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マイクロ熱病ソフト

どうも、ここ数日、謎の熱病にうなされてました。
死の床から起き上がり、パソコン開いたら、
立ち上がるまでに三十分、ネットのウィンドウ開くのに一時間。
なんだこれ。
ウイルスか? 故障か?
結局、未解決のまま、
愛しのiPhoneからハロー、みんな元気かい。

パソコン、三年おきに買い換えるのがベストだそう。
いまうぃうぃ言ってる目の前の四年目。
新しいの欲しいけど、パソコンなんてどうやって買えばいいのかわからないよ。
場所ぐらいはわかるけど、なんて言えばいいのさ。

パソコンに詳しい人って不思議だな。
パソコンの買い方なんて誰に習ったんだろう。

あーシークレットウィンドウやってるー!


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21:07 | 日記 | comments (5) | trackbacks (0) | page top↑

安いハートが良いね

後輩との激しい論争の結果、
世界で最も美しい女性は永作博美に決定しました。

劇団、本谷有希子。
めっちゃ面白いんだから。
永作さんきれい。

幸せ最高ありがとうマジで!
/ 劇団、本谷有希子

幸せ最高ありがとうマジで
病むなら病むで元気に病めば良いじゃない!
 専属俳優を持たないフラックスなプロデュース・ユニットとして活動する「劇団、本谷有希子」。以前は比較的小さな劇場での公演が多かったようだが、初のパルコ進出となったこの『幸せ最高ありがとうマジで!』で、これまで何度もノミネートはしてきたものの一度も受賞には至らなかった岸田國士戯曲賞をついに受賞した。面白すぎる!の一言に尽きる。本谷有希子独特のユーモア・センスが最高に効いていて爆笑必至、キャラクターはみんなハッキリとキャラ立ちしているし、特に永作博美が主演を務めた元気な人格障害者は誰が見てもその斬新さと痛快さに心を打たれると思う。最高の脚本と最高のキャストと最高の舞台が揃ったとなるとやはり話は変わってくるものなのだ。「劇団、本谷有希子」のひとつの集大成として祝福された記念すべき舞台公演である。
 小説にしても脚本にしても、本谷有希子の作品には彼女自身の性格が幾分色濃く投影された、自意識が過剰で性格の激しく破綻した女性がいつも登場する。たったひとりで世界を閉じた女性は、いつだって周りの世界=世間と対峙した時の摩擦と軋轢によって自分をすり減らし、傷つけられ、打ちのめされる。そんな女性は時に狂い果て(『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』)、時に居場所を失い(『遭難、』)、時にこれまでと変わらない日常の景色へと帰っていった(『江利子と絶対』)。あらゆる理不尽な絶望を通過した女性に残されたものとはいったい何なのか。本谷有希子はデビュー以来常にそんな絶望の「その先」を追求し続けてきた。そこでそれでも「幸せ最高ありがとうマジで!」と叫びたいと望むのは我がままですか? いやいや、明るい人格障害者が壊れた世界の最果てで叫ぶ「ファーーーーーック!」は「生きろ」と同義である。モテたり金持ってたりじゃなくて「私は生きているーーーーー!」って誰よりも大きな声で叫べるやつにこそより力強い救いの手は差し伸べられるんだよ。


00:34 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Trust Me

ロッキング・オンの試験、昨日受けてきました。
できたところは、100%、できた。
できなかったところは、100%、できなかった。
そこには自信がある。
つまり、試験の出来には、まったく自信がない。
でも、課題の出来には、1%ぐらいは、自信がある。
1%の自信の大きさと、99%の自信のなさの大きさ。
このブログを見てくださっている方々には、
その関係性がいかなるものか、ご理解いただけるかと思います。

今となっては、もう待つしかない。
ただ、自分がいろいろとナメていたことが、わかった気がする。
でも僕はもう大丈夫。
何があっても、ではないけど、ほとんど何があっても、
僕は大丈夫なんじゃないかと思えるほどに、僕はもう大丈夫。

ファック・フォーエヴァーにも、
アイム・ノット・オーケイにも、
もう歌えないわ、にすらも、
もう僕はいないんだとわかったから。
というか、そこに僕はいなくて良いんだとわかったから。

僕はもう自分だけを救うまほうの言葉を知ってるから。
僕はもうどこにでも行けるってわかったから。
僕はもう、どこにでもいるから大丈夫。
21:20 | 日記 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

りんご

りんご
今思えば二日間も更新しなかったのはずいぶん久しぶり。
というか、今思えばこんなに連続で更新してたんだ。
すごいな自分。

先日、我が家でサークル仲間とピザ・パーティーをした。
四年生の先輩が、りんごを置いていった。
CDレヴューも全部書き終えたらこれ食べながら映画観ようと思う。
CDレヴューは、やっぱりりんごと言えばあの人しかいない。

ピザ・パーティーをした夜、後輩がひとり泊まっていった。
夜になると「俺は死に憧れたことはないです。俺は無に憧れたんですよ」
とか言えちゃう面白いヤツだから、やっぱり面白かった。
次の日の朝、いや、昼まで二人で語り明かした。
前には妖怪とかおばけとか死生観とか話したけど、
やっぱり行き着く答えは一緒でもプロセスが真逆だ。
あいつにはあいつだけのオリジナルな悲しみがある。
それは僕も同じだ。

お互いにサークル内ではかなりひょうきんで軽いほうだと思うけど、
それでも人っていうのは人っていうだけでこんなにもディープで、重い。
僕の人生は、僕ひとりしか生きていないのだから、
そこにあるオリジナルな悲しみは、やはり途方もなく重い。

When The Pawn...
/ Fiona Apple

Fiona_apple_when_the_pawn.jpg
絶望とは、「自分」の肯定なのだ
 彼女を一躍「時の人」にした前作『タイダル』から三年後に発表されたセカンド・アルバム。邦題は『真実』。ファンからの手紙を読んだフィオナがそれに対する返事として書いた詩といわれる原題は、実はアートワークを埋め尽くすほど長く、そこで彼女は闘いの場に出向く時に最も向き合わなければならない存在は自分自身なのだと諭している。この詩はフィオナ・アップルというひとりの女性を余りにも的確に語り尽くしている。日本版のライナーには日本語訳が付いているので是非とも読んでみて欲しい。これまでに発表した三枚のアルバム、そのどれを振り返ってみても、彼女にとって「歌う」ということはつまり「闘う」ということだった。そして、そこで歌われていることは、いつだって自分自身の心と体に残された傷跡だ。彼女の歌の中で、世界はその先にしか待ち受けていない。当然だ。僕たちの世界は戦争や恐慌や政治なんかを前提に始まったりはしない。僕たちが把握しなければならない世界のリアリティは、自分自身と自分を取り巻く強烈な何かだけで十分なはずだ。原題の中で、彼女は真実はあなたの中にしかないとも語っている。向き合うべき世界は、闘うべき世界とは自分自身なのだから、その中にしか真実がないのは当たり前だ。音楽的には新たにドラムループやチェンバリンを大胆に取り入れた非常にポジティヴな作品であるにも関わらず、「苦痛こそ私の存在の証」と歌わなければならないほど彼女がここでもがき苦しんでいるのは、それが真実を導き出すことの必然だからだ。すなわち、苦痛を伴わない「自分」など有り得ない、ということだ。

01:22 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

米焼酎

米焼酎
バイト帰りに車に轢かれた。
自転車で走っていたら突如として前方部分がぶっ壊れ、
ハンドルを左にきったのに前輪にそれが伝わらず、
車輪だけが勝手に右に曲がり始めてアレーっと言ってる間にドーン!と。
ちょうど信号前で止まろうとしていた車で、
しかも運転手の人が優しかったからなんとか助かったけど、
本当にもう死ぬかと思った。
雨のせいで、地面がものすごく冷たかった。

写真は今日バイト先で獲得した品。
カウンターの常連さんと「店長(僕)、なんか最近また痩せたんやない?」
「そうですかね~」なんて話をしていたら、
それを聞いた隣に座っていた他のお客さんが同情してくれて、何故か焼酎をくれた。
食べ物じゃなくて焼酎?しかもなんでそんなの今持ってるの?
と?が激しく交錯しながらも、ありがたく頂きました。
バイト上りにはママさんが米をくれた。
ありがとうございます。

家に帰って、あることさえも忘れていた体重計に久しぶりに乗ったら
大学入学当時からマイナス14キロになってた。
まぁ二年半も経てばそれくらい変わるわな。
お腹減ったなぁ。

危うく死に掛け、腹も体重も減るけど、
僕の命はまだまだ萎む気はなさそう。
人生は、それでもやはり美しいものだから。

Life Is Beautiful
Life Is Beautiful
映画には魔法が溢れている
 ナチス・ドイツの迫害によって強制収容所へと送られたユダヤ系イタリア人一家の物語を描いたロベルト・ベニーニ監督主演作。強制収容所の存在も人間の残酷さもまだ何も知らない幼い息子・ジョズエのピュアネスを不安や恐怖から守るために、ロベルト・ベニーニ演じる父・グイドは大きな嘘をつく。「これはすべてゲームなんだよ」と。それからは、さぁ楽しいゲームの始まりだ。グイドがつく嘘はどれも笑えるくらいに巧みで、本当だったら決して笑えない収容所での緊張をゲームの一場面へと変えてしまう。もちろんその裏側に隠されているのは収容所のギリギリの真実だが、ジョズエの見ている世界がたとえ嘘であったとしても、人が前向きに生きるということとそれを最後まで守り抜く姿がいかに美しいかを本作はコミカルに温かく描いている。ひとつの命が笑顔を忘れずに過ごす人生の美しさ。それは、疑いようのないものだ。
 本作についてロベルト・ベニーニは「人生は美しい、しかし現実には人はなかなか幸せにはなれない」と語ったそう。つまり、本作はあくまで「虚構である」という大前提から始まった物語だということだ。色んな人のレヴューを読んだけど、「ナチスの真実を描いていない」とか「本来そこにあるべき凄惨なシーンがなかった」とかくだらないこと言うのいい加減止めろよ。「真実」と呼ばれるものが反吐が出るほど醜悪だから、せめて映画にはこれをやって欲しいんじゃないか。グイドが放つ痛快な嘘はまるで魔法のようにジョズエの世界を鮮やかに塗り変えていく。CGは一切ないが、これはほとんどファンタジーである。これが出来なくなるようだったら映画なんて終わってしまえばいい。ロベルト・ベニーニが映画に夢見た希望も、まさにこれだったんだと思う。
01:14 | 日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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