No One=2009 / 04 / 02 ( Thu )
高一の時に席替えで近くの席になった女の子と仲良くなって、 お互いに音楽好きだということでやっぱり「何か貸して」という流れになって、 僕はジュディマリの曲が70曲ぐらい入ったMDを借りて、 でも僕が貸したのはスリップノットの『アイオワ』だった。 傑作とは言え、僕はいったい何がしたかったんだろうかと思う。 女の子とちゃんとしゃべるのなんて初めてだったから動転していたんだろうか。 とにかく、そんなこんなで、 スリップノットはどうでもよくて、ジュディマリは、 僕史上最強にエポックメイキングなバンドであって、 もちろんそこからYUKIの世界へ繋がっていくわけだけど、 でも僕は何故かジュディマリをちゃんと聴いてこなかった。 多分、YUKIが強烈過ぎて、 僕がYUKIを聴く時に、 ジュディマリという物語性が必要ないほどに、 自分でYUKIの背後に感傷的な物語を作っていたからだと思う。 それとも、ただめんどくさかったのか。 J・A・M / JUDY AND MARY つぎはぎの魔法 一枚のインディー作品を経て94年に発表されたJUDY AND MARYの記念碑的デビュー・アルバム。実にまとまりのないヴィジュアルの四人組である。なんかデタラメ臭い。自分たちの在り方については当時から彼ら自身疑問に思っていたらしく、TAKUYAは後に「余りに華やかで本物なのか偽物なのかわからなかった」と語っている。YUKIに言わせるなら、当時のキャッチコピー「夢を追い続ける全ての人へ」に関しては、「意味がわからなかった」、そうだ。デビュー・シングル“POWER OF LOVE”には、函館から上京したYUKIがデビュー直前まで付き合っていた彼に対する思いが込められているとされている。「独りぼっちのこの街で」、それでも「明日世界が終わっても歌い続けてみせるから」と誓ったこのひとつの出発点は、少なくともドリーム・カムズ・トゥルーな充実した達成感ばかりで迎えられたものではなかったのだろう。YUKIのバイオ本を読んでみても、そこに書かれていることは念願のデビューを果たすことへの躍動感よりもむしろ、バンドへの期待が高まる一方で忙しい日々に追われ何ひとつうまく回らない灰色の生活だ。それはもちろん、あくまでも全体の一部でしかないのだろうけども。 そんな、ある意味で混乱した状態のまま発表された本デビュー・アルバムに救いがあるとすればそれは、恩田快人のずば抜けてポップなメロディ・センスとYUKIが紡ぎ出す色彩と風景に富んだリリックに、ロックへの疑いが微塵もないことだ。忙しいし人間関係もうまくいかないし色々大変だけどもでもだからこそあたしたちは歌わなきゃいけないんだここで立ち止まるわけにはいかないんだ前に進まなきゃいけないんだ歌い続ければあたしたちはきっとどこかに辿り着けるはずだから! このアルバムは僕にはそんな風に聴こえる。限りなくシンプル。しかし頑なな祈りは洗練され、いつかきっと魔法に変わる。YUKIを現在の場所まで導いたのは、もちろん彼女のキュートさだけじゃなくて、そんな底抜けに力強い祈りだった。 スポンサーサイト
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コメント
歌唱力とか曲の良さは勿論だけど、
PVってそれがより色濃く出ててあたしは好きなんだ。 PVってどぅ思う?
どうも初めまして。
PVですか・・・・・・PVは確かに曲の強度を高めていると思います。 個人的な話をするとアホくさいPVが好きです。 歌ったりギター弾いたりじゃできないことをPVではやれば良いんじゃないでしょうか。
否応なしに悲惨な歴史を築きやすいロック歌手の人となりがPVには特によく映る。
YUKIツアー「JOY」in武道館をDVDで見たね。 俺のツボを外した演出を連発したが、決して「いい子」に甘んじない現実のYUKIそのものを楽しんださ。 YUKIの何が好きかといったらベタ惚れしたファンすらぎょっとさせて突き放すパフォーマンスだ。 嫌われたくない型のアーティストは印象弱い。 決して届かないあこがれも勿論だが、さながら悪童に胸を痛める父親の心境になる。それがファンの本懐にして醍醐味。 |
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