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本物

この前みたいにバイトから一時間近く歩いて帰ってきて疲れたけど、
彼女が作ってくれた豚汁で元気を出します。
今日の食事はずっとこれ。
めちゃくちゃおいしんですよ、これが。
ありがと。

さてさて、別にこれといった論旨はないんですが、
今月はあんまり更新してないのでつらつらと何か書こうと思います。
やっぱり音楽の話。
今日は日本の音楽の話にしようかな。
もう一度言うけど特に衝動も何もないので思ったことを書きます。

この前タワレコに行って思ったことだけど、
日本のヒップ・ホップ・シーンっていうのは、結構ひどい。
ジャケットをいくつも斜めに流し見るだけでなんというか、
ヒップ・ホップっていうファッションに身を包んでいるだけ
って連中が多いなぁという感じでした。
ヒップ・ホップ的なファッションとか用語とか、
そんなんだけじゃダメなんだよ、と説教したかった。

そう思うと、RIP SLYMEのスタイルっていうのは、
物凄く画期的だったんじゃないかと思う。
「だって俺達日本人だもん」的な開き直りと
前回書いたコーラルみたいな仲間でワイワイする時の軽さとテンション。
それでコミカルに、ポップにラップする
RIP SLYMEの「背負わなさ」はとにかく気持ちがいい。
ヒップ・ホップの制約には目も向けないでひたすら自分達のセンスと
日本人的感覚でラップする彼らは、素直に好きです。
今でこそラップ・グループって把握できないくらいいて完全に玉石混交の状態だけど、
数年前まではあんな連中が表舞台に上がることなんてなかったんだ。
RIP SLYMEの支持のされ方とかポジションはヒップ・ホップが
日本のポップ・フィールドにたどり着いた象徴なんだと思う。
「RIP SLYMEはヒップ・ホップか!?」っていう疑問が湧いてきそうだけど、
でも、あれが日本人らしいヒップ・ホップだと思う。
スタイル、ファッション、用語のものまねじゃ追いつけないところに、
RIP SLYMEはいる。

RIP SLYMEは完全に「我が道を行く」という感じだけど、
日本人的感覚のヒップ・ホップのあるべき形を体現しようとしているのがKREVAだ。
僕は日本の音楽に関してはまだまだド素人です。
ロックはまだしもヒップ・ホップはなお更です。
でも、KREVAは本物だと言い切る自信があります。
韻を踏むときの言葉選びのセンスとか実験的なビートとか、
そういう技術的な面ももちろん彼はすごいんだけど、
でもKREVAの真骨頂は、探究心と勇気だ。
ヒップ・ホップの概念に取り付かれてる多くの似非ラッパー達とは
決定的に違う「本物の匂い」があの人にはあります。
既存の概念を振り切って「俺にしかできないもの」を捕まえにいくことが、
あの人にならできる気がします。
KREVA、かっこいいです。

最近ふと思ったことを言えたのでこれでいいや。
なんか自己完結気味ですいません。
ディスク・レヴューに移ります。
今日はやっぱり日本人アーティスト。その名も奥田民生。
『股旅』ってアルバムからの1曲を紹介します。
RIP SLYMEとかKREVAがそうであるように、
この人も僕にとっては音楽界のあるものの象徴です。

イージュー★ライダー’97
/ 奥田民生

股旅



民生がロックにこだわる理由
 多くの奥田民生作品の登場人物というのは、どこかのん気でとぼけていて、それでいて自己主張が強く、腹の底から突き上げる衝動や欲求に対しては何にも増して正直な男、である。それはつまり正真正銘の奥田民生という男であり、ここまで徹底して作品に「俺」を打ち出す人間も珍しい。それに加えて彼のリリックは「簡単簡単ベリーグー」「さすらいもしないで/このまま死なねえぞ」といったように、こう言われたらこう受け取るしかないというほどに明快で、それが奥田民生という男のキャラクターを一層わかりやすく聴き手の頭へ伝えているのだが、一方この曲はひどくアブストラクトで、別段「俺」について歌っているわけでもない。この1曲だけは、奥田民生作品の中で明らかに違う光を持っている。車好きの奥田民生らしい爽やかな旅の歌、30代男の青春ソングなど諸説あるようだが、この曲で彼が歌っているのは、「己のロックについて」である。
 これはもう僕が自分の音楽体験のすべてをかけて言い続けていることだけど、ロックとは夢である。下手すりゃ何の役にも立たない理想論である。ロックはファッション先行型の一過性娯楽じゃないし、少し青い言い方だけど、商品なんかでもない。届きそうで届かない、近くにあるのに握り締められない、そんな極めて身近な夢なのだ。それを奥田民生はこの曲で「僕らの自由を、僕らの青春を」というバカ正直な言葉で吐き散らした。「自由」「青春」なんて僕以上に青いけど、それでも人は民生の鳴らすこの愚直なロックに高揚し、夢を見たのだ。ロックは、髪型もファッションもパーフェクトにきめたかっちょいいにいちゃんのものだけじゃないし、社会を知らない無邪気な青二才の青春だけじゃない。白いタオルを無造作に頭に巻いたおっさんだって、ギターを握り締めるだけで夢を見ることができる。そんな場所なのだ。それがロックの凄いところなのだ。ロックが夢であり続けること。その象徴として、奥田民生は今も歌い続けている。
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03:47 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Either Way

なんだか昨日はバイトやらなんやらで自分のダメさを痛感した一日だった。
昨日はお店が忙しくて、終わったころには終電もなくて、
音楽聴きながらトボトボ歩いて帰ってきました。
ここ数ヶ月間よく聴いてるウィーザーで更にダメさを痛感して、
今年の新人勢ではヴュー、ミーカ、クラクソンズなんかと
同じレベルの衝撃だったトゥワングの“イーザー・ウェイ”の
「今日はずいぶん気分が良いよ、悪いこと全部追い払っちゃったからさ」
に励まされて、やっぱロックが好きだ、と結局元気が湧いてきました。
その後に聴いたカニエもすごかった。
「俺じゃないすべてのものが、俺のすべてを作ってる」には改めて素直に感動した。

今は朝早くてちょっと眠いけど、
コーラルの新作を聴きながらコーヒーとドーナッツで優雅なモーニングです。
今日はお昼に大学祭関係で重要な仕事があるのでここで寝るわけにはいきません。
昼までにジェイムス・ブラントとPJハーヴェイとアンダーワールドも聴くぞ。

気付けばずいぶんと久しぶりの更新。
10日ぶりぐらいかな。
学び舎の日帰り旅行とか彼女とのドライブとか買物とか、
書きたいことはいっぱいあるけど一睡もしてなくてさすがに眠いので、
書きやすいことを書きます。

彼女とは付き合い始める前から相当数の映画を一緒に観てきたんですけど、
この前は懐かしの『ターミネーター』シリーズの1、2を観ました。
何回も観てきた作品だけど、やっぱ面白いなぁ。
個人的には「考える映画」が好きなんですけどね。あれは別格だ。
あの作品には、日本映画は失ったけど韓国映画は持っている、
そんな映画をやることにおけるピュアさみたいなものがある。

最高にでっかくてド派手で「ハリウッド!」で「アメリカン!」なあの作品。
「エンターテインメントに傾倒したアメリカ映画は嫌い」
っていうおバカな人には一生わからないかもしれないけど、
あの作品が本当に素晴らしいのは映画の最もベーシックな部分を
まったく踏み外さずに2作やり続けたからなんだ。
それが太りすぎたから僕たちはこの映画の3作目を許さなかったし、
「アメリカ映画なんて」という価値観を必要としたわけだけど、
あの2作には「やっぱ映画はこうじゃなきゃならん!」という変な説得力がある。
それがやっぱりあの作品の真骨頂だと思うんですけど、どうでしょう。
こんな話も聞いてくれる、僕の彼女は素敵な子です。

ノロケになる前にディスク・レヴューに。
今日はもうコーラルの新作で良いや。
デビュー・アルバムについても1年ほど前に書きました。
個人的にはこの新作が1番のツボです。

Roots & Echoes / The Coral
Roots & Echoes



これでもまだまだ若いです
 いろいろと語る前に、まず何も言わないでデビュー・アルバム『ザ・コーラル』と本作のジャケットを比べてみて欲しい。平均年齢19歳という若さでデビューした彼らの第1章を飾ったあのアルバムのジャケットはまるで卒アルかなにかの1ページみたいにメンバーの写真が無造作に切り貼りされていて、彼らの若々しさや無邪気さを見事に表現していた。実際、あのアルバムに収録された楽曲には気心の知れた仲間と集まってわいわいやる時のテンションそのままで楽器をプレイするという単純な喜びに溢れていた。コーラルとは、そういうバンドだった。それが、コーラルというバンドを「町一番」のバンドから「イギリスのメインストリーム」にまで押し上げた最大の魅力だった。ではこのアルバムはどうだろう。デビューから5年で4枚目のアルバムとは奇跡的なペースだが、もうそれは自明の理というやつだ。だがそれにしても、5年目にして本作ジャケットから早くも滲み出ているこの「ギターをかき鳴らす渋さ」のようなものはいったい何だ。60sのブルース・アルバムのジャケットみたいに閑寂で、うん、なんか良いじゃないか。
 そして、ここに収録された11の楽曲はこのジャケットをまったく裏切っていない。無邪気さもそれを象徴していたノリだけで重ねて歌ったようなアンサンブルもここではミニマムに抑えられていて、ただひたすらソングライティングの良さと成長だけが目に立つ作りになっている。こっちは彼らのソングライティングの才には絶対の信頼を置いているから良いが、こういうむき出しのアルバムを作るのには相当の決心が必要だっただろう。異質部分を意識的に削ぎ落とすことでひとまずコーラルとしてのスタンダードなロックを示したわけだが、前作以来この若き鬼才たちはノエル兄貴からの心強い後ろ盾を得たようだし、ここからどんな風に更にビッグなバンドへ育っていくのか、もう目が離せません。リバはとっくに解散したし、ザ・ミュージックはセカンド以来音沙汰なしだし、奇跡のような01年組の中でもこのバンドは完全に牛蒡抜き状態です。


The Coral-Who's Gonna Find Me
07:50 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

スタンドアップ!

five-star.jpg
YUKIのシングル・コレクションが来月に出ます。
未発表曲なんかは収録されない、本当に純粋なシングルのコレクション。
今日はiPod内のプレイリストに収録曲をそのまま入れて聴いてます。

音楽を聴く時はネットでカスタマーレヴューをよく読むんですけど、
みんな注目してるのは配信限定だった“ビスケット”が入ってることとか、
『joy』以降の楽曲の普遍性の高さばっかだし、
個人的には「えー!YUKIファンでさえ全然理解できてないやん!
そんなことはもうとっくにわかってるよ~」という感じです。

今シングル曲を全部聴き直して思うことは、
『PRISMIC』、『commune』、『joy』以降、と大きく3パターンに分けられる中でも
『commune』期の楽曲のクオリティっていうのは凄まじいなってこと。
もちろん『PRISMIC』期の楽曲が一番刺激的で衝動的で、大好きなんだけど、
でも『commune』の芯の強さっていうのは相当なもんだと思う。

YUKIは、『PRISMIC』で自分を救わなきゃならなかった。
夢を見続けることのできなかった自分にもう一度希望を与えなきゃならなかった。
もうしつこいくらいこのブログでは言ってるけど、
“呪い”の「もう うたえないわ」っていうこの究極の1行で、
自分の弱さで、YUKIは自分を救った。
『commune』はそんな『PRISMIC』の上に成り立った作品だ。

『PRISMIC』は自分だけに焦点を定めた内気な作品だったけど、
『commune』は自分を取り囲む少し外の世界に働きかけた作品だった。
それは時に自分自身の内面世界であり、音楽やパートナーでもあった。
その「なにかに関わる勇気」を鳴らしたアルバムだった。
自分を救うことで手に入れた「強さ」でもって、
目の前にあるなにかに両手を差し伸べる勇気を示したアルバムだった。
『commune=(語り合う、心を通わせる)』というアルバム・タイトルは
このアルバムにYUKIが込めたそんな意思表示だったはずだ。

そして、そこからシングル・カットされた3曲、“スタンドアップ!シスター”
“ハミングバード”“センチメンタル・ジャーニー”が、
来月発表のシングル・コレクションには収録されています。
すでにYUKIファンの人にも、これからYUKIを聴こうとしている人にも、
僕がシングル・コレクションから1番聴きとって欲しいことは、
この『commune』からの3曲での、YUKIの歌声のあり方、立ち方です。
『PRISMIC』みたいな情緒不安定な歌声ではなく、
『joy』以降の少女性ゴリ押しの歌声でもない。
向こう岸の心にまで届くような、
自分の弱さにも快楽性にも何にも溺れていない、
『commune』期にしかなかったエヴァーグリーンな歌声。
そこからゆっくりと立ち上がるYUKIの静かな、でも物凄く強い意思。
「立ち上がれ 私がついてるわ」
“スタンドアップ!シスター"のこの一節は、
YUKIが本作で自分の「強さ」を握り締めたことの証明。
『PRISMIC』のYUKIには絶対に歌えなかった。
『commune』が『PRISMIC』を超える光を放つ瞬間です。
シングル・コレクションでも『commune』でもどっちでも良いから、
やっぱりそこの部分を聴いて欲しいです。

『PRISMIC』や『commune』のカスタマーレヴューを見て、いつも思う。
初期作がいまいち評価されていないのは
作品の良し悪しが問題なのではなくて、
YUKIの表現の凄まじさにYUKIファンでさえついて行けてないっていうことなんだ。
全然理解できてないんだ。
シングル・コレクションの発表でこれまでを振り返る機会を得たんだから、
是非すべての作品と本気で向き合って欲しいと思う。

もうこのままディスク・レヴューに。
今日はYUKIの『commune』でいきます。
1年以上前にも紹介したことあるんですけど、
その頃とは音楽との向き合い方自体が変わりまくってるので、書き直します。
『PRISMIC』よりこの作品の方が好きな時期もあったなぁ。

commune
/ YUKI

Commune



人は、それをコミュニケーションと呼んだ
 『joy』と『WAVE』の2作が売れすぎてしまったせいで、シングル・コレクションの発表を目前にしたこのときにYUKIのキャリアをもう一度振り返るとしても、この超地味なセカンド・アルバムが俎上に載せられることは滅多にない。でも、押さえ切れない思いを必死でぶちまけようとする強い衝動や危うさも無ければ会場全体にでっかい笑顔を振りまく愛嬌の良さも無い、「大切な君」にさえ届けば良いとでも言うような静かな愛しさに優しく守られたこのアルバムにこそ、YUKIの心の深奥部から時間をかけて浮かび上がってきたかのような芯の強さを僕は感じてしまうのである。
 前半部を『PRISMIC』と地続きのギター・ロックが演出している本作だが、全体を覆うムードやスタイルとしては中盤のシングル3連発が象徴的で、要はスローで柔らかなサウンドスケープを描き出すネオ・フォークである。他の3作品と同じラインに並べて比べてみると、ロックのダイナミズムも実験性も少女性も煌びやかさも無いの無い無いずくしでもしかしたら『joy』『WAVE』好きのリスナーには少し取っ付きにくいかもしれない。しかし、このアルバムに込めた思いを的確に聴き手の心に届けるために、彼女はギター1本でさえ伝えることのできるわかりやすいロックを選ぶ必要があった。あらゆるものを削ぎ落とし、そこに残ったものは純粋な楽曲の良さと彼女のパーソナルな心情だ。だからこそこのアルバムは他のどのアルバムと比べてみても言葉の比重が圧倒的に高く、それと逆にポップとしての機能性という点では大きく引けを取る。聴けば聴くほど彼女の言葉が頭の中に深く染み込んでいく類のアルバムなのだが、それはどこか僕たちが「コミュニケーション」と呼ぶアクションと一脈通じるところがあるのではないだろうか。倉持有希というアイデンティティと向き合うこと、自分の音楽と付き合っていくこと、人と関わって生きていくということ。それをYUKI流に鳴らした、『commune』という名のドキュメントなのである。


YUKI-スタンドアップ!シスター



22:46 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

エクスプレス・ユアセルフ

昨日届いたエイミー・ワインハウスを聴いています。
「私はリハビリなんて行かないわよ
/家でレイ・チャールズを聴いてる方がずっとまし」だって。
ジャズ、モータウンをレトロ感覚で鳴らすポップ・ソングだから
どうしてもリリー・アレンと印象をかぶらせてしまって少し残念だけど、
でも最近の女性アーティストはみんな本当に元気があって良いなぁ。

こんなことを言ったら反感を買いまくってしまいそうだけど、
ロックっていうのは完全なる男性社会だ。
少なくともマドンナの登場までは、そうだった。
「自分をエクスプレスしなさい、そうすれば自分をリスペクトできるはず
/もしやりたいことがあるなら、それをどうにか示しなさい
/手に入れたものを、エクスプレスしなさい」
だからこそマドンナのこの訓示は臆病な男性社会ロックへの強烈な一撃となった。
女性がロックを手段にしてやりたいことをやり、言いたいことを言う。
それを長い間許してこなかったロック界にマドンナが叩きつけたテーマ。
リリー・アレンにしてもエイミー・ワインハウスにしてもゴシップのべスにしても、
多くの女性アーティスト達が強烈なメッセージと存在感で戦い続けてるこの現状は、
マドンナが提起した忌々しい命題がまだ終わりを迎えていないということ。
マドンナと同じフィールドでロックに立ち向かうだけの度量を持った女性達が
こんなにもいるということ。
マドンナがそうしたように、この人達がこれからのロックを変えていくのかな。
ロックはどこへ行き着くのか、まだまだ先は見えません。

でも日本の音楽界には、こういう人っていないなぁ。
日本じゃあ多分非難されて、それで終わりだ。
懐かしのt.A.T.u.にあんなにも非を鳴らす国だもんな。
t.A.T.u.を評価しない人間はアホだと思った。

今日紹介するこの人も日本じゃ全然相手にされなかった。
そもそもこの人の存在を知ってる人がどれだけいるのか、それすら疑問だ。
でもやっぱり「聴かれるべきもの」っていうのは確実にある。
この人の音楽はまさにそれだと信じているので紹介します。

Kala
/M.I.A.

カラ KALA



真に聴かれるべきポップ・ミュージック第二章
 確か1年くらい前にもこのブログで書いたし、M.I.A.ことマタンギ・マヤ・アルプラガサム本人もインタビューで言っていたことだけど、前作のデビュー・アルバム『アルラー』が一部の良心的なリスナーと評論家の間でしか盛り上がらなかったイマイチな結果には心底納得がいかなくて、もう本当にあのアルバムを聴かずしてお前はいったい何を聴くんだこのバカヤロという感じで、あのビッグ・センセーションを見逃すなんてこと絶対にあっちゃいけないと思っていた。あのアルバムは凄絶な10代を過ごし亡命経験もある、全力で生きることを知っているタフな女性の怒りと叫びが、これまで誰もやったことのなかったビート、誰も聴いたことのなかった音楽と共に詰め込まれた、真に聴かれるべきポップ・ミュージックだったはずだ。だから、置き去りにされた前作の分を遠慮なく加味した上でこのセカンド・アルバムは再び「真に聴かれるべきポップ・ミュージック」でなければならなかったし、彼女は実際にそれをやり遂げてしまった。
 「M.I.A.がパワー・アップして帰ってきたわ!」と歌う冒頭曲から彼女の本作にかける揺るぎない自信と向上心がそのままの形で伝わってきてなんとも頼もしい。世界各地でレコーディングが行われた本作には当然のように各地のビートやエッセンスが吸収されていて、それは現地の少年の声としても記録されている。銃の「バンバン!」やレジの「チン!」までもが感情を持ったメッセージとして機能している音楽を僕は初めて聴いた。その瞳に映る黒ずんだ世界に立ち向かうべく、彼女は今もマイクと共に拳を突き上げている。真に聴かれるべきものであるはずなのに、彼女はそれをやることでむしろ隔絶したところへ追い詰められている。そのスタンスやポジジョンそのものが、彼女の鳴らしているやっかいなテーマを象徴するひとつひとつのファクターなのである。


M.I.A.-Boyz
14:27 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

携帯、服、そして

どっかいっちゃったなぁと思ってた昔の携帯が出てきた。
高2から大学入学まで2年間くらい使ってたから
僕の高校時代の思い出がたくさん入ってる携帯だったんですが、
久しぶりに電源をつけてみたらデータが全部消えて初期状態になってました。
自分の過去が消されたみたいでショックだった、という大袈裟な書き方をしたら
物凄く携帯に依存してる人みたいでちょっとイヤ。
でも寂しいなぁ。
あの試合もあの川もあの山も消えちゃった。

話は変わって、最近は夜になるともうだいぶ涼しいですね。
昼間はまだちょっと暑いけど、これからどんどん涼しくなるのかな。
早く秋らしい季節になって欲しいものです。
でもそうなったら秋冬ものの服がいるなぁ。
なんで小倉には服買う場所があんなにもないんだ。
あっても着る人選ぶような服しかないし……無事に冬を越せるか、心配です。
おまけにお金ないし、困ったもんです。
今日クレジットの明細が届いたんですけど、
タワレコとアマゾンでの買物だけで6万5000円……。
結構抑えたつもりだったのになぁ。
今日もコーラルやらスーパー・ファーリー・アニマルズやらのCDが届いたし、
明日もカニエとかエイミー・ワインハウスとかが届く。
このペースは結構危険だ。お金なくなっちゃう。

特に書くことももうないので、ディスク・レヴューです。
今日はケミカル・ブラザーズが今年発表した新作。
中学以来のケミカル・ファンです、僕は。
彼らの“プライベート・サイケデリック・リール”は
僕の音楽体験で初めてのセンセーションだったと思います。

We Are The Night
/ The Chemical Brothers

WE ARE THE NIGHT



昼間だけでは終わらせない
 90年代のケミカル・ブラザーズに求められていたもの、そして彼らがやろうとしていたこととはすなわち、ダンスがロックへ歩み寄るスリルであり、ロックのタイミングでダンスを鳴らす絶妙なテクニックであり、後に彼らはそこにサイケという狂気を持ち込むことで僕たちに更なる興奮を与えてくれた。21世紀に突入してからのケミカルはというと、ベスト盤と『カム・ウィズ・アス』という集大成アルバムで自身のキャリアに一区切りつけ、最もヒップホップ的となった『プッシュ・ザ・ボタン』という試行錯誤の垣間見える作品を発表。そして今年、07年である。
 「俺たちが夜だ」という大胆な宣言に並々ならぬ意志の強さがまとわり付いている通算6作目となる本作にはしかし、初期のロックとダンスを攪拌するような反則的なテンションも、『カム・ウィズ・アス』で高みを迎えた強靭なビートも、シングル“ゲット・ユアセルフ・ハイ”以降部分的に採用されてきたラップのフィーチャーも、ない。本来の「ケミカル」が意味するものから彼ら自身が意識的に距離を置いているような印象を受ける。それでもトムとエドの2人のクリエイターたちの「時代の1歩先を行く」センスと先見性は相変わらず鋭くて、ニュー・レイヴど真ん中のクラクソンズの魅力を承知した上で自分達の中に取り込み、そこにセクシーさやしなやかさまで表現してしまう圧巻曲“オール・ライツ・リザーヴド”にはもう流石としか言いようがないと思うのだが、どうだろう。ケミカル最大最強の武器である「革新」の切っ先はここでもこれっぽっちも錆び付いてはいない。だからこそ「俺たちが夜だ」というこの挑戦的なタイトルは「これまでと違う」が、「これからも現役であり続ける」という彼らの決意表明にもとれる。でも1番正直なことを言えば、これまでケミカルに求めてきたものと違うし、でも個人的には結構好きだし、かなり微妙な心境です。


おまけ
The Chemical Brothers-Do It Again
23:09 | 日記 | comments (0) | trackbacks (1) | page top↑

ザ・ヴューはすごい

何が最高かって 店の周りでブラブラすることさ
たむろするんだ ドライバラの店で
仲間とつるんで 一人座り込む奴を尻目に    from“The Don”



上半期ランキングを書いた時、
僕はザ・ヴューのデビュー・アルバムを、一義に及ばず一位に選びました。
あのアルバムを上回る作品はやっぱりまだ発表されてないし、
今年が終わる時、「やっぱり07年はザ・ヴューだったな」というふうに、
僕は一年間を振り返っていると思います。
上に書いた歌詞はそのデビュー・アルバムに入っている
“ザ・ドン”という曲の中の一部。
一番好きな彼らの曲はなんだかんだで
“ウェイステッド・リトル・DJ's”だけど、
“ザ・ドン”には「07年ベスト・リリック賞」をあげたい、そんな曲です。

これはトゥワングのディスク・レヴューで一度書いたし、
これからも何度だって言い続けるつもりだけど、
ロックっていうのは、「夢」なんだ。
常に新しいものが求められて、新しい聴き方が提示されて、
それが繰り返されることで、ロックは大きくなりすぎた。
でっかくて解かりやすいエネルギーをドカーン!とぶつけること、
メンバーがみんな集まって、せーのでバーン!と鳴らすこと、
最近のロックにはその一番根本的な部分が足りない。

U2のボノみたいにアフリカの子ども達を救うためにロックする人もいる。
プリンスは相変わらず愛で地球を救おうとしてる。
ビョークは人間のやり残したことをやり続けてる。
でも、ロックの世界って本当はもっと小さいんだと思う。
クラブだってサッカーだってゲームだって、楽しむ方法はたくさんあるのに、
店の周りで気心の知れた仲間とおしゃべりすること、
そんなちっぽけなことを大切にしてしまう自分のために、ロックはある。
そんな小宇宙でしか生きられない自分を救うために、ロックはある。

全部ここに載せられなくて残念だけど、
ザ・ヴューの『ハッツ・オフ・トゥ・ザ・バスカーズ』には
これぞザ・ヴュー!という名言が多い。
「金なんかいらない/思い出があればいい」
と青臭く歌うのは“スーパースター・トレーズマン”。
「人生は壮大な堂々めぐり/けど終わりは必ず来る
/俺の人生が終わるときも/友達でいてくれるか?」
これは“セイム・ジーンズ”から。
どれも本当に青二才だなという感じで、
「甘い」と眉間にしわを寄せる人もいるだろうけど、
でも、これがロックの理想主義の根本的なところだ。
おまけに、ヴューは若い。リアルタイムの10代の言葉だ。

30年以上も昔、ザ・フーはそれを「10代の荒野」と歌った。
ロックだけを手にとって社会にぶつかっていく絶望的な若者。
ザ・ヴューも、「ここは荒野だ」と歌っている。
それでも、俺にはロックがある。
それがロックの究極的な理想主義だ。
ほとんど独りよがりの妄想に近い、ロックの最大の夢だ。
それを今になって、07年になって聴けたことは、
なんというか、僕はとにかく幸せで、ワクワクせずにはいられないんです。

だからみんな、ザ・ヴューを聴こう。
ロックの本当のエネルギーと説得力と理想論と、夢を聴こう。
14:39 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Good Time Music

小倉に戻ってきました。
実家にいる時間、本当に短かったなぁ。
今年の夏はいろいろあったから、まぁ仕方ないです。
短かったけど、嬉しいことが実家に帰ったその日に起こりました。

このブログでも書いたことのある僕の中学時代の洋楽仲間。
音楽聴きながら外をぶらぶら歩いていたら、
そいつが向こう側から同じように音楽聴きながらぶらぶら。
4年ぶり(5年ぶりかな?)の再会でした。
ずいぶん久しぶりなのに、偶然出会った感動はほったらかしで
2人とも「何聴いてたん?」と早速音楽の話でした。
そいつはちょっと趣味が変わったみたいでした。
昔はドカーンとでっかいロックをやるアメリカンな連中が好きだったのに
今はもうクラブ行きまくり、ダンスのビートにノリまくりのクラブ人でした。
でもロックも未だに聴いてて、
サム41の新作をちゃんと聴いてたのは嬉しかったです。
中学の時は2人でサム41を歌いながら家に帰ったもんです。
僕は聴いてる音楽も見た目も何も変わってないと言われました。
中学時代の友達に「中学生みたい!」と言われてしまった。
バイトが忙しいみたいでちょっとしかしゃべれなかったけど、
久しぶりに会えて良かったです。

次の日は剣道部の同期とひとつしたの後輩達と遊びました。
もう完全にホストみたいになっちゃってるやつやら、
ブートキャンプに入隊してずいぶん逞しくなった後輩やら、
でもほとんどみんな、あんまり変わってなかったです。
中身はもうそのまんま。1㎜も変わってなかった。
相変わらず剣道部の仲間はみんな愛しかったです。

僕は友達と久しぶりに会うっていうのが苦手で、
その友達がかっこよくなってても、可愛くなってても、
それでもやっぱりどこか変わってたら、
自分の関わらなかった時間の長さをまざまざと見せ付けられる気がして、
なんだか物凄く寂しくなってしまいます。
そのせいか、それともそれは何も関係ないのか、
僕はもう「ちょっと変われよ」というくらいなんも変わりません。
小学生の時から、もしかしたらもっと前から、なんも変わってません。
字の汚さぐらいは変わってくれても良かったのにと切実に思います。
でも、その「変わらなさ」が自分の良いところだと思ってるから、いいです。
こればっかりは自分で言わなきゃ誰も言ってくれない。
“I need to be myself, I can't be no-one else”
これがオアシスの教えてくれた一番かっこいい生き方。

あとはちょっと買物に出かけたのと家族サービス。
家族は家族で相変わらずでした。
父親は、家族相手なのにコミュニケーションとるのが苦手そうだったし、
母親は、仕事で疲れてそうなのに一番元気にしゃべってました。
僕はこの人たちの子どもだと思った。
「彼氏いない暦=年齢=22年」を無意識のうちに貫き通してしまっている
うちの姉は未だに宝塚の見せてくれる「夢」に夢中でした。
「お前ちょっとどうにかした方がいいぞ」と思いながらも、
姉弟そろって好きなものに対する思い入れは凄まじいねという感じでした。

というわけで、まぁ結局みんなも自分も何も変わってないということです。
素敵なことです。
素敵といえば、手紙って本当に素敵だと思う。
手紙はなんか、また政治とかいろいろ語ったときみたいな理想論だけど、
手紙は素敵なものじゃなきゃ駄目だと思う。
そういうわけで、手紙を書きます。
素敵なものになると良いな。


今日のディスク・レヴューは、
ある種の「変わらなさ」と手紙みたいな素敵なリリックで
キャリアを歩んできたクラムボンの作品。
前に『ドラマチック』という作品も紹介しました。
今日のは今年発売された現時点での最新作です。

Musical / クラムボン
Musical



それでも、これはやっぱりクラムボンなんだな
 前作『てん、』はまったく同じ曲群をモノラル/ステレオの2ヴァージョンでそれぞれ録音し、2枚組という形で発表したこれまでにない実験的な意欲作だった。そして、今年発表された通算7作目となる本作で、クラムボンはついに日記や手紙を書くかのようなあのささやかな生活的叙情性で歌を包み込むことをやめた。このアルバムを埋め尽くすのは、“Merry go round!”や“Carnival”といったアブストラクトかつファンタジー的なタイトルを冠した楽曲であり、「ここじゃないもっといい場所に」「ここでは誰もが鳥になる」「あの雲のむこう/そのまたむこうがわへ」といった逃避的な匂いのする言葉の数々である。サウンド面でもこれまでのダイナミズム至上主義は影を潜めていて、ともすれば閉鎖的な印象すら受けかねない。まるで夢を見ているときのような、変な閉塞感と安心感みたいなものが全体に漂っている。そんな感覚だ。13分にも及ぶ文字通りの“Long Song”は本作の空気を象徴する圧巻中の圧巻。長ったらしいと思われるかもしれないが、絶対に聴く価値がある。
 どうやらクラムボンは自身の音楽的触れ幅を広げようとしているようだ。前作と本作の2作品で自由度を引き上げた音楽性がこの先どういったところに収まるのか、いったいどこに行き着こうとしているのか、それを想像するだけで次作への期待が高揚するのは止められない。そして、そこには不思議なくらい不安感や懐疑的な気持ちがまるでないのだ。それがどれだけすごいことか、お解りだろうか。このバンドとファンを繋いでいるものが他でもない「信頼」であること。クラムボンがクラムボンであり続けること。作品にクラムボンとしての血を通わせること。そのずっとずっと根源的な部分に触れることのできる良い作品だと思う。僕は、クラムボンを信頼しています。


おまけ
クラムボン-Merry go round!
23:24 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

早く用意しないと

う~ん、とくに書くことはないけど、
ここのところサボり気味だから何か書こうと思う。

実は、数時間後に夜行バスに乗って実家に帰ります。
でもバイトの関係ですぐにこっちに戻って来なくちゃいけません。
なかなかゆっくり帰れないです。
いろいろとしたいことがあるので、地元の友達とも何も予定はいれてません。

もうこれで書くことがなくなってしまった。
帰る準備をまだしてないので今からしようと思います。
ディスク・レヴューはやります。

最近ちょっとヒップ・ホップに興味を持ち始めてきました。
サウンド的には自分のツボじゃないけど、
ヒップ・ホップ全体の流れと言うか文脈と言うか、
今いろいろと考えてみると結構おもしろいです。
そうやって思うと、やっぱりちゃんと理解されてないアーティストって、
ロックと同じでかなり多いなと思う。
日本では、ポップ界の暗黒部分を背負ってる
ヒール役みたいな理解のされかたしかしてないエミネムなんかが特にそうだな。
この前も「エミネムの存在はヒップ・ホップ界の新たな可能性やってん!」
とずいぶん力説してしまった。
そういうわけで、今日はヒップ・ホップ作品で。

A Grand Don't Come For Free / The Streets
A Grand Don't Come for Free



UKヒップ・ホップ最高到達点
 例えば、エミネムが“スタン”でやった試みというのは言葉の情報量の多いラップの特性を踏み台にすることで1曲の表現の奥行きを格段に広げることであり、彼はそれをエミネム・ファンとエミネムの手紙のやり取りという極めてコンセプチュアルな形で実現してみせた。ラップによるストーリー・テリングという手法を考え出したのはもちろんエミネムではない。だが、徹底的に構築された楽曲編成にエミネム特有の直接的すぎるリリックがのせられ、衝撃的な結末と共に着地するラップ・ストーリー“スタン”が生まれた時の衝撃というものは、やはり別格だった。ヒップ・ホップがあれほどまでの余韻を残すことが可能な音楽であるということを僕は“スタン”で初めて知ったし、それをポップなフィールドでやってみせたエミネムの上をいくリリシストはいないと今でも信じている。『ザ・マーシャル・マザーズLP』発表当時のエミネムはUSヒップ・ホップの最高到達点であったと同時に、ヒップ・ホップ界の新たな可能性でもあった。
 エミネムが提示した可能性の扉をヒップ・ホップの根がまだまだ弱い英国で開いたのがザ・ストリーツことマイク・スキナーである。このアルバムに描かれた、失った1000ポンドを取り戻すまでのストーリー――アルコール、ドラッグ、友達、恋人、依存、信頼、裏切り、そして、ひとつの終わりとひとつの始まり――。リズムやビートよりも完全にリリックを優先したサウンド理論で語られるそれらのストーリーが後半へ進むにつれて少しずつ集約されていき、ラストにはアルバム・タイトルにも忠実なひとつのコンセプトを完成させる。映画を観終わった時のような大きな感動に聴き手の心が打たれるのは、もうここまでくれば必至と言っても過言ではないだろう。UKグライムのアジテーションとしての役割という意味でも非常に重要な1枚。


The Streets-Dry Your Eyes
20:20 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ラ・ラ・ライ

昨日はドライブでした。
僕は免許持ってないので「運転はまかせた!」と言っていたら
「音楽はまかせた!」と言われたので
久しぶりにMDなんていじってみました。
我ながら良い出来に仕上がって満足。
もうコンピの選曲と繋ぎのセンスでは誰にも負けません。
ほとんど全曲シンガロングでうるさかったかもしれないけど、
楽しそうにしてくれたからいいや。
一日中運転お疲れ様。ありがとう。

今日は『レミーのおいしいレストラン』を観に行こうと思ってたけど、
もう吹き替え版しかやってないみたいなのでやめました。
だから、今日はマグカップ買いに行きます。
映画はまた今度行こう。
今まではずっとうちで観てたから、映画館で観たことないもんね。

今はダニエル・ジョンストンを聴きながらゴロゴロしているという
優雅な午後です。
そうめん食べたら小倉に出かけます。
それまでにちょちょっとディスク・レヴュー。

ぶっ生き返す / マキシマム ザ ホルモン21AprMAmmLL.jpg

07年、ただひとつの「ブッイキス!」
 なんかもう誰がメイン・ボーカルかわからないし、やたらと高音でシャウトするやつがいるし、いつもトゥールのTシャツ姿でトイレのサンダル履いてるマキシマムザ亮君とかいうふざけた名前の野獣がいるし、その野獣の姉貴曰くドラムは「顔で叩く」ものらしいし、介護福祉士の資格持ってるレッチリ・フリークがいるし、とにかく訳のわからんエネルギーがとぐろを巻いて不穏な空気を発しているバンド、それがマキシマム ザ ホルモンである。そしてこの「ぶっ生き返す」というあまりにもイケてないジョークのようなタイトルの付けられた本作は、07年最速の即効性で聴き手を「ぶっ生き返す」パワーを叩きつけてくる傑作アルバムである。
 1曲目のタイトル・トラック“ぶっ生き返す!!”の「貴様らブッイキス!!」の連呼を聴くだけで僕達は彼らがこの作品に集中させた意味不明なエネルギーとしょーもないユーモア・センスと、要はこのバンドの本質を瞬時に理解することができる。背筋が曲がって下を向いたやつらを即効でピン!と奮い立たせ、徹夜明けの眠気なんて一発で蹴り飛ばして脳天を直撃するこの変な衝動。もしかしたらぶっ殺された人間だって本当にぶっ生き返せるかもしれない。その凄まじいエネルギーを異常なテンションで、目を剥いて唾と共に吐き散らす彼らだからこそ「ぶっ生き返す」というこのくだらない言葉は有効だし、その一言だけでこのアルバムの何もかもに説明がついてしまうのだ。「ブッイキス!!」と本気で叫ぶことと引き換えに彼らが失った理性や体裁なんてほったらかしにしてとにかくこっちもぶっ生き返らずにはいられないのだ。今年は洋楽では9.11以降の価値観を引きずってやたらと世界を葬り去ろうとするバンドが多いけど、時代の空気も何にも考えないでバカバカしいけど巨大なエネルギーをぶつけてくれるこういうバンドがいるからこそロック界の均衡は保たれる。個人的には今のところ07年最高のサウンド・トラックだと思っています。


マキシマム ザ ホルモン-ぶっ生き返す
13:05 | 日記 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑
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