシャルの「向こう側」へと足を踏み入れた。そこにはこれまでと違う「何か」が待っている気がする。このアルバムの開かれ方は尋常ではないし、かつてのあんな夢や日の光が眩しいあんな島への臆病な逃避もない。激情もストーリーも無きロックの世界。でもクオリティは息を呑むほどに圧倒的。例えば日本では、YUKIがまったく同じ道を歩んでいるんだと個人的には思う。だからこそ僕は結局ウィーザーに対しても、ファースト・アルバムへの思いをいつまでも引きずっているのだけれど。


Weezer-Beverly Hills

10:16 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

ひどい

書いてた記事が全部消えた~!
FC2のバカやろ。
朝っぱらからいろいろ書いてたのに、どんな仕打ちだ。
も~、一気に書く気力がなくなった。
ひどい。本当にひどい。
何も言わずに人の書いたもの一瞬で消すだなんて、残酷すぎるよ。
泣きそうだ。
もう一回書く気力はないから写真でごまかそう。
レミー
今届いたばかりの『レミーのおいしいレストラン』のDVD。
昨日クラスの子が「おいしいレミー」って言ってたけど、レミー食べちゃ駄目だよ。
早く観たいなぁ。
今日は宅配ラッシュです。今からまだまだ来ます。
洗濯しよ。

Made Of Bricks
/Kate Nash

Made of Bricks



実は最後尾に並んでました
 05年のM.I.A.に06年のリリー・アレン、07年はエイミー・ワインハウスと音楽や主義主張だけでなく存在そのものからドギツいインパクトを発散する逞しい女性たちがここ数年続けさまにUKから登場しているが、このケイト・ナッシュでようやく一段落といった感じ。「UK女子」というひとつのシーンやムーヴメントと呼ぶにはあまりにも小さすぎるが存在感は超ド級なこの一連の流れもようやく収まるべきところに向かいつつあるのか。このアルバムを聴き終わった後にはそんな感慨深さがあった。しかし、あまりにも強烈な鮮やかさで音楽シーンに一石を投じた3人の後ろに順番待ちしていたのは、恋の途中で不意に立ち止まってしまうような、前の3人とは似ても似つかない「女の子らしい」女の子だった。
 ロック界は完全なる男性社会だ。それは00年代も後半に食い込み始めた07年という今現在でも変わっていないし、これまでだってロックという男性特有の臆病で頑固なフォーマットを根底から揺れ動かした女性はマドンナぐらいしかいないだろう。上に挙げた3人の女性シンガーたちがそんな「男の海」とでも言うようなロック界で水面上に浮かび上がって来ることができたのは、孤高のソルジャー、奔放で無邪気なヤンチャ娘、酔いどれ番長というわかりやすいキャラ設定と、それを振り切っても裸一貫でやっていける表現の強さがあったからだが、このケイト・ナッシュという女性は彼女たちに比べるとずいぶんと中性的な印象だ。「カボチャのスープ」や「エバエバ」の連呼など可愛らしい少女性は十分だが、リリックにも声にも、筋肉質な強さは希薄。でもだからこそ、ここ数年のUK女子のキャラ独り歩き/キャラ先行頭でっかち傾向には良い安定剤になるはずだ。サウンドも今風にサラリとしていて耳に馴染みやすいと思う。他人の日記を覗き見した時みたいな気分にさせる赤裸々なリリックも良い。これは個人的にだけど、男の子が鳥を例えにした恋愛感を彼女に熱心に説明するお話は、なんだかとても素敵でした。


Kate Nash-Foundations
10:49 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

特に何も

僕はFC2でブログを書いているけど、やっぱりmixiを使う人が多いんだろうな。
FC2にもこの半年ほどで管理ページの『コミュニケーション』欄に
「コミュニティ」やら「友達」なんていう文字が現れ始めました。
シンプルなところが良かったのになぁ。
これじゃあ完全にmixiの後追い。
mixi内のいろんなコミュニティの持ってる
「開放性と閉鎖性と胡散臭さ」が大嫌いでFC2にしたのに、真似しちゃ駄目だよ。

mixiって情報収集には結構良いし、良いコミュニティもたくさんあるんだろうけど、
「~好きな人」とか「~ファン」の集いみたいなコミュニティは大嫌いだなぁ。
もうなんだかみんなで「良いよね」って言い合って
勝手に悦に入ってるだけみたいな印象しかないです。
どんどん理解の幅が狭くなっていっちゃうような気さえしてくる。

でもmixiやってる友達何人かから聞いたけど、最近は荒れ始めてるみたいですね。
飽和点を迎えたのかな。
前ほど「mixi」って言葉自体耳にすることがなくなったし、そろそろ限界か。
多分僕なんかはYUKIのコミュ二ティなんかに入っても違和感を感じるだけだろうし、
ここで細々とやっていきます。


さてさて、CDレヴューですが、ふと気になって数えてみたら、
今日紹介する作品でなんと182作目です。
最近は更新頻度が落ちているとはいえ、我ながらよくやるもんです。
YUKIの『PRISMIC』で100作目だったから、あれから82作か。
今書いたらもっと違う解釈になってるのかな。
200作いったらもう1回書こうかな。
今日は前回更新したときにチョロっと書いたチャットモンチーです。

生命力 / チャットモンチー
生命力



逞しき生命力は女子の胸に宿る
 デビュー・アルバムではまだまだ変に力んでいて気持ちが前のめりになっていたような印象だったが、ここにきてどんどん肩の力が抜けていってる。ここには、セカンド・アルバムに対する気負いやプレッシャーは、もはやない。むしろ、メンバーが集まって「せーのっ」でチャットモンチーのロックを鳴らせることへのひたむきな喜びが強く感じられる。それひとつとってみても、バンドにとっては大きな飛躍だっただろう。それはきっと、“シャングリラ”のようなダンス・ナンバーや“素直”のようなピアノ・バラードといった新たな試みへの自信にもつながっているのだろう。前作ではギター/ベース/ドラムスという原始的ロックの一点張りで、だからこそ前のめりになった気持ちを更に焚き付ける生々しいロックとして成立していたのだが、セカンドで早くも表現の選択肢が増えたことは素直に喜ぶべきことだろう。本当に、良いバンドになった。
 やっかいな青春期の思いをどうにかするために、でも結局どうにもならないままのそれを引きずった葛藤の音を1枚のロック・アルバムとしてパッケージしたのが『耳鳴り』というデビュー・アルバムだった。そんな青春のグラフィティとでもいうようなモノローグももちろん本作には収録されているが、最も注目すべきはその内気な視点がゆっくりと前を向き始めたことである。「世界の終わり」も「やってくるかわからない明日」も抱え込みながら「前を見て歩けよ」と聴き手を鼓舞する生命力溢れる心強いダイアローグ。過去を振り返ってはノスタルジアの香りを求めてばかりいた女の子が、「今」の向こう側に思いを馳せる時の瞳に宿るうららかな光――。そんな逞しさと愛しさが同居したような感動的なアルバムだ。楽曲は確実に洗練されていってるし、それと正比例して彼女たち自身もどんどん可愛らしくなってる。ずっとずっと、愛される存在でいて欲しいと思う。


チャットモンチー-世界が終わる夜に

16:40 | 独り言 | comments (0) | trackbacks (1) | page top↑

親知らず

昨日のうちに葬式も初七日も全部終わって、
そのままの流れで昨日のうちに小倉に帰ってきました。
まぁそれにしても、
葬式でもない限り親戚一同が集まることがないっていうのも変な感じです。
でもそれ以上に、
血のつながりがあるっていうだけで、今まで10年間も会ってなかった従兄弟たちと
違和感なくしゃべることができる、ってこと自体が違和感でした。
でも会えて良かったな。
なんか緊張しましたけどね。
久しぶりに誰かと会うのは苦手です。

帰ってきて早速ですが、今日は朝からTSUTAYAに行ってきました。
ずっと楽しみにしてたチャットモンチーと、
新作がめちゃくちゃ良かったブルース・スプリングスティーンの
今まで聴けてなかった過去作品。
それとストロークスのセカンド。

チャットモンチー、良い意味でどんどん力が抜けていってる。
変に気負いした感じがなくなったというか、良いバンドになったね。
好きだ。これからもずっと応援しますよ。
そんなアルバムだった。また今度ちゃんと書きます。

実家からまた大量にCDを持って帰ってきたら、本格的に置く場所がなくなってきた。
文庫本やら絵本なんかも持って帰ってきたからなおさら。
DVDもCDも増える一方で絶対に減ることはないし、またでっかい本棚買おうかな。
不幸なことに、ついに僕にもあれが生えてきたし、歯医者にもいかなきゃ。
何かとお金はかかるけど、なぜか悪い気はしません。


今日紹介するのはジミー・イート・ワールドの、先週発表されたばっかの最新作。
今月はアヴェンジド・セヴンフォールドも良かったし、
プシファーやイアンの兄貴にも期待ですね。

Chase This Light
/ Jimmy Eat World

Chase This Light



無敵のロック、そのど真ん中へ
 去年の暮れから今年の頭まで日本ではマイケミ旋風が吹き荒れていたし、今年に入ってからもフォール・アウト・ボーイやモーション・シティ・サウンドトラックらが良いアルバムを発表した。かつての「泣き虫ロック」は今や「無敵のロック」にまで昇華されて、もう完全に怖いものなし。スクリームもディスコもピアノもパンクも派手に喰い散らかして、どんどん大きくなってる。率直に言えば、それが07年現在のエモという表現の存在感だ。そして、そんなエモ最大の魅力はといえば、やっぱりメロディのあの圧倒的な太さ、強さなんだろうな。これだけで老若男女ところかまわず魅了できるんだから、そりゃあエモは勝つよ。でも、いつか必ず飽和点を通り過ぎる日は来る。大きくなりすぎたエモは、いつかそれを受け入れる器の限界点を超えてしまう。大きくなりすぎたシーンはいずれそうやって垂れこぼされ、急速に終焉へと向かっていくのだ。
 ジミー・イート・ワールドは、そんなエモ海に他の誰よりも両足を深いところまで浸しているのにも関わらず、常にどこか孤立した、というか孤高の存在だった。だからこそ「先駆者」としてここまでキャリアを運んでこられたわけだが、彼らを他のバンドと明らかに違うラインに立たせているものは、これもまたメロディなんだと思う。そう思わずにはいられないアルバムだ。傑作アルバム『ブリード・アメリカン』の即効性は凄まじく、これ以上の作品を作ることは不可能とまで思ったが、完全に超えてしまった。壮大なストーリーもコンセプトも無きメロディの世界でここまでの感動に到達できるバンドはもはや彼ら以外にはいないのではないだろうか。エモという目下最強の表現が軋み始める前にこのアルバムを聴けたことは、うまく言えないが、とりあえず安心だ。楽曲の隙間からもれ出る歓喜の一滴のような輝き。この光を追えば、エモはまた新たな、正しい地平へと辿りつける気がする。


Jimmy Eat World-Big Casino
11:37 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ベンズ

多分俺の方がひさしぶりの我が家。
別に威張ることじゃないけどね。
水曜まで長いけど、帰ったら鍋しようね。
待ってて。


大阪は11月でも思った以上に暖かい。
昨日、突然父親から電話が掛かってきて、
「おじいちゃんがもう駄目そうだから大阪に帰ってこい」と。
僕が新幹線で大阪に向かってる間に臨終を迎えたので、
僕は間に合いませんでした。

父方のおじいちゃんは、僕が生まれる直前に奥さん、
つまりはおばあちゃんを病気で亡くして、
それ以来ずっと僕らと一緒に暮らしてきました。
だから、大学に入って下宿をしているとはいえ、
おじいちゃんは20年間一緒に過ごしてきた家族です。

うちは親が共働きで、二人とも朝早く出勤、夜に帰宅の生活ペースで、
父親なんて顔すら合わせない日が多いくらいだったし、
姉は自分の部屋にこもってテレビ観ることが生き甲斐みたいな人だから、
一日中家にいて、よくリビングにも出て来るおじいちゃんが、
家族の中では一番コミュニケーションをとる機会の多い存在だったと思う。
まぁ僕も根暗なところは姉と一緒で、
一人で部屋にこもって音楽を聴き倒していましたが。

とにかく、家族の中で一番顔を合わせることの多かったのはおじいちゃんです。
そのせいか、一番喧嘩をする相手でもありました。
ご飯の時でも、僕がリビングでくつろいでる時でも。
一番顔を合わせるのに、合わせる度に喧嘩だった気がする。

うちの父方の家系はその一員ながら気の毒に思うところがあって、
とにかく人とコミュニケーションを取るのが苦手だ。
僕にもその血は確実に流れていて、時々激しく実感します。
僕は内気だし、人付合いはそんなに得意じゃない。
しゃべったらしゃべったでちょっとした一言にも気遣いがない。
言ったあとにそれに気付いて後悔するけど、
もう相手は傷ついてる。
父親もおじいちゃんもそんなタイプで、
「俺はこうはなりたくない」ってずっと思ってたのに、
やっぱり意識は血には勝てないみたいです。
だから、血だけのせいではないだろうけど、僕は性格が悪い。

僕もおじいちゃんも性格が悪くて、
更に歳だって大きく離れてるんだから、
ものの考え方なんて別の世界の住人みたいに擦れ違ってて、
わかりあえるはずもなかった。
僕は、ずっとおじいちゃんが嫌いだった。

具体的な病気ではなくて、老衰だった。
老衰にしちゃ若い歳だと思うけど、
それでも僕の4倍近くも働き続けてきた体。
でも、4倍も働き続けてきた逞しさは遺体には片鱗すらもなかったです。
細い骨を薄い皮がかろうじで守っている。
それぐらい細々としていて、脆弱な体でした。

ずっと一緒に暮らしてきた家族が亡くなったのに、
知らせを受けても変に冷静で、感情がビクともしないことにびっくりしました。
遺体を前にしても、なにも変わらなかった。
やけに客観的でした。
遺体にも、何か珍しい動物に触れるようにしかできなかった。
家族も親戚も、病院の人も、
死んだおじいちゃんに優しく話しかけてたけど、
僕はなにも言わなかった。
というか、なにも言えなかった。
あんな風に話しかけたことなんてないもん。
そんなのなんか、白々しくなりそうで、イヤだった。

薄情な人間なのかな。
今回も、夏に学び舎の生徒さんが亡くなった時も、
なんというか、実感が全然わかなかった。
空に浮かぶ星なんかよりも、もっと遠くの話に感じる。
涙なんて出ないし、悲しさもない。
まるでおじいちゃんなんて最初から存在しなかったみたいに、
音楽聴いて、本読んで、いつも通りのことができる。
今までそこにいた人が突然いなくなったのに、
世界はこんなにも変わらないもんかって思う。
それとも、僕の性格が悪いからなのかな。

耳元でコナー・オバーストが
「僕は死にそうになって、初めて生きることができる」
と歌っています。
どういうこと?
あんたの得意な「のっぺりした矛盾」か?
今はそんなこと言って欲しくないよ。
うちのおじいちゃんは死ぬ直前に、
そこに居合わせた人に「愛してる」なんて言えなかったよ。
多分あの人は生きてる間、
そんなことは一度だって言わなかったと思うよ。
すべてを感じ終えた後には、どんな可能性がある?
あんたはいつもそこには触れてくれない。
今日はレディオヘッドでも聴きながら寝ます。
明日は忙くなりそうです。
おやすみなさい。
02:57 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

浪漫派

最近は引越しとか学祭で忙しくてあんまり映画は観れていなかったんですけど
ここ数日は良いペースで観られてると思う。
今日は彼女と一緒に実写版の『ピーター・パン』を観ました。
こう見えてファンタジーものの映画って結構好きで、
それなりに期待していたんですけど、これはひどかった。

何がひどいって、ロマンがない。
本当に、全然ない。
特典映像で製作スタッフがしゃべってるのを観たら
制作側にはやっぱり「子ども向け」っていう意識があって、
そういう前提があるから仕方ないと言えば仕方ないけど、
でもわかりやすいとはいえあんなにロマンのないピーター・パンは
子どもに観せたくないなぁ。
「カラフルかつマジカル=ロマン」じゃない。

「ロマン」っていうのは、
例えばパンク・ロックだったら、何よりも大切なギターを、
大切だからこそステージの上で思い切り叩き壊すことであり、
例えば江戸時代にたくさん生まれた妖怪の話だったら、
アズキ洗いがアズキを無心に洗い続けることであり、
例えば登山家だったら、「そこに山があるから」、
それだけの理由で登り続けることであり、
例えば数学者だったら、絶対に解けないといわれる数式に、
結局解けずじまいですべてが終わってしまう可能性を認めた上で、
それでも全生涯を賭して挑戦すること。
それが「ロマン」なんだ。

要はやってる自分でさえもなぜそうしなければいけないのかわからないし、
それを傍から見つめる第三者には尚更のことわからない。
そんなわけのわからんことだけど、
でもそうでなきゃいけないものなんだ。
そんな曖昧で、適当で、掴みどころがなくて、でも素敵なものなんだ。
角ばった四角じゃ絶対に埋められない丸なんだ。

だから、ロマンに四角い具体性はいらない。
丸みがあって柔軟性の高い「なんとなく」で良い。
ネバーランドへの道のりは、月が夜空の特等席で輝く前に
ピーター・パンと子どもたちの影を飛ばすだけで良いし、
「ネバーランド」という「島」はいらない。
もちろんネバーランドはなくちゃならないけど、
「ネバーランド」という名前の付いた「島」は、わざわざ用意しなくて良い。
「世界のどこか」、で良い。
「ここがネバーランドだよ!」とあっさり島に案内されたら、
なんか、興醒めだ。白けちゃう。
「ちっちゃなことじゃないか」と思うかもしれないけど、
これはものすごく大切な部分だと思う。
これもまた「なんとなく」そう思うだけだけど。

あと、これは僕だけかもしれないけど、
ピーター・パンの見た目があからさまな子どもだったら、
あの話には説得力がない。
だからといってだらしのないおっさんだったらロマンもクソもないけど、
そこももっと曖昧で、子どもか大人か、
その間の中性的な雰囲気のする役者さんにやって欲しかったです。
あと、一番個人的な話だけど、あのピーター・パン役の男の子の笑顔はいやらしい。
太宰なら「猫のような陰性の悪意」と表現するであろう気色悪さがある。
下心が本人の意思に関係なく露呈するタイプ。エロい。
あんなピーター・パン、いやだ。

明日も何か観ると思うけど、次はどんな作品かな。
『ショーシャンクの空に』が観たい。
ロマンのある映画だと良いな。


さて、今日のディスク・レヴューは日本のバンドです。
このバンドが流行ったのは僕が中学生のころかな。
今どれくらいの人が聴いてるんだろう。
当時、洋楽畑の方から邦楽を見ていた人間の感覚では、
あの一時期に全神経を集中して秒速で駆け抜けて、
そのままどっか行っちゃった、みたいな感じだったけど、
意外に注目されない「その後」が良いバンドでした。
過去に一度紹介したことがあります。
今日はオリジナル・アルバムじゃなくて、ミニアルバム。

ホフ / B-DASH
ホフ



一瞬で駆け抜ける気持ち良さ
 個人的な話で申し訳ないけど、「B-DASH結構好き」と言うと決まって「え、幸大がB-DASH聴くの!?」というリアクションが返ってくる。そんなに意外かなぁ。要は「ミスチルはああだ、大塚愛はこうだ」と屁理屈こねくりまわしていろいろと難癖つけるくせに結局B-DASHなんて軽い連中が好きなのか、ってことなんだろうと思う。でも、例えばフラテリスとかランブル・ストリップスみたいなメロディ至上主義の連中を「軽い」といって嘲笑うことが、なんだかかえってカッコ悪いことのように感じてしまうのは、やっぱりそこにはメロディやリリックの「わかりやすさ」であったり、それをでっかいひとつの岩みたいな塊にしてぶち当てるエネルギーであったり、とにかくそういった聴き手を秒速で黙らせる痛快なものがあるからなんだと思う。それは、「軽い」と呼び捨てるにはあまりにも素敵すぎる魅力だ。僕にとってB-DASHという連中はそれの模範的なバンドで、日本語/英語/めちゃくちゃ語を駆使して自分達の理想に向かってすべてをなぎ倒しながら裸足で駆け出していくそのバカ正直さは、少し大袈裟な言い方になったかもしれないが、かなり気持ちが良い。この作品は、そんな彼らが05年に発表した7曲19分弱というジェットコースター級の高速ミニアルバム。だが、そんな小さな空間の中でもあの芸風はツボをまったく外すことなく健在。むしろ、これだけアッサリしてくれている方がオリジナル・アルバムよりも清涼感は高いかもしれない。お決まりのバカバカしさにも脱帽。コーラ一気飲み、ゲップのおまけ付き。そんな感覚だ。みんなの背中を押すために「ぱ、ぴ、ぷぺぽ」と歌う彼らの優しさも、嬉しい。
 “ちょ”で一躍脚光を浴びて以来、それこそジェットコースター級の急下降を辿ったキャリア運びの彼ら。でも、個人的にはここから『NEW HORIZON』までの道のりには全盛期を超える加速度で駆け抜けた足跡が刻まれているように感じるのだけれど、どうだろう。ミニアルバムといえども、重要な試金石。
05:39 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

やっと

今日の午前中にインターネットの接続が完了して、
引越しが本当にすべて終わったかな。
しばらく更新しなかった1週間ちょっとの間の引越しのもろもろやら学祭やら、
書きたいことはいっぱいあるけどここのところ忙しくて
聴けていないCDがたまっていくばかりなので、
今からまた消化活動をします。
明日にはまたジミー・イート・ワールドとか
アヴェンジド・セヴンフォールドの新作が届くから
今たまってるのをとりあえずなんとかしなきゃ。

あ、劇場に観に行った作品ですが、『バベル』のDVDを買いました。
もう1回観たけど、初めて観た時と一緒でいまいち理解できなかった。
裸をさらしても伝えられない気持ちとかコミュニケーションの齟齬を描いて
現代版「バベルの塔」を成立させるのはわかるけど、
それで何を伝えたいのか。それがわからん。
映画を作る側と観る側の間にも齟齬を押し込んで、
それさえも「バベルの塔」だと言いたいの?
それで「世界はまだ変えられる」と言われても、
釈然としないと言うか強引と言うか、もう乱暴だと思う。
時間があったらまた今度観よう。

音楽の方は最近はレディオヘッドを聴くことが多いかな。
今はケイト・ナッシュを聴いていますが。
今からはランブル・ストリップでも聴こうか。
授業まであんまり時間がないから、聴きやすいのが良い。
でも、ディスク・レヴューは前の字の多さに戻そうと思う。

Back To Basics
/ Christina Aguilera

Back to Basics



ブリトニーも怖気づくかも
 デビュー・アルバムの『クリスティーナ・アギレラ』(99年)で“カム・オン・オーヴァー・ベイビー”を歌っていた時の彼女と比べてみて欲しい。ミッキー・マウス・クラブ出身女性シンガー典型の少女性ゴリ押しでブリトニー・スピアーズの二番煎じのようなポップ・ソングを歌っていたあの頃からオリジナル・アルバムとしてはまだ3作目で、これほどの跳躍はほとんど奇跡といっても良いのではないだろうか。元来アルバム間のブランクが比較的長い彼女だが、その分を差し引いて考えてみても、彼女がこのアルバムで記録した飛距離は本当に凄まじいものである。そもそもアギレラ嬢のポジションというのは結構微妙で、P!nkやリル・キムらと共演した“レディ・マーマレード”での活躍や前作『ストリップト』(02年)の大胆な方向転換も大いに注目され、マドンナとのキス騒動なんて閑談的な話題性も文句なしのスター級なのに、彼女の前には常にポップ・アイコンの頂点、ブリトニーがいた。今振り返ってみると、なんでもかんでもブリトニーと比較することでクリスティーナ・アギレラという女性の底力を目撃する機会を僕たちは自ら遠ざけてはいなかったか。そう思わずにはいられない、素晴らしいアルバムだ。
 「ヴィジュアル・アーティスト」を宣言する彼女が本作で挑戦したのは、戦前のブルース/ジャズを現代に再生させること。それをコンテンポラリーに鳴らす1枚と生楽器のみを使用して当時の匂いを完全に引っ張り出したもう1枚の2枚組みでより鮮やかに当時を再生するという企画戦はひとまず勝利。アイディアをひとつの作品としてきちんと完成させることに軽い余裕すら感じてしまう。でもこのアルバム1番の興は、アギレラ嬢の声だ。ヴィジョンを明確に形にした自信といえば一気に青さが増すのだろうけど、作品発表の前年には長年の交際を経てパートナーと結婚しているし、歌とプライベートの両方で自分の居場所を見つけた女性の歌声は、1mmもブレない巌みたいに、強い。


Christina Aguilera-Ain't No Other Man
15:08 | 日記 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑
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