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忙しや

きのこ
今日からうちの大学の祭りが始まった。青嵐祭。
知り合いの出店でキノコのキーホルダーを買った。
僕らの出店は明後日明々後日の二日間。
明日は買出しやら何やらの前日準備だ。
ホットドッグとフランクフルトを出すのだけど、
今日見ただけでも同じような店が五店ぐらいあって、笑いが出てきた。
フランクフルトはどこにも負けないと思った。

友達の友達に写真部の人がいるし
僕だって写真には興味があるから写真展を観に行ったのだけど、
一枚だけものすごく印象的な作品があった。
他はなんとなく白黒で撮ったり
写真そのものよりも被写体の魅力に頼ったような作品が多かったけど、
『月と不死鳥』と名付けられたその作品は、存在感がまるで違った。
写真は、やっぱり、あるものを撮るのではなくて、想像力だよね。
とその写真は無言で語っていた。
頼んだら好きな写真をもらうことができたみたいだけど、
なんだか恥ずかしいから止めといた。

そんなわけで、あんまり音楽が聴けてない。
ロスキャぺの最新作を聴いてからは、一枚も新しい作品を聴いてない。
だから今日は適当な映画感想文でお茶を濁す。
日本ではあまりヒットしてないのかな?
面白いのにな。

Wanted
wanted.jpg
映画『ウォンテッド』を観て
 おすぎがテレビでギャーギャー騒いでたりDAIGOがやる気あるんだかないんだかみたいなCMしてたり絶対面白くないだろ、どうせ典型的なアメリカ映画だろ、と思いながらも劇場で他に観たいものがなかったから観た映画。逆の意味で煮え湯を飲まされたような気分にさせられて、迷わずもう一度飲まされに行ってしまった。銃撃ちまくりで弾は曲がるわカーチェイスは激しいわ列車は落ちるわネズミは爆発するわヴァイオレンスだらけだわ人は死にまくるわアンジェは綺麗すぎるわで、おっぱい以外の映画にやれるカタルシス全部ぶち込みました、しかも最新の映像技術とアイディアで。そんな、既存のアクション映画を(やっぱり『キル・ビル』は全然超えられないけど)楽勝で乗り越えた面白い作品だと思う。うだつのあがらないダメ男がひょんなことからヤバイ世界に足を踏み込んで段々生き生きし始めてクールに成長していって……というベタな話だが、何と言っても凝りに凝った映像デザイン(“FUCK YOU”“GOODBYE”は最高にクールだった)が本作をオリジナルで特別な映画へと引き上げていた。スローで強調された場面は特にややこしいことは何もしてないけどほとんど全部今まで観たことのないような影像ばかりで、動きの遅さに反して心臓の鼓動は高まるばかりだった。やっぱりアクション映画はこうあって欲しいよね。映画みたいなセンセーショナルな出来事は滅多に起こらない毎日の生活にバキュン!と風穴をぶち開けるような、映画本来の魅力を思い出させてくれた痛快な作品だった。以上、感想文終わり。
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03:24 | 大学 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

メランコリニスタ

本当は大学で授業の時間なんですけどね、
今日はなんだか朝から憂鬱で、お昼の授業は休みました。
そういえば去年もこの季節に憂鬱な日々が続いて、
2週間ぐらい学校を休んだ時期があったなぁ。
5月病、ってやつなんでしょうか。
天気が良いせいか太陽に責められているような気がして、
余計に憂鬱になりますよね。

朝の授業は頑張って受けてきたんですけど、
あれは本当にくだらない授業だな。
幸福論、と言えば良いのでしょうか。
みんなで仲良く「幸福」を定義するおめでたい授業です。
大真面目に議論できたら面白いんだろうけど、
出てくる言葉が「平和」「安心感」「自由」「カネ」
「大切な人が幸せでいてくれること」「悩めること」って、小学生じゃないんだから。
どの言葉も、誰の定義も、みんな僕にはひどく居心地が悪い。
先生も授業の最初にいちいちそんなこと取り上げてる場合じゃないよ。
幸福など存在しないと悟った時に訪れる永遠の諦観?
違う。
幸福とは、どれだけの時間の洗礼を受けても、すべてを感じ終えた後にも、
それでも自分の中に残り続けている「何か」の存在を信じる力である。
そんな、未来を約束する力である。


来月に新作が発表されるので、振り返って久しぶりに聴いてみました。
ザ・ミュージック。
今考えても本当に良いバンド名だな。
「音楽」のすべてを背負って、突き進んでいけ。

The Music
/ The Music

The Music-The Muic

想像力に感電する
 勘違いファッションに身を包んだイタい美大生や芸大生をテレビなんかで観るとこのことについて真剣に考えたことがあるのだろうかとつくづく不安になってくるのだけれど、アートをとりあえず想像力の限界を突き止めようとする営みだと定義するのなら、ザ・ミュージックのデビュー・アルバムである本作は、まさしく正真正銘の「アート」だった。いや、それ以上かもしれない。エクスペリメンタリズムとか新時代の息吹とか、そんな中途半端で都合の良いタームなんて楽勝で振り切ってしまう、ザ・ミュージックという音楽の「発明」である。
 彼らのロックを究極の「アート」、はたまた「発明」たらしめているものとはいったい何なのか。超人的に卓越した演奏力? 流麗な文学性の光るリリック? 聴き手のイメージを否が応でも刺激するストーリー・テリング? 彼らのリスナーならそれら全てが明らかに間違っていることはわかっていただけると思う。だとすれば、ザ・ミュージックの実態とは何なのか。それは「想像力」である。言葉にするほどの思想もなく、語り継がれるほどの演奏力も持ち合わせていなかった、つまり、ロックとして限り無くゼロに近い地平から自分たちの音楽を立ち上がらせる時、彼らはそれぞれが楽器と格闘し、そのしびれるほどのエネルギーとテンションによって音を征服することで、形にし難い「想像力」をエグイくらい肉体化することに成功した。これはそういうアルバムである。発表から5年以上が過ぎた今なおこのアルバムを的確に形容できるシーンや言葉は存在しないのだ。ロックのあらゆる想像力の限界を見事に打開し、ロックがアートすらも凌駕し得る表現だということを証明した1枚。セカンドでは本質的な進歩を見せることが出来なかった彼らだが、来月発表の新作ではどうなる? 孤高をひた進め。
13:50 | 大学 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Happy Bath Day

4日くらいお風呂入ってないと言ったら彼女に怒られたので入ってきました。
サッパリ。つるりんタマゴ肌。
いや、実際はカサカサ乾燥肌です。すんません。
やっぱり風呂は良いね。

まあそんなことはどうでも良いのだけど、
昨日は学校に修学簿を取りに行ってきましたよ。
落とすんじゃないかとビクビクしていたドイツ語がちゃんと取れていて安心。
2年間のドイツ語勉強からやっと解放された。
ドイツ語するために大学入ったんじゃないっていうのに、長いんだから。
他にはまあ英語は相変わらず成績悪いんですが、
自分の英語力の無さは自覚しているのでそんなことでは落ち込みません。
でも今北九州にいないから代わりに取ってきてよと頼まれた友達のを見たら
英語の成績がもうべらぼうに良いのでちょっと傷つきました。
でも、ちょっとやそっとじゃAはくれないと聞いていた先生から
Aをもらえている授業があったので嬉しかったです。
レポートとか持論を述べる記述式のテストは好き。
勉強しなくて良いもん。

そういうわけで2年次は無事に終了。
3年からはゼミが始まるのですが、
同じゼミの人、ほとんどみんな知り合い。
新しい友達ができるかと期待したのに、なんか緊張感ないなぁ。
とにかく、3年からは頑張ります。


今日紹介するCDは中学の時に時々聴いていたこのバンドの最新作。
去年はサム41とグッド・シャーロットが良いアルバムを発表したけど、
このバンドもこんなアルバムを残したとなると
あとはニュー・ファウンド・グローリーだな。
彼らが良いアルバムを発表すれば、
中学の時に好きだったポップ・ロックの連中がみんな出揃う。

Simple Plan
/ Simple Plan

シンプル・プラン 3

正しい成長の証
 下宿の方にシンプル・プランのCDは1枚も持ってきていないから、本作を聴く前にはYouTubeでビデオを観ながら過去作を聴いたのだけど、画面の中で跳ね回るその奔放な姿を今改めて観直して、デビュー当時は本当にそこらへんにいるただのガキだったんだなと思った。青春を言い訳にして暴れまくって、「だってまだ子どもだもん」と威張り倒すヤンチャ坊主たち。それが6年も経てば「今夜は俺の手を握って、明日のことを考えるのはよそう」と歌うんだから、こいつら真面目にコツコツ胆を練ってきたんだろうなあと感心させられる。そう、シンプル・プランの通算3作目となる本作は、歌詞の存在感がこれまでの作品とは比べ物にならないぐらい大きい。簡単に斜め読みするだけで「人生が待ってくれないのなら、すべては僕次第なんだと思うよ」「僕たちに未来などない、と君は言った。君は過去を生きているんだろう」など、印象深い歌詞が目に留まる。これまで歌ってきた自分たちの身の回りという範疇を別段広げているわけではないが、物事を深く掘り下げて考える力は確かに養われている。面白いこと書くようになったな。
 ところで、プロデュース陣にデンジャハンズ(ジャスティン・ティンバーレイク、ミッシー・エリオット)やマックス・マーティン(バックストリート・ボーイズ、ブリトニー・スピアーズ)の名前を見た時にはどんなサウンドになるのか想像するのが難しかったが、今ならこの突然の起用が強い野心を伴った大抜擢なのだと頷ける。ポップ・ロック・バンドの若手筆頭選手として前2作でワールド・ワイドな成功を手に入れた彼ら。これまでと違ったアイディアを試すには絶好のタイミングだ。R&Bのリズム的な要素やシンセのアレンジが良い働きをしている。歌詞にしてもサウンドにしても、シンプル・プランはとにかく本作で次のステージへと大きく踏み出した。本当に、良いバンドになったな。
15:29 | 大学 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

真骨頂で聴こう

先週の同じ日にも同じこと書いたような気がするけど、
今日はイギリスの大衆文化の授業でビートルズ史を勉強しました。
前は『サージェント・ペパーズ』についての言及がなさ過ぎたので
文句ばっか言ってましたが、今日もそうでした。

話が67年から始まったので、
やった!サージェント・ペパーズだ!と心躍らせていたんですけど、
まったく出てきませんでした。
ガッカリしてたら、というかもう完全に幻滅してたら、
前回触れてくれなかった『ホワイト・アルバム』の話が出てきて
ちょっと気を取り直したんですけど、そこでまた幻滅。

「『ホワイト・アルバム』は2枚組みなので
20~30曲入っていると思うんですが……」って。
「思うんですが」って、
授業で偉そうにビートルズ史なんてやってるくせに
ちゃんとアルバム聴いてないのか。
実際に作品を聴いてキャリアを俯瞰することさえしてないのか。
あの先生は、“へルター・スケルター”すら聴いたことがないのか。

多分、あの調子だと『サージェント・ペパーズ』すら聴いてないんだろう。
ちゃんと聴いてたら、
あの作品に対する記述がたったの3行なんてことにはならないはず。
『ビートルズ1』に一曲も収録されてないから
重要な作品じゃないと思ったのかな。
そういえばあの先生が授業で流してたのは全部『ビートルズ1』収録曲だ。
『ラバー・ソウル』も『リボルバー』も、多分ちゃんと聴けてないんだろう。
あまりにも間抜けすぎる。

授業の最初に“オール・ユー・ニード・イズ・ラブ”をかけ始めた時点で
ちょっとおかしいなとは思った。
あの曲が名曲なのはもう誰でも知ってるし、
“レット・イット・ビー”ならそんなことはなおさらで、
大学の授業で今更そんなことを再確認して何になるんだと思った。
みんなが知ってる曲をもう一度みんなで聴いて
「ああ、良い曲だね」って、「やっぱビートルズは凄いね」って、
そんな授業間抜けすぎる。
高校の数学の授業で2+3が5になることを
いちいち確認することぐらい間抜けだ。

「好き」か「嫌い」か。「良い」か「悪い」か。
そんな二元論でビートルズを語って良いのは純粋なリスナーであって、
大学で講義を開いている先生がそんなこと言ってちゃだめだ。
あんたがやらなきゃならないことは、
ビートルズが凄いか凄くないかなんてレベルの話ではなくて、
誰が何年に誰と結婚しただなんてどうでもいい話じゃなくて、
ビートルズがなぜ凄いのかを伝えることであるはずだ。
それを伝える時に、みんなが名曲だと知ってる曲を聴かせたって無意味だ。
あんたが学生に聴かせなきゃならない曲は
あの大量な情報を一身に抱え込んだ大傑作
“デイ・イン・ザ・ライフ”であるはずだし、
『ラバー・ソウル』~『サージェント・ペパーズ』がロックに起こした
変革こそあんたが伝えなきゃいけないビートルズの凄さだ。

ビートルズが凄いのは、ただ単に絶大な支持を得たからじゃない。
良い曲をいっぱい歌ったからでもない。
ロックの根底を覆して、ロックの制約をぶっ壊して、
ロックの未来を切り開いて、未来でも支持されたから凄いんだ。
その端緒を開いたのは間違いなく『サージェント・ペパーズ』だったはず。
あの作品は、一曲もシングルカットしないで、
一枚のアルバムを通してビートルズが架空のバンドを演じるという
コンセプチュアルなトータル性で、
ロックに新たな有効性を見出したアルバムだったはずだ。
それは、ロックに新たな表現が提示されたことを意味していたはずだ。
『サージェント・ペパーズ』をまったく無視して、
ビートルズの凄さが伝わってたまるか。
あの授業でビートルズに少し詳しくなった学生は不幸だ。


ちょっとイラつきすぎました。
でも、良い曲を垂れ流しにして聴いてるだけじゃわからない
ビートルズの凄さを伝えようとしなきゃ絶対に駄目だと思う。
自分にそれをする力がないのは悔しいけど、絶対にあんなのおかしい。

解釈の違いにこんなふうにイラつくことって結構よくあります。
高校の時に、“ボーン・トゥ・ラブ・ユー”の影響で
ちょっとクイーンが流行ったんですけど、
その時に友達に「え?洋楽好きなのに『ジュエルズ』持ってないの?」
って言われて物凄く不愉快だった。

僕はベスト・アルバムってものが本当に大嫌いで、
良い曲集めただけのアルバムでそのバンドを理解するなんて
絶対に不可能だと思ってるし、そんなの音楽の真骨頂じゃない。
ベストものほど『サージェント・ペパーズ』をバカにするものはない。
でもその手軽さゆえに結構ベスト・アルバムで納得しちゃう人って多くて、
クイーンの時も、オアシスの時も、とにかくイラついてました。
「そんなアルバムで解かってたまるか」って。
だから今日はクイーンの真骨頂だと思ってるアルバムを紹介します。

A Night At The Opera / Queen
A Night at the Opera



風は、今も吹いているか
 「クイーンの真骨頂を知る」という意味において、僕達の世代は極めて不幸な時代を生きていると思う。物心がついた頃にはフレディ・マーキュリーはすでにこの世にはいない「過去の偉人」だった。初めて聴いたクイーンの曲は他人が歌う“ウィ・ウィル・ロック・ユー”だった。中学の時には親がどうしてあんなに“ボヘミアン・ラプソディ”を絶賛するのか理解できなかった。高校の時には『ジュエルズ』(04年)を持っているやつが何人もいて、そのほとんどが“ボーン・トゥ・ラブ・ユー”に夢中だった。これらはあくまで僕のパーソナルな実感にすぎないが、誰もが少なからずこんな感じだと思う。少なくとも、僕のそばにはこのアルバムの存在を知っている友達──クイーンを真骨頂で聴いているやつなんて一人もいなかったし、それは今でも同じだ。
 ビートルズの『サージェント・ペパーズ』(67年)以降の価値観をもろに受けた本作は、従来からコンセプチュアルなクイーンの作風をオペラという壮大なテーマのもとにいっそうコンセプチュアルなものへと盛り上げている。そこに描かれたフレディ・マーキュリーという男の性格はひどく逃避的で、一言で言うなら「ダメ男」だ。その兆候は後半に進むほど如実に表れてくるのだが、ハイライトは間違いなくラストから2曲目の“ボヘミアン・ラプソディ”で訪れる。ほとんど誇大妄想的にバカでかくなった「死」の観念に取り付かれた男が、避けられない現実との狭間で上げる「死にたくない/生まれてこなきゃよかった」という切実な叫びには高揚を覚えずにはいられないし、そんなダメな自分に「とにかく、風は吹くさ」というやはりどこか逃避的な匂いのする一行だけで生きる希望を与える彼の姿には、とにかく激しく感動せずにはいられないのだ。『ジュエルズ』のような、レーベル・サイドの商業的なエゴが透けて見えるベスト・アルバムなんかでは絶対に味わえない「クイーンの真骨頂」を、是非ともこの作品で知ってほしいと思う。


おまけ
Queen-Bohemian Rapsody
01:43 | 大学 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Small Time Shot Away

新歓は明日、明後日も続くようですが、学び舎は昨日で最終でした。
2日間のアピールで、5人の新1年生と、
サークルに入ってなかった新2年生が2人テントに来てくれました。
話を聞きにきてくれただけなのでまだ入るかどうかはわかりませんが、
みんな良い子そうだったので入って欲しいです。
人数少ないサークルやからすぐ仲良くなれるはず。

7人もテントに来てくれたことも嬉しかったんですけど、
他のサークルに入ってるクラスの友達に
久しぶりに会えたのも嬉しかったです。
聞いてみると、他のサークルも結構勧誘には苦労してるみたいです。
大規模サークルでもそんな感じなので、小規模のこちらはもっと不安です。
教職取ってる友達は授業の関係で活動に来れないらしいし、
なんだか心配なことばかりです。
学び舎、どうなるんでしょうか。

さて、今日は新学期の時間割を決めるために
同じクラスの友達とパーラーでシラバスと悪戦苦闘してきました。
カリキュラム設定に関してはうちのクラスで唯一頼りになる
彼がいてくれて良かったです。
おかげでなんとか決めることができました。
結果、水曜と土曜は完全に休み。
週休3日のお気楽な設定になりました。
でも他の日に密集してるから結局きついかもしれません。
そして、ネイティブの授業が多い。
英語が苦手な英語専攻者なのでこれはつらいです。
まあ頑張っていきましょう。


それでは今日も1枚名盤を紹介します。
落ち込んだりした時に良く聴きます。
それで、もっと落ち込みます。
ネガティブに浸ることが悪いことだとは思ってないので。
前付き合ってた子に「暗い曲ばっかり聴くね」と言われたのは
こういうのが好きだからでしょうか。
あの子には一生掛かってもこの作品の素晴らしさは理解できないやろなぁ。
そこが良いとこでもありましたが。

100th Window / Massive Attack
100th Window



 00年にマッシュルームが脱退し、3DとダディGの2人3脚体制へとなったブリストルの雄マッシヴ・アタックが『Mezzanine』(98年)から5年ぶりに発表した通算4枚目となるオリジナル・アルバム。マッシヴ・アタック名義だが、ダディGはほとんど制作に関わってはおらず、実質上は3Dのソロ作品。そのせいか、それとも時代の変化のせいか、初期マッシヴ・アタックのダブ、ヒップホップという先入観はこの作品の前ではまるで無意味である。以前の作品が持っていた腹にズシンとくる打撃性よりも、緻密に計算し尽くされたエレクトロニカが印象的だ。マッシヴ・アタックに90年代のイギリスを代表する傑作アルバム『Blue Lines』(91年)をもたらし、「トリップホップの走り」という肩書きを与えた以前の手癖に蓋をしてしまったせいか、ファンが当然のように抱いていた期待を良くも悪くも裏切ったこの作品の評価は確かに賛否両論だ。だが、世界が自分に覆いかぶさってくるような、音そのものが物質的な重さに変質して圧し掛かってくるような、自滅衝動を引き起こすあまりにも息苦しい閉塞感と重苦しさは今作でも健在。新たな要素を取り入れながらも全く浮つかない、こういうサウンドの変化こそがアーティストにとって最も理想的な変革ではないのか?デビューから10年以上の年月を経て到達した重厚サウンドの深み。その重さがそのままマッシヴ・アタックの存在の重さだ。


おまけ
Massive Attack-Future Proof
21:39 | 大学 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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