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Leave Out All The Rest

真昼間から更新。
今久しぶりにリンキン・パークの『Hybrid Theory』を聴いています。
いやぁ、かっこいいなぁ。
チェスターとマイク・シノダの掛け合いは本当に大好きだった。

リンキン、リンプ、スリップノット。
中3から高2ぐらいまでは僕のロック三大要素はこの3つのバンドでした。
スリップノットは「趣味悪い」とよく言われましたが、
ヒール役をやってくれる人達は絶対必要ですよ。
必要悪っていうやつですかね。
キレイな人達ばっかだったら、頭がおかしくなる。
もう今は全然聴いてないけど、
スリップノットを好きになれたのは大きかった。

某映画のおかげでマリリン・マンソンが一番有名だと思いますが、
ああいうデス・メタル的なビジュアルで
汚い言葉ばかり発するバンドを好きな子供達はみんな危険分子だ
みたいな言い方する何も知らない大人達は結構多いですけど、
リスナーはそんなにバカじゃないですよ。
ああいうバンドの真似して暴力的になる子供が元々バカっていうだけです。
なんていうか、理不尽に思うこととか、フラストレーションとか、
そういうものを一身に背負ってくれる人達がいないとダメなだけなんです。
そうじゃないとしんどすぎたんですよ。
真似したい、とかで聴いてるんじゃないんですよ。
あんまりわかってもらえなかったなぁ、当時は。
誤解されやすい音楽を好きになるのは結構大変なことです。

話は変わって今日は学び舎の新歓。
もうすぐ6月だっていうこの時期に毎年新歓をやる学び舎。
流石です。普通もうとっくに終わってる時期なのに。
学び舎のそういうとこ大好きです。
新入りは3人しかいなくてちょっと寂しいですけど、
思う存分楽しんじゃおう。

でもその前にTSUTAYAに行こう。
ピクシーズとティーンエイジ・ファンクラブを借りるんだ。
名盤紹介して行ってきます。
今日紹介するのは僕の昔のロック三大要素のひとつのバンドの新作。
今は友達に貸してて手元にないんですけど、紹介します。
そういえばこのバンドのオリジナル・アルバムは全部紹介してきたなぁ。
3枚以上紹介したことあるのは、YUKIとオアシスぐらいじゃないかな。
このバンドはこれで3枚目です。

Minutes To Midnight / Linkin Park
ミニッツ・トゥ・ミッドナイト



もう完璧
 初のライブ・アルバム『Live In Texas』(03年)、Jay-Zとのコラボ・アルバム『Collision Course』(04年)、映像作品の『Frat Party』(05年)、さらにはライブ8(05年)やサマーソニック(06年)の参戦など、前作『Meteora』(03年)の発表から本作発表までの4年間まったく話題の絶えなかったリンキン。もはや現在のロック・シーンにおける彼らの存在感からすると最新作となる本作でまだ3作目というのが意外すぎるぐらいである。そして、これまで可愛げがないぐらい余裕綽々で理想的なキャリアを歩んできた彼らだが、なんだかここまでくると全てが予定調和的に仕組まれた作り話みたいである。リンキンが駄作を世に送り出す時こそが世界崩壊のまさにその日なのではないだろうか。懐かしのノストラダムスのそれよりは遥かに蓋然性の高い予言だと思う。
 というわけで、リンキンの通算3作目となる本作『Minutes To Midnight』(07年)は前2作に引き続いてまたもや傑作である。マイク・シノダのラップが導入されているのはたったの2曲。代わりに彼がリード・ボーカルで胸中を吐露する新しい試みの“In Between”が収録されている。これまで“One Step Closer”や“Faint”などに代表されてきた迫真性と突き抜けるようなスピード感で全てをなぎ倒すようなナンバーは一応収録されてはいるが、それでもこれまでに比べれば消極的なアピールである。要は全2作で打ち出されたリンキン・サウンドとは明らかに一線を画しているわけだが、ここには紛れもない「リンキン」が息づいているのだ。ラップがない分、リード・ボーカルのメロディはこれまでになく洗練されている。異色の“In Between”はマイク・シノダの赤裸々すぎる独白が思わぬ鋭さで胸に刺さる名曲である。彼らはもはや楽曲の勢いだけで世界を圧倒するようなバンドではないのだ。このアルバムで打ち出されたものとは、サウンドからリリックまで、あらゆる面に置いての確実な「深化」である。相変わらずの理不尽なまでのパーフェクション。ため息が出る。


おまけ
Linkin Park-What I've Done
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13:28 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Road To Joy

本日3回目の更新。
前の2回はわめき倒してすいませんでした。
今は結構機嫌が良いです。
ピジョン・ディティクティブズのデビュー・アルバムが良かったので。
更新し終わったらマラジューブも聴かないとな。

YUKIの“ビスケット”も別に悪くないと思います。
ただ発表の仕方が気に食わなかっただけです。
もちろん『PRISMIC』『commune』期には足元にも及びませんが、
『joy』以降のシングルでは良いほうだと思う。
アレンジにものすごい力入ってます。
『WAVE』期には“歓びの種”と“メランコリニスタ”っていう
スカスカの「なんじゃこら」って楽曲がありましたね。
実はそれらよりもポップに響きかねない
“長い夢”のアレンジは隙間の無い完璧なものだったんですよ。
それはもうYUKI史上一番の出来と言っても良いぐらいでしたよ。
ああでも“スタンドアップ!シスター”も負けてないな。
とにかく、“ビスケット”は“長い夢”とまではいきませんが、
それでも良いアレンジだと思う。
ただ、曲調に関しては個人的に言いたいことがたくさんありますが。
認めるべきところも確かにあります。“ビスケット”には。

2回も更新したのに2回とも名盤紹介しなかったので
3回目の今回でします。
07年になってからは今までずっと続けてきたので、
どこまで続けられるかやってみたいんです。
今日紹介するのは前回宣言した通り「夢のある」作品。
ブログの左側にある『5 Albums of All My Life』の中の1枚です。
その名の通り、僕の人生で最高の5枚。その中の1枚です。
紹介に移る前にアルバム1曲目の導入部の語りを一部のせちゃいます。
ものすごく素敵な曲です。それでは


At The Bottm Of Everything / Bright Eyes
フィアンセに会うために飛行機に乗っている女性がいた。
大きな海の遥か上を飛んでいたんだ。
彼女はとなりに座っている男性に話しかけようとしているんだけど
聞けた言葉は彼が頼んだ「ブラッディ・マリー」だけ。
彼女は第三世界の国について書かれた難しい雑誌を読んでいて
その国名すら言うことができない。
彼女はとても退屈で元気がなかったんだ。
機械に大きな不備があって、突然エンジンのひとつが壊れた。
飛行機は三千フィートも落下。
パイロットはアナウンスでこう言った。
「申し訳ありません、申し訳ありません!
なんてことだ、申し訳ありません!」
彼女は隣に座っている男性にこう言った。
「私達はいったいどこに向かってるの?」
すると男は彼女を見てこう言った。
「僕達はパーティーに向かってるんだよ。バースディ・パーティーだよ。
君のバースディ・パーティーだよ。ハッピー・バースディ、ダーリン。
僕達は君のことをとても、とても、とても、
とても、とても、とても、とても愛しているよ」
そして彼はこんなふうにこの歌を口ずさみ始めた。
1、2、1、2、3、4……



I'm Wide Awake, It's Morning / Bright Eyes
I’m Wide Awake,It’s Morning



音楽界の比類無きストーリー・テラー、コナー・オバーストの物語
 小さい頃に読んだ絵本の中では双子野ネズミのお話の『ぐりとぐら』と押入れの中から始まる幻想的な冒険を描いた『おしいれのぼうけん』の2冊が特に印象に残っている。2冊とも、もし自分に子どもができたら是非とも読んで聞かせたい素敵な作品だし、今でも本屋の絵本コーナーで目にするとつい手を伸ばしてしまうと同時に、30年も40年も前に書かれたこれらの作品が今でも愛されているという絵本の世代を超えた普遍性というか根っこの強さというか、とにかくそういうものを感じずにはいられないのだ。次の世代へと変わらず伝えられるべき人間の根源のようなものを、絵本は持っているような気がするのだ。そして、フォークとは、音楽シーンにおけるまさに絵本なのだと思う。世代から世代へギターと声だけで受け継がれる事象や人間の感情。フォークはこれまで積極的にそうであろうとしてきたし、リスナー・サイドもフォークにそうであり続けることを強く望んできた。
 バキバキのデジタル音を中心に構成された『Digital Ash In A Digital Urn』(05年)と同時に発表された本作。それぞれからのリード・シングルがビルボード・シングル・チャートで1位、2位を独占したのはあまりにも有名な話だが、全編デジタライズの『Digital~』とは対照的なアナログ・フォーク・ソングで貫き通されたこの作品にはまだまだ知られるべき10の物語が描かれている。コナー・オバーストというフィルターを通してここに記された00年代を生きることに対する悲痛な叫びと人を愛するということの根底にある絶対的な喜びと苦しみ、そして彼の抱え込んだ様々な思いの物語。コナー・オバーストは、これらの物語に喜びと怒りの命を吹き込むために、時代を超えて語り伝えるために、その手段としてフォークを選ばなければならなかったのだ。読まなくなってしまってもずっとそばに置いておきたいお気に入りの絵本のように、この作品を生涯ずっと近くに感じていたいと思う。そしていつか、この作品の1番最初に記された男女の物語のように、死に向かうまさにそのときに誰よりも自分の近くにいる見知らぬ人に「愛してる」と言えたなら、それほど素敵なことはないと思う。


おまけ
Bright Eyes-At The Bottom Of Everything
22:32 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

俺はまだ怒ってるぞ

なんだこれ。
『ビスケット』ダウンロードしてさっきから聴いてるけど、
なんでCD-Rにコピーできないんだ。なんだ、「著作権」って。
なんで指定のソフトじゃないと再生できないんだ。
聴ける場所を限定するなよ。
なんのためのポップ・カルチャーだ。
なんのためのポップ・ミュージックだ。
いろんな人がいろんなとこで触れられてこそ「ポップ」だろうが。
いろんな人が自由に夢見れるから「ポップ」なんだろうが。
それがポップ・ミュージック最大の魅力だろうが。
お前らは著作権を掲げるために音楽業界にいるのか。
夢与えるためじゃないのか。

自分でブートばらまくレッチリを見習えよ。
未発表音源がリークされても「訴えない」っていうオアシスを見習えよ。
それがポップ・ミュージックをやる人のあるべき姿だろうが。
なんでこんなに一方通行なんだ。
なんでリスナー側からそっちに近づけないんだ。
新曲発表に喜々としてダウンロードしてるやつ。
なんでそんなにバカなんだ。
お前らはなんのために音楽聴いてるんだ。
「優しい気持ちになれるから」とか「かわいい!」とか、
なんでお前らそんなことしか言えないんだ。
もちろんそれは素晴らしいことだし、それも魅力のひとつだけど、
でも、もっとおっきいもんが全然見えてないぞ。

俺はサンタさんを信じてるんだぞ。
取調べ室ではカツ丼が出てくるって信じてるんだぞ。
22世紀にはドラえもんがいるって信じてるんだぞ。
おばけだって信じてるし、UFOだって信じてるんだぞ。
神様だって信じてるんだぞ。
きっと夢は叶うって、自信はないけど信じてるんだぞ。
音楽の夢ってそういうことなんだぞ。
理想なんだぞ。音楽っていうのは最大の理想なんだぞ。
こうだったらいいな、ああだったらいいなって理想抱いて、
その音楽がある限り永遠にそれを本気で信じられるんだぞ。
音楽で人の命は救えないけど、もしかしたら救えるかもしれないんだぞ。
生き方だったら、絶対に変えられるんだぞ。
理想を抱くっていうのは何よりも大切なんだぞ。
どんなにそれが効率の悪いことでも、結果的にどんなに損でも、
そこに夢を見ることができたら、そんなに素晴らしいことはないんだぞ。
音楽作る才能がある人は、
その夢を与える権利と実力を持った素晴らしい人なんだぞ。
俺達はみんな夢を見られる権利を持ってる素晴らしい人間なんだぞ。
だから音楽は永遠になくならないんだぞ。
みんな音楽を求めるんだぞ。
気付いてないだけで、みんな夢を見たがってるんだぞ。
なんかうまく言えないぞ。
うまく言えないけど、俺は音楽の夢から絶対に覚めないぞ。

なんかいつもの文章のテンションに戻せないぞ。
だから夜にもう一回更新するぞ。
一日に三回も更新するなんて初めてだぞ。
夜は名盤紹介をやるぞ。
夢のある作品を紹介するぞ。
俺に夢見させてくれた作品を紹介するぞ。
俺は音楽が大好きなんだぞ。
14:39 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

バカ

俺は今ものすごく機嫌が悪い。
1日1個って決めたジェリー・ビーンズを3つも一気に食べたけど、
それでも溜飲が下がらない。
何味を食べたかわからないぐらいムシャクシャしてる。
あと数時間。あと数時間でYUKIに裏切られる。

5時になったら新曲『ビスケット』が配信限定で発売される。
なんで配信だけなんだ。なんでCD出さないんだ。
CDで出せよ。
CDは素晴らしいんだぞ。CDはすごいんだぞ。
お店に出向いてCD買うにしても、通販で買うにしても、
友達と貸し借りするにしても、CDっていう媒体はすごいんだぞ。
そこにはでっかい夢があるんだぞ。

ずっと楽しみにしてた新作をお店の開店と同時にレジに持っていって
楽しみにしすぎたせいで震える手で店員さんにCDを差し出す瞬間。
早く届かないかな、早く届かないかなって一日中思い続けて
やっとドアのチャイムが鳴った時のドキドキと、
むしゃぶりつくようにして届けられたダンボールを開ける瞬間。
そっかコイツはこんなCD持ってんのかっていう興味と、
自分の好きなCDを友達に聴かせる時のちょっと照れくさい感じ。
それらは全部CDを通しての
アーティストとのコミュニケーションなんだぞ。
CDのパッケージを開ける瞬間も、コンポにCDを入れ込む瞬間も、
再生し終わってもう一回再生ボタンを押すその瞬間も、
すべてのワクワクはアーティストとのコミュニケーションなんだぞ。
クリックひとつで「はい、購入」って、そんなのに夢はないんだぞ。
アーティスト側の一方的なパフォーマンスじゃダメなんだぞ。
リスナー側のリアクションが大切なんだぞ。
「早く聴きてー!!」って買ったCD握り締めて
チャリで爆走して家に帰るのが大切なんだぞ。

『PRISMIC』は、大好きな女の子が大好きなアルバムだったから、
その子に借りたけど自分でも1枚買ったんだぞ。
買う時なんだかちょっと照れくさかったけど、
ものすごい誇らしかったんだぞ。
だからもう1枚買ったんだぞ。
あんたのCD全部買ったんだぞ。
部屋にあんたのCD飾ってるのが俺の1番の自慢なんだぞ。
『ビスケット』も飾らせろよ。
内容が求めてるものとどんだけ離れてても、
あんたのCD持ってることを誇らせろよ。
俺はあんたの作品なら、どんな内容でも絶対買うぞ。
1000円でも、2000円でも、5000円でも、1万だって買うぞ。
それがあんたとの一番のコミュニケーション方法だと信じてるから、
俺は絶対に買うぞ。

ジュディマリ解散して、居場所なくなって、迷子になって、
それでも音楽にしかしがみつけなかったあんたが俺は大好きなんだぞ。
誰よりも音楽の夢に魅せられてたあんたが俺は大好きなんだぞ。
「好きなアーティストは?」って聞かれたら
「絶対YUKI」って自信持って答えられるのが俺の誇りなんだぞ。
洋楽一筋で生きてきた俺が「YUKI」って答えてるんだぞ。
あんたがくれた夢に俺はしがみついてるんだぞ。
それなのに、あんたが俺の夢壊すなよ。
俺が今まで信じ続けてきたものバカにするなよ。
俺はCDマニアでもないしCDコレクターでもないぞ。
俺の何千、何百枚のCDは全部コミュニケーションの記録なんだぞ。
「CD高い」とか言うやつもいるけど、
2000円、3000円で本当に人生が変わるんだぞ。
CDを通してのコミュニケーションは人生変えるんだぞ。
俺はたった3000円の『PRISMIC』で人生変わったんだぞ。
CD見るだけで悲観的になるときもあるし、
ものすごく元気になれることだって多いんだぞ。
聴かなくても、見てるだけで幸せなんだぞ。
そりゃあもう人生バラ色なんだぞ。
それが俺とYUKIのコミュニケーションなんだぞ。
その一番大事なところずっぱ抜いて作品理解なんてできるわけないんだぞ。

もうとことん自分勝手になってやる。
ネットでデータ形式で音楽買ってる奴のバカ。
「趣味は音楽鑑賞です」なんて言う資格はお前にはないんだぞ。
「趣味はデータ収集です」って正確に言え。
「CDなんて時代遅れ」とか思ってる奴のバカ。
どうせ音楽聴いて本当に感動したことなんてないんだろ。
そんなこと思ってる時点で感動する権利すらお前にはないんだぞ。
データで買って幸せぶってろ。
ビジネスライクな価値観を受け入れて自分の価値を落としたYUKIのバカ。
「配信限定」なんてバカなことしたのは、
俺の大好きなアーティストの中ではあんただけだぞ。
「配信限定」を珍しくない形に仕立て上げた音楽業界のバカ。
CD作ってなんぼだろうが。業界が夢を奪うな。
結局データで『ビスケット』買っちゃう俺のバカ。
俺の言ってることわかってくれないやつのバカ。
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ

もう今日は名盤紹介なんてやらないぞ。
すねてやる。
明日大学休んでやる。
この一大事にのんきに英語なんてしゃべってられるか。
「データ配信って便利だよね」って言ってる奴は
みんなハシカにでもなっちゃえばいい。

くやしいぞ、YUKI。
なんかやりきれないぞ、YUKI。
それでもやっぱり大好きだぞ、YUKI。
もう寝るぞ。
02:28 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

A Buiscuit & A Prism

こんばんは。
先日、福山雅治が表紙の『What's IN?』を買ってしまいました。
表紙が福山雅治の音楽雑誌を買うだなんて恥ずかしくて恥ずかしくて、
「俺は福山の音楽なんて聴かねー!」「福山は好きじゃねー!」と
叫びながら走り出したい気分でしたよ。
レジでもなんか落ち着かなくて、
店員さんに「いやね、俺は福山目当てじゃないんですよ。
YUKIの記事が読みたいだけなんですよ」と聞かれもしないのに
主張してしまいそうな気分でした。

そんなわけで、YUKIの新曲がでます。タイトルは『ビスケット』。
ネット配信のみでCDはリリースされません。
要は時代の流れにのってしまった全く面白くない形での発表です。
内容は、『joy』以降嫌味なぐらいのポップネスを吐き出してきた
近年のYUKIらしさ満点の素敵な曲。
壊れやすく脆い恋を「ビスケット」に例える着想はさすがです。
『joy』以降のYUKIに対する不満はこれまで散々語り倒してきたので
ここではもう何も言いません。
ただ、YouTubeでPVフル視聴して思ったんですけど、
YUKIは完全に守りに入ってしまったようです。
もう二度とYUKIに幻想は抱けないかも。
夢見させてもらえないかもしれません。
残念なことですけど、それでもYUKIのこと大好きです。
『PRISMIC』の衝撃は忘れませんから。
一生ついていきますから。

話は変わって、ここのところ毎週土日は映画三昧で暮らしているんですけど
昨日、一昨日もやっぱり映画三昧で、
その中から印象深かった作品を生意気にも紹介しようと思います。
映画について語るのはなんだか気がひけるんですけど、
少なくともくだらない感想文をわめき散らす映画評論家の
某おすぎよりはまともなことが言える気がします。

KILL BILL Vol.1
キル・ビル Vol.1



『天才バカボン』の美学
 監督クエンティン・タランティーノの日本映画や香港映画に対する多分に勘違いを含んだ愛とオマージュとくだらなさでお腹いっぱいにさせてくれる2部作の前半作。噴き出す血の量からふと目につく細部まで全てが地球のひっくり返るような大げさな演出で描かれた、最高にくだらない作品である。もう底が浅いどころか、逆に底が山のように空に向かって盛りあがっているかのようである。自分がこれまで信じてきたもの全てをバカにされるような気さえするこの作品。とにかくくだらなさすぎて何から何までくだらなくて、賛否両論というかなんというか、大まじめな表情でこの作品を大絶賛する人がいたらあまりにも滑稽で僕は多分笑ってしまうが、「リアリティがない」とか「バカバカしすぎ」だとかいう見当違いな言葉でこの作品を批判する人がいたら(多分いっぱいいると思うけど)、大絶賛する人より滑稽というかむしろその人の方がバカバカしくて、「いったい何観てたん?」と問いただしてやりたくなる。この作品は、本格派アクション・ムービーを目指して飛び立って結局辿りつけなかった作品ではないのだ。言ってみればこの作品は、何を勘違いしたのか自分は歌がうまいと思ってかっこつけて歌うがあいにく自分が思っている以上に中身が伴っていないために滑稽にしか映らないキムタクではなくて、マイクに電池すら入れてもらえない中居なのだ。劇場作になると途端に感動作を送り出そうとする『ドラえもん』ではなくて、最初から最後まで「極端」を描き続ける『天才バカボン』なのだ。この作品に対する批判に「リアリティ」だなんてものを持ち込むことは、『バカボン』に出てくる警察官が死ぬほどぶっ放す弾丸がなぜ1発も当たらないのか、ということを議論するぐらいくだらなくてバカバカしい行為なのだ。タランティーノ自身も極端な世界を描くことをビビッてしまったのか『Vol.2』では小さく収まってしまっているが、『Vol.1』はもう拍手喝采である。スタンディング・オベーションである。ブラボーである。タランティーノ頑張れ。俺は応援してるぞ。


すんません。おすぎの感想文よりくだらなかったかもしれません……。
00:04 | 音楽 | comments (7) | trackbacks (0) | page top↑

Window

自転車でTSUTAYAに向かっていたらランシドのTシャツを着ている
高校生ぐらいの男の子がいました。
ランシド。“David Courtney”大好きやったな。
イヤホンしてましたが、ランシドを聴いていたんでしょうか。
聴いてたなら、なんか嬉しいです。
そんなことを思いながら僕はEW&Fの懐かしの名曲“September”を
「バ~デヤ~」とノリノリで口ずさんでいました。
EW&FのTシャツは着ていません。

今日は学校を休みました。
今はちょうど大物アーティストのリリース・ラッシュで、
買ったけどまだ聴けてないCDも何枚かあるし、
でもTSUTAYAで借りたいCDもたくさんあるし、
こりゃあもう消化できんなぁ、ということで大学休みました。
親が聞いたら悲しみそうですが、大学でくだらん授業を受けてるよりは
多くのことを吸収できたと思います。
音楽の情報量をバカにしちゃいけません。

でも、朝っぱらからずっとナイン・インチ・ネイルズを聴いてたら
昼過ぎには流石に疲れてきちゃって、
それ以降の作品は酒の力を借りてアルコールと一緒に取り込みました。
学校サボって昼間からスミノフ飲んでるだなんて、自堕落すぎますね。
アーティストが自己の内面を覚醒させるために
ドラッグを使用する感じでアルコールの力を借りたのですが、成功でした。
面白いぐらいにスイスイ作品世界が理解できて、
酒のせいでちょっと大げさな解釈になってるかもしれませんが、
それでもなかなか興味深い感覚でした。

それでは酒と一緒に楽しんだこの作品を今日は紹介します。
友達に貸していたCDを昨日返してもらって、
その時にその友達がCD-Rに入れて渡してくれた作品です。
フィオナ・アップルの作品です。
フィオナ・アップルの音楽聴いてる学生って
どれぐらいいるものなんでしょうか。
今までその友達しか会ったことありません。
おまけにビョークも大好きって、センス良すぎですよね。
いろんな音楽に貪欲すぎるぐらい興味を示す友達で、
結構学ばされることが多いです。
実は僕もこの更新を終えたらもう一週間以上前に買った
ビョークの最新作『Volta』の封印を解くつもりで、
ビョークの世界を酒の力と一緒にトリップしたらどんな感じかなぁ
ということで、今せっせとアルコールを摂取しています。
一日酒を飲み続けている訳です。少しへべれけです。
友達の好きなアーティストの作品を
ただの酔っ払いが偉そうに語るだなんて罪深い行為だとは思いますが、
許してください。
酔っ払ってますが、音楽に対してはいつもまじめです。
それでは紹介します。

Extraordinary Machine / Fiona Apple
Extraordinary Machine



フィオナ・アップルが語る「本当の愛」 
 フィオナ・アップルほどクソまじめにラブ・ソングを歌う女性はいないと思う。それはもう知り合いにこんな恋愛感の女の子がいたら、お付き合いを積極的に避けたいぐらいに重苦しいものであるのだが、96年に『Tidal』でデビューした彼女が世界中で即座に高い評価を得たのは、19歳という若さでそのあきれるほどの重苦しい規格外ラブ・ソングを見事に歌い上げたからなのだ。そのあまりにも戦慄だったデビューから9年、前作『真実』(99年)から6年という長いブランクを経て05年に発表されたサード・アルバムである本作でも、彼女は相変わらず自らの傷口に塩を撒くような苛虐性に満ち溢れたラブ・ソングを貫き通している。たとえこのアルバムが「ジョン・ブライオンを救うため」というこれまでと違う立脚点の基に成り立った作品であったとしても、それはデビュー当時から一貫されてきた彼女の揺るぎないスタンスなのだ。
 サウンド面に触れるならば、『真実』で完璧に打ち出されたピアノ主体で多分にジャズ的要素を含んだ楽曲構成の踏襲である。前作に比べればやや軽妙な調子の楽曲が多い気がするが、ピアノの音と共に叩きつけられるメッセージはやはり強烈である。視界をさえぎる薄汚れたガラス窓を叩き割り、そうすることで目の前に引きずり出される愛する人の欺瞞や裏切り。ガラスを割ったその腕から血が滴り落ちたとしても、それこそが私の愛の滴なのよと歌い、愛する人に絶望を感じながらも、それでも愛を捧げ続ける彼女の存在はデビュー当時のような衝撃性はもはやないにしても未だ新鮮である。キレイな言葉で飾り立てられた生易しいラブ・ソングを聴いて幸せぶるのにはウンザリだ。僕は、なぜ男が愛する人にダイアモンドをプレゼントするのかがどうしても理解できないこの「エクストラオーディナリー」な女性の、血の滴り落ちるラブ・ソングを支持する。


おまけ
Fiona Apple-Not About Love
21:28 | 音楽 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

Then Again I Will

今日は7限の授業をサボって小倉に出かけました。
月曜の7限、アメリカのミュージカル史の授業なんですけど
レジュメ見てみてもMTVやらグランジやら、
もう知ってることもたくさんあるのでまあいいや
ということでこれ買いに行きました。
ジェリービーンズです。
jellybeans.jpg
金土日と友達と一緒に映画を観倒したんですけど、
その中のひとつにジェリービーンズがちらっと出てきてて、
これインテリアとしてもキレイにまとまるなぁ、と思ったら
欲しくて欲しくてたまらなくなったので早速買いに行きました。

一日一粒食べようと思います。朝起きたら一粒。
今日は何味かなぁ、と毎朝が楽しくなるような気がします。
稀にビックリするほど不味いのもありますが、
そんな日があっても良いと思います。
うん、我ながら良いアイディア。
明日の朝が待ち遠しいです。

小倉から帰ってきて久しぶりに郵便受けを見たら
高校の剣道部の可愛い可愛い後輩から手紙が来てました。
誕生日に合わせて送ってくれたみたいなんですけど、
あんまりちゃんと郵便受けを見ないので
今まで入ってることに気付きませんでした。
気付くの遅くてごめんよ。
めっちゃ嬉しかったです。
友達にもお菓子とかコーヒー・セットとかもらっちゃったし、
バイト先でも祝ってもらえて嬉しい誕生日でした。
僕の周りの人達はみんな優しくて素敵です。


宿題しなきゃいけないのでさっさと名盤紹介やっちゃいます。
今日はトラヴィスとデジタリズムばっかり聴いてるけど、
この人達のアルバムを紹介。
「ブルース爆発」とはこの人達のこと。

Plastic Fang / The Jon Spencer Blues Explosion
Plastic Fang



過去の自分を吹き飛ばし、そこに残ったもの
 収録曲すべてに別々のプロデューサー/エンジニアをたてて、「はい、どうぞ」と彼らに楽曲を手放すことで前代未聞の実験性を手に入れた98年発表の『Acme』。このアルバムは、バンド・サイドとスタッフ・サイドの間に横たわる暗黙のルールを堂々と無視することで新鮮さを獲得した確かに面白い作品ではあったのだが、その面白さや新鮮さといった魅力はひどく刹那的だった。おかしな言い方だが、要は完全に不完全燃焼だったのだ。「ブルース爆発」だなんて大それたバンド名を掲げているにも関わらず、彼ら自身がまだまだくすぶっている状態だったのだ。「楽しそう」というなんとも短絡的な発想だけで大勢の有名プロデューサーを掻き集めたジョン・スペンサー当人も、作品完成後にはなんとも釈然としない感覚を抱え込んでいたようだ。そこで心機一転、「完全燃焼してやる!」と彼らが胸に決めたかどうかはわからないが、ジョンスペはこのアルバムでこれまでのガキっぽさに背を向けて、初めて真面目さを作品に持ち込むことになる。何もサウンドに特別な変化があるというわけではなくて、やはり基本的にはブルース、ファンク、ヒップホップなどを一旦解体することで新たに構築されるロックンロール。だが、ジョンスペのアティテュードはこれまでとまるで違う。ブルース・スプリングスティーンやニール・ヤングといったお堅いロック・グレイツ達との共演で有名なスティーヴ・ジョーダンの起用は、そのままジョンスペのこの作品に対する態度を表していると言えるだろう。真面目さでもって初めて爆発できたジョン・スペンサー。幼稚さは吹き飛び、最後に残ったのは、ブルージーなロックンロールだった。


おまけ
The Jon Spencer Blues Explosion-She Said
21:40 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

The Great Escape

ついに二十歳になってしまいました。
学び舎のみんなが部室で誕生日祝ってくれましたよ。
みんなでケーキ食べれて嬉しかったです。
明日はご飯食べに行きます。
次の日が休日だったら飲みに行くのになぁ。

プレゼントもらいました。
20070510015634.jpg
寄せ書きマグカップと実際に音の流れる電子ミニ・ウクレレ。
マグカップは学び舎定番のプレゼント。
今までは書く側だったので、もらうのは初めてで、
なんかめちゃくちゃ嬉しいです。
ウクレレは音楽好きには最高に嬉しいアイテム。さすが学び舎。
ジミヘンばりに弾きまくろう。
本当にありがとう。
メールくれた友達にも心からありがとう。
やっぱり誕生日は良いもんです。
昨日書いたことはもう忘れました。

そしてこれは自分で買った自分へのプレゼント。
JAM.jpg
ジュディマリの3枚組みのライブ盤。
これ、DISC3が良いんですよ。
この音源は4曲しか聴いたことなかったけど、
それでもその4曲だけで素晴らしいライブだと確信してました。
そんなわけでビョークやトラヴィスの新作は買ったけどまだ開けてません。
今日はこれしか聴いてません。
やっぱり素晴らしいライブだった。
20代最初のレヴューはこれにしよう。
YUKIについては散々語り倒してきたのに
ジュディマリは本当に初めてですね。
なんかちょっと緊張します。
昨日のアヴリルと一緒で聴いたばっかなのでたいしたこと書けませんが
ちょっとでも言いたいことが伝われば、と思います。
単なる言い訳です。
自分の文章力の無さには辟易するけど、一生懸命書こう。

44982 VS 1650 / JUDY AND MARY
44982 VS 1650



ステージに愛をちょうだい
 僕はジュディマリをリアルタイムで経験していない。もちろんバンドの存在は当然のように知っていたし、“そばかす”くらいなら鼻歌程度で歌えたかもしれない。それでも、僕がジュディマリと初めて正面から向き合ったのは高1の冬、バンドが解散して約2年が経とうとしていた頃だった。「JAM(=JUDY AND MARY)」を「ジャム?」と読み間違えていたその頃が素直に懐かしいが、そんな読み間違いより恥ずかしいことに、それまで僕はこのバンドのことを「ただわかり易いだけのポップ・バンド」と少し見下していたと思う。それから早3年半、YUKIのソロ作品を経由して迂遠ながらも少しずつバンドに近づいていったわけだが、今日この作品を聴いてJUDY AND MARYというバンドの本当の魅力を初めて聴くことができたような気がする。
 「44982 VS 1650」。このアルバム・タイトルが示すのは、すなわちこの作品に収録されたふたつのライブ公演の動員数である。約45000人もの観客を動員した東京ドームでの大規模ライブとたった1600人ぽっちという彼らにしては小規模な恵比寿ガーデン・ホールでの公演。“そばかす”“散歩道”“くじら12号”“LOVER SOUL”など彼らの代表的なヒット曲を網羅した東京ドーム公演はまさに充実のセットだし、どちらも場内の熱気が耳朶の中でそのまま再現されるような素晴らしいライブなのだが、もしタイトルどおりにこのふたつの公演を対立させるなら僕は迷わず恵比寿ガーデン・ホールでの公演の味方につく。
 これはあくまで僕というフィルターを通して見た単なるジュディマリのイメージでしかなくて何の根拠に基づいているわけでもないのだが、要はジュディマリというバンドは、左耳にピアスをあけたらついでに笑えないエピソードを作ってしまいたくなるような、夕暮れに早く気付いた日にはちょっと嬉しくなってしまうような、そんな可愛らしさとシンパシーの抱きやすさ故に人々から支持されたポップ・バンドなんだと思う。それは紅一点として声を張り上げるYUKIのガーリィさそのものだったし、そんな彼女のバックを最高のポップさで支える個性的なバンド・メンバーの魅力でもあった。もちろんそれだけでも十分素晴らしいバンドなのだが、恵比寿ガーデン・ホールでの公演を支えた“ダイナマイト”“JUDY IS A T∀NK GIRL”“どうしよう”といった一般レベルではあまり俎上に載せられることのない曲群に、スタジオ作品では完璧には伝えることのできなかったJUDY AND MARYというバンドが持つ横殴りのエネルギーが総動員されているのは本当に興味深い。
 「ステージに愛をちょうだい!」。本作の圧巻中の圧巻である“どうしよう”でYUKIは全てをさらけ出して観客に愛を求める。観客はバリケードをぶっつぶす勢いでステージにありったけの愛を投げつけると同時にバンドからの愛を求める。両者が共につんのめって、転びそうになって愛を求めて作り出す一触即発の空間。単純で貪欲なエネルギーがない交ぜになったこの空間こそが、生易しい共感なんかでは追いつくことのできないまさに「バンドとファンが一体化する」聖域なのだ。だからこそYUKIのソロ・ライブでもハイライトは長身のダンサー達と一緒に小さな体を精一杯振り回す“JOY”ダンスでもなく、YUKI流M字開脚なんかでもなく、もちろんどちらのYUKIも本当に愛らしくて大好きなのだが、やっぱり1番は打撃ビートだけにしがみついて会場全体が捨て身でぶつかり合う“Rainbow st.”だったりするのだ。僕みたいな人間がやったらルー大柴のモノマネにしかならないようなYUKIの気取ったMCも、この蜜月の空間の中ではドラッグのように刺激的で、僕達をハイにさせるのだ。こんな風にあまりにも熱いライブ空間を聴かせられると、否が応でも納得させられてしまう。以前の僕のように素直に心を開けなくて彼らの音楽に白けてしまう人間は最高にかっこ悪いのだ。いつか自分も「ステージに愛をちょうだい!」と叫ぶためにギターをかき鳴らしている女の子は最高にかっこいいのだ。それがJUDY AND MARYなのだ。それが、ロックなのだ。
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Innocence

今バイトから帰ってきました。
なんか腰痛いなぁ。
最近床で寝ることが多いからかな。
それとも歳のせいかな。
歳のせいとは、思いたくないなぁ。

もう日付が変わって9日なので、明日で20歳になります。
20歳。全然実感わきません。
これまで20歳になった自分なんて考えてなかったし、
むしろ想像できないぐらいだったと思う。
20代の自分なんて、もう自分じゃないような気がします。
20歳、イヤです。

20歳になったら責任がドッと増えるとかよく言うけど、
そんなのがイヤな訳じゃなくて、
むしろ実感として責任が急に増えるなんてことはないと思うし、
20歳になっても考え方はこれまでと全く変わらないだろうし、
イノセンスが失われるだなんて大げさなことも思ってないし、
結局数字がひとつ増えるだけで他には何も変わらないんですけど、
数字がひとつ変わるだけで10代の自分が
完全に過去に置きざりにされるような気がします。

もう10代じゃないんだなぁ、と。
数字がひとつ変わるだけで無理やり次のステージに
引きずり出されるような気がします。
まぁ多分、20歳になってもこんなもんか、
ってことになるんだと思いますが、
それでも今はまだ10代なので、出来る限り20歳には抵抗したい。

目の前でYUKIが歌う「さよならスウィート・セブンティーン」って言葉は
自分に向かって放たれてるって思ってたのも、もう2年も前の話か。
10代にはさよならしたくないなぁ。

そんなむなしい気持ちを蹴飛ばしてくれないかということで、
友達に借りたアヴリル・ラヴィーンの新作聴いてます。
アヴリルみたいに「超最高!(Best Damn Thing)」
と言える10代やったかな。
そう言える10代やったと思う。素晴らしかった。
だからこそさよならしたくないなぁ。
よけいにむなしくなってきそうです。
気分転換に名盤紹介します。
10代最後のレヴューかぁ。
「超最高!」が最後っていうのも良いな。

The Best Damn Thing / Avril Lavigne
The Best Damn Thing



縛り付けることのできない「アヴリル」という表現
 リード・シングル“Complicated”の特大ヒットを引っさげて『Let Go』(02年)でセンセーショナルなデビューを飾ったカナダはオンタリオ州出身の歌姫アヴリル・ラヴィーン。全世界同時進行の凄まじい勢いでその後もお馴染みの“Sk8er Boi”“I’m With You”などのヒットを飛ばしたファースト期だったわけだが、『Let Go』にまとわりつく「ゆるさ」というか「生ぬるさ」というか、とにかく、そういったどこか締りのないものを放擲するかのようにクールネスでもってストイックに締め上げた、言ってみれば大まじめなセカンド『Under My Skin』(04年)の方が、「アヴリル」という表現形態に特定のイメージを貼り付けさせなかったという意味で個人的に大好きなのだが、ここで最新作であるサード・アルバム『The Best Damn Thing』(07年)の到着である。
 今や彼女の旦那様である幸せ者のデリック(SUM41)やブッチ・ウォーカーなどをプロデューサーに迎え、自分の世界を広げることを楽しんでいるこの作品。実生活の充実感がそのまま作品に持ち込まれたことであちこちから多幸感が滲み出ているが、「もう前作みたいなかっこよさはないし、なんかポップすぎるし、こんなのアヴリルじゃない」とそっぽ向いてしまうのはあまりにも愚かである。むしろこの作品は、「アヴリルらしさ」をこれまでにない明確さで僕達に教えてくれる快作なのだ。デビューから現在まで常に彼女が圧倒的な支持を獲得することができたのは、ポップに生きる「アヴリル」という表現をそのままポップ・ミュージックのフィールドに叩きつけるその方法論があまりにも爽快で、明確で、清かったからだ。彼女のその方法論が変わらない限り、やっぱりこの作品は彼女らしい作品であり続けるし、この作品を聴いてあなたが本当に楽しそうなアヴリルの姿を思い浮かべることができるなら、やっぱりこの作品でもアヴリルはアヴリルなのだ。『Let Go』発表時に多くの人が抱いた「等身大の~」だとか「自然体の~」だなんて生易しい幻想ではもはや彼女の表現には追いつくことはできない。本当に「超最高!」な1枚だと思う。


おまけ
Avril Lavigne-Girlfriend
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She Is Beautiful

大阪は暑かったなぁ。今日小倉に帰ってきました。
新幹線でリッチに帰ってきたんですけど、
GWももう終わりということで、博多行きといえども結構混んでました。
自由席はもう座る場所がどこにもなくてずっと立ってたんですけど、
シャツのボタンがはち切れそうになるぐらい丸々と太ったおじさんが
傲慢にも座ろうとしてて、不愉快でした。
そのおじさんの大きい独り言が聴こえないように、
というわけではありませんが、ずっとi-Pod聴いてました。
ブライト・アイズ、キングス・オブ・レオン、
ココロージー、ダイナソーJr.なんかを聴いてました。
傘を持ってなかったから小倉に着いてからちょっと濡れたけど、
相々傘してる制服姿の高校生カップルが微笑ましかったから別に良いです。
日曜なのになんで制服やったんかなぁ。

帰ってきたという報告だけで他になにもないので、
ちょっとお部屋のインテリアを紹介。
もう結構前に買ったやつですけど、メタル・フォト・フレーム。
お気に入りです。
20070506195821.jpg
1番上の写真はYUKIの『GIRLY★WAVE』のフォト・ページから、
木の幹の上で遠吠えをあげるYUKIの写真。
真ん中のちっちゃいのはホワイト・ストライプスのジャックとメグの手。
「人」「文字」「景色」そして「手」、
と入れたい写真のイメージがあったので、
ストライプスの2人の手を入れました。
フガジの『Argument』のジャケットと悩みましたけどね。
今年新作を出すストライプスに決めました。
左下の大きいのは書いてあるとおり、
ビューの『Hats Off To The Buskers』。
今年のナンバー1アルバムです。絶対に。
右下はオアシスの『Whatever』のジャケット。
僕の中で絶対的な1枚なので、迷わずこれにしました。
全部あえてモノクロにコピーして入れました。
なんとなくカラーの写真よりフレームに合うかなぁ、と思っただけですが、
成功だったと思います。

ちなみに隅っこで小さいくせにやけに堂々としているビンは、
「オロナミンC」じゃなくて「ミンナミンC」。
友達がくれた明らかにパクリのドリンク。
一応飾ってます。


今日は久しぶりの夜警があるなぁ。
明日は7限まで授業があるから徹夜はつらいけど
学び舎のみんなに会えるから嬉しい。
夜警まで音楽聴いとこ、という訳でこれ聴いてます。
今思えば人生で初めてジャケ買いをしたのは
中学時代にこのアルバムを買った時じゃないかと思います。
当時はしょっちゅうCD買えたわけじゃなかったので
買うか買わないか随分と悩んだ記憶があります。
その頃はYouTubeとかも無かったですしね。
鼻血ダラダラのこの男がどんな音を出すのかが無性に気になって、
最後には思い切って買ったわけですけど、度肝抜かれました。
まさかこんな音を出すとは。
というわけで紹介します。

I Get Wet / Andrew W.K.
Andrew.jpg

パーティーは終わらない
 “パーティー・一直線!”、“爆死上等!”、“脱いじまえ!”、“吐くまでパーティー”、“汗にまみれてパーティー三昧”……もう全曲ここに挙げてしまいたくなるくらい、アンドリューの楽曲に付けられた邦題はお粗末で本当にくだらないくせにやけに堂々としている。この凄まじいタイトルを見た時はあきれるのを通り越して笑ってしまった(日本版のボーナス・トラックには“ヤラせろ!”なんて曲もある。この曲がまた凄く笑える)。だが実際にこのアルバムを聴いてみると、このひどい邦題は彼のことを何も知らない日本人が無責任につけてしまったのではなくて、アンドリューW.K.という男はまさにそういう人間なのだ、彼のことを正確に表している良い邦題じゃないか、と変に感心してしまった。
 ここまで「パーティー、パーティー」言うアルバムは後にも先にもないだろう。アンドリューが「今夜はパーティーだ!」と叫べば間違いなくハンパじゃないパーティーが催される。誰も彼を止めることなどできない。アンドリューこそが真実である。そう頷いてしまうほどハイテンションなノリでアンドリューはパーティーを叫ぶ。そして、全ての楽曲は彼の懐の広さを表すかのように来る者を拒まない。その破天荒すぎる数々の楽曲も、ストレートの更にその先をいったような歌詞も、某有名ロック誌で悩みを抱える読者に、真剣に、でもやっぱり笑みのこぼれてくるような彼らしい態度でアドバイスをしてしまうキャラクターも、全てが、誰よりもファンの近くにいてくれる彼の頼もしい兄貴肌な気性と、燃え尽きることを知らないパーティー魂の強さを象徴していた。


おまけ
Andrew W.K.-Party Hard(パーティー・一直線!)
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Show Me What You Got

実は昨日の朝、実家に帰ってきました。
我ながら帰ってきすぎな気がしますが、
親も喜ぶし、友達とも会えるし、昔聴いてたCDと向き合えるし、
なかなか良いことやと思います。

そして昨日の夜は早速高校時代の友達と遊んできました。
休みがあるたびに一緒に遊んでるメンバーで、
最後に会ったのが春休みということもあって全然懐かしくなかったです。
でもめちゃめちゃ楽しかったです。
高校時代の部活も、進んだ大学もみんなバラバラなのに
こうやって今でも集まって遊べるなんて、素敵な仲間達です。
今度集まるのは夏休み。
東京に行った友達とも予定を合わせて、全員で遊びたいです。

今日は特にすることもないので廃人生活です。
さっき起きたとこなんですよね。まだ眠いです。
眠いですけど、リンプでノリノリです。
『Results May Vary』は待たされただけあって本当に残念な作品だったけど
最初の3作は素晴らしかったなぁ。
嫌われ者のフレッドは僕にとってはスターでした。
そういうわけで今日はリンプの作品を紹介。

Significant Other / Limp Bizkit
Significant Other



リンプ・ビズキットを聴く理由
 『Chocolate Starfish And The Hot Dog Flavored Water』(00年)で負け犬史上最高の成功を手にした後、ソングライティングの要であったウェス・ポーランドの脱退を経て発表された4作目にあたる『Results May Vary』(03年)で柄にもない悲壮感を漂わせていたリンプは、まさに「根無し草」状態だった。自分達が自分達たる所以を忘れてしまったかのようにどこへともなく彷徨い、結局自分達を袋小路へと追い詰めていた彼らの本来なら決して引きちぎってはならなかった「根」の役割を果たしていたのが出世作である本作だ。
 コーンのジョナサンやメソッドマン、スコット・ウェイランドなどの強力なサポートのもと、今作でフレッド・ダーストは「時代を掻き回す悪役」の地位を約束された。どこまでもふてぶてしいヘヴィなギター・サウンドと、全世界を見下したかのようなフレッドの間の抜けたボーカルこそがリンプのサウンド理論であり、二言目には「Fuck!!」と吐き捨て中指を立てるフレッドのキャラクターに全世界のメディアからどんどん揶揄が投げつけられる。それこそがまさにリンプ・ビズキットというバンドの真骨頂であることを、「全米1位!その後も異例のロング・セラー!」というセールスの裏打ちと共に決定付けたのがこの作品だ。現時点で最新作の『The Unquestionable Truth (Part 1)』(05年)でウェス復帰が意外にも早く実現し、もう準備は整ったはずだ。もっと、もっと嫌われろ。そうじゃないと、僕達はリンプを愛せない。


おまけ
Limp Bizkit-Break Stuff

エミネム発見。
15:17 | 日記 | comments (4) | trackbacks (0) | page top↑

Back

どうも。ここ数日、見事なまでの廃人生活を送っています。
一昨日の日曜日は学び舎の仲間、といっても同期の友達と先輩の3人で
また山口県の角島に行ってアクティヴに遊んできましたが、
その日以外の黄金週間の前半は、自堕落な生活に溺れています。

ちなみにこれが角島でのベスト・ショット。
tsunosima.jpg
観光に来てたおっちゃん達のマネして撮りました。
海は相変わらず底がありありと見えるぐらいに澄んでてとても綺麗でした。
海でジャブジャブ遊んだり、
浜辺でビーチフラッグやキャッチボールをしたりして、
サンセットまで遊び続けていました。

あとはもう本当に廃人生活です。
角島に行く前日はずっと部室でゲームしてたし、
昨日と今日は友達と僕の家で怠けた生活を送っています。

昨日今日の2日間だけで映画8作も観ましたよ。
観たことある作品も何作かあったけど
もう一度観ることで新しい発見もあったし、
初めて観る作品はどれも印象的なものばかりでした。

映画を観続けて、眠くなったら寝る、腹が減ったら食べる、の繰り返しです。
あとはほとんどダジャレばっか言ってたような……。
そんな感じのひどい体たらくです。
今日は授業があったのに2人とも休んでしまいました。
でもたまにはこんな日があっても良いと思います。
友達は今も隣で寝息を立てて眠っています。
起きる気配は全くありません。

そうそう、その友達が最近始めたブログをリンクに加えました。
タイトルは「my steps」。
学び舎一のオシャレさんなのですが、
デザインなんかにセンスの良さが滲み出ています。
映画と音楽が好きで、今のところ関連の記事が多いみたいです。
気になる人はリンクから是非どうぞ。


全然起きそうにないので名盤紹介もやります。
今年発表された作品です。
高校の時に魅せられて以来、この人の世界に夢中です。

UNION / Chara
UNION(初回限定盤)(DVD付)


Chara、という「世界」
 あえて残酷な言い方をするならば、この作品はどう転んでもCharaの最高傑作にはなり得ない。誰がなんと言おうとCharaの全盛期は『Junior Sweet』(97年)~『STRANGE FRUITS』(99年)期だし、もはや当時のあり得ないほどの普遍性は、彼女の才能が渇水したとかそういう問題ではなく、誰がどうやったってもう二度とほじくり出すことのできないものだと思っている。だからといって、全盛期はとっくの昔に過ぎ去ったし、これで9作目だし、もう好き勝手やっちゃってください、というわけには絶対にいかない。
 Charaが僕達に教えてくれたこと。それは、蜂蜜のように甘く粘着質な独特の歌声・唱法であり、現実性の欠落したドリーミーな作風の持つ無限の包容力であり、つまりはCharaという「世界」だった。今年の2月に発表された現時点での彼女の最新作であるこの作品は、エレクトロニカの多様というドラスティックな変化で音楽の振れ幅を大きく広げた意欲作だ。ピアノとストリングスのアレンジで聴かせる“FANTASY”がシンプルすぎて聴こえるぐらいに、本作では貪欲にエレクトロ・サウンドを取り入れている。音の情報量が急激に増したわけだが、楽曲を支える骨格は不思議なぐらいブレていない。Charaは、どれだけの月日が流れても、抱え込む情報がどんなに重くなっても、自分の「世界」だけにフォーカスを合わせて作品を作り上げることができる。新たなサウンドを加えることで作品を進化させ、それを持ち前の包容力で強く抱きしめて、彼女は「世界」を深化させる。この作品で改めて確認することのできた、全てを「世界」に引き込む彼女の集中力を信頼しているからこそ、僕はまた次の作品を楽しみにできる。「世界」の向こう側を、また覗いてみたくなるのだ。


おまけ
Chara-世界
19:38 | 日記 | comments (4) | trackbacks (0) | page top↑
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