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嘘つき

テレビを観ていたら、国営漫画喫茶についての議論が白熱していて、
政治家の人が「日本のエンターテインメントを世界に誇って何が悪い?」
と開き直っていて、ああ、だから世界は平和にならないんだとなぜか納得できた。

漫画や映画や音楽は、言うまでもなく素晴らしい。
でも、僕に言わせるなら、そんなものはただの役立たずだ。
漫画や映画や音楽を作る人々?
そんな人々は世界に誇っていいような人間じゃない。
食べ物とか、着る物とか、住むところとか、
そういった、人間が本来必要とするべきものを、
作れなかった人たちなんだ。そういう人たちは。
そういう大切なことを、放棄した人々なんだ。

でも、じゃあ漫画や映画や音楽に確かに宿るあの喜びはいったい何なのか?
それは、そこに「嘘」がある、という喜びだ。

世界にもし100の真実があるとする。
そのうちの99までは、多分、
食べ物とか、着る物とか、住むところとか、
人間が本来必要とすべき「本物」が語り出す真実なんだと思う。
でもそれでは真実という概念は完成しない。
「本物」だけでは完全な真実は完成しない。
なぜなら、その「本物」だけで構築された真実は、
「嘘」の存在を決定的に肯定できないからだ。
そこに「嘘」がある、という真実を、「本物」は許さないからだ。

人間が本来必要とすべき「本物」を作ることを放棄した人々の「嘘」が語り出す、
100のうちの残りの、最後の1の真実。
それは、そんな間違った人間でさえ、「生きている」という真実だ。

だから、国営漫画喫茶を作るということは、
漫画や映画や音楽という決定的な「嘘」を恥ずかしげもなく世界に誇るということは、
その「嘘」を「本物」とはき違えてしまうということは、
漫画や映画や音楽を作る人々への存在否定以外の何物でもない。
「嘘」という間違った存在の否定以外の何物でもない。
漫画や映画や音楽が99の真実に回っちゃいけないんだ。

政治家、「友愛社会」なんか掲げんな。
国営漫画喫茶や友愛社会は99の真実を肯定できても、
最後に残されたたったひとつの真実を肯定できない。
役立たずのロクデナシがそこに存在することを許さない。
真実という概念は、「本物」も「嘘」も両方同時に内包しなきゃ完成し得ないんだ。

国営漫画喫茶がもし完成したら、
歴史はまた、99の真実のみを作り上げて、積み上げられていく。
でもそれじゃあたったひとつだけ欠けてるんだ。
そうやって、少しずつ、世界は間違ってきたんじゃないか。

だから間違ってることを認めろ。
間違ったものに居場所を与えてやれ。
自分なんか信じるな。
間違った自分が、それでも「生きている」ことを認めろ。
漫画や映画や音楽が本当に伝えるべきことは、
それ以上でもそれ以下でもないんだ。

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21:20 | 独り言 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

絶対

poiuytrfd.jpg
最近、自分の中で変なことが起きてる気がする。

終わった?
『PRISMIC』が終わった?

僕の時間を、
まるで氷みたいに止めてしまっていたあの愛しい呪いが、
ついに終わったのかな。

こんな時に?

明日はロッキング・オンの面接。
こういう時は雑誌とか新聞とか読み漁ったりした方が良いのかな、
なんて思わないでもないけどそんなことしなくて全然良いと思う。

こういう時だから、自分を燃焼させれば良い。

『PRISMIC』が終わったなら
僕はどこにいれば良いんだろう。

どこにでもいるか。

信じてる。
15:06 | 独り言 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

マイ・ネーム・イズ・ジョナス

King.jpg
同じクラスで同じゼミの友達から珍しくメールが来た。
「JAPANにまた載っとるね。今本屋で見つけた、すごいな~」。
ありがとう。
「地味にバンドのHPができたから覗いてみて」。
おお、そっちこそおめでとう。早速覗かせてもらうよ。
というわけで、見てみたら着うたなんて配信してるからビックリしてしまった。
掲示板にもファンの人からのコメントが多数。
いやいや、俺なんかより全然すごいよ。
三人組のバンドで、友達はギター。
彼らのライブには行ったことないし、曲も聴いたことない。

その友達は、二年生の頃に「俺、もっと軽くならなきゃ」と言い出して、
その時入っていたサークルを止めて、突然バイクで九州一周し始めた。
意味がわからん。
でも、意味がわからんことをしなくちゃいけなかったんだろう。
僕には、少しわかる気がする。

ロックは反抗の音楽だ、とはよく言うけど、別にそれに異論はない。
そう、ロックは、入試とか就職とか出世とか、
あまりにも巨大な絶対的かつ社会的な奔流に、逆らうためのものかもしれない。
夢とか自由とか青春とか、そういうのがひとつひとつなくなって、
それを受け入れていくのが大人なんだ、なんていう、
「大人」側からの正論に反抗するためのものかもしれない。
そんなもんに飲み込まれたくなくて、丸め込まれたくなくて、
開き直りたくなくて、そのために、僕たちはロックにのめり込むのかもしれない。
こんな状況からロックになんとか救い出してもらいたくて、
でもロックですらも救い出してくれないから、
余計に僕たちは救い出してもらわなきゃならないのだ。
なんだかもう、わけがわからなくなるのだ。
ガチガチの正論で固められた世界なんて間違ってると思っている僕たちは、
だからこそそんな世界に、正論では太刀打ちできないのだ。
ロックって、そんなジレンマとしてのノイズのことを言うんだろう?

だから、いろんなもん切り捨てて突然九州一周を始めた彼の行為は、
わけがわからないけど、わけがわからないからこそそれは「異論」だった。
こんなところ俺のいるべき場所じゃないだろう。
「自分」は、いったいどこにいる?
だから、彼のバンドの歌が、できるだけ多くの人の心に届けば良いと思う。

三年生になって、やっぱりみんな就活を意識し始めて、
「そろそろ始めなきゃ」とか「イヤだなぁ」とか、毎日飽きずに言ってる。
そう言いながら、僕の周りの人たちがイヤイヤ就活するのを、
僕は見たくない。
履歴書なんて、何回書いてもそこに「自分」はいない。

僕はただ逃げてるだけだ。
でも、僕の精一杯の「異論」は封じ込めないで欲しい。
正しくても間違っていてもいいんだ。
むしろ間違ってるだろう。
でも、僕が呼吸できる場所を奪わないで欲しい。

マイ・ネーム・イズ・ジョナス。
僕は、ここにいるんだから。
00:54 | 独り言 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

幽遊白書名言集 そのに

桑原 「飛影が包帯をとるぞ
     おい蔵馬!! イジュタイホウってなんなんだよ!!」
蔵馬 「武威の鎧と同じさ…呪符で自分の力を抑えつけているんだ
     出したら自分でも止められないほどのすさまじい力を
     そんな力が ふたつ ぶつかりあったら…
     こんな会場はけしとぶぞ………!!」
武威 「むっ」
ひえー

堂々と写真を載せながら画質がよろしくなくて申し訳ない。
ちなみに、飛影は「もう後もどりはできんぞ 巻き方を忘れちまったからな」
と言っています。
これはいつか真似してみたい最高にかっちょいいセリフ。
でも、なかなか良いタイミングを見つけられないまま数年たっています。
暗黒武術会決勝戦、浦飯チームvs戸愚呂チーム。
次鋒、飛影と武威の戦いで飛影が言い放った名台詞。
忌呪帯法を外した後、飛影は圧倒的なパワーで武威を完膚無きまで叩きのめします。
飛影はとにかく速い。一瞬で敵をぶちのめす。
瞬間で敵を乗り越えることそのものに飛影の魅力が詰まっている。
僕の腕からも黒龍波が出ないものかと、
授業中によく消しゴムを敵に見立てて「はっ」と手を向けていた小学生でした。
次は誰の名言にしよう。
素晴らしいキャラクターが多すぎて、
「そいつをやるならこいつも!」的な感覚が一生続きそうで怖い。


今日のCDレヴューはロック界のズッコケ三人組の別プロジェクト。
ズッコケといってもビースティ・ボーイズじゃあありません。
ジャケット見ただけでもかなり60年代を意識してるなぁ。
裏側にはわざわざ日焼け加工まで施してあるし、
トラック・リストもA面とB面とにわける徹底ぶり。
これは完全なる趣味作品だな。

Stop Drop And Roll!!!
/ Foxboro Hot Tubs

Foxboro.jpg

やっぱり嘘のつけないやつら
 本性を明かさずネット上にフォックスボロ名義で音源をアップしていたが、「こいつらまんまグリーン・デイじゃん!」と即バレしたグリーン・デイのサイド・プロジェクト。いや、メンバー全員揃ってるんだから「もうひとつのグリーン・デイ」と言った方が正確かもしれない。でも鳴らしているものは、「もうひとつの」というよりも「かつての」という言葉が相応しい陽性ポップ・ロック。60年代ロックへのオマージュを中心に趣味音楽を好き勝手やっているという意味で、グランジ終焉期に空気も読まずにメロコアで楽しげに登場したデビュー期みたいな、あの何も背負わない感じが気持ち良い。“アリゲーター”って、キンクスの“ユー・リアリー・ガット・ミー”じゃないよね?
 そうだった。ここ最近、本来のグリーン・デイがこういう連中だったことをすっかり忘れていた。そもそもがヘラヘラ笑いながら平気でロックを冒涜する連中である。力強くもシリアスな超大作の『アメリカン・イディオット』は、長いキャリアを持つバンドのイメージすらも一掃してしまうほどのスケール&存在感&批評性を持ち合わせていたということだろうか。ファンがグリーン・デイに求める価値観も、激変してしまったのだろう。この作品をもし今のグリーン・デイがやっていたら、ファンは許さなかったような気がする。だから、このただの趣味音楽がやりたいというシンプルな思いに憑かれた時、彼らには「もうひとつの顔」がどうしても必要だったのだろう。内容に限ってはそれだけのことだが、『アメリカン・イディオット』の影響力を婉曲的にだがヴィヴィッドに感じるということもあって、決して単なる趣味として割り切ることのできない作品でもある。リハビリみたいなもんだろう。
01:59 | 独り言 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

幽遊白書名言集 そのいち

戸愚呂兄 「くそォォ なぜだァア なぜくたばらねぇ~~~~」
蔵馬    「邪念樹はエサが死ぬまで離さない
        しかし再生を続ける戸愚呂は死ぬことさえできない
        永遠にオレの幻影と戦い続けるがいい」
くらま

僕の少年期の人格形成に多大なる影響を与えた傑作漫画、『幽遊白書』。
15巻の最後で繰り広げられる戸愚呂兄との苛烈な戦いに
余りにも鮮やかに勝利した蔵馬が最後に言い放ったセリフは、かっこよすぎた。

幽遊白書には、やたらと名言が多い。
その名言はいったいどこから飛び出してくるのか。
もとを辿れば、それは作者である冨樫義博の、
幽遊白書にかけるロマンに行き着くような気がする。
そう、幽遊白書はただの漫画ではない。
ひとりの男の、ありったけのロマンがギュウギュウに詰まった、
夢のような漫画なのである。
面白い漫画を描こうとしているだけじゃ絶対に生まれない名言・名シーンが、
幽遊白書には溢れているのだ。
それは、キャラクターひとりひとりの圧倒的な存在感にも繋がっている気がする。
幽遊白書の余白には、いたるところに冨樫義博のどうでもいい落書きがある。
でも、それを見るたびに、僕は彼の幽遊白書に対する思い入れの強さというか、
強烈な愛情に、なんだか熱くなるものを感じてしまう。
面白い漫画は、文字通り山ほどある。
でも、幽遊白書ほど作者の思いの丈がそのまま描き尽くされた作品を、僕は知らない。
今回のはあくまでも「そのいち」である。
次は絶対に飛影だ。

今日はひょんなことからゼミでセーラームーンの話題で盛り上がった。
セーラームーンの作者の旦那は、冨樫義博ですよね。
僕は幽遊白書が大好きで、姉はセーラームーンが大好きだった。
姉がセーラームーンをテレビで観ている横で、
僕はなんだか照れ臭い気持ちもあって、違う方を見ながら、
それでもチラチラとテレビ画面に視線を向けていた。
セーラーマーズこと火野レイに、密やかな恋心を抱いていた幼い頃を思い出す。
大抵の人は亜美チャンかヴィーナスが良いと言っていたが、
断然マーズである。火野レイである。
あの腰までまっすぐに伸びた艶やかな黒髪が目に入らないのだろうか。
言っておくが、僕は、本気で萌えていたのだ。

今日はロックもクソもない。
ただの気持ち悪いファンと化して、好き勝手やってやる。
と思っていたけど、今日もCDレヴュー。
しかも今日はローリング・ストーンズの作品。
幽遊白書、セーラームーン、そしてローリング・ストーンズ。
自分でもわけがわからない。
とにかく、最後はイッツ・オンリー・ロックンロールに終わるのだ。
夜中にブログなんて書くもんじゃないね。
めちゃくちゃである。
でもレヴューは真面目に書きます。

Out Of Our Heads
/ The Rolling Stones

ストーンズ

ロックンロールは永久に不滅だ
 ストーンズが初めて全米で1位を獲得した記念碑的アルバム。アメリカでの成功の理由としては、今や日本でもロックンロールのひとつのスタンダードとして認知されている“サティスファクション”の存在が大きい。シングルとしても全米1位に輝いている。「満足なんてできやしない」というシンプルすぎる言葉だが、だからこそ一撃で若者の心を鷲づかみにしてみせたこの曲。これほど多くのロックンロール・ファンに愛され、多くの同業者の手によってカバーされてきた曲はない。バンド結成当初からブライアン・ジョーンズのヴィジョンとしてあった「白人に本物のブルースを見せる」というバンドの基本的な指針の向きを大きく変え、ストーンズとしてのオリジナルなロックンロール・ナンバーの端緒を開いた一曲でもある。
 全然関係ない話で申し訳ないが、YUKIもライブでこの曲の有名なフレーズを歌うのが好きだよな。“WAGON”のアウトロ部分で絶対に歌ってる。“WAGON”のもともとの曲調のせいでYUKIの場合は「あたしゃ満足なんてできないわよー!」的な微笑ましいノリになっているのがおかしいけど、YUKIほどの言語アーティストが何も考えずに口にできるフレーズじゃないよな。アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクション。俺は、まだ満足なんかしていない。これは、ロックンロールの基本原理に渦巻く最も根本的な怒りである。たらふく食い散らかして嬉しそうに腹をさすっているロックなんて、誰の心も動かせやしない。世界はおろか自分の人生にすら、誰ひとり満足なんかしちゃいない。だからこそ、ストーンズが歌ったロックンロールの魂は今も僕たちの心の奥底で、静かに、でも熱く燃え続けているのだ。
02:40 | 独り言 | comments (4) | trackbacks (0) | page top↑
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